なんでだよ
「有難う御座いました。また宜しくお願いします」
深冬ちゃんは今日教えられた手話を交えながら口にする。俺もそれを見様見真似でやる。ふぅ。手話というのは難しい。しかも1番大事なのはその手話をしてる時の表情だという。同じ手話でも表情1つで意味合いが変わるらしい。
「それじゃあまた来週ね」
彼女はそう言うと車椅子を操って去っていく。俺は小さくなっていく彼女――藍原深冬を見つめた。彼女には今日笑われてばかりだった。
表情が大事だと言われたので試しに笑いながら手話をしようとした。だがそれを見た深冬ちゃんは笑い出した。
俺が笑われてる意味が分からずずっと見ていると
「ハハハ、ハハッ……だ、だって変な顔なんだもんっ」
どうやら深冬ちゃんの顔には俺の笑顔はぎこちなく……それどころか笑ってすらいないらしい。その後もその事について散々イジられた。
俺はエレベーターに乗り込む。自分の病室がある階の7の数字を押す。するとエレベーターがウオォーンと音を立てる。こういう時、ボタンを押す位置を健常者用と障害者用……車椅子の人が押せる位置に分けられてるのは有り難い。バリアフリー様々だ。
俺は今何階にいるか教えてくれる画面を眺めながら考える。
笑顔……。俺はいつから笑えなくなっていったのかな? 答えは出てる。あの時だ。小学6年生に上がる少し前から俺は笑わなくなった。笑う気力なんかもうその頃には消え失せていたし、誰も俺の事を信じてくれていなかったから笑う必要もない、そう感じていた。
――あれから俺はもう、笑ってないんだな……。
ピーンという電子音と共にエレベーターの扉が開く。俺は車椅子を漕ぎ出した。こんな事なんで急に考えだしたんだ俺? まさか俺自身笑いたいって思ってるって事か……それこそ笑えない。今更どうやって笑えばいいか、笑い方すら忘れてるっていうのに。
「あらあら。そんな今にも顔真っ赤にして泣き出しそうな顔してるから。この話はこれでおしまいね」
そんな声が前方から聞こえた。いつも声を掛けてくれる看護婦さんの声。俺は声のした方へ車椅子を動かす。すると俺の過ごしている病室の扉が開かれていた。
「そういえば、久川さんは学生さんでしょう?」
看護婦さんが誰か……多分、久川さんに尋ねている。扉の真正面に立っている訳じゃないから久川さんの姿は見えない。
「ずっと疑問だったんだけど……。毎日ここ通ってて大丈夫なの?」
そういえばそうだ。俺が入院してからずっと久川さんは毎日通い詰めている。自分の事ばかり考えていて気にしてなかったけど、本当なら彼女にも学生生活がある訳で。俺は車椅子を扉の真正面に動かす。
「はい。今年は留年すると決めたので」
「留年っ!?」
入ろうとした瞬間。その言葉を聞いて俺は驚く。
「はい。彼のいない高校生活に意味を感じません。それに復学したとして蓮本が、全く馴染めないクラスで孤立するよりは良いと思うんです」
そう言った彼女の顔は今まで見せてくれた明るい笑顔とは違って、見る者全ての心を落ち着かせてくれる穏やかな柔らかい笑み。
「久川さん。貴方の愛……見事だわっ」
看護婦さんがなにか言っているけど、なにを言っているのか分からない。それほどまでに久川さんの柔らかな笑顔に見惚れていた。彼女の視線がこちらに向けられる。
「……あ」
と小さく久川さんが呟く。その瞳は俺を見つけてキラキラと輝いている。
「おかえり。蓮本」
満面の笑みで彼女――久川奈津は言う。なんでだよ。俺はそう思いながら車椅子を動かす。そしてベッド脇まで来るとパイプを掴んでなんとか立ち上がろうとする。
「だめよ。蓮本さん」
看護婦さんの言葉と同時に身体が支えられる。
「まだ上手く姿勢も取れないんだから、無理はしない」
叱られた。でもいつまでも甘える訳にもいかない。俺がベッドに横たわるのを看護婦さんが確認したら
「じゃ、後は若いお二方でごゆっくり〜」
と茶々を入れながら出ていった。そのせいか、その場に残された俺達。主に俺が居心地悪く感じてしまう。
彼女に目を向けると、顔が林檎みたいに真っ赤に染まっている。
『はい。彼のいない高校生活に意味を感じません。それに復学したとして蓮本が、全く馴染めないクラスで孤立するよりは良いと思うんです』
さっきの言葉。久川さんは俺の為に留年するのだろうか。俺はもう間違いなく出席が足りなくて進級は出来ないのは間違いないけど。なんで他人である俺なんかの為に。そこまで出来るんだよ? 俺はそう思いながら彼女を見つめる。




