#16 射手は飛んで行く矢(こども)を愛するのと同じようにしっかり弓(あなた)も愛している
#16
そもそも何がウソなのかはレバノンの詩人が教えてくれる、ということだった。
私の身体はまるでトイレに急がなければならないかのような要請に従い、すくっと両の脚を立ち上がらせられては本棚に向かってフラフラと動き出す。
これは、操られている?・・・としか言いようがないのだが、まるで夢遊病のような寝ぼけた精神のためか、その不可解な挙動には取り立てて肯定も否定も恐怖もなく、ただ自分の手足が何をしようとしているのかを観察しているとしか言いようがなかった。
その様子を精神の金縛りとでも解釈して自らに説明することで事態を静観している中、自動人形化している私が差し出した先の指は一冊の本を引っ掛けて取り出そうとしていた。
カリール・ジブランの『預言者』だった。
パラパラと捲られるページの先にはこんなことが綴られていた。
あなたの子供はあなたの子供ではない
生命の渇望の息子であり、娘である
あなたを通してくるが、あなたからくるのではない
あなたは弓である
そして、あなたの子供は生きた矢としてあなたの手から放たれる
射手の手の中で、あなたは喜びのために曲げなければならない
なぜなら射手は飛んで行く矢を愛するのと同じように
しっかり弓も愛しているから
この『預言者』の一節は彼が15歳の時に着想された叙事詩、どうやら神々の啓示の下で記述された今の私と似たような自動書記由来の文脈らしい。
二〇世紀のアメリカで聖書の次に読まれたと言われる名著で、近年には映画にもなったことでさらなる脚光を浴びる機会を現在でも得ている。
またレバノン大統領からの贈り物として日本の皇后美智子様の手にも届くことで、その愛読からの感銘が相談役を通じて『預言者』の詩集は一時的に普及されたりもした。
その手の経緯の中で最もグローバルな影響を波及させたのはビートルズのジョン・レノンだった。
『ジュリア』がそれだ。
『ジュリア』はオブラディ・オブラダのB面として収録された。
ジュリア・レノンはジョン・レノンの母親で、ジョンが17歳の時に亡くした母のことを想って歌ったのが『ジュリア』であり、その歌詞にはカリール・ジブランの詩集の影響があるとされている。
人類の真実の多くは表象という私たちの心から奏でられる芸術の中にある。
ただ、だからといってそれで人類が根幹的に子供への教育の観点及び人間像の価値を考え直すのかと言えば、決してしない。
カウンターカルチャーは個人の戯言の自由の中でしか存在しないという、過去からの唯物的な思想が心の抱く真実を覆い隠すのに多くの人間は屈服しているからだ。
人間の子供は母親の動機が原因であり、子供の精神は親と社会の教育の責任であり、子どもとは未来の労働力なのである。
見た目通りの事実に基づいて人間は人間の認識を間違えているのだ。
ウソの上塗りによる安心の中でみんなと同じ幸せに自分と社会の正しさを見出し信じているだけで実際は多くのことがわからないままどころか自分のことも周りのことも不信感に満たされているからどうしようもなく孤独なのをただ暇になることで余計なことを考えての不穏感から悲観的にならないよういろんなことで紛らすことのしがらみ作りに必死なだけ。
でもそれで楽しくて幸せなことがあるんだったら良くない?
致命的なリスクのある原子力発電や決して環境に優しくはない太陽光発電の電力供給のシステムによる安心、全く見当違いの理論に基づいたガン治療や感染症のため予防接種やワクチンへの誘導、社会経済の土台として人間を考えた上で行われるそれぞれの国の都合による大衆学校教育という個の集団化のための洗脳、その他全ての文明的な営みが政治とテクノロジーによって引き起こされているお金という市場価値をめぐる歴史的戦争の渦中にある。
でもその総意のおかげで快適で愉快で楽しい恩恵の面もあるんだから良くない?
10代の子供同士の小さな小競り合い、夫婦間の関係で生じるエゴとエゴの不一致、資源とお金の流用の権利を通じて生じる大人及び組織同士の競合、といった相手を征服するというその刺激の快楽と力が所有と未所有の間で起こる揺らぎから権利の行使とその要求及び必要性のための衝突を生じさせている。
でもそういった競争や刺激の反骨がなかったらつまんないでしょ?
その手のパワーでどんどん豊かになっていく過程が楽しいのは確かだろう?
難しかったことが機械で簡単にサクサク行えるようになったり、考えたり探したりすることも機械がやってくれて、面倒なことを代わりにやってくれる労働力はいつまでたってもいる(ていうか教育でどうにかする)。
そんな社会のどこに属すのかの自由さえも有した豊かな時代は過去からの人類の喜劇的な悲劇からの研鑽の賜物であり、不完全ながらも慎ましくもダイナミックに生命を謳歌することの意味に楽しいを一番に考えて何が悪い?
