#26 時空間をデザインしている肉体(融合体) 中編
#26
ガンは血液の病である。
このことは千島喜久男氏の『千島学説』に詳しい。
千島学説とは、ガン細胞が血液由来であり、血液が腸で作られていて、その赤血球が体細胞の母体となっている等の学説をそれぞれに実証したものを学会で公認を取得しようとしたところ、協力教授が既存の圧力に屈したり、様々な権威の前で自身の学説の正当性を披露する用意をし、追試等も願い出るも「予算がない、現行医学と矛盾が多すぎる、わざわざ実験する必要もない」と徹底的にネグレクトされることで葬られた学説である。
一九二〇年に医学部を卒業した千島は陸軍獣医官を経て、大学の教授になってなお生命を追求し続け、一九三二年から一九五九年にかけて全く新しい(医学会から完全に矛盾する)8つの生命原理を発見し、一九六三年より千島はそれらの説による医学的知見が人間生命に矛盾しないことのための主張を始める。
それを『千島学説』という。
【千島学説:8つの原理】
⒈赤血球分化説
千島=赤血球は全ての体細胞の母体である
医学=赤血球は脱核し、核のある細胞になることはない
霊視=血液(自我の影)が肉体を創造している
⒉組織の可逆的分化説
千島=飢餓や断食の栄養危機時に体細胞は赤血球に逆戻りする
医学=断食による飢餓時に骨髄から血液の発生を観測➡︎骨髄造血説(=定説)
霊視=地球創造時の外空間が血液で空間だったのが反転して内側へ
⒊バクテリア、ウィルスの自然発生説(菌は親不在でも有機物の腐敗で自然発生)
千島=生活機能が低下による体内の腐敗で病や死を招く菌(植物)が活性化
医学=“何かの結果“で生じた抗細菌や抗ウィルス剤を投与し殺すことで治療
霊視=人体内はバクテリアやウィルスといった菌を飼いながら植物化を抑制
⒋細胞新生説
千島=細胞は核を持たない赤血球から新しく発生(赤血球が日々細胞に変化)
※がん細胞も同様で細胞分裂ではなく血液が病的になり、白血球がガン化
医学=細胞が分化することで組織化(細胞分裂説=ウィルヒョー)
※健常体のリアルタイムで受精卵等の細胞分裂は観測されたことがない
霊視=細胞物質は魂(神経)の造形物としての器であり複数の魂を代謝(血液)
※受精卵からの赤血球が腸となり、その内の白血球が脊髄となり脳となり肉体化
⒌腸造血説
千島=血液は小腸の絨毛で造血、赤血球は食べ物が腸の絨毛で変化したもの
医学=骨髄造血説(血液は骨から造られている説は四肢の無い人間の説明が不可)
霊視=動物進化は腸から始まり、その神経網が脊髄を構築し、最後に脳を創造
⒍遺伝学の盲点
千島=生殖細胞は体細胞の一種である血球から生じたのを実証
医学=現代遺伝学は体細胞と生殖細胞(精子と卵子)とは全く無縁
霊視=七歳までの人間の肉体は遺伝の影響そのもので、以降は血液由来
⒎進化論の盲点
千島=生物は適者生存ではなく、生物同士の助け合いによる共生が生態系化
※人間他の生命体は外部の環境だけではなく腸内細菌とも共生している
医学=ダーウィンの進化論に基づき人間は下等生物から進化
霊視=地球の人間は最初から人間、サル(動物)は前次元(月紀)の退化人間
※地球の人間は人間であるため動物たちに色々な部分(月紀の特徴)を預けてきた
⒏生命弁証法(千島喜久男の哲学的科学方法論)
➡︎万物流転、時空間全体への視野、矛盾と対立の統合、“中間”という限界領域の重要性、可逆性と繰返しの原理(エントロピーの矛盾)、量(下等生物)と質(高等動物)の統合的視点、ADF現象(集合、
融合、分化発展➡︎逆ADFは衰退と死)、相互扶助と共生共栄、肉体と精神の統合、調和(統合)と波動螺旋性(回転の変化のリズム)
これら八つの原理のどれ一つとってもノーベル賞に値する研究であると言われています。
千島博士は権威の中で生命観の天地をひっくり返した権威として認められることはありませんでしたが、その研究成果の偉業性はちゃんと評価され、一九五七年には天皇陛下に謁見し、一六冊の著書を献上している。
