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美少女名探偵☆雪獅子炎華 (16)雪女

作者: 夢穂六沙

   ☆1☆


 雪女。

 蟹ノ手湾でそう呼ばれている女が遺体で見つかった。

 死因は覚醒剤の過剰摂取による中毒死。

 炎華と我輩は半ば雪に埋もれた遺体に近づく。

 遺体のそばに使い終わった注射器が転がっていた。

 いかつい顔の鬼頭警部が、

「被害者と最後に会ったのが君だと、関係者から聞いたのだ、炎華くん」

 炎華が遺体を見下ろし、

「吹雪雪子よ。自分では、お雪、と名乗っていたわね」

 鬼頭警部が寒さに巨体を震わせながら、コートのポケットに両手を突っ込む。

「地元では雪女と呼ばれていたそうなのだ。吹雪雪子とは、知り合いなのかね? 炎華くん」

 炎華が視線を鬼頭警部

に移し、

「そう。知り合いといえば知り合いよ。昨日、会ったばかりだけど。お雪とは、吹雪が縁で知りあったのよ」

 鬼頭警部が困惑気味に曇天を見上げ、

「吹雪で? そういえば、このあたりは昨日、相当、天気が荒れていたようなのだ」

 炎華が、お雪を見つめ、

「覚醒剤の中毒死と聞いたけど」

 鬼頭警部がうなずく。

「そうなのだ。そこに落ちている注射器の中から覚醒剤が検出されたのだ」

 炎華が疑惑を感じた様子で、

「注射した痕を見せてもらえるかしら?」

「構わないのだ」

 鬼頭警部が部下に命じ、遺体の腕の裾をまくらせる。

 雪のように白い滑らかな肌に、ブツブツと何度も注射した、痛々しい針の痕がみられる。

 その上に、さらに真新らしい、ピンク色の大きな注射痕が目立つ。

 炎華が疑問を口にする。

「注射した痕が大きい上に、ずいぶん腫れているようだけど」

 鬼頭警部が肩をすくめ、

「中毒を起こすほどの大量の覚醒剤を接種したのだ。皮膚が腫れていてもおかしくないのだ」

 炎華が思案顔で、

「そうかしら? ところで、この事件は事故扱いになるのかしら?」

 鬼頭警部が自信満々に、

「周囲は雪に覆われていて、足跡は雪子の物と、第一発見者が今朝、ここへ来た時に付けた足跡しかないのだ。

 明らかに薬物の過剰接種による、事故死なのだ」

 炎華はとくに反論もせず、

「事件性はない、という事ね。ところで、死亡推定時刻はいつごろかしら?」

「午後八時前後なのだ」

 炎華が眉を潜め、

「お雪が婚約披露パーティーを追い出された、ちょうど一時間後ぐらいね。

 あの雪のなか、蟹尾が来るのを、お雪はずっと蟹ノ手岬で待っていたはずだけど、さぞ、寒かったでしょうね」

 鬼頭警部が不思議そうに、

「蟹尾というのは、いったい誰のことかね? 炎華くん?」

「お雪の元カレよ。

 軍用銃から民間の猟銃まで製造する、巨大軍需企業ジューガン社。

 その若社長、来馬春彦の弟、来馬蟹尾。

 優秀な兄とは真逆の愚弟よ。

 悪い噂をいくつも聞いたわ」

 鬼頭警部が瞳を輝かせ、

「来馬春彦くんなら知っているのだ。

 やり手の若社長で、ライバルの多い銃器メーカーのなかで、ジューガン社をトップメーカーに押し上げた立役者なのだ。

 しかし、弟がいたとは知らなかったのだ」

「昨日は蟹尾の婚約披露パーティーがあったのよ。

 私は来馬春彦から招待状を受けて、ここへ来たの。

 蟹尾のお相手は同じ銃器メーカーで、一、二を争うライバル会社、リョージュ社、社長令嬢、両字玉美よ。

 つまり、政略結婚というわけね」

 鬼頭警部が軽く呻き、

「そんなお嬢様と婚約するとなると、元彼女の雪子の存在は、蟹尾にとってアキレス腱も同然なのだ。

 殺してもおかしくない、邪魔な存在なのだ」

 炎華が首肯し、

「そうね。その、おかしくない状況が、昨日の婚約披露パーティーで起きたのよ」

 炎華が憂いを含んだ悲し気な瞳で、お雪の遺体を見つめる。

 そこから東北の、暗くうねる大海原に視線を転じた。

 お雪が亡くなった場所は、蟹ノ手湾の蟹ノ手岬・下と呼ばれている。

 短い岬の突端である。

 海を挟んで、四百メートル先に、より長い岬、蟹ノ手岬・上が見える。

 どちらも船着き場があるが、こちらの方は、今は、まったく使われていない。

 その理由は、遠目にも見える高層ビルのせいだ。

 蟹ノ手湾を睥睨するようにそそり立つ、総工費百二十億円をかけた、ジューガン社、本社ビルがある。

 そのため、舟はみんなそちらの港へ向かう。

 昨夜、そこで豪華な婚約披露パーティーが開催された。

 炎華が物思いにふけっていると、野太い声が背後から聞こえてくる。

「お待たせしたっぺ、警部さん。

 いんや、おらすっかり、たまげただよ。

 漁からけえったら、こっただ事件に巻き込まれてよ。

 事情聴取だあ、何だあと、しばれる中、ずっと岬におったから、すっかり身体が冷えちまっただ。

 だけんど、詰所でコーヒーさ、ご馳走になって、すっかり身体が暖ったまっただ。

 しばれる日はコーヒーに限るべ。

 おらあ漁に出る時はいつも、魔法瓶にコーヒーさ入れて持ってくだが、漁からけえる頃にゃ、すっかり冷えちまってよ。

 詰所で温ったかいコーヒーさ飲んで、本当に生き返っただよ」

 鬼頭警部が、

「第一発見者の権三郎じいさんなのだ」

 七十近い、真っ黒に日に焼けた、骨ばった手足の割には足腰がしっかりしている、かくしゃくとした白髪の老人である。

 炎華が申し訳なさそうに、

「何度も繰り返すようで悪いけど、もう一度、今朝、起きた事を、私に話してくれないかしら?」

 権三郎が驚き呆れながら、

「あんれまあ!