確かに人間社会がどんどん大規模化することで進歩してもなお、死やエネルギー及び物事の起源的なことや見えない分野等で色々とわかんないことは一部あるが、それもせいぜいほんの一部のことで大体のことはわかってきていて、その分かり易い表面の部分だけでも大多数の人間が納得している。
今後少しずつ開かれていく未来に希望はあるんだし、今すぐわかんないことがまぁまぁあるからってクヨクヨしてても仕方ないだろう?
目の前が楽しかったら例えその背後の全部がウソでも良くね?
例え最初がわかんなかったり、根っこが間違ってたりして、全部仮説だったり、自分だけの思い込みだったり、本当の意味がわからないままだったとしても今と明日が幸せだったら良くね?
わかんないことがあるのがそんなに悪いのか?
逆に全部わかってなきゃ生きてちゃいけないの?
全部完璧でなければならないことの方が苦しくないか?
そういう難しいことや未知への周りの過ちにいちいち敏感である必要ってある?
理解したいことと理解できることだけ理解してれば良くない?
それがその人の分相応の運命だろう?
なんで何が本当かもわからないことの真実を目指さなきゃならない?
運命の全てなんてむしろ全く知らなくていいことなんだよ。
知らぬが仏、言わぬが花って諺が何のためにあるか知ってるか?
みんなが全ての真実を把握している完結した世界にいることを考えてもみろ。
完結したそれ以上の必要性がないであろう世界には希望すらないんだ。
そんな世界こそ地獄だとは思わないか?
知らないからこそ楽しめるんであって、楽しくないことは全部ウソってことにして、その中から自分だけの楽しみを真実だと信じて何が悪い?
楽しさに勝る責任を取る気もないのに叡智とか抜かすな!
取り急ぎ、以上の類が『楽しいこと以外全部ウソの叙事詩』の思考であり思想だ。
この手の思想や論理で最も厄介なのは部分的に真実を含んでいることだ。
例えば物質についての解釈が最も顕著だと言える。
物質の根本はエーテルの凝縮化による霊的現象の原因なのだが、現在の常識として浸透している唯物論的科学は物質の解釈の中にその霊的解釈の範疇を一切排除する方針が頑なであることから、一〇〇年前から袋小路になっている物質の原子や核のエネルギーの問題の解決からの人類の新しい可能性を阻み続けている、みたいな。
ただその事実は動揺にも憤りにも値しない。
そういうものだからだ。
そこにはそういうバイアスのための因果が明確にある。
それら類の思想は地上の一員としての像という排泄物のような価値観にあてられた霊的な宇宙実質からの吐瀉物に過ぎない。
宇宙の一員としての自身に希望を見出せなかった人間たちの楽園が地球なのだ。
地球人にとっての「全体」とは地球のことであり、地球が宇宙の一部であることとして、物事を考えることがあまり一般大衆的ではないことから、その魂を洗浄すべく宇宙全体を戦場としているのが人間自我による『楽しいこと以外全部ウソの叙事詩』プランなのである。
何度も繰り返すが人間は霊的複合存在であるため、地上で考えられているような「死」によって完全なる無に帰って消滅するなどという風には残念ながらなりはしない。
むしろ“人間には終わりがない”ということについてから地上を洞察できなければならない、ということを加味して全知全能が提供している『楽しいこと以外全部ウソの叙事詩』のプランがはっきりとわからないから、その対象がなぜ存在し設けられ意味するの因果そのものをもっと良く知る必要がある。
それが知らぬが仏と言わぬが花の本当の意味なのだ。
知らないなら黙ってなよ、知らない方がいいから!ではない。
こんなことも知らないでホントおめでたいね、ずっとそのままでいな!でもない。
地上の人間の考え出した方便を鵜呑みしてはならない。
知らないことの正当化を救いであるかのような、ましてや人間の複合統一体であることの霊的洞察力への放棄と忘却による無知はどちらかというと原罪にも似た罪に埋もれている方向性にいることを、人間が人間らしくあるためにもまずは思い出すことから始めなければならない。
↑さらに5位階上位存在が君臨(『原作者』である純粋自我は宇宙原初より存在)
主天使(形態霊)=地球の創造主(地球の分身である人間に自我を付与)
権天使(時代霊)=地球の人間霊(自我)のボス(自我=時間という人格)
大天使(民族霊)=地球の魂のボス(アストラル=カルマ/運動因子)
天使(守護霊)=地球の生命のボス(エーテル=物質の原エネルギー)
人間(自我霊)=『楽しいこと以外全部ウソの叙事詩』の脚本家
