case05 ある昼食時の一幕
これはハッピーエンドですわ(確信)
あら、お疲れ様。
え? ええ、空いてるわよ。どうぞ。
そ、今日はお弁当なの。
流石に毎日じゃないけどね。
そそ、この辺はランチでも千円以上するところが多いでしょ?
安い所は行列待ちでお昼休憩終わっちゃうしね。
だから、外食とお弁当で相殺してる感じかな。
貴女もお弁当なの?
あ~、なんだかんだ言ってもコンビニ弁当って結構美味しいよね。
ウチの旦那なんかは、『量が足りない』っておにぎりとか追加するみたいだけど。
え? そうね、今日は旦那もお弁当。
旦那の方は社食があるから良いわね~。
一食五百円で給料天引き。写真見せて貰ったことあるけど、結構なボリュームだったわ。
ウチの会社もそんくらいしてくれればね~。
ああ、別に大した手間じゃないわよ。
冷凍の唐揚げとか、前の日の残りを適当に放り込んでるだけ。
冷凍食品なら、凍ったまま放り込んでおけばお昼には自然解凍されてるって寸法ね。
だから、朝は詰めるだけ。
毎日はしんどいかもしれないけど、最近は在宅勤務もあるし、たまになら、ね。
あら、お昼休憩なのにメールが来るなんて大変ね。
どうしたの?
え? ああ、なんか若い子達がイケオジ?とか言ってる人ね。知ってるわよ。
そのイケオジがどうかしたの?
は? メールが送られてくる? 仕事に関係ないメールが?
そう……。
あ~。そうよね、一応上司だし無視する訳にも行かない物ね。
最近では二人きりで食事に誘われてる? 仕事の話が有るからって?
馬鹿じゃないの。
仕事の話なら二人きりになる必要なんて無いじゃない。
何度も断っているけどまた誘ってくる?
一回だけなら付き合ってしまおうかって?
やめておきなさい。そんだけしつこい相手が一回で済ます訳無いじゃない。
一回付き合ったんだから、二回も三回も変わらないだろうって言って来るに決まってるじゃない。
それ、完全に泥沼にハメられてるわよ。
絶対にロクな事にならないわ。
……全く、あんな事があったばっかだってのに、まだそんなセクハラ、上司というのも含めればパワハラもか……とにかくそんなことやる奴が居たなんてねぇ。
あんな事? そっか、貴女は最近こっちに出向して来たから知らないんだっけ。
そういやあのイケオジとやらもそうだったわね。
ああ。あの事って言うのはね、まぁ、私の話なんだけど……。
§
その頃、私も上司からのメールに悩まされていたの。
もう居ないけどね。
少し前に別部署に異動になったの。
で、メールの話ね。
やっぱり、貴女と同じように、毎日のようにメールが送られてくるようになったの。
会社のパソコンだけじゃなくて、業務用の携帯の方にも送られて来たわ。
最初は無視していたんだけど、仕事のメールも来るし、社内の人間だし、まさかブラックリストに入れて無視する訳にもいかなくて、内容は確認しなくちゃいけなかったの。
毎日毎日、『今日も可愛いね』とか『今日は素敵な服装だね』とか、まぁそんな仕事には関係の無い内容のメールが送られて来ててね。
どれだけ無視しても送られてくるものだから、ある日とうとう返信しちゃったのよね。『仕事と関係の無いメールを送らないで下さい。迷惑です』って。
そしたら今度は、『やっと返事くれたね。アドレス間違えてるのかと思って冷や冷やしてたよ』なんてメールが送られてくるようになったの。
―― 今思えば、これが泥沼への一歩目ね。
その後も『無視しないでよ』とか『また返事欲しいな』とか送られるようになってきて、一回返事を返してしまうと、こっちも意地になってしまうのかしらね、返事を返す事に忌避感が無くなってしまうのね。
それからは、メールが来るとメール送るなと返信するのが当り前になってきちゃうのね。
そうして暫くすると、今度はメールの内容が少しずつ変わってくるの。
始めの頃の挨拶だけみたいなメールから、今度は『奥さんと喧嘩しちゃった』とか『奥さんの機嫌を直すにはどうしたら良い?』みたいな、ちょっとした相談、それも向こうの家庭内の事にね。
当然最初は無視するけれど、何度か返事をしている実績が有るから向こうは送り続けてくる。そうしてまた返信してしまうの。『ケーキでも買って帰れば良いんじゃないですか?』みたいにね。
