慰謝料ください
公爵令嬢アリサ・ピルノアの耳にとある噂が入った。
アリサの婚約者である伯爵令息レナード・サレランが、アリサの従姉メルルと密会していると。
そんなわけないと高を括っていたアリサだったが、ある日、メルルの家に事前連絡なしで遊びに行ったとき、レナードがいたのだ。
二人は大層慌てた様子で......
(私なんかよりメルルお姉様みたいなおしとやかで可愛らしい人の方が好みなんだろうな)
(婚約破棄される前に浮気の証拠集めて慰謝料貰わないと......!)
ピルノア家は没落の危機を迎えている。
そこで、多額の富を持つサレラン家と結びつきを強くしようと、アリサをレナードに嫁がせることにしたのだ。
(メルルお姉様からも慰謝料貰うことになるかしら?)
あたふたしているレナードとメルルを後目に、アリサはにこにこしていた。
「私、急に用事を思い出してしまいましたの。 失礼しますわ」
「待ってアリサちゃん、これは誤解なの!」
メルルがアリサの腕を掴んだ。
「ああ、メルルさんの言う通り、俺達はやましい関係ではない」
「勿論存じ上げております」
笑顔を崩さないアリサにメルルは真実を告げた。
「レナード君の相談に乗っていただけで、アリサちゃんのこと知りたいって言うから......」
「そうなんですね」
「し、信じてくれ。 神に誓ってメルルさんとは何もないんだ」
普段高圧的なレナードがしおらしくなっているので、アリサは新鮮味を感じた。
(相談って...... べたな言い訳過ぎる)
「相談って、私のことを知りたいなら私に聞けばいいんじゃないの?」
ここで大人しく引き下がるよりは、少し食ってかかってから納得したふりをした方がいいだろうと思ったアリサは疑問をぶつけてみた。
「本人に聞いたらかっこ悪いだろう......!」
「周りからこそこそ情報集めてる方がかっこ悪い気がするけど」
「うっ」
「あのね、アリサちゃん、一日だけでもいいから誤解を解くチャンスくれないかな? レナード君がアリサちゃんのこと本当に好きってこと証明してもらうから」
「好きじゃない!!」
「ちょっと黙ってて」
メルルの真剣な声色にレナードが静かになった。
「メルルお姉様がそう言うなら」
決戦日、アリサはレナードに言われるがまま馬車に乗り込むと、見知らぬ牧場へやってきた。
(私が動物好きなのは知っていると......)
「お前が動物好きだってメルルさんから聞いたから牧場作った」
照れながらぼそっと衝撃的な発言をするレナードにアリサは目を丸くした。
「作った?」
「ああ」
(......牧場ってどうやって作るのでしょうか?)
レナードに着いていきながら、放牧されている羊、馬、山羊、馬、牛を眺めた。
「あとあの馬達、お前が大型馬が特に好きだって言うから......」
滅多にお目にかかれない大型馬にアリサの目が輝いた。
アリサはサラブレッドも好きだが、大型馬のとにかくでかい!強そう!という感じが好きなのだ。
「乗馬はあとでな。 先に昼食摂るぞ」
牧場近くのバロック建築の巨大な建物の中に入ると、内装も外装同様煌びやかだったためアリサは一瞬眩暈がしそうになった。
(メルルお姉様にバロック様式の家について話したことがあるような......)
