友達になってくれたかもしれなかった人 2
「はぁはぁ……っ」
俺は瀧川に向けて歩道を全速力で移動する。すれ違う人達の訝しむ視線が俺に向けられる。当然だ。今の俺は学生服を着ているのだから。走りながら俺は、榊原優恵さんの事が頭の中で呼び起こされた。
それはある日の事だ。
『……なにこれっ』
朝、教室へ入ると信じられないといった感じで声が上がった。声のした方へ目を向けるとそこには榊原さんがいた。俺は遠目から、彼女の前に置かれている彼女の座席であろう机へと目を向ける。
そこには彫刻刀で掘ったのだろう。木の表面が削れていた。そこには『死ねよっブスッ』と大きな文字が掘られていた。それを見て、周りの男子それに女子も笑う。彼等の高笑いが耳に聞こえた瞬間、不快な気持ちになる。
『なぁ榊原』
彼女の名を呼ぶのは以前俺に掃除を1人でやれと命令してきたガキ大将。彼は榊原をまるでゴミを見るような目で見る。
『最近お前調子乗ってんな。嫌われ者である蓮本とつるむとか……マジ無いわぁ』
彼がそう言うと周りの生徒がまたゲラゲラと笑う。
『わ、私が誰と一緒にいようと私の勝手でしょっ』
その1言がいけなかった。この言葉を告げた翌日から、クラスの榊原さんに対する苛めが本格的に始まった。彼女の内履きや物を隠すのは当たり前。
昼ご飯の時先生が所用で席を外した時があった。その瞬間榊原さんの対面に座っていた生徒が彼女の牛乳を取り上げる。そして掃除用具入れから雑巾を持ち出すと、1度廊下へと出ていく。戻ってきた彼の手にはビチャビャに濡れた雑巾。絞られていないのか雑巾から水滴が滴っている。
『お前。この牛乳じゃねえと飲めねえんだろ?』
そう言ってその生徒は彼女の牛乳の蓋を開けると濡れた雑巾をその開けられた牛乳へ向けて絞る。絞られた水滴が牛乳の中へといくつか入っていく。
『――っ』
榊原さんの息を呑む音が聞こえた。またそれを見て、その場にいる生徒がゲラゲラと笑う。そしてその牛乳を彼女の前に差し出し
『ほら飲めよ』
と言う。その瞬間周りから手拍子と共に『のーめっ。のーめっ』という謎のコールをその場の全員が始める。榊原さんは信じられないという面持ちで周りを見る。
『飲まねえんなら、テメエの顔ボコボコにすんぞ』
ガキ大将みたいな男が脅しを掛ける。榊原さんはその言葉にビクッと肩を震わせた後、おずおずと牛乳を手に取り
『オオオォォォ〜〜〜ッッッ』
その牛乳を飲む。それを見て皆が歓喜の声を上げた後『アイツきたねえ〜』『マジありえない』と各々好き勝手に彼女を貶す言葉を言っていた。その後、廊下に出て彼女が目に沢山の涙を浮かべて泣き叫んでいたのを、俺は今でも覚えている。
俺はその事を教師に告げた。彼女に対して行われている苛めをなんとかしてほしいと。だが
『何を言ってるんだ? ウチのクラスで苛めを働くのはお前以外いない。嘘を吐くんじゃないっ』
と言って話を聞き入れてもらえなかった。俺が何をしたっていうんだろう? 俺はただ本当の事を言っただけなのに。
そしてある事件が起きた。あれが彼女の運命を決定付けるものだったと思う。
ある日の放課後、俺は図書室で本を借りて廊下へと出る。すると
『……グスッ。うっ、エエェェンッ』
と廊下に泣き声が響く。俺は声のする方へ歩いていくと
『あ~。気持ち良かった』
と言うのはなにかと榊原さんに突っ掛かっていたガキ大将みたいな男。彼はそう言いながらズボンのチャックを上げる。
『――っ』
俺は泣き叫んでいる女の子を見て息を呑む。榊原さんだ。榊原さんが上半身裸の上で、下はスカートとソックスだけ。下着は近くに投げ捨てられるように置かれていた。