そのことが評価されて正五位勲三等瑞宝章を与えられている学者でもある。
しかし、それでも千島博士の研究成果の一つでも認めてしまうと世界の生物学、医学の教科書に留まらず、医療や学校システムに倫理観にまで影響を及ぼすことから現代の定説の多くを書き換えなくてはならない等の既存の利権の問題によって今後も有用な研究成果として『千島学説』がきちんと査証されて、医学の見直しに繋がることはないだろう。
ただこれだけは言える。
新たな発見と全人類の希望である健康への芽を摘んでいる権威が存在している。
またその権威が人間の社会を導き支配している。
さらに言うと、そのことを“善である“と疑わない集団合意的な時代の要請を自ら選んでいる私たち魂の因果の根源が“行き過ぎた善”という巨大な鏡、自分自身を推し量るに値する反面教師として君臨しているのである。
つまり、間違いだから淘汰されているのではなく正しいから広まらないのだ。
なぜなら間違っていることで歴史的権威となっている利権が人間の世界だから。
このことは医学に限らず、歴史、政治、経済、社会、宗教、教育、宇宙、物理、電気、化学、環境、人類の積み上げてきた文化の全てに「強くて正しいから生き残ったのではない、勝ったから生き残っている」が採用されて続けた結果であり、それが現在の人間の病的とも言える認識の出発点という原因となり、その認識の結果、“中間”という概念を見出せていない原因(認識の概念世界)が病や死を生じさせている。
千島博士はこのことを「中間という限界領域の重要性」と生命哲学で語っている。
現在の科学では単純化し整然とした分類的思考が知を席巻しています。
AとBがあれば完全にAとBを分類します。
現代医学における組織学では中間形態の産物は人体の失敗像(バグ=病気)として処理されることから分けきれない、割り切れないものの概念への知見が及んでいないことからガンが独立した病原体であるかのような処方が成されている。
千島博士はその既成の概念から逸脱する、「赤血球から色々な細胞に分化していく」ことを実験、治験、実証に至るまで明らかにし、突き止めていた。
人間の人体は全て血液の分化作用で各細胞へと分岐している。
それらは腸で吸収された外界の摂取物が各臓器を経由することで人間の血液に相応しい状態へと変換された状態で腸へと送られることで、その腸から各細胞へ成り代わるべく循環する中間液体要素としての血液となることから摂取した食べ物の質や状態が血液に反映されることで私たちの人体に直接影響を与えている。
だから血液の病であるガンは食事で治せるとした。
そのために千島博士はガンとも紐付けてその治療と対策も著に記している。
またゆえに、抗癌剤や骨髄移植、それに付随した放射線治療はナンセンスなのだ。
自然界にはAからBへと変化しつつあるものあり、あらゆる条件下にAとBを混ぜた中間要素が私たちの認識する世界に干渉し、影響を与えているのです。
例えば血球で言えば赤血球、白血球、リンパ球などと色々あるが、どれとも言えない中間の形態がそれぞれの状態に関与するその起点の起点が細胞としての核を持たない赤血球なのです。
それが場合によってガンという悪性の細胞へと姿を変えている。
だからガン細胞の周囲には腐り、酸化し、固まった赤血球による血管が豊富にあるのです。
正常だったはずの白血球がガン化することで赤血球はそれをコピーしているのだ。
さらにいうと、ガンとは血液が悪性化した部位を正常化させるための中間過程であることから、ガンそのものは悪でも善でもない、敢えて言うなら世の人間の魂と同様に善と行き過ぎた善だけが存在している議論の中心にいるのがガンという名の社会の権威を私たちは自分の人体細胞の内に飼っているのだ、とも言える。
そして、酸化や老化だけが原因で人間(細胞)はガン化してはいない。
もしも、人体内部の酸化や老化が原因であるならばガンは全身に現れるはずなのに、ガンの発生は局所であることからの転移による増殖という傾向を有している。
ではなぜガンは局所的に発生し、転移するのか?
