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楽しいこと以外全部ウソの叙事詩   作者: ばんだな
第2章 時空間をデザインしている肉体のために
29/64

#29 客体と主体の融合体としての人間 二つの自我編

#29


ルシファーは霊性Ⅱという神経組織の中枢である脳を構築した神格存在です。

人間の脳の創造者であるルシファーは元々神霊側の霊性タイプⅠに属す高次存在でした。

ルシファーが人間の脳の創造に関与したのは地球から太陽が分離し、さらに地球から月が分離した地球紀の第三周期におけること。

月分離以前の地球では高次の神霊たちが人間存在アダムの内面から地球全体に働きかけることで、神の意志を代行する創造行為をエーテルの原型とした原初の血液を地球へと創り上げていく神的創造行為を遂行していた。

ルシファー存在もまた高次存在の一角としてその行為に参加していました。

月の分離以降に月の高次存在であるエロヒム(七柱の大天使)たちがヤハウェを残して地球を去ることによって地球が小さな休眠状態となり、新たな進化が確定したのちに地球環境の神的創造行為を営んでいた霊魂タイプⅠに属する神霊とその眷属は宇宙から人間対して下半身だけにしか働きかけることができなくなる。

一方で月分離による進化の移行期を境に地球を形成していた原初の血液エーテルによる霧の状態が晴れ上がり、天には太陽、夜には月が存在するようになった地球に降り立っていたのがルシファーだった。

それが脳としてのルシファー人間である。

霊性タイプⅡではない実在の神格存在だったルシファーは地球の人間に関与した。

ルシファーが関与したのは上半身(頭)、つまりルシファーは前次元(月紀)よりさらに進化を停滞させた次元にまで降りていくこと(退化)で、まさに人間のアストラル体がエーテルの霧によって悟性器官を獲得しようとしたその刹那に地上の人間の脳に自らの権能を反射させることで神的霊魂(霊性Ⅰ)とは別の堕天的な霊魂(霊性Ⅱ)としての働きを自らの進化と擬えて太陽が地球と分離する以前のように、ルシファー存在は太陽と関連した活動を再び始めた。


私たちが太陽と呼んでいる天体は人体内の心臓が反映されたものだ。


太陽は地上の全てを明るく照らす光をもたらしてくれている。

人体内の太陽である心臓も同様。

人間の内なる太陽としての心臓は常に血液を吸い込むことでその血液の状態から人体内の臓器の全ての機能を知覚するための内なる光が展開される。

そのことで霊性タイプⅠによる創造的な思考が自律的に行われることで生命の人体建築のための悟性活動を明るいものにしている。

これが霊性タイプⅠによる愛の力(神霊天位階一位:セラフィム)と言える。

心臓とは生命の源泉であることによって光の源泉であり愛の源泉でもある。

いわゆるマインドとは対照のハートによる思考というやつだ。

そして、心臓の源泉要素については太陽も同様だ。

太陽は外的には光として地球及び太陽系惑星のための空間を明るく照らす刺激をし、内的には愛として対象を知覚することでその熱感覚を刺激し、外界と内界との行き来において生命を刺激している。

内外の生命の往行とは記憶の関連において脳と心臓が相互に刺激し合ってダイレクトに結びついていることを意味している。

上半身の脳と下半身の心臓が太陽という天体への認識を通じて直接だ。


なぜルシファーが人間の脳を太陽と関連させたのかは明白だ。


人間特有の知性である生命の悟性が天体としての太陽とリンクしているからだ。

地球紀のルシファーは神経によって人間の下半身に寄生することで神々から人間に与えられた悟性(知性)に干渉することで自らの進化の土台とすることをターゲットとしていた。

それは人間から神(根源叡智)の御子としての自由を剥奪するためである。

かつて、神の右腕として顕現していたルシファーはその戯れで人間に神と同様の自由意志を提供するための宇宙を創造することの決定を知らされた時、“人間ごときが神と同等の自由意志を持つなど・・・”という激しい憎悪を抱くことで人間の進化は各次元での宇宙紀において神々が望む人間像をことごとく歪められる退化を繰り返し、悠久の時を経るなかで無限にも等しい時間と次元の融合の末に地球紀という新しい宇宙紀を新たに迎えようとしていた。


地球は形態の神霊であるエクスシアイによって創造デザインされる。


この意味は宇宙をデザインしていることと同義だ。

人間の人体の組織形態である内臓構造を形態霊であるエクスシアイが全て創造デザインし、それぞれに素材を分けて個体、固有、個別のものとして結びつけている、それが宇宙(地球)として現れている、という関係と同様だ。

地球紀におけるエクスシアイの重要な役割は生命及び魂の集合体に個々の形態を与えることで、それぞれの生命と魂とが個体として感情の表現が放出できるよう進化を促すことにあった。

人間で言えば自我(自分)、動物で言えば魂(感情)、植物で言えば生命(成長)、鉱物で言えば熱(力)といった一つとして“同じカタチ“という要素を持たない素材体の輪郭のある形態が提供されているのはエクスシアイの使命と権能による働きで顕現している。


