誰アンタ?
「おはよう、蓮本」
次の日の朝、俺は昨日あんなことがあったのだからもう久川が関わってくる事はないだろうと思って教室の扉を開けると、そこには柔らかな笑みを浮かべた久川が俺に挨拶の言葉を述べてきた。瞬間、周りの生徒達がざわめき出す。
俺は何も言わずに彼女の横を素通りする。全く、少しは自分の行動で発生する影響力がどれだけの物か理解してほしい。というか何だ……、まだ罰ゲームは続いているのか? そんな事を考えていると首と背中のあたりに柔らかな感触が生じた。
「おい、無視なんて酷いじゃん……泣いちゃうぞ」
そう言った久川の言葉は子供っぽく俺の耳に木霊する。まるで本当に拗ねているかのようだ。それにしても、さっきから首に回されてる腕と背中に押し付けられてる胸……、そろそろ離れてくんねえかな。いくら胸がまな板とはいえ、小さい分感触が一点に集中して色々と辛いんだけど。ていうか、好きでもない男によくここまで密着できるな。
「あ、あの……離れてもらえませんか?」
俺が困ったような声音で言うと
「ふふっ。ダ〜メッ」
とイジワルな声で答える久川。多分昨日見せてくれたような満面の笑顔で言ってるのだろう。……というか、昨日の今日でキャラ変わり過ぎじゃない誰アンタ?
「あの……失礼ですけど。どちら様ですか?」
俺は昨日。というか今までの久川奈津と同一人物だと思えなくて質問する。
「え……? 私は久川奈津だよ。そっか、まだこのクラスになって1か月も経ってないから覚えてなくてもしょうがないよね」
いやいやっ、知ってますよ。校内で人気NO1の方なんですからっ。知らないなんて事あり得るはずがない。逆に知らない奴がいるなら教えてほしいわっ。
「おい奈津……そんなクソ陰キャから離れろよ」
背後から、ドスの利いた声が聞こえてくる。
「あぁ……、何だ黎志か?」
久川は軽い調子でそう答えたけど、俺の心臓は警鐘を鳴らしていた。この学校で1番関わりたくない人間の声を聞いたからだ。首と背中に感じていた柔らかな感触が消えたかと思うと、俺は後ろを無理矢理振り向かされ気付けば胸ぐらを掴まれていた。
「……グッ」
唐突のことだったから俺は短く呻く。そして俺の胸ぐらを掴んでいる男に視線を向ける。そこには肩まで伸ばした髪を金に染めた男がいた。俺より背が高い。180cm以上はあるだろうか? 服の上からでも分かる筋骨隆々なのが分かる。
「……俺の女に手ぇ出すんじゃねえよ」
金髪の男――鬼原黎志は俺の目をじっと見て言う。その瞳は静かに燃えているように見えた。ちょっとでも間違った発言をすれば、この火は大きくなる事間違い無しだろう。
事実、彼が俺に絡んできてからそれまでざわめいていた教室がパタリと静まり返った。当然だ……、校内で最も危険な男に睨まれたいと思う人間なんて誰もいるはずないのだから。その反応は正解だと思う。
さて困った……。
こんな事も考えられるから久川には関わってほしくなかったんだけど。まぁこうなったら仕方ない。
「や、やめてよっ……、俺にはか、関係ないよっ!?」
俺は馬鹿みたいに喚き散らす。取り乱した臆病者と印象付けさせておけば、相手は自分が上だと勝手に思い上がり、事態を早めに収拾させてくれる。まぁ、何発かは殴られる可能性はあるけど。
「離せよ……黎志。蓮本は私がただからかってだけ。それと私はアンタの女じゃないから」
久川が俺の胸ぐらを掴んでいる鬼原の腕に力を入れれば簡単に折れそうな細腕を置き、鬼原に向け冷めた瞳を向ける。俺はその光景を見て息を呑む。何だ? 細身の女子だっていうのに、すげー圧力を感じる。これ以上は許さないってその瞳は語っていた。
「チッ……。わーったよ」
鬼原はそう言うと俺の胸ぐらを掴んでいた手を離すと、そそくさと教室から去っていく。狂犬と呼ばれてるアイツでも惚れた女には弱いってことか。まぁそんなの知ったところで、なんの価値もないんだけど。
「悪かったわね。蓮本」
鬼原に掴まれた部分に久川が掌をそっと這わせてくる。その手付きは凄く優しくて気持ち良くて落ち着く。犬も撫でられたらこんな気分なんだろうか? といけない、何流されそうになってんだよ。俺は久川の手を引き剥がして自身の席へと歩みだす。丁度タイミング良く始業のチャイムが鳴る。
席に着いて久川のいる方へ目を向ける。すると彼女は恨めしそうな顔でこちらを見ていた。いやそんな顔をされても困るんだが。俺は窓へと目を向ける。そこにはどんよりとした曇り空が辺り一面に広がっていた。俺の気持ちも今絶賛この空と同じだよ。と、心の中で1人愚痴る。