 このメンコイ女の子は、いったい、なあに言っとるだ?

 探偵の真似事でも、しとるんかね?

 警部さん?」

 鬼頭警部が説明しようとする。

「いや、炎華くんはだね」

 みなまで言わせず、炎華が、

「権三郎、私は探偵よ。この子は、ユキニャン。私の相棒よ」

 我輩は威厳を持って、

「ウニャッ!」

 一声鳴く。

 潮風がゴスロリ少女のスカートを軽やかに踊らせる。

 我輩は飼い猫である。

 名前は、

 ユキニャン。

 探偵であるゴスロリ少女、雪獅子炎華の相棒を務め、探偵の真似事をしている猫探偵である。


   ☆2☆


 鬼頭警部が、

「権三郎、とにかく一部始終を炎華くんに語って聞かせて欲しいのだ」

 権三郎が大げさにうなずき、

「はあ、分かったべ、警部さんが、そうおっしゃるなら、是非もねえ。

 朝、起きた事を全部、話して聞かせるだよ。

 とにかく冷えこむ朝だっただ。

 おらあ、まだ暗えうちから小型ボートさ乗り込んで漁さ出ただ。

 結果は散々だっただ。

 どうも運が悪くってよ。

 全然、釣れなかっただ。

 だけんど、一匹だけ、大物が釣れただよ。

 見てくれ、このタイ。でっけえタイだべ」

 権三郎が三十センチほどの鯛をクーラーボックスから取り出して見せる。

 さほど大きいとは思えないが。

「おらあ、これだけ釣ると、今日は諦めて蟹の手湾に帰ってきただよ。

 すると、どうだえ、暗かった時は目に付かなかったけんど、明るい所で見れば一目瞭然だあよ!

 蟹の手湾の短い岬のほうに、女が倒れているじゃねえか!

 しかも、この辺りじゃ有名な雪女だあよ!

 いんやもう!

 おったまげたの何のって、ビックリしただよ!

 ともかく、おらはまだ息があるんじゃねえかと思って、岬に船を寄せて飛び降りただよ。

 だけんど、可哀そうに、お雪はこと切れていただよ。

 それで、おらは慌てふためきながら、大急ぎで警察さ、知らせに行っただよ。

 それから、また大騒ぎになってよ」

 ますます饒舌にしゃべり出しそうな権三郎を炎華が制し、

「そこまでで結構よ。良く分かったわ、権三郎。朝から大変だったわね」

 権三郎が何故かうれしそうに、

「そりゃもう、大変だったの何のって、おらあ寿命が縮まるかと思っただよ。

 それにしても、お雪も悪い男に捕まったもんだべな。

 お雪が覚醒剤なんちゅう悪い薬に手え出したんは、蟹尾の仕業だっぺよ」

 鬼頭警部が物凄い形相で怒鳴る。

「何っ! 蟹尾は覚醒剤の事件に絡んでいるのかね! それは本当なんだろうね! 権三郎!」

 権三郎が真っ青になって、冷や汗をかきながら辟易し、

「いんや、すまねえ警部さん。そいつあ、おらの、というか、街のもんなら知らないもんは、誰もいねえってぐれえ、有名な、噂だべ」

 鬼頭警部が平静さを取り戻し、

「何だ噂か。権三郎、不用意な発言をしては困るのだ。

 わしは第一発見者の証言として、上に報告せねばならん立場にあるのだ」

 権三郎が平謝りする。

「へへ~っ。すまんこと言っちまっただ! 許しておくんなませえ、警部さん」

 鬼頭警部が穏やかに、

「まあ、いいのだ。今、言った事は聞かなかった事にするのだ。くれぐれも不用意な発言をしないようにするのだ」

 権三郎が素直に頭を下げる。

「へい。肝に命じるだ。ところで刑事さん。おらはもう、家さ帰っていいだか?」

「うむ。とくに用も無いようだから帰っても構わないのだ」

 炎華が、

「私は、もう少し権三郎から、お雪について聞きたい事があるわ」

 権三郎が大げさな身ぶりで、

「それじゃ、立ち話もなんだから、おらの家さくるべか?」

 炎華が首肯し、

「そうね、行きましょう」

 権三郎がウキウキした調子で、

「いやさ嬉しいっぺね。こんなメンコイお嬢ちゃんが、おらの家さ来てくれるなんて、死んだ婆さん以来じゃあ。ほいじゃ、お嬢ちゃん。家さ着いてから、お雪の生い立ちを、詳し~く話すっぺよ」

「お願いするわ、権三郎」

 炎華と権三郎が連れだって歩き出す。

 鉛色の黒雲から再び重苦しい雪が降り始めていた。


   ☆3☆


「掘っ立て小屋みてえなむさ苦しい家だけんど、まあ、くつろいでけんろ」

 海岸線に沿って建つ、本当に汚い掘っ立て小屋みたいな平屋である。

 炎華が権三郎のあとに続いて家の中に入ると、意外にも、室内はこじんまりとしていて、それなりに調度の整った快適な部屋である。

 炎華が意外そうに、

「もっと雑然としているかと思ったけど、意外とすっきりしているわね。古民家って感じがするわ」

 権三郎がウヒャヒャと照れ笑いし、

「お嬢ちゃんみたいなべっぴんさんにほめられると、死んだばあさんが、あの世で喜んでるべ」

 ほめているのか微妙だが、それはさておき、

「お雪は何で蟹尾と知りあったのかしら?