こちらとしては適当にあしらっているつもりなのだけれど、今度はそれに過剰に反応して来るのよ。
返事に書いた事を実際にやってみた体で『君の言う通りにしたら奥さんの機嫌がなおったよ!』とか、『やっぱり君に聞いて正解だったね!』みたいに、こちらを持ち上げてくるわけ。
冷静に考えれば実際にやってるかなんてわかる訳無いのだけれど、その時はちょっと得意になってしまったりするのよね。
そうしているうちに、向こうのメール相談にのるのが普通になってしまっているの。
自分では一線を引いてるつもりが、傍から見れば普通に私用メールのやり取りをしているように見えたでしょうね。
―― こうやってまた泥沼に足を突っ込んで行く。
暫くそうやってやり取りしてるうちに、今度は直接的な誘いが混ざるようになるの。
いつもの相談の中に紛れて、『今度ランチを二人でどう?』とか、『素敵なレストランを見つけたんだけど、お世話になってるお礼に御馳走させてくれないか』みたいにね。
当然そんなものは断るわよ。自分ではまだ適当にあしらっているつもりだから。
そうしているうちに、今度は直接接触して来るようになるの。
皆の居る前で、『この前は有難う。おかげで奥さんの機嫌も直ったよ』みたいな事を言って来るのね。
そうやって、周囲に自分達は個人的な、家庭の話が出来る位くらい仲が良いってアピールするのね。
こっちも皆の前でぎくしゃくして職場の雰囲気を悪くしたくはないじゃない? だから一応『良かったですね』位の事は返すのだけれど、そんな事を繰り返しているうちに、周囲はそれが普通だと思う様になるわけ。
こっちも周囲の目がある前で浮気や不倫の誘いなんてする訳無いと思ってるから、ついつい応じてしまうの。慣れって怖いわよねぇ。
―― 泥沼に入り込んでいるなんて気付きもしないんだから。
気付けばそうやって、言わば『外堀を埋められた』状態にされてる訳ね。
そうやって、こっちの心のハードルを少しずつ下げて行くのがやり口なんですって。
無視からただの返信、ただの返信から相談、相談から雑談、メールだけのはずがいつの間にか直接口頭で。
気付かない内に感覚が麻痺している中で、『奥さんに誕生日のプレゼントを買いたいから選ぶのを手伝ってくれないか』みたいなお願いをされるようになる。
当然これも最初は断るのだけれど、相談にのったって実績もあるし、繰り返される誘いがいい加減面倒になってくるのもあるし、完全に感覚が麻痺してしまうのね。
普通に考えればそうはならないのだけれど、『 一回位なら良いか、それで終わりに出来るだろう』なんて考えになってしまうの。
本当、冷静に考えればなんでそうなるのか意味が解らないわよね。
―― でもね、泥沼にはまっている人間は、冷静に周りを見る事が出来ないの。
とうとう『一回だけなら』と、自分では条件を付けている気になって承知してしまった。昼間だけだとか、食事はしないとか、自分では他にも色々条件を付けているつもりでね。
そんな条件に何の意味も無いのにね。
自分ではしっかりしているつもりだったの。
そうして、旦那に休日に出掛ける話をしたのだけれど、流石に旦那以外の男と出かけるなんて言えないから、『同僚の女性と買い物に行く』って嘘をついてね。
当然後ろめたくはあるのだけれど、『これが最初で最後だから』って、何故か自分を納得させてるのよ。
これも冷静になれば『なんで自分がそんな事をしなきゃいけないんだ』ってなる所なんだけどね。
ただ、その後旦那が子供をあやしながら言ったのよ。
―― ママはお友達と出かけるから、パパと一緒に遊ぼうな
って。
旦那も子供も笑顔で何も疑ってないの。
それを聞いて、それを見た瞬間、『あれ?』ってなって。
旦那と子供に嘘を吐いて、旦那以外の男と二人っきりで出かけるって、まるっきり浮気とか不倫じゃないかって……。
そう思った瞬間物凄く怖くなって、慌ててお風呂に駆け込んだわ。
お風呂の中でガタガタ震えながらその事をずっと考えてた。
お風呂からあがったら、子供はもうおやすみなさいしていて、旦那が一人でテレビを見ていたんだけど、私の様子がおかしい事に気付いたみたい。
ただ一言、『何かあった?』って。