一体どれほどの歳月と資金をかけて作ったのかアリサは疑問に思った。
「ねえ、レナード、私のこと嫌いなんじゃないの?」
会えば三回に一回は小競り合いをする関係なので、アリサはどうしてレナードがメルルに聞いてまでアリサの好きなことを知ろうとして、それを実行に移したのか理解できなかった。
「嫌いではない」
「私のこと好き?」
「はっ?!」
アリサが顔を覗き込んでそんなことを聞いてきたので、レナードは思わず後退りした。
「なんでそうなる」
「だって、私の好きなもの揃えようとしてくれるってことは、多少は私のこと好きなんじゃないかなって」
恥ずかしがることもなく平然と聞いてくるアリサに、レナードは強がった。
「別に好きじゃない」
「そっか」
特に残念そうな反応をしないアリサにレナードは溜め息を吐いた。
昼食はアリサが好きなチーズフォンデュだった。デザートはアリサが世界で一番好きな食べ物であるレモンの蜂蜜漬けが出た。
「レナード、浮気を疑ってごめんなさい」
「わかればいい」
「それで結局、レナードは私のことどう思ってるの? 好き?」
「さっきも言ったが好きじゃない」
アリサは眉を下げて残念そうな顔をしてみた。
そうすると、レナードは罰の悪そうな顔をしたあと、頬を赤く染めた。
「好きだ」
「知ってる」
はにかみながら自信満々にそう言ったアリサに、嵌められたことをレナードは気が付いた。
「やっぱり嫌いだ! お前の事なんて好きじゃない」
「あら、それじゃあ、婚約解消する?」
「婚約を続行するかは俺が決めることだ」
「私と結婚したいんだ」
「違う!」
またいつもの小競り合いが始まった。
ニヤニヤするアリサに向かって顔を真っ赤にして喚くレナード。
「今回の件で多少はレナードを見る目変わったかも。 このままだと好きになっちゃうな」
「お前......」
「本当に浮気してたらってほんの少しだけ不安だったんだから」
アリサがしんみり呟くと空気が変わった。
「慰謝料ふんだくって婚約解消してやろうってあのときは思ったけど、あはは」
つい、昨夜、涙で掛布団を濡らしてしまったことを思い出した。
「あなたとメルルお姉様を疑って本当にごめんなさい」
アリサは頭を下げた。
「俺の方こそ不安にさせて悪かった」
あの傲慢なレナードが謝ったので、アリサは首がもげそうな速さで顔を上げた。
「お前に直接聞いたら引かれたりしないか考えてしまって、バレなければいいと思ってメルルさんを頼ってしまった。 お前の前ではその、弱いところを見せたくないというか、か、かっこつけたかったというか......」
「引いたりなんてしないよ。 好きなものを知りたいって思ってくれるのはすごく嬉しいし、将来は夫婦になるんだから弱いところも見せてほしい」
「今度からはそうする」
「ありがとう」
微妙な距離感で牧場を一日中楽しんだ二人は、アリサの家の前で別れようとした。
「あのレナード」
去ろうとしたレナードをアリサが引き止めた。
レナードが呼び止められたので振り返ろうとすると、アリサに右頬にキスをされた。
「私もあなたのことが好きです」
そのまま家に逃げようとしたアリサを、我に返ったレナードが後ろから抱きしめた。
「レナード?!」
アリサもレナードも心臓の鼓動が運動をしたときのように速まっていた。
「俺はお前以外今までもこれからも『一回待って! 恥ずかしさで死んじゃう! 本当に死ぬ!!!』」
「待たない。 愛してるアリサ。 絶対に一生離さない」
耳元で囁かれる愛の言葉にアリサの頭はショートしかけている。
「え、あ、うん、へえ」
パニックになり過ぎてアリサは自分でも何と言っているのか理解できなかった。
レナードはアリサを一旦離すと、アリサの肩を優しく掴み、自分の方へ体を方向転換させた。
照れた顔を見られるわけにはいかないと、両手で顔を隠そうとしたが、レナードの左手によって両手とも拘束されてしまった。
「お前のそういう顔初めて見た。 可愛い」
「か、かわ、可愛い?!」
可愛いなどレナードに言われたことがなかったので、アリサは余計体温が上昇した。
「言えなかったがずっと前から可愛いと思っていた」
「ほんと、一回止まって、ね? ね?」
数時間前までは調子に乗って挑発してきたアリサが、顔を真っ赤にして、たじたじになっている姿を見てレナードは悪戯心を抱いてしまった。
「キスしたい」
「正気?!」
「嫌か?」
眉を下げて悲しそうな顔をするレナードにアリサは何も言えなかった。
「い、嫌じゃない......」
「知ってる」
いたずらめいた笑みを浮かべると、レナードはアリサに顔を近づかせた。
「ずるい! 卑怯!」
「お前もやったことだろう。 仕返しだ」
唇が唇が触れるまで残り5センチメートになり、アリサは覚悟を決めて目を瞑った。
唇に柔らかいものが触れると、すぐに離れた。
目を開けると耳まで赤くなっているレナードの顔が至近距離にあった。
「また明日学校で」
「え、う、うん」
離れていくレナードの顔にアリサは無自覚に寂しそうな顔をした。
それをレナードが見逃すわけもなく、
「そんな寂しそうな顔をするな」
「寂しそうな顔なんてしてないんですけど?!」
「してただろう」
「してない! また明日!」
アリサは叫んだあと、家の中に滑り込むように逃げていった。
逃げこんだ瞬間、その場に崩れ落ちるようにへたりこんでしまったアリサに使用人が駆けつける。
(無理、ほんと無理、好き......!)