 どちらかというと、清楚でおとなしく、優しそうな、お雪と、愚連隊の総長みたいな蟹尾じゃ、まるで水と油だわ」

 権三郎が眉間に皺を寄せ、しかめっつらをする。

「それを話すと長くなるべさ。だけんども、話さにゃなんめえ。ともかく、話は、お雪がまだ小っせえ子供のころから始まるだよ」


   ☆4☆


 権三郎の話を要約すると、

 お雪は幼いころ新型変異ウィルスのワクチンを接種した。

 だが、四回目にひどい発熱を起こし、言語障害という後遺症が残った。

 両親は国を相手どって訴訟を起こしたが、ワクチン接種前のアンケートに後遺症が残っても良いか?

 との問いに、イエスとチェックしたため、敗訴した。

 ノーを選ぶとワクチン接種が出来ないのだから、当然の選択なのだが。

 無情にも、裁判所は認めなかった。

 お雪の両親はその後、謎の事故死を遂げる。

 しかし、二人は巨額の生命保険に入っていた。

 受け取り人は、お雪である。

 数億円の保険金のおかげで、お雪は何不自由なく育った。

 言語障害の後遺症は残ったものの、日常生活に支障はない程度だった。

 今まで通り、普通に小学校に通っていた、お雪だが、片言の言葉を理由に、ひどいイジメを受ける。

 中学生になると、お雪の前に思わぬ救い主が現れる。

 巨大軍需企業ジューガン社の若社長、来馬春彦の弟、来馬蟹尾である。

 中坊の蟹尾は、地元では相当有名なヤンキーで、言語障害はともかく、お雪の美しさと、その遺産に目を付けた蟹尾は、お雪と付き合うようになる。

 無論、他にも何人もの女の子と付き合っていた。

 とにかく、蟹尾の出現で、お雪へのイジメは嘘のように消え去る。

 その後、お雪と蟹尾は同じ高校に入り、結婚の約束までする。

 その裏では、お雪の遺産を、蟹尾は搾取し続け、高校卒業と同時に手の平を返したように、お雪に冷たく当たるようになる。

 理由は二つ。

 お雪の遺産を使い果たし、金の切れ目が縁の切れ目になったこと。

 もう一つは、リョージュ社、社長令嬢、両字玉美との婚約話が持ち上がったこと。

 蟹尾は婚約を成立させるために、お雪に適当な嘘をつき、覚醒剤の使用を勧める。

 覚醒剤の入手はヤンキー時代の仲間が手掛けた。

 上手く薬漬けにして、お雪との仲を終わらせようとした蟹尾だが、お雪はしぶとかった。

 薬漬けになろうが、泡風呂に落とされようが、蟹尾との縁を切ろうとしなかった。

 蟹尾は仕方なく、お雪と距離を取ることにした。

 両字玉美との婚前旅行と称した、世界一周旅行である。

 その頃から、お雪は亡き母の形見である、白い着物を着て、昼日中からフラフラと、蟹ノ手市を徘徊するようになる。

 お雪が雪女と呼ばれる由来である。

 蟹尾は一年ほど旅行したあと、蟹ノ手市に戻ってきた。

 玉美と正式に婚約し、その披露パーティーを開催するためである。

 それが、ほんの三日前。

 蟹尾と玉美はパーティーの支度に余念がなかった。

 蟹尾にとって、お雪は記憶の彼方に消え去った、とうの昔に終った、数ある女たちの一人でしかない。

 しかし、お雪は決して蟹尾の事を忘れていなかった。

 蟹尾への愛は、より一層深く、重いものへと変貌を遂げていたのである。


   ☆5☆


「お雪の過去は、おおよそ分かったわ。ところで、泡風呂っていうのは、いったい何の事かしら?」

 炎華が疑問を口にする。

 権三郎があわてて、

「そっ、そりゃあ、そうさのお~。言ってみれば、銭湯みたいなもんかのお~。小さな銭湯で、背中を流しっこしたりとか、してのお~」

 権三郎がだらしなくニヤけるのを尻目に、炎華が冷淡に、

「小さな公衆浴場って、感じかしら?」

 権三郎が恥ずかしげに顔を赤らめ、

「ま、まあ~、そんなとこかの~」

 歯切れの悪い権三郎である。

「そっ! そうじゃ! おらとした事が! こんな、メンコイお嬢ちゃんが来とるっちゅうに! お茶の一つも出さんとは、何ちゅう事じゃ! すまんのう、今から、コーヒーでも作ってあげるからの。あっ、そうだ。それに、この大漁のタイも、冷蔵庫にしまっておかにゃあ!」

 言うなりバタバタと台所へ駆け込んで行く。

 鯛を冷蔵庫へしまって、インスタントコーヒーをカップに入れる。

 そこへ、湯気の立つ電気ポットのお湯を注いだ。

 炎華が不思議そうに、

「何で鯛一匹だけなのに、大漁なのかしら?」

 権三郎が真顔で、

「タイだけに、鯛漁! ぬわあんちゃってのお! フォッフォッフォッ」

 会心の駄洒落に一人悦に入る権三郎である。

 やがて、コーヒーを二つ、ちゃぶ台に置くと、一つを炎華に勧める。

「さあ、どんぞどんぞ、遠慮なく飲んでけろ。寒い日は温ったかいコーヒーに限るだよ」

 言いながら熱いコーヒーをガブガブ、ガブ飲みする権三郎。

 炎華も、

「それじゃ、遠慮なくいただくわね」

 カップを口に付けようとする。が、

「フニャッ!?」

 我輩はコーヒーの香りに混じった、かすかなアーモンドの香りに気づき、とっさに炎華のカップを猫パンチ!

