30.……
「姉ぇ……!」
私は叫んでいた。
突然の大声に衆目の眼を集めてしまうが構うモノか。
目的であった二人にもこちらへ目線を向けさせられたのだから。
「どういうこと?
姉ぇ、彼氏いたよね?」
っと、ズカズカと前に出る。
そして躊躇いを覚える、姉ぇの前に。
――パシンっ!
乾いた音が地下に響いた。
張られた左頬に手を当てながら、眼を見開いて私を観てくる姉ぇ。
何が起きたのか理解していない、そういいたげである。
「さいてー!」
そう言い放った私は姉ぇの胸倉をつかみ、今度は逆の頬を張ろうと手で拳を握る。
だが、その手は姉ぇを叩けなかった。
「……なんで!」
私の手を抑えた誠一さんに声を向ける。
やりきれない気持ち、何をどう向ければ判らない声色で誠一さんに叫びをあげる。
「誠一さん、この姉ぇは彼氏がいるんです!
貴方とは別で、二股をしているんです!
士道さんという方で、マジメそうなメガネの方です!」
「……それは君の為にならない」
「庇わないでください、この女は最低な事をしたんです!
彼氏が居るにもかかわらず、人の恋路を奪おうとしている!
そしてあなたに対しても裏切りの行為をしている!」
嗚咽で言葉が続かなくなる。
グチャグチャになった感情が私を突き動かす。
「高校の試験の時もそうだ!
私が志望したのを観て、自分もと、そして奪った!
いつもいつもいつも!」
「そうじゃない」
ポツリと呟いた彼の表情、それはとても申し訳なさそうな顔をしていた。
悲しそうな、それでいて苦しそうな顔をしていた。
「……これは俺が謝るべきだ。
初音、いいな」
「……っ」
強い口調の誠一さんの言葉に姉が唇を噛む。
「士道・誠一、これが俺のフルネームだ」
そして彼の背が不意に小さくなった。
「申し訳ない」
「へ……?」
縮みこんだ彼の姿は見事な土下座だった。
経験したことのない場面に遭遇し、唖然にとられてしまう。
士道……しどう……しどー君……?
「つまり、姉ぇの彼氏さん……?」
理解できない。
いや、したくない。
だが、彼がカバンから取り出した眼鏡は見たことが有る物で、
「そうだ」
「あ、あ……」
あるべき所に添えられ、土下座したまま見上げてくると見た顔がそこにあった。
点と点が繋がってしまう。
姉ぇが彼のサイズを知っていたこと、そして誠一さんの彼女公認であったこと。
「つまり……姉ぇの彼氏に横恋慕しようとしたのは私……?」
目の前が真っ暗になる感覚。
「最低なのは私だった……?」
姉ぇを観る。
その顔は私が見たことのない顔だった。
いつも、自信満々のキラキラで、前向き行動的。
黒い性格が出ることもあるけど、こんな……こんな……、
「……別にいいわよ。
横恋慕ぐらい……」
そう、悲し気に、呟くような弱弱しい姿は初めてだった。
姉ぇを叩いた手を観る。
赤くなっており、痺れが残っている。
まるでそれは心を痺れさせるように、頭を混乱させる。
「言い訳はしないわよ……。
まだあんたが殴りたいなら殴ればいいわ。
知っていて、黙っていたのは確かだし」
「初音、それは……!」
「いいの、私の我儘だもの、付き合わせてごめんね。
しどー君」
っと、私を観る、私に似た姉の顔。
「しどー君、妹にとっては誠一君か、彼には罪が無いの。
それだけは判って」
姉の顔は真剣だった。
「……誠一さん、姉ぇは何でこんなことをしたの?」
その姉ぇには聞かない。
気持ちだけが先行してしまいそうだからだ。
受験の合格発表の日から、何か月も冷静になれなかった私だ。
「これは言い訳だ。
君の初恋を壊したくないからと、初音と共謀して正体を明かさなかった。
軽挙に出ないように順々に手順を追って、良い思い出にするつもりだったからだ。
騙していた、いや、黙っていたのは確かだ」
「……ぇっと」
「初音は君が自暴自棄になることをもっとも危惧していたんだ。
自身が成ったようにな」
感情のやり場が無くなる。
というか、感情がぐちゃぐちゃで、怒っていいのか、悲しいのか、良く判らないのだ。
「姉ぇ……、一つ聞きたい」
「どうぞ」
「私をからかうつもりはなかった?」
「無いわよ」
そして、呼吸を整えて呟くように言ってくる。
「学校の件だって、妹と同じ学校行きたかっただけだし……」
「はぁ……」
どうしてくれようか悩む。
怒りは完全に収まったし、発作も完全に収まった。
私が悪いことも理解している。
悪意のないことは判っていたはずなのに、はぁ……。
「とりあえず、移動しようか、人が見てるし」
そう言い、人だかりをかき分けるように私は、誠一さんと姉ぇの手を引っ張った。





