#25 時空間をデザインしている肉体(融合体) 前編
#25
だがそれでいい。
簡単ではないことの過程と達成の先にある克服の境地に意味があるのだ。
生命は魂のエッセンスだけを救済する。
魂のエッセンスとは“苦しみ”を乗り越えたという経験に他ならない。
では“苦しみ”とは何かというと、対象への感覚の全てのことだ。
例えば、口にするもの全てが基本的には毒で、私たち人間は人間に合った毒と合わない毒とを選別しながら体内に摂取し、それを人体にとって毒ではないものに変えることができた時に栄養とすることができた。
その達成、それが克服だ。
感覚とは本来“痛み“であるということだ。
人類はそれを毒でも痛みでもない感覚へと経験則的に変換し克服し適応してきた。
だから生きているだけで克服しているとも言えるし、克服していないとも言える。
その一例が私たちがアレルギーと呼んでいる現象だ。
一般にアレルギーは人体免疫が過剰と認識した拒否反応とされているが、それは正確ではない。
元々私たち人間の物質体とその生命現象そのものは人体にとっての毒性を跳ね返す耐性も素材もほとんど有していない真っ新な萌芽(種)状態で生まれてくる。
萌芽とは植物の種からの兆し(芽生え)のことで、その萌芽の背後には根から茎となり葉となり花となる潜在的な生命体の記憶と時間体のことだ。
そして、その萌芽状態とは生まれたての人間にも同じことが言える。
可能性だけがあって、まだ何も持ち合わせていない赤子には消化できないものや、やっつけることのできない対象が数多くある条件からスタートし、それぞれの遺伝的条件下で与えられる自然素材から生涯を通じて強くなることの前提が免疫構造の基礎として生得的に生まれる以前より予め引き受けられている。
そのことを自我を有した意識体で見通せるようにする。
それが霊である人間の使命なのである。
まず遺伝的条件下とは家庭環境であり地球環境であり時代背景のことだ。
また遺伝情報とは空間を認識した時の座標のようなものだと考えていい。
物質体とは物質空間全体のことだ。
例えば物質体とは空間体のことで生命体を所有しない純粋な鉱物状態なのだが、遺伝子は空間を規定するものであるから死体からも検出することができ、有機物においてはタンパク質を構成している元素やその分子構造体が遺伝子に相当し、無機物においては“電子が構造化している原子核“内の強い力及び弱い力による作用反作用のエネルギーが地球構造の引力と斥力といった宇宙構造を決める遺伝子的な秩序となって太陽系内のバランスを担っている。
これが何を意味しているのかというと、遺伝子という物質体の構造を担っているプログラムと呼ばれる所以が生命の影であると言うことだ。
生命が遺伝子の影として物質の背後でプログラムしている、これを別の言い方で現わすとするなら、エネルギー体だった生命がやがて光となり、光が空間(物質宇宙=光と霊的宇宙=闇)を隔てるようになり、隔てられた物の座標がやがて空気となり、水となり、鉱物となっていったプロセスが私たち人間及び存在の全てに遺伝子とそれに類する刻印が空間(遺伝子や元素構造)に施されている。
同時に時空間に認識されている現象は全て肉体内の刻印の反映という意味だ。
つまり、生命が長い宇宙進化の果てに現在は物質(鉱物)にまでなった。
物質体という存在の空間の背後には生命体が存在するという以前に元々生命だったものが、現在は生命と生命ではないものに隔てられたものが混在している環境の総体が地球であり、人体なのである。
それらの形成を担っているのが物質的には原子集合体とされている元素霊であり、妖精であり、精霊であり、妖怪や悪魔の類で人間の世界を物質に染めている背後の要素として絶えず変化として推移として季節としての法則に従うことで私たちの地上世界は表現されている。
つまり全て生命なのだ。
その全ての生命(元素界)の更なる背後に神霊(天使)の階層が聳えている。
生命とは形成と記憶と変化の繰り返し(細胞の代謝/形成=繁殖)を反射するものであることから私たちの肉体の遺伝子とはその総体を示す生命の影を由来としているものが時間として出現している。
物質体が空間であるとしたら生命体は時間体である。
現象の反対が本質であるように、肉体の反対が霊魂であるように、空間の反対は時間である。
空間とは物質化した時間であり、時間とは精神化した空間であるとも言える。
精神化した空間とは生命空間のことで、時間である生命が物質化した存在と対象の記憶のことを私たちは時空間(遺伝子と元素の世界=生命の影)と呼んでいる。
その時空間宇宙を肉体で認識し出力し創造しているのが意識である魂だ。
だから意識である魂は宇宙空間に由来するアストラルの呼称を冠している。
また時間(記憶)である生命は化学に由来するエーテルの呼称と紐づいている。
その総体が人間の肉体であり、遺伝子の要請であり、時空間化している現象の認識を共有している状況のことを“人間(自我存在)“と呼ぶ。
「私」とはその目に見える世界を見えない世界から創造共有している兄弟なのだ。
人類皆兄弟という言葉をどこかで一度は耳にしたことがあるはずだ。
ベートベンの第九である『歓喜の歌』の歌詞にもある。
書いたのはフリードリヒ・フォン・シラー、ゲーテに並ぶドイツの文芸家であり詩人にして戯曲も扱う軍医でもあった彼が二五才の頃に謡ったのは非暴力への願いを込めたものだった。