 叩き落とす。

「きゃっ! 何するの、ユキニャン!」

 カップが畳の上に落ち、コーヒーが床一面に広がる。

「ユキニャン、おいたは駄目よ」

 炎華が言い終わらないうちに、突然、権三郎が苦しみだす。

「うぐっ! むぐぐぐ~っ! ぐぼおおおっ!」

 口から泡を吹き出し、権三郎がぶっ倒れる。

「権三郎!?」

 炎華が駆け寄るが、すでに権三郎は事切れていた。

 炎華がコーヒーの匂いを嗅ぎ直し、

「かすかにアーモンドの匂いがするわね。これは青酸カリよ。

 だとすると、ユキニャンは、この匂いに気がついて、私のコーヒーを叩き落としたのね。

 ありがとう、ユキニャン。

 あなたは私の命の恩人よ。

 危うく死ぬとこだったわ。

 権三郎には悪いけど、これも運命と思って、諦めるしかないわね。

 ともかく、この事を鬼頭警部に伝えましょう」

 炎華がスマホを取り出し、鬼頭警部に連絡する。

 ほどなく、警察が到着した。


   ☆6☆


 炎華が悔しそうに歯噛みし、

「私のミスだわ。第一発見者が犯人に狙われる可能性があるのは、一番に考えなきゃいけない事なのに」

 鬼頭警部も残念そうに、

「仕方がないのだ。まさか、自宅の電気ポットの中に、犯人が青酸カリを入れるなんて、誰も、夢にも思わないのだ」

 炎華が肩を落とし、

「権三郎には気の毒なことをしたわ。何とかして犯人を捕まえないと」

 鬼頭警部が諸手をあげて、

「賛成なのだ。何か、手がかりがあるといいのだが。そういえば、蟹尾の婚約パーティーで、いったい何があったのだね? 炎華くん」

 炎華が昨夜の事を思い巡らせ、

「話せば長くなるけど。つまりは、お雪がからんだ話よ。

 昨日、吹雪のなか、私がバス停を一つ間違えて降りたたために、私とユキニャンは、お雪に出会う事になったの」


   ☆7☆


 蟹ノ手岬・上が、ジューガン社・本社ビルのある長い岬で、湾を挟んで、四百メートルほど先に、蟹ノ手岬・下がある。

 岬から岬へと、船で移動するなら五分で着く。

 しかし、陸路で行くとなると、大幅に迂回が必要になり、五キロ以上の距離になる。

 炎華は、うっかり蟹ノ手湾・下のバス停で下車したのだ。

「大変な事になったわ、ユキニャン。

 バス停を一つ手前で下車したのよ。

 この吹雪じゃ、徒歩で行くのは無理そうだし。

 かと言って、次のバスは三時間後の、午後八時にしか来ないし。

 タクシーは吹雪で予約が埋まっているし。

 これじゃ午後六時から始まる婚約披露パーティーに間に合わないわ。

 あと一時間しかないのに、困ったわね」

「フニャックショ!」

 我輩はくしゃみで返事をした。

 視界は吹雪に阻まれ、遠くにかすむ雪山と、荒れ狂う海しか見えない。

 遠くのほうでかすかに、

 ズズーン、

 ズズーン、

 タタタタ。

 と、戦車の砲撃と機関銃の銃声が聞こえてくる。

 どこか、遠くの雪原で、軍が軍事演習を行っているらしい。

 北の超大国対策であろうか?

 それはともかく、

 呆然と立ち尽くす炎華の目の前に、吹雪の中から忽然と、

 目の覚めるような白い着物を着た、寒気がするほど美貌の美女が、フラリ、フラリ、と、ゆっくり近づいてくる。

 雪より白い滑らかな肌。

 切れ長の澄んだ瞳。

 血のように紅い、鈍く煌めく唇。

 腰まで届く艶やかな黒髪。

 その黒髪が吹雪にさらされて躍り狂う様は、

 伝説で語られる雪女のようである。

 雪女が炎華に抱かれた我輩に近づくと、我輩の鼻をなで、

「ニャン、ニャ、カゼ?」

 鈴の音のように透き通る、綺麗な声で我輩に問いかける。

「フニャックショ!」

 我輩はくしゃみで返事をした。

「ウチ、クル? アッタカ、イヨ」

 炎華が済まなそうに、

「ごめんなさい。来馬蟹尾の婚約披露パーティーに、これから出席しなきゃいけないの。

 でも、バスが無くって、立往生しているのよ。

 なんとかならないかしら? お姉さん?」

 雪女が顔を綻ばせ、

「カニオ、カエッテキタ? オユキ、ウレシイ!」

 お雪が喜びに打ち震える。

「カニオ、アタシノ、カレシ。イッショニ、イコ。クルマ、アルヨ」

 お雪がフラフラと歩き出す。

 炎華がそのあとを追うと、古めかしい家が見えてくる。

 プレハブ造りのガレージが隣接していた。

 お雪がそのシャッターを開けると、車が停めてある。

 炎華が面食らったように、

「お姉さん、本当に運転出来るの?」

 お雪が胸を張って自慢気に、

「メンキョ、アル」

 免許を取り出して見せる。

 名前は吹雪雪子と記載されていた。

 炎華と我輩が車内に収まると、運転席に座ったお雪が、着物の袖から注射器を取り出し、自分の腕に打とうとする。

 炎華が当惑し、

「それは何のお薬かしら? お姉さん?」

 お雪が指先を震わせながら、

「キモチ、オチツク、クスリ。カニオニ、ススメラレタ、クスリ」

 炎華が不審げに、

「今は我慢出来ないかしら?

