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退職日

作者: 奥野鷹弘

朝、いつもの携帯目覚ましがなって、布団に顔を埋めながら目を覚ます。洗濯をしているものの、少しばかし黄色い汗染みに買い換えを検討をしながら、足腰を曲げてベットから降り立つ。



『退職』



退職…。

二十歳という年齢を迎えてから、始めて私はこの言葉を使う。世間一般からみれば早すぎる選択肢で、公式の言葉として使うのは未熟すぎるであろう。しかし私にとっては長引き過ぎた決断であり、やっと次へと踏み出せた感覚である。

……そう、私はあまりにも他人に人生を捧げすぎていた。




3月31日。

私は今日をもって、いまの会社を退社する。

社長からの力強い想いや同僚による酷い泣き顔をみながら、私は背を向け、「戻らない。」「前を向くために。」と言葉の壁を並べ建てていった。…後悔はしている。




今日はいつにも増して、ヘアジェルが多くでる。

姿見に映る私はこれで最期でありこれからの始まりだ。仕事への自身の無さから坊主にして以来、髪はずいぶんと伸びた。今日をもって昨日から続くヘアスタイルは終わる。




年が明けて取り換えた革靴もまた、今日で一時見納めだ。老後の事を考えると少し感極まって、まだ革靴が履けることに嬉しくも思う。



いつもの時間、いつものバス、いつもの地下鉄。

乗り馴れていたはずの交通機関やルーティンに違和感と緊張感と解放感を覚える。あんなに嫌がっていた満員乗車も、そんな時にでしか触れ合えない人間という生き物の暖かみに愛しさを隠せない。田舎のバスだからこそ感じられた硬いマットの座り心地もほんの少しだけお預けだ。地下鉄で見慣れた広告も私が今度みるときには、あの桜の咲いた写真の広告がまた張り出されるであろう……。



私はいま幸せを受け止めている。



地下鉄を降りて改札を抜け出せば、そこはもう人工で作られたジャングルだ。

会社へ向かう途中にある喫茶店もこれで最期となる。珈琲の魅力にそそのかされて嘘でも「美味しい」と口にした日が懐かしい。人混みであるはずなのにいつもすれ違っていた美人さんを観れなくなるのは……すこし心苦しい。




部署を訪れれば見納めになる仲間たちが机を前にして座っている。「おはようございます」そんな挨拶も、一度もふざけられずに時が流れる。

振り向けばなにか一言を掛ける先輩も、今日はまた私を応援するかのように暖かい眼差しで始めての賞味期限が切れていないチョコをくれる。昼休憩になれば会話をしていた事務のおばさんもチャイムがなればお別れだ。

今日ぐらいは食堂でご馳走になろうと思った親子丼は…やはり相変わらずに鶏肉は固くて卵は半熟でご飯とのコラボレーションが上手くいっていない。落ち込み度は成長していないが、自分の味覚は誰よりも成長している気がする。




思えば目の前にしている机も長らくお世話になった。

入社したてに食べた卵焼きが昨日のように思い起こされる。始めて作った、始めて料理した、始めて家事と向き合ったそんな日々に作られた卵焼きが黒焦げとなって目の前に現れる。こんな人目に見せられない卵焼きをどうやってひた隠しながら食べようかと、考えていたら腕が震えて机に落としてしまった記憶が甦る。

仕事の目安が付けられずに、断りもいれずに受け入れた結果、頼まれた案件が机の上に山積みになって崩したのを覚えている。

同僚が結婚して、幸せのお裾分けとして貰った二次会のヘントコな写真をにらめっこしていたのに、そんな同僚ともにらめっこも区切りがつくと思うと未来に不安が襲う。

これもまた、安心と安全を与えてくれた仲間たちが与えてくれたもの。

次に渡されることになるこの机は私の顔を映している。




『退職』

それは私にとってはターニングポイントであり、歩いてきた仲間たちとの分岐点である。

社員から部長に贈られているの花束ををみて、改めて自分が生きてきた道のりを感じる。我が子を抱くよう花束にをもつ部長は、どこか暖かくて、寂しくて、儚なくて、どこか微笑ましい。


そうだ。今日は家に帰って、お袋に連絡をしよう。

ついでに帰省の約束もして、我が家一番の親子丼を作って貰おう。

久々に親父の晩酌に付き合ってみよう。



今日は私の、、

昨日までの私は、、


明日からの私は。。




私が歩くこの街中で、心情を描写をしてくれる曲が流れている。洋楽ながらも和訳が勝手に出来てしまうようなこの感情は、溢れだす想い出は留まることを知らない。

この曲はたしか…

(Marshmello & Jonas Brothers『Leave Before You Love Me』だ……)

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