ただ私を心配してくれているその言葉が嬉しくて、そんな旦那を裏切ろうとしていた事が苦しくて、気付いたらもうわんわん泣いちゃってた。
ええ、そりゃもう盛大に泣いてたわ。『ごめんなさい、ごめんなさい』って繰り返しながらね。
旦那は、私が落ち着くまで、ただ手を握っていてくれたの。
で、落ち着いてから、それまでの事を全部旦那に話しちゃった。
もしかしたら嫌われちゃうかもって思ったけど、黙っている事の方が怖かったから。
私の話を全部聞いてから、旦那は『よく話してくれたね』って言いながら、私の頭を撫でてくれたの。
嬉しかったのと安心したので、また泣いちゃった。
次の休日だけれど、約束通りアイツと待ち合わせしたわ。
え? ええ、出かけたわよ。
―― 旦那公認でね
ただ、待ち合わせ場所を少し変えたの。
元の待ち合わせ場所の近くに喫茶店が有ったから、早めに行って、そこで待ってるからって連絡したのよ。
待ち合わせの時間に少し早いくらいだったかしら、アイツが店に入ってきて私の対面に腰掛けてきたわ。
ぬけぬけと、『ごめん、またせたかな』なんて言いながらね。
私も『いいえ、今来たところです』なんて返してあげたら、すっごい嬉しそうな顔をするのね。
冷静になって見れば、下心丸出しの下品な顔だったわ。
で、『今日は付き合ってくれて有難う』とか『君とデート出来るなんて光栄だ』とか『今日は一段と素敵だね』とか言い始めるわけね。
奥さんの誕生日プレゼントはどうしたよって感じよね。
一通りアイツの気が済むまで喋らせてやって、落ち着いた頃に隣の席に座っていた旦那が移動して来たのね。
そう、夫婦でデートするからって言って、子供を実家に預けて一緒に来てくれてたのよ。
最初は『誰だよコイツ』みたいな顔をしてたアイツに、『私の旦那です』って紹介してやった時の反応ったら噴飯ものだったわ。
途端に挙動がおかしくなって、『ひっ』みたいな声を上げたと思ったら真っ青になって、目は泳ぐわ呂律は回らないわ。
旦那が『いつも妻がお世話になっております』
なんて挨拶しても、『あ、はい』とか『こ、こちらこそ』みたいな感じでね。
その後はずっと旦那のターン。
『奥様の誕生日との事ですので、是非私も祝わせて頂きたいと思いまして』
とか
『妻がいつもお世話になっている方の奥様ですから、私からもお礼をさせて頂ければと』
とか
『よろしければこの後御一緒にお宅に伺わせて頂けますか? まだ休日の昼間ですから、当然夜は奥様のお誕生日を祝われるのですよね? 心ばかりながら、私からもお祝いをさせて頂けませんか』
みたいな、要は『今までの所業を、奥さん交えてお話しましょう』ってのを繰り返したわけね。
アイツは『あ、いや』とか『いえ、その』みたいな事しか言えなくなってたわ。
しまいには、来ても居ないメールを確認するふりして、『急用が出来たのでこれで!』なんて言って逃げ出そうとしてたわね。
で、そんなアイツに旦那が小声でなんか言ってたんだけど、それを聞いたらまた真っ青になってしまってね。
旦那の『いつも妻がお世話になっているお礼に、ここの代金は私が持ちますので、奥様によろしくお伝え下さい』って言葉を尻目に逃げ出してったわ。
その後は予定通り旦那とデートね。
久しぶりに二人っきりで買い物をして食事をして、お酒も少しだけど飲んじゃった。
で、その後の事だけれど、うちの会社の人事の偉い人にアポをとった旦那が、仕事を休んでうちの会社まで来てくれてね。
私も同席して、今までのアイツのメールを全部提示して、
『異性に対して業務中にこのようなメールを大量に送り付けるのはセクハラではないのか? 上司という立場を利用している以上、パワハラにも該当する可能性もある。場合によっては専門家を挟む事も視野に入れていますが如何か』
なんて言ってくれちゃって。
それに、
『今後妻が不当に扱われる様な事が有れば、この件の報復とみなしてこちらもそれなりの対応を取らせて頂きますので』
って啖呵まで切っちゃってくれたのよね。
最近はコンプライアンスとか色々五月蠅いからね。人事の人も大慌てだったみたい。
その結果、アイツも含めて何人かが女性の居ない部署とかに異動になったんだけど、アイツ以外にも同じような事をしてるのが何人かいたらしくてね、上の方は結構な騒ぎだったみたいよ?