 運転前に強い薬を打つと、かえって良くないわ。

 万が一、事故を起こしたら、蟹尾に会えなくなるわよ」

 お雪が渋面を作り、

「カニオト、アエナイ、イヤ。オユキ、クスリ、ガマンスル」

 炎華が安堵し、

「それがいいわ。じゃあ車をお願いね、お姉さん。蟹尾の婚約披露パーティーに行きましょう」

 炎華と我輩は、お雪の運転する車に乗り込み、蟹ノ手湾・上。

 ジューガン社・本社ビルを目指した。


   ☆8☆


「でも、不思議ね。蟹尾の婚約者は確か、両字玉美、という女性だったはずだけど」

 吹きすさぶ雪をかき分け進む車内で、炎華が小首を傾げてつぶやく。

 お雪が眉根にシワを寄せ、

「ソレ、チガウ。コン、ヤクハ、オユキト、シタ」

 炎華が素直に、

「そう。それじゃ、私の勘違いね」

「ソウ、マチガイ。

 オユキ、カニオト、ケッコンノヤクソク、シタ。

 カニオ、オユキト、ケッコンスルッテ、イッテタ、コレホントウ」

 確信を込めて強くそう言いきる。

 炎華が穏やかに、

「そう、蟹尾と結婚出来るといいわね」

 やがて、車はジューガン社・本社ビル、地下駐車場へと入っていく。


   ☆9☆


「雪獅子炎華様のご招待状は拝見しましたが、お連れのかたは、ご招待状を、お持ちでないようですね」

 ジューガン社・本社ビルの受付嬢がそう言う。

 炎華が戸惑いながら、

「私の友達なの。入れないのかしら?」

 受付嬢がかしこまった様子で、

「少々、お待ちください。ただいま、ご確認いたします」

 受付嬢が内線電話を掛ける。

「はい。雪獅子炎華様のお友達だそうです。はい。駄目ですか。はい。わかりました。では、お断りいたします」

 受付嬢が瞳をあげ、きっぱりとした口調で、

「申し訳ありませんが、やはり、ご招待状をお持ちでない方を、お通しするわけには」

 断ろうとすると、たまたま巨大軍需企業ジューガン社、若社長、来馬春彦がロビーを横切り、炎華に目を留めると、

「ややっ、君は炎華くんではないか!

 大手銃器メーカー、リョージュ社、社長射殺事件の時は、どうなる事かと思ったが、君のおかげで事件が解決した!

 あの時は、本当に素晴らしい手腕だった!

 その恩に報いるために、炎華くんにも招待状を送ったんだが、どうやら無事に届いたようだな。

 何しろ、炎華くんときたら、いつも住所不定で、どこにいるのか、さっぱり分からないからな。

 ちゃんと招待状が届いたか、不安だったよ。

 はっはっは。

 ともかく、蟹尾の婚約披露パーティーに来てくれて嬉しいよ、雪獅子炎華くん!」

 炎華が渡りに船とばかりに、

「私のお友達の招待状がないんだけど、一緒に参加してもいいかしら?」

 晴彦が破顔し、

「無論だよ!

 リョージュ社、社長射殺事件を解決した、炎華くんのお友達を、入れないわけがないだろう!

 大歓迎するよ!

 さあ、一緒に最上階の婚約披露パーティーへ行こうじゃないか!」

 快諾した。

 炎華が受付嬢に、

「というわけだから、通してもらうわね」

 受付嬢が萎縮しながら、

「は、はいっ! ど、どうぞ~っ!」 

 快諾した。


   ☆10☆


 広くて機能的なエレベーターで最上階の三十階まであがる。

 ガラスばりのカゴの中から、視界一杯に広がる夜景が一望出来る。

 蟹ノ手湾を見下ろすと、本当にカニのハサミのような、独特な形状をしている。

 蟹ノ手湾とは言い得て妙である。

 パーティー会場に入ると、いずれも有名人、著名人、地元の名士で溢れかえっていた。

 晴彦の登場に自然と視線が集まる。

 絶世の美女、お雪と、絶世の美少女、炎華もその一因である。

 晴彦の部下が密かに近づき、晴彦に何か耳打ちする。

 晴彦が苦りきった表情で、

「お集まりの皆さん。大変申し訳ない!

 弟の蟹尾は、あと一時間ほど遅れると、ただいま連絡が入りました。

 しかし、料理が冷めるのも、もったいないですから、主役不在ではありますが、ただいまより、ご自由に飲食をお始めください!」

 晴彦の許しが出るや、待ってましたとばかりに、料理や酒に手を出す客たち。

 炎華に向かって晴彦が気炎をあげる。

「まったく、蟹尾ときたら、まともに時間通りに来た試しがない。

 まさか、自分の婚約披露パーティーにまで遅れるとは、思いもしなかった」

 炎華が食べるのに夢中になっている、お雪を尻目に、

「お雪は、蟹尾の事を自分の婚約者だと言っていたけど、蟹尾はどう思っているのかしら?」

 晴彦がチラッと、憐れみの眼差しで、お雪を見やると、

「蟹尾なんかに騙されて、可哀想なお嬢さんだよ。

 蟹尾は、お雪以外の女の子とも、たくさん付き合っていた。

 過去に何人もの女の子を泣かせてきた。

 その度に、親父が示談にしてきたんだが。

 一時期、蟹尾は勘当同然の身の上になっていた。

 だが、偶然、玉美と知り合ったおかげで、また息を吹き返したがな。

 なにしろ、ライバル会社の社長令嬢と、政略結婚にまで発展したんだから。

 まったく、なんて悪運の強い弟だろう」

 炎華が嘆息し、

「お雪は、何も知らないってわけね」

 晴彦が大げさな身振りで、

「ああ。だが、今回の婚約で、蟹尾もいい加減、真人間になるだろう。

 なにしろ、お相手の両字玉美は、僕も少し前に会ったことがあるんだが。

 相当、しっかりしたお嬢さんでね。

 婚前旅行でも、蟹尾は玉美の尻に敷かれっぱなしだ。

 と、もっぱらの噂だよ」

 炎華が肩をすくめ、

「羊の皮をかぶった狼じゃなければいいけど。

 玉美の財産目当てかもしれないわよ。

 おやおや、やっと主役のお出ましよ。

 お客が騒いでいるわ」

 蟹尾と玉美が一時間も遅れ、ようやく登場する。

 二人とも流行の最先端を先取りし過ぎて、もはや珍妙?