その旨をシラーは時空を超越した言語に乗せたのだ。
「歓喜よ、美しき神の火よ、天国から来た乙女よ、我ら火の酒に酔って踏み込む、天なる汝の聖堂に、汝が魔力は再び結び合わせる、時流が強く切り離したものを、汝の柔らかな翼が留まるところで、全ての人々は兄弟となる、我々は火のように酔いしれて、崇高な汝の聖所に入る・・・」
天空の星に天国が存在し、死後私たちは命の木の道を行先の東にて、神霊天位階二位のケルビムと再び邂逅することで、エデンの扉の向こうで一つとなるか、歓喜を一つにすることができない者は、自然のバラの道に去れ、キスと葡萄酒の快楽は虫けらと共に与えられる、という歌詞は旧約聖書の創世記に関連させて描かれている。
彼はただ聖書を信じていたのではない。
これらの表現とその観念は彼らにとって事実であり、それは我々にとっても同じであることを、彼らは彼らの啓示に従って著書にしたり、曲にしたり、歌にしたり、劇にしたり、絵にしたり、彫刻や建築にすることによって自らの創造性の意味から私たち魂の自我空間の認識に問いかけ、ある種の想起を働きかけているのです。
それが宇宙となってアストラル体の影である私たちの生命体の魂に現れている。
シラーをはじめ、新しい五◯◯年に先駆けてゲーテやジャンヌダルク、聖フランシスコ等は思考を有した古代人の末裔であるプラトンが提唱した“イデア“の音や声、色に触れた秘儀参入者と呼ばれる異能者たちは夜の向こう側からの啓示に導かれて時代を調整するべく出現した叡智の使いなのです。
彼らは私たち人間の肉体が神々の神殿であり、楽器であることを知りました。
同時に自らの魂に自由がないことの運命もまた知っていました。
その運命のことを兄弟であるとシラーが書き、ベートーベンが曲にしたのです。
才能であり天賦とはそういうものであるという話をしよう。
肉体とは「物質体という空間体」と「生命体という時間体」の融合体です。
融合とは植物でいう萌芽の段階のことで、人間は生命体という時間体の運命に基づいて人間が肉体を超えた未来へと超越すべく萌芽をこの地上で開花させるための目的で、私たちは“自らの意志で受肉“という方向性の融合を選んでいる。
だからどんなに凡夫とされる能力も自らの意志による肉体的天啓なのである。
肉体的、精神的な条件の全てを含んでだ。
だからあらゆる先天的な障害はその魂の学びのためにデザインされている。
あるいはデザインしている、としても良い。
障害という肉体由来の制約がそのまま魂の衝動を抑制している。
肉体が疲弊や老化で弱ると魂の衝動も大人しくせざるを得ないのと同じだ。
障害とはあまりに激し過ぎた魂の枷であり、その枷(障害)は自らの肉体を保てないほどの衝動を生前に有していたことを生命から空間的なデザインを提供されると同時に、その枷を前提に自らとその周囲の関係者の魂に影響を発信することによって魂の認識に時間的なデザインを提供するという関係が高次の自我による時空間的な統合で調整されている。
私たちの魂は忘れているだけで生まれてから死ぬまでの運命は調整されている。
そのことを魂の業であり因果と宗教では位置付けているがそれは真実だ。
誤解を覚悟で例えると遺伝子の染色体異常によるダウン症の人間がわかりやすい。
現代の一般的な人間とは少し異なるパーソナリティを個性とするダウン症の人たちははるか大昔の古代人と呼ばれていた頃の人間の魂が投影されている。
ダウン症の人間に生じている遺伝子異常による肉体の現象とは地上的な思考と認識を有さなかった古代の人間の魂に応じた状態のことなのである。
ここで古代の人間が如何様なものだったのかを伝えることは容易ではない。
そのためには少なくとも地球紀の人間とは如何様であるかの全人的な理解が必要なため、ここでは現代の人間の器でやり直す必要のあった人間の魂が憑依するにあたってすでに高次元に達している古代人の魂でデザインされた結果が、ダウン症という新たな原因として私たち現代人の魂のため、高次元の古代の魂のモデルにふさわしい肉体としてダウン症の人間が顕現している。
まだ物質に肉体に染まりきらずエーテル要素の濃かった状態の魂の高い次元のエッセンスの力が必要であると私たち現代人の悟性と意識魂の時代に要請されたのが古代人の魂であり、その個性が宿った肉体のことを現代ではダウン症と呼び、異なった遺伝子構造を有した人間として混迷を極める私たちの社会の随所に散りばめられている。
あと顕現とは、古代人が現代に蘇っている、という意味ではない。
かつて古代人の意識体であった時代のアストラル体の状態(影)を現代人の肉体に投影したものを私たちの魂(意識認識=空間)が自我の権能を用いて内と外の両面から覗いている、といった階層的な視座をイメージできると良いかもしれない。
古代の人間は地上の魂的な自我ではなく、もっとエーテル空間に滞在し認識している状態での自我で地上活動を行なっていたため、明るい意識はまだ薄暗く不鮮明で朦朧としたものだったのだ。
現代から七千年以上前に始まった5回目の地球根幹人類期原初の頃のことだ。
その高次元の魂を用いて現代人の魂の思考を円満へと働きかけるべくダウン症として生まれてきた人間は自らの家族と血族を社会の要請とは異なる方向へと導くべく使わされた不自由な存在なのだ。
また細胞の染色体異常で有名なガンのデザインもこれと似た仕様をしている。