魂=『楽しいこと以外全部ウソの叙事詩』の主人公(自我の影)
生命=『楽しいこと以外全部ウソの叙事詩』の出資者
ー地球境界(以下地球、以上地球外=宇宙創世の関係者)ー
肉体(地球体)=鉱物(舞台)、植物(美術)、動物(観客)、人間(登場人物)
↓さらに物質以下の存在として元素霊(精霊)が人間霊と共に降下
肉体はこれらの思考と叡智を受け止めるための進化段階の過程の一つとして生命が構築している記憶投影装置であり、その生命活動の反射による同期が魂の衝動として感情化したものを常に受け止めているのがファントムという人間自我の影で、その排泄活動の進化過程が地上の人間の脳で再創造されることで目に映る対象への衝突と反射の認識が物質原則として出現している。
再創造の意味は流石にまだ禁則事項に触れていることから記述することはできないが、この宇宙存在を背景とした全体からの前提に立つことができなくなってしまったことで人間が人間を殺す、また人間が人間であることを忘れて活かせないなどという惨劇が再生産されているのはこの再創造による初めての現象であり、今はその主人公が魂のファントムである程度のことしか明かすことができない。
その主人公とは人類の家族の繁栄及び組織や国家を築き上げてきた英雄たち及び今に至るリーダーとその権力者と共に歩むことを選んでいる全人類の大多数の中の一人一人である私たちのことだ。
それを裏返すと私たち一人一人が思い描く人間存在の総意の表象だけがそれぞれに主役をしていて、その主役をまとめて思考している主役のボスとしての私という主観を表象させている存在だけがある。
ちなみに表象とは心に描く、あるいは湧き上がってくる象徴のことだ。
そして私たちは私たちの表象の象徴が形になった世界を空間化しているのだ。
それが自我の影としてのアストラルファントムである私たちのことだ。
その楽観的な一元論だけが究極的には最も自由な魂の思想なのである。
この自由で複合的な魂の思想を全人観とも呼んでいて、魂の中でワンネス化することのできたアストラルファントムはやがて全人的な内観視を行うことができるようになり、自らの感覚によって表象されている現象が霊化されていく過程の図書室のカギを手にすることとなる。
人類の富裕層はその真理への扉をこじ開ける鍵の探索に躍起になっている。
それが一ドル札のプロビデンスの目に代表される秘密結社の系譜だ。
イルミナティやロスチャイルドを始めとする13の血族やらのディープステート及びさらにその上には古代より存続しているとされる100人議会は有史以来様々な形で暗躍し続け、我々人類に火種を生み出してはその混沌を利益としている組織を根とした世界観というのは現実に存在する。
悪霊の神々の傀儡として存在していると言ってもいい。
だから巨大な組織に所属しているから凄いわけでもないし、巨大な資本の根源を知った上で活動しているから賢いわけでもないし、世界を圧倒的な権力による支配力と資本力でどうにだってできるのだから偉いに決まってるじゃないかと思う必要もない。
ただ圧倒的存在による陰謀は存在している。
そして社会の低層からでは到底想像することもできない謀略が巡っている。
このネットワークが圧倒的な圧力となって弓と矢の関係を支配しているのだ。
この認識はどうでも良いことではない。
私たち人間の身近にいる同士が皆天使ではないのとは裏腹に悪鬼は明確にいる。
表象による内観視を研ぎ澄ませばわかる。
何がこの世界を逸脱させ、人間がなぜ抗争し、テクノロジーが何であるかが・・・
彼らが世界を幻想の魔力で支配しているのだ。
ーアトランティス崩壊後の次元世界ー
紀元前7000〜0世紀 ルシファー受肉▶︎100人議会はこの人類の末裔
紀元前3000〜紀元後3000 アーリマン受肉▶︎ディープステートを支配する叡智
0世紀〜紀元後7000 アスラ受肉▶︎カルマを奪われた権力者たちの転生先
ー第5根源人類期の終焉(一旦人類は滅亡から休眠して進化の岐路へ)ー
ー現代の神々の降臨状況(召命に応じて高位階からの降下)ー
主天使(形態霊)▶︎霊界の神が地球の創造主として調停中
権天使(時代霊)vs悪霊アスラによりカルマ忘却の呪いとして降臨中
大天使(民族霊)vs悪神アーリマンにより魂の汚濁(物質)化が進行中
天使(守護霊) vs堕天使ルシファーによる地上への誘惑がほぼ完遂
人間(自我霊) ▶︎精霊(生命)と悪鬼(魂)を携えて降下している根源の影
だから私たちは自らの射手が誰で何であるのかを知る必要がある。