 としか言いようのないキテレツな服装で現れる。

 客の大半はどん引きしていた。

 晴彦が苦り切った表情で蟹尾に不平をこぼす。

「ずいぶん遅かったじゃないか、蟹尾。お客様がお待ちかねだぞ」

 蟹尾が悪びれもせず、頭をかきながら、

「いや、すまねえ、兄貴。

 パーティーの準備でバタバタしちまってよ。

 色々やってたら、時間がかかっちまった。

 いや、まいった、まいった」

 涼しげに晴彦の苦言を聞き流す。

 ルックスは悪くないが、妙に狡猾そうな、鋭い目付き。

 あまり近づきたくないタイプである。

 玉美はいかにも、お嬢様らしい、おっとりとした口調で、

「カニーね、スッゴイおみやげ、てんこモリモリに買ってきたんだよ~。みんな玉美のポケットマネーで買ったんだけどね~」

 蟹尾が絶賛する。

「まったく! 玉美ほどいい女は、世界中のどこを探してもいないぜ!」

 玉美が恥ずかしげに顔を赤らめ、

「やだ! カニーったら、玉美テレる~」

 顔は可愛らしいけど、どう見ても頭のネジが二、三本抜けているような玉美である。

 炎華が呆れ果てたように、

「人の噂はアテにならないものね。カニーというのは、もしかして、蟹尾の愛称かしら?」

 晴彦も愕然としながら、

「だ、ろうな。いや、しかし、玉美に数年前会った時は、もっとこう、キリッとした、凛々しいお嬢さんだったのだが」

 炎華が諦め顔で、

「朱に染まれば赤くなる、という奴ね。蟹尾に感化されたんじゃないかしら」

「う、う~む」

 頭が痛そうに晴彦が頭を抱える。

 愚弟蟹尾は、晴彦にとって、いつも頭痛の種であろう。

 そんな事とは露知らず、蟹尾が客に向かってスピーチを始める。

「お集まりの皆さん。今夜は俺と玉美の婚約披露パーティーに集まってくれて」

 その途中、突然、お雪が人混みを掻き分け、蟹尾の目の前に飛び出すと、いきなり蟹尾に抱きつく。

「カニオ、ト、コンヤクスルノハ、オユキ、ダケ!」

 蟹尾が仰天し、

「おっ、お雪! お前、何で、こんなとこにいるんだ?」

 豹変する玉美。 

「蟹尾! その女は誰なの! 玉美に説明してちょうだい!」

 背筋が凍りつくような峻列な調子に、蟹尾の背筋がシャンと伸びる。

 蟹尾がしどろもどろに、

「こ、こいつは、その、昔からの幼馴染みで、です! お、お雪! ちょっと来い!」

 蟹尾が引きずるように、お雪を会場のすみに連れていく。

 声を落として話しているが、我輩の猫耳には、会話の全てが、漏れなく耳に入る。

 蟹尾が白い粉の入った袋を、お雪に渡し、

「なっ、これをやるから、今日は帰れ。これから大事な話があるんだよ」

 お雪が不服そうに真紅の唇を尖らせ、

「オユキ、ヨリ、ダイジナノ?」

 美しい瞳が涙に濡れる。

 蟹尾が動揺し、

「そ、それは、その。そうだ! 蟹ノ手岬・下で待っていろ。

 こっちの用事が済んだら、すぐに、そっちに行くから」

 お雪が猜疑心に満ちた、疑わしげな瞳で蟹尾を見る。

「ホントウニ?」

 蟹尾が大げさにうなずく。

「ああ、あそこは高校時代、俺とお前が愛を誓い合って、一つに結ばれた神聖な場所じゃないか。

 あの夏の夜を、俺は一生忘れないぜ。

 な、そこで待っていろ。

 俺も、すぐ行くから」

 お雪の、憂いを含んだ、切れ長の瞳が微妙に和らぎ、

「ワカッタ。オユキ、ソコデ、カニオヲ、マツ」

 蟹尾が安堵の表情を浮かべ、

「よし、いい子だ。寒いけど、我慢するんだぞ」

 お雪が素直にうなずく。

「オユキ、カニオヲ、シンジテ、マツ」

 そう言い残し、お雪がパーティー会場を去る。

 蟹尾が玉美の元に戻ると、平謝りして弁解していた。

 炎華が呆れたように、

「あれは一生、玉美の尻に敷かれるタイプね。ユキニャン」

「ウニャッ!」

 我輩は同意した。


   ☆11☆


 蟹尾が疲れた顔をしながらスピーチを再開する。

 玉美に相当絞られたようである。

「ええっと、とりあえず皆さん。俺と玉美の婚約披露パーティーへいらっしゃって、感謝感激雨あられっす」

 砕けすぎた挨拶になっている。

 本当に疲れている様子である。

「まあ、俺も若い頃はちょっとヤンチャが過ぎて、校内暴力から、ヤンキー同士のケンカ、暴走族との抗争、といったムチャぶりを発揮してきました。

 だけど、こんな俺でも、玉美と出会ってから人生が変わった!

 玉美は俺みたいなクズと真剣に付き合ってくれた!

 俺は決めたんだ。

 正真正銘の真人間に生まれ変わると!

 今回の婚約。

 さらに、将来は玉美と結婚して、二つに別れた巨大銃器メーカーを一つにまとめあげ、いずれは世界的銃器メーカーへと発展させる!

 それが、俺が出来る玉美への恩返しであり、大いなる野望への第一歩でもある!

 そして、それは、ほんの序章に過ぎない!