『榊原……お前いい身体してんな。また可愛がってやんよ』
『い、いやっ。触らないでっ』
触れようとする彼に榊原さんは自身の上半身を両腕で抱き締め拒絶する。俺はそんな光景を見て無性に腹が立った。教師が俺の言葉を聞き入れてくれていたら。こんな自体にもならなかったのにっ。気付いたら俺は榊原さんと男のいる場所へ駆け出していた。そして
『――ぐっ』
俺は男を殴りつけていた。男は殴られた衝撃で地面に倒れ込む。この時が、俺が初めて人を殴った時だ。その感触は今でも覚えている。相手も痛いだろうけど殴ってる本人も痛かった。殴った時に手の甲にある骨が軋んだ。ゴリッという音が鳴った。でもそれ以上に心が痛かった。
『……はす、もと……くん』
とぎれとぎれに言う榊原さんの声は弱々しく、俺を見つめる瞳も空虚だった。俺は上着を脱いで彼女の上半身にかける。
『ちっ。テメエ巫山戯てんじゃねえぞっ』
男はそう叫ぶと僕の胸ぐらを掴む。俺はそんな事気にも留めずに
『――ぶっ』
男を殴り付ける。何度も何度も何度も何度も――。
『や、やめっ』
男が静止の声を上げようとするが、俺はそんな事に構わず拳を振っていた。この時の俺は感情に任せて怒っていた。だから喧嘩をした事のない俺は加減も分からずに、ただ目の前の敵の顔に必死に拳をぶつけていた。血飛沫が舞い俺の拳、そしてワイシャツに飛び散る。
『何をやっている……止めろっ』
廊下に怒号の声が響く。殴る行為を止め声のした方へ目を向ける。そこには20代くらいの教師がいた。紺のスラックスに白のワイシャツに身を包んだ男は俺を見ると
『蓮本、またお前かっ。噂で弱い者いじめをする奴だと聞いてたけど、どうやら本当だったみたいだな』
『そ、そうだっ。俺がヤメてって言ってんのにっ』
『とにかく事情を聞く。職員室へ来い』
この後俺は1か月の自宅謹慎を申し渡された。あまりの理不尽さに笑えてくる。
『俺の話は聞かないくせに。悪者の言う事は聞くのかよ……』
分かっていたさ。そういう扱いなんだって。だけど、1人の人間の危険を知らせてるのに。それすら聞き入れてもらえないなんて……。どうかしてる。
俺はそんなやるせない気持ちを抱いたまま、1か月が過ぎ再び登校する。朝のHRで担任の教師が俺の座る席まで来ると
『――この恥晒しがっ』
と言って俺を殴る。俺は殴られた衝撃により後方に飛ばされる。椅子が腰に勢いよく当たった後、床にぶつかる。痛い。
『な、なんだよいきなりっ』
『お前が彼女榊原優恵を犯したせいで……。彼女は自殺した。俺はお前を生徒に持ったことが許せんっ』
瞬間、周りの景色が歪んで見えた。え? 榊原さんが……死んだ。しかも俺が彼女を犯したって? 俺はゆっくりと首を回す。すると彼女を犯した張本人がこちらを見てほくそ笑んでいた。
ああそうか? また俺のせいなのかよ? なんでこんな最低の野郎の言う事は聞いて俺だけ聞いてくれねえんだよっ。
俺は彼女が座っていた座席へと目を向ける。そこには、花瓶に活けられた白い花――カスミ草があった。
『カスミ草。花言葉は幸福と感謝……。私の大好きな花よっ』
俺はその花を眺めながら心の中で何度も榊原さんに謝り続けた。
――助けてあげられなくて、ごめんって。
「はぁはぁ……っ。あれか」
俺は過去をそこまで思い返していたら、目の前に瀧川が見えてきた。俺はラストスパートだとさっきよりスピードを上げる。
榊原さん。あの時は助けられなかったけど、今度は。久川さんは絶対に助けてみせるっ。