ガンの部位に人体のあるべき機能ではない別の機能が転移してきたからだ。
各臓器(皮膚含む)及び骨に目や耳、口や鼻、触覚といった一般的に五感としている認識機能が人体の各部位に鏡面のように反映されてしまった時に、人体内の血液が人間の間違った認識に応じて機能した細胞を異常と判断して攻撃することによってガン細胞化しているのだ。
白血球のことだ。
もちろん、体内を開いてみても鏡面化した機能を観測することはできない。
自分が頭で肉体を司っているという行き過ぎた“誤った認識“を頑なに突き通すことで人体の下半身に反映された際にガンがあらゆる部位に現れている。
ガンとは認識の問題でもあるのだ。
例えば頭は下半身の影響を反映し、下半身は頭の影響を映し出す。
人体は心臓を中心に写し鏡のような関係が血液によって統合されている。
認識にあたっては神経によって統合されている。
この三位一体構造が人体内と対象の認識とで二重になって統合的に働いている。
一は全、全は一の概念を両極と中間とで統合する三位一体の思考(血液と神経と心臓)の反映は私たちの神聖なる認識であるあらゆる対象に存在している。
私たちはその統合された自分への感覚を熱としての統一的な認識をしている。
私たちは自分の人体内についてを“熱でしか感じていない”という意味だ。
あるいは熱の綻びとしての“痛み”という感覚だけの対象である体内をなぜ自分と呼ぶことができるのかを考えてみてほしい。
五感とは外部対象への感覚であり入り口にあたり、一般科学の認識ではその感覚を脳内の神経細胞のネットワークが中心となってその全てを統一的に処理している、ということとなっているがその認識は二重の意味で的を外している。
まず第一に認識そのものが脳ではなく霊魂だから。
また、その認識には心臓や内臓も関与していることから霊魂は脳内にはない。
私たち人間の霊魂は絶えず全体として動いている。
見えない人間が実際にいくつも重なっているのだ。
その知覚を神経の通った細胞とそれに関与している血液で霊魂として表象されたものを私たちは自分であると感じている、というのが“運動感覚”として眼球及び脳への投影として現れているのです。
その投影は音であり、色彩であり、熱でありの思考である“幾何学“が運動感覚の本源にあたるのですが、その詳細は私たち人間霊魂の原初と宇宙開闢にも等しい思考と概念の始まりにも踏み込むこととなるのでここでは触れないようにします。
ここでは私たちが運動を“自分で意志している“と考えているその制御は霊魂である私たち人間本性がその表面に重なるようにして認識しているだけで、脳や神経を駆使して一挙手一同を動かしているなどということはないということだけを明示しておきます。
私たち霊魂は各部位に生じている力の流れを思考している存在だということです。
力を入れたり、抜いたり、動かしたりを神経で統一的に知覚しているのです。
言葉を話したり、物事を考えたりしている概念もまた霊魂の認識にあたる。
だから霊的生命体である私たち人間が物質的生命体である肉体の各部位を局所的にそれぞれが全部自分だと意識し疑うことなく信じ続けると霊魂が自分の認識を目や耳、口や味覚や嗅覚といった地上的自我の教養に基づいて肉体と関わることによって、それに応じた状態へと霊魂の認識が生命体である肉体に誤って反映される(要は私たち霊魂は全身で対象を認識しているのに目や耳の特定の機能で認識しているという肉体感覚が肺や肝臓等の臓器に鏡のように現れることによって血液の細胞がガン化しているということ)。
それがガンだ。
よって基本的には何を食べても良い。
ポイントは誰と“いかにして食べているのか“となる。
自分が霊魂であることを知ることができると、自分の対象で巻き起こる出来事やその印象や表象といったイメージにストレスを感じることの解釈が肉体的なそれとは違ってくることから、自然と過剰な量と質を摂取することは無くなってくる。
この過剰への匙加減は食事だけではなく精神面に“ほどほど”という加減で現れる。
もし仮にガンになったとしても人体内を酸化させてきた要因を“ほどほど”に改めていけばいいのだ。
自分の身体の現実を通じて社会の見方を見直せば良いのだ。
ガンの発現は社会の要請に従う家族による文化ミーム的な影響が強い。
ガンが歴史的に無くならないどころかむしろどんどん増えているのは、この何重にも及ぶ人体組織の誤謬と人間であり自分とは何かの視点を失い誤った認識の拡散と感染による生活習慣の価値観によるもので人体と人間との関わり合いに与えられた天(生命)からの謀らいなのである。
ガンとは生命が過剰と見做した部位に過剰に働きかけることによる生命からの殺意による作用でもあることから、「え?なんであの人が?」というような人が若くしてガンになるのは周囲の人間の魂への人身御供となっているケースさえある。
つまり、ガンになりやすい認識と価値観のコミュニティがある、ということだ。
よって誤った認識によってガンはミーム的に流行している、ということとなる。
ガンの多くは遺伝ではない。
なぜなら肉体における遺伝的影響は七歳までだからだ。
〇歳から七歳までの生命は物質体と直接関わることでその形成に自我や魂の意志はあまり関与しておらず、人体の形成が生命から魂(意識)に委ねられる一四歳までに歯が生え変わり、一四歳以降になることで“自分”という自我が魂に芽生えることによって自我に満たされた人間(自分)と人間(他者)の関係による選択の刻印の記憶を神経が読み取ることで血液に自分の肉体をいかにするかの認識が生命の影である遺伝子の未来を構築し始める。
未来とは死後にも及ぶ霊的価値観である認識のことをエッセンスとしている。
だから、何を食べていかにして生活してきたのかの生命観への魂の学習の霊的水準が人生経験という教育の課程となって肉体の死後に現れるのだ。
つまり、生命が肉体となり意識となった魂の認識の教育とは治療だということだ。