 さらに俺は」

 うんぬん。

 元ヤンキーとは思えない、壮大なホラっぷりである。

 炎華が呆れながら、

「大言壮語も甚だしいわね。

 しょせん、親の七光りで築こうとしている、二世ならぬ、ニセ計画よ。

 自分一人では何一つ出来ない、元ヤンキーの分際で、たいしたホラっぷりね。

 戯言もいい加減にしろ、と言いたいわ。

 ねえ、ユキニャン」

「ウニャッ!」

 我輩は同意した。

 蟹尾に続いて玉美が、

「はいは~い。難しい話は、ここまでにして~。

 これからは、カニーと玉美のラブラブな世界一周旅行について、お話するね~☆」

 先程まで夜叉みたいな顔つきの玉美だったが、今はすっかりナリを潜めて、ラブラブモード全開である。

「というわけで~。

 これが中国に行った時に買ったおみやげ、壺中美人で~す☆」

 紫色の布をサッと取り去る。

「ただの壺じゃない。どこが美人なのかしら?」

「フニャア~?」

 炎華も我輩も拍子抜けしたように首をかしげる。

 六十センチほどの壺で下部の前後に取り外し可能なフタが付いている。

 玉美がドヤ顔で壺について説明する。

「その昔、中国では敵国の子供を捕らえると、この壺の中に入れて育てたんですよ~☆

 でも、壺が子供の発育を邪魔して、な、なんと!

 体も手足も、ちゃんと成長出来ないんです!

 その結果、壺の形をした人間になっちゃうんですね~!

 こわ~い!

 壺中美人の由来は、敵国の女の子を壺の中に入れて育てて、歌を歌わせた事から、壺中美人と呼ばれるようになったんですね~☆。

 古代中国人恐るべし、ですね~☆」

 めでたい婚約披露パーティーの席上で、そんなとんでもおみやげを自慢する玉美のほうが、よっぽど恐ろしい。

 他にも、

 ソロモンの指輪だの。

 賢者の石だの。

 マンモスの牙だの。

 次々に得体の知れないアイテムを出してくる。

 さらに、蟹尾と玉美の二人がそろって、大きな布をかぶせた、車輪付きの檻を押して来ると、

「「せーの!」」

 二人で声を合わせて覆いを剥ぎ取る。

 ガルルルル!

 檻の中には、

 生きたライオンがいた!

 獰猛な唸り声をあげる百獣の王、ライオンが、客を睨み付け、威嚇する。

 半ばパニックに陥りながら、後ずさる客に対し、蟹尾が平然と手柄話を披露する。

「こいつはアフリカのサバンナで仕留めたライオンだ!

 だけど、あの時は本当に大変だった!

 ジープのそばで野営していたら、背後からこいつが忍び寄ってきて、突然、襲いかかって来たんだ!

 とっさに麻酔銃で仕留めたけど、あと少し撃つのが遅れたら、手足どころか、命が危なかったぜっ!」

 蟹尾が檻に立て掛けた麻酔銃を手に取り、客に見せる。

「それから俺は、いざという時のために、銃の腕を必死に磨いて、オリンピック級の腕前になったんだ!」

 玉美が青ざめながら、

「あの時、本当にカニーが死んだかと思ったわ!

 でも、奇跡的に助かったの!

 玉美は、もし、カニーに何かあったら。

 もう、生きていけないわ!」

 蟹尾が感激したように、

「玉美!」

「カニー!」

 ヒシと抱きしめあう二人。

 オノロケもいい加減にしろである。

 蟹尾が、

「そして、本日最後に、最強のおみやげを皆様に披露します!」

 まだあるのか!

 蟹尾がカーテンを指差すと、自動的にあがり、裏に隠されたシャッターが現れる。

 高さ五メートル。

 幅二十メートルほどある、巨大なシャッターである。

 それがガタピシし唸りながら、徐々にせり上がっていく。

 その向こうは、射撃場になっていた。

 正面、奥は射撃のレーンとマト。

 左手は高い窓があり、蟹ノ手湾が一望出来る。

 窓の横手にバルコニーに通じる扉があり、時折、軍の夜間訓練の砲声や銃声が、窓ごしに遠く響いてくる。

 右手の壁には、様々な銃器が山のように陳列されていた。

 だが、最も目を引いたのは、射撃場の中央に据え置かれた、巨大な戦車である。

 ビルの最上階まで、いったい、どうやって運びこんだのか?

 謎である。

 蟹尾が誇らしげに、

「T2タイガー戦車です!

 中東で破格の安値で売っていた物を、思いきって購入しました!

 もちろん、操縦も可能です!

 砲弾を発射する事も出来ます!」

 戦争でもする気か?