§
これが、さっき言った『あんな事』の話。
全社的に監査がまわったから、当時から居る人なら皆知ってるはずなんだけどね。
知らないでやってるのか、知ってもやってるのか、どっちにしろまともな人間じゃないわね。
え? 旦那がアイツに何を囁いたのかって?
私も後で聞いたんだけど『今予約してあるホテルのレストランは、奥様と御一緒される事をお勧めしますよ』ですって。
旦那から聞いたんだけど、段階踏むにも色々あって、二人きりの食事の前にグループで食事をしたりとか、最初は昼間に食事だけして、次は夜の食事、次はお酒有りって進めてくのもいるみたい。
で、アイツはどういうつもりかな~ってカマをかけたらしいわ。
なんで旦那がそんなに詳しいのか?
旦那の会社でも同じような事が以前あったらしいわ。
その時はもう不倫関係になっちゃってて、結果双方とも会社を辞めたらしいけど。
こんな話をするとさ、
『最初から毅然とした態度をとっていれば』
とか
『ちゃんと断わらなかったのが悪い』
人によっては、
『会社を辞めろ、転職しろ』
なんていう人もいるけど、正直的外れな話よね。
ああいった連中は、こっちの『毅然とした態度』も『お断り』も承知の上で声かけてくるんだもん。
それに、生活の事を考えればそうそう仕事を止める事なんて出来ないし、転職なんてそれこそ今日明日で出来るものでもないし。
そんな意見は、横から見てるだけの人間が言える綺麗事、理想論。現実を知らない人間の発言よ。
だから、私からのアドバイス。
人を頼りなさい。
向こうは当事者だけで済ませる気なんだから、当事者での解決なんて出来ないのよ。
なるべく早いところで第三者を介入させなさい。
上司でもいいしコンプライアンス部門の人間でも良い。
同僚や他の人が居る前で『止めて下さい』って言ってしまうのも良いし、いっそ旦那さんでも良いと思うわ。まともな夫婦だったら相談に乗ってくれるはずよ。
相談にものってくれない様な旦那だったら、夫婦自体を考え直す良い機会かもね。
それに、誰かに話す事は、自分に釘をさす事にもなるしね。
あ、でも話を聞くだけの人とか、無責任に煽るだけの恋愛脳な人達は避けた方が良いわね。そこがちょっと難しい所かな。
それと、『旦那と一緒なら』『旦那に相談します』は魔法の言葉らしいわよ。
参考までにね。
私は本当にギリギリのところだったけれど、貴女はまだ大丈夫。
運の良い事に、私にその話をしたのだから、私も一緒に話をしてあげる。
今までのメールはとってある?
そう、それならそれを全部印刷しちゃおうか。
あと業務携帯の方のメールもね。
とりあえず課長からかな、この前の騒動は知ってるし。
それで駄目ならそれも含めてコンプラの連中に話し持っていきましょ。
あ、そうだ。
少し早いけど大丈夫かな~。
あ、えっとね。この件が落ち着いたら私の仕事を貴女に引き継ぎたいの。
え? ああ、そんな報復人事みたいな事じゃ無くてね。
あ~、なんて言うか、さっき言った旦那とデートした日にね、色々と私の中で盛り上がっちゃって……。
旦那を襲っちゃいました。
それでね、その……、その時にね? まあそういう事ね。
二人目はまだ少し早いかな~って思ってたんだけど、折角来てくれたんだしって事で、もう暫くしたら産休頂きます。
え? 復職する気は満々よ。旦那と二馬力で子供二人分稼がないとね。
あら、昼休憩も終わりね。
じゃ、とりあえず貴女の問題から片付けましょうか。
人に『言えない』悩みとは(哲学)
どうも、以前ハピエン厨を自称したら懐疑的な目で見られました(ぴえん)
そんなハピエン厨が本気を出したお話です。
NTRも無い。
不倫も浮気も無い。
誰も不幸になってない。
そしてざまぁも盛り込んだ、完璧なハッピーエンドなお話じゃないですかね?(力説)
あ、誤字報告いつも助かっております(猛虎落地勢)