これがエクスシアイの提供しようと地球紀に意志されていた客体化の自我だ。


また神霊天位階六位であるエクスシアイは中級天使(宇宙の運用=生命に関わる神霊)にあたり、自らの権能によって創造デザインした存在を自らと切り離して独立した生命として喚起させて活動させることができるという自己創造が可能で、地球の生態系や宇宙の天体のデザインはその方法によって形態の神霊から複写的に客体化されている。

ミツバチの巣や蟻の巣などを思い浮かべると良いかもしれない。

巣は一個の総体的な形態の中に個々の蜜蜂やアリたちを自分の諸部分としている。

人間で言えば親になった自分の子供たちとの関係をイメージすると良い。

全く正確ではないが、少なくとも七歳までの幼児たちは肉体的な遺伝子と心魂的な影響が親の模倣によって多くがコピーされ、見た目も性格も過不足なく親のデザインが反映された状態で客体化されつつ、そのサポートのために多くのケースの幼児の傍らには親が近くで寄り添っている。

これをもう少し歪にカタツムリのナメクジと殻の関係に例えると、実際のカタツムリの殻にはナメクジ部分が活動するための臓器の全てが詰まっているため、ナメクジから殻を切り離してしまうと死んでしまう。

しかし、形態の神霊をはじめとした中級神霊は自らを殻としてナメクジを切り離しても、その生命力をナメクジに提供しながら形態(天位階6位)運動(天位階5位)叡智(天位階4位)といった生態本能を思考とした活動を促すことができる。


遺伝子がそれだ。


遺伝子は物質なので魂の意識や自我の記憶の継承はできなくても、遺伝組織の記憶であるならば自我の創り出した身体とそれに結びついた脳の神経回路が生命活動のプログラムである遺伝子をその魂が読み取ることで遺伝子が持つ固有能力をカタツムリの殻から取り出すことができる。

そういった肉体と霊魂が切り離されていても結びついている遺伝という関係そのもののデザインをしているとも言える形態の神霊であるエクスシアイは太陽系惑星に関わる存在の(遺伝子)を形態のモデルとさせる生命の神だということだ。

地球の生物がエーテル体の記憶を担う構築力によってそれぞれのカタチを有している背後には、その恩寵の源泉として地球の神のエーテル体が海以上の密度でカタツムリの殻のように地球上全ての生命の息吹に関与している、ということだ。

人間が自分の身体を部分という分離した感覚を機能と認識している関係と同じだ。

私たちは抜けた髪の毛の一部から自分か他人かの遺伝子的な区分を見ることができる。

ただし、形態の神霊は人間において肉体と呼ばれる直接的な物質を“自らである”という一部に有してはおらず、エクスシアイは自らの一部をアリやミチバチの巣とそれぞれの個体の関係で地球の天使たちと人間の各部位の細胞のような感覚で関わっている。

いわゆるこれが融合というやつだ。

ゆえに、この宇宙のデザインの全ての傍らには形態の神霊の意志がカタツムリの殻のように間接的にではあるが結びついていることとによって、人間は自我(霊)、動物は感情(魂)、植物は成長(生命)、鉱物は力(熱)というそれぞれの自然界に配した意志(それぞれの思考体系=形態)に応じた喚起が中級神霊たちの眷属であり末裔でもある郡の霊魂の分霊(動物や植物)によってなされている。


その意志に挑んだのが地球紀のルシファーだった。


地球紀のルシファーは神霊天位階八位である大天使の領域にて干渉している。

民族の神霊である大天使は地球の神霊であるエクスシアイのアストラル体に属しながら月と地球軌道内に縛られている人間の魂を管理、封印を担当している。

地球に縛られている人間の魂とは霊を認識することのできない、いわゆる亡者のことで、地球のアストラル界の中で活動している人間の魂であるアストラル体の影、つまり私たちの意識による思考のことだ。

だから私たちは太陽の下で物質しか認識することができない。

ルシファーは絶えず神への謀反勢力として人間が神としての自由意志を獲得することがないように各宇宙紀にて、人間を霊的ではない宇宙存在としての誘惑のために奔走し続けてきた。

神々もまたその抵抗によって人間及び神霊を堕天させないために人間の意志である宇宙が次々と多様化していく中で、それぞれの生命を喚起させている存在への認識を促すことで人間の霊化のための創造によって宇宙を調整していく。

ルシファーの抗争で一度はセラフィムのミカエルに敗れることで堕天が確定し、二度目は太陽紀の神である叡智霊キュリオテテスの誘惑に成功することで太陽を反射する原初の空気を奪い取り、三度目は月紀の神であった運動霊のデュナミスを完全に支配することで魂の断絶によって原初の水を宇宙に変えた。