 しばらく戦車を見せたあと、客を射撃場からパーティー会場に移し、蟹尾がシャッターを閉める。その途中、

「おっと、麻酔銃を仕舞わないと」

 檻から麻酔銃を取り出し、射撃場に戻って陳列ケースに向かう。

 直後、ちょうどシャッターが閉まった。

 数分後、蟹尾がシャッター横の通用口から広間に戻り、婚約披露パーティーが再開される。

 怪しげなおみやげの数々が、ライオンも含めて片付けられる。

 蟹尾登場から一時間後。

 ようやく普通のパーティーらしくなってきたが、それも数時間後にお開きとなる。


   ☆12☆


「という事が昨日の婚約披露パーティーで起きたのよ」

 炎華が一息つく。

 鬼頭警部が、

「それは、なかなか大変な修羅場だったのだ。

 それと、金持ちの買い物のセンスは、ワシにはさっぱり理解出来んのだ。

 普通、戦車は買わないのだ」

 炎華が肩をすくめ、

「それはともかく、昨日の事を一つ一つ話したおかげで、お雪を殺した犯人が分かったわ」

 鬼頭警部が目玉を飛び出さんばかりに仰天し、

「まっ、まさか! お雪は、自殺じゃないのかね?」 

 炎華が首を振って否定する。

「他殺よ。

 トリックも分かったわ。

 真犯人に辿り着くための、血に汚れた緋色の糸は、すべて繋がったわ。

 鬼頭警部、蟹尾を権三郎の家に連れてきて」

 鬼頭警部がまたまた仰天し、

「かっ、蟹尾が、お雪殺害の犯人なのかね!」

 炎華が穏やかな口調で、

「それは、蟹尾が来てから話すわ」

 鬼頭警部がうなずく。

「わかったのだ。

 炎華くんの指示に従うのだ。

 蟹尾を任意同行で、無理矢理、引っ張ってくるのだ」

 それは任意同行ではない。


   ☆13☆


 鬼頭警部の剛腕で、無理矢理、権三郎の部屋に連れ込まれた蟹尾が不服そうに、

「話ってのは、いったい何の事だい? 警部さん。かなり強引に連れてこられたけどよ」

 顔を歪め、口を尖らせる様は、いかにも元ヤンキーっぽい。

 炎華が不敵な笑みを浮かべ、

「あなたが、お雪を殺した方法を立証するために、ここへ呼んだのよ」

 蟹尾が眉毛を逆立て逆上する。

「何だとこら! 嘘八百、並べてんじゃねえぞ、ガキがっ!」

 鬼頭警部が割って入る。

「まあまあ、彼女は雪獅子炎華くん。警察の協力者なのだ。大目に見るのだ」

「こんなガキがかよ?」 

 蟹尾が炎華をにらむ。

 その視線を冷淡にあしらい、炎華が推理を展開する。

「お雪の遺体を見た時、お雪の注射痕に違和感を覚えたわ。

 針の痕が大きすぎるのよ。

 それに、腫れもひどかった。

 普通の注射針じゃない、と推理したわ。

 昨日の話に戻るわね。

 婚約披露パーティーの会場から、お雪を追い払った蟹尾は、

 とっさに麻酔銃を使ったトリックを思いついた。

 その方法は、

 射撃場のシャッターが閉まる前に、麻酔銃を仕舞うと言って射撃場に入り、

 麻酔銃の弾丸に致死量の覚醒剤を入れる。

 そのあと、窓の横手にある扉からバルコニーに出て、

 蟹ノ手岬・下で待っている、お雪に対し、スマホをかける。

 恐らく、

『薬を射って待っていろ』

 とでも言ったのでしょう。

 お雪が薬を射とうと、着物の裾をあげた瞬間、

 蟹尾は、その腕目掛けて麻酔銃を発射した。

 オリンピック級の腕があれば、対岸の、四百メートル先にいる、お雪を撃つのは、そう難しい事ではないわ。

 しかも、銃声は軍の夜間訓練の音に紛れて、誰も気づかない」

 蟹尾がブチ切れる。

「テメェ、何言ってやがる! ふざけるのも大概にしろや! 証拠でもあんのか、コラァッ!」

「まあまあ、そう怒らんで」

 鬼頭警部が割って入る。

 炎華が室内を見回し、

「鬼頭警部、冷蔵庫の中に入っている、鯛を持ってきてくれるかしら」

 鬼頭警部が冷蔵庫から鯛を取り出す。

 炎華が、

「その鯛の腹を裂いてちょうだい」

 鬼頭警部がまな板と包丁を用意し、炎華の指示に従う。

 蟹尾が馬鹿にしたように、

「鯛料理でも作ろうってのかい?」

 炎華が蟹尾を無視し、

「権三郎は、この鯛一匹を『大漁』と言っていたのよ。

 それはなぜか?

 蟹尾は権三郎に麻酔銃の弾丸を処分するよう指示したのよ。

 そのうえ、お雪が自分で注射したよう、注射器を空にして、その場に捨てるよう指示した。

 権三郎はその指示に従ったわ。

 だけど、蟹尾は権三郎の口から事件が発覚することを恐れ、

 権三郎の部屋に忍び込んで、ポットに青酸カリを仕込んだ。

 つまり、権三郎を始末した。

 危うく私も殺されるところだったわ」

 鬼頭警部が、

「ムッ! こっ、これはっ!?」

 鯛の腹から出てきたのは、まぎれもなく、麻酔銃の弾丸である。

 炎華が続ける。

「権三郎は、この弾丸をネタに、あなたから大金をユスるつもりだったのよ。

 そこで、鯛の腹の中に麻酔銃の弾丸を隠した。

 大漁、大漁と言って、不自然にはしゃいでいたのは、

 そういう理由からよ。

 その麻酔銃の弾丸の内部には、覚醒剤が残っているはずよ。

 そして針からは、お雪の血液が検出されるでしょうし、

 弾丸の旋条痕は、蟹尾の麻酔銃の旋条痕と一致するはずよ」

 鬼頭警部が、

「部下に蟹尾の麻酔銃を調べさせるのだ」

「その必要はねえよ」

 蟹尾が憔悴しきった表情で、

「俺が、お雪をやった。全部、その子の言う通りだ」

 鬼頭警部が蟹尾に確認する。

「それは、自白と受け取って、いいのだな」

 言いながら鬼頭警部が手錠を取り出す。

「警部さん。一服だけいいかい?」

 鬼頭警部が炎華に視線を移す。

 炎華がうなずき、鬼頭警部が厳かに、

「一服だけなら、いいのだ」

 蟹尾が安堵し、

「ありがたい。ムショじゃ、もう吸えないだろうからな」

 蟹尾が美味そうにタバコを吹かす。

「裏稼業から抜け出して、陽の当たる場所で活躍出来ると思ったが、甘かったな」

 蟹尾が鬼頭警部に連行された。


   ☆14☆


 雪の海岸線を歩きながら、炎華がつぶやく。

「春になると、雪女は露になって、消えてしまうそうよ、ユキニャン」

 夜のように薄暗い曇天の空を見上げ、

「春は、まだ、ずっと先の話なのにね」

 我輩は、 

「フニャックショ!」

 同意のくしゃみをした。

 炎華が我輩の頭を優しく撫で、寂しげに微笑んだ。


   ☆完☆

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