そして、四度目の戦いは地球紀の神であるエクスシアイでした。

その戦いは壮絶で地球の覇権をかけた惑星間戦争として、その刻印が火星と木星の間に散乱するとある惑星が木っ端微塵となったアステロイドベルトに残されている。

またカイパーベルトやオールトの雲といった太陽系を覆う塵や残骸もまた過去次元で起こった戦闘の名残であり、太陽系の各惑星に私たちの認識では宇宙的生命の確認ができないのも、こういった戦争の過程で破壊された天体という名の宇宙生命体であった神々の成れ果てだ。

それらの残骸が確認できるということは現在私たちの世界がそれらの闘争の延長線上にあることを意味しています。


なぜなら、物質とは精神存在の外的な表現以外の何者でもないからです。


その結果、エクスシアイの人間自我への支配の一部を奪い取ることのできたルシファーは私たち亡者としての人間の魂の鍵であり光となってこの宇宙及び地球に出現しています。

ではなぜ神霊天位階八位の大天使の段階にまで降格していたルシファーが神霊天位階六位という宇宙の形態を生命とするような高次存在の意志を上回ることができたのか・・・

それは過去次元からの誘惑の成果だ。

ルシファーは人間自我に神の御子としての霊的な自由意志を与えないためには、自らが直接干渉することによって霊的な存在からは最もかけ離れた次元への幽閉を目的とし、その世界観の創造のための闘争を天的存在を魔に誘いながら次元そのものを降格させ続けてきたのです。

その謳い文句のキャッチフレーズが「神(根源)からの自由」だったのです。

その行為は神への反逆であり、謀反であり、逸脱として、天位階の神格と霊格は剥奪されることによって、その恩寵は善なるものと悪なるものの対極の概念が生じることによって各次元の進化は退化を選んだ者の停滞と犠牲を土台とした宇宙を繰り返した。

だから、地球紀という四つ目の宇宙が展開される頃には根源たる神にあだなす悪神たちもまた三段階の退行的な進化を成熟させていたため、古くから存在してきたルシファーの野望による支配勢力は天を分けるほどの力を有していた。


その力が「自我」という自由意志の光を巡る闘争を引き起こした。

自由意志の光とは、魂の光であり、生命の光であり、物質の光である。

その自由は()でもあり、記憶(生命)でもあり、肉体(物質)でもあるのです。

光という単一とされる現象にはそれぞれの自由への意志が融合したもの、私たちはそれら光の現象の全てを太陽による単一的なものであるとしているが、単一という認識への働きかけの全ての根源がルシファーにある、というのが正解だ。


○エクスシアイによる客体化の自我

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()“、この自我感覚を地球紀の物質の次元にまで下降した私たち人間が神に類するあるいは神へと到達させる自由意志の断片として観測できるよう個別個体固有と識別を仕様とさせようというのが神々の計らいだ。

これまでの宇宙でもそうしてきたような認識を形態の神霊であるエクスシアイが地球紀の人間の肉体に向けても“神々の想定する自由の範囲内で”自我を提供する予定だった。

神々が提供するはずだった自我感覚は地球の肉体人間に自分ではない分身としての知覚から血液を通じて、常に霊界を知覚し、霊人としてコミュケーションをしながら死もなく生もない秩序と法則の中で魂を卒業した神としての自我の目的を成熟させるための投影的で観察的な降臨がプランされていた。


○ルシファーによる主体化の自我

ルシファーはそのプランを脳への干渉を通じてエクスシアイの提供しようとしていた宇宙を覆うような巨大な自我の権能を一人の人間の中で心臓と脳という形態へと分離的に作用させることで、心臓という生命の光への知覚を闇へと押し込むことで矮小化マトリョーシカさせました。

太陽の光という単一的な認識に変換したのだ。

宇宙が自分の認識の外にある、という感覚に変換したのだ。

心臓という生命の光に生かされている脳がその光を外に向けるため、人体の頭部から剥き出しの内部である目を創造することによって、太陽の光を魂の認識空間へと変容させた。

それが、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()“、という自我感覚が地球紀の人類に初めて提供された権能にあたる。

つまり、脳としての目という視覚が他者を通じて自分を矮小化させたのだ。

目はそもそも外界を見るためにあったのではなく、自分の働きの一部としてもっと直接的に、現実的に自我である“意識を眼そのものの動きとその働きだけを自分の在り方と結びつけるもの”で、その投影機能のみを眼とするのが本来の人間像としての立場であるはずだった。

それがルシファーの強すぎる自我の光である視力は目の網膜を貫通して外の世界を運動する自らと自ら以外を対象の関係とした太陽の世界のことだ。

ルシファーの突き抜けた自我の光は宇宙を照らす太陽となることで、宇宙の中の地球の上でたった一つの取るに足らない、砂浜の中の一粒の砂にも満たない生命という自分像を唯一無二とした認識からの自由意志を私たちは自分だと思い込んでいる。

これが地上という低次元に向けられた霊性Ⅱの回路となって出現しているルシファーが神々から奪い取った人間を矮小的に主体化させている自我だ。

神としての自由意志はひとまず脳によって忘却させられている。

遺伝子を科学している感覚と認識は正しい。

ただそのための正しい判断を忘却させられているのだ。


ルシファーという悪神による自由意志に応じて・・・

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