42話
風が森の木々を優しく揺らしている。
爽やかに晴れた空は高く澄んでいるが、シバラの魔法に覆われているはずだ。それは少なくとも、俺の目では全くわからない。
俺は母屋の屋根にいた。屋根を葺いてある茅のにおい、庭で栽培している香草の青い芳香に、森の木々の香り。横たわった視界にはゆったりと流れていく雲だけ。本来なら心安らぐ風景のはずだが、俺の心中は例えるなら曇天といったところだ。
トールとは、隠蔽の魔法の練習を終えた昨日の午後以来、顔を合わせていない。恥ずかしい話だが、俺はトールから逃げていた。
なぜそんなことをしているのかといえば……
「ジャス!ジャーース!」
頭の上から、トールの声がした。
「ぜんっぜんいねーんだもん。探したよ」
見上げれば、屋根の中ほどにある窓から顔を出しているのが見えた。
「誰も来ない場所はないか、って力鎧に言って案内してもらったんだがな……」
「ジャスどこにいるの、って力鎧に聞いたら連れてきてくれたけど?」
「……」
聞くなよ。
「んーとさ、一応はじめに確認したいんだけど」
うわっ結構高い、なんて言いながらトールも窓から屋根に出てきて、隣に並んだ。
「昨日も聞いたけど、オレなんかした?」
「いいや。おまえは何も悪くねえよ」
それだけは間違いないのではっきりと言う。
「だよね、よかった。じゃあ遠慮なく聞くけど、様子がおかしいのはなんで?」
「ぐいぐい来るねえ、おまえ……」
「そういうつもりでもないけど、オレさあ」
恐る恐る方向転換をしたトールは俺と同じように寝転がり空を見上げる。
「ニルレイの街で、ここ来る前の話しただろ。あの頃さ、自分の頭の中で、悪いことばっかグルグルグルグル考えてて……結局ドツボにハマって、自分だけじゃそっから抜け出せない感じだったんだよね」
トールがこちらに飛ばされてくる直前に、他人との信頼関係も仕事場での立場も、一切合切失われる出来事があったという話は、もちろんよく覚えている。
「で、そのあとジャスと旅するようになって、色んなことあって。いつの間にか、あ、オレもう平気だ、って思えるようになった。この辺の話も、したと思うけど」
「ああ」
「気持ちが楽になって気付いたことがあってさ。あの他の奴が何考えてるか聞きもしないで悩んでたの、今思えば、すごい良くなかったんだ。状況が悪くなるのが怖くて、我慢してるつもりだったけど、良くするための行動は何もしてなかった」
だからさー、とそこで少し口ごもったので隣を見ると、頭の下で腕を組んだトールが俺の方へ顔を向けたところだった。
「困ったことがあったときに、『何もしない』って態度とるのはやめようと思って。……ってことで、もっかい聞くね。様子がおかしいの、なんで?」
そんな風にひとつひとつ丁寧に説明されては、だんまりを貫くのはさすがに大人気ない。
「あー……アレだな、おまえがこないだ、身の上話するの寒いって言ってた気持ち、今わかった」
「なるほど?聞かせてもらおうじゃん」
やや拗ねたような口調でそう言うトールはごく真面目な顔をしていた。
まあ、俺だけこいつの昔話を聞いて自分は黙っているのは公平ではないかもしれない。
どこから話したものかな。
「おまえさ、確か、アレドから俺が『凶運』って呼ばれてる由来聞いたって言ってたよな」
「うん、ざっくりね。でも実際どんな出来事があってそう呼ばれるようになったかまでは知らねーよ?」
アレドレキがニルレイ周辺で俺に関する噂を聞いたのなら、そんなところだろう。
「細かい話すりゃ、色々あるんだけどよ……まあ他人と組むと大概ロクなことにならないか、組むところまで到達すらしないかのどっちかになるって話だ。なんの因果でそんな羽目になるのかは俺にもわからないから、今日のところは聞かないでくれ」
ここまでが話の前提だ。
「そんなでも貧乏我慢すりゃなんとか食える程度には仕事をやれてるのは、少なくとも、取り返しのつかない形での依頼失敗はしてこなかったからだ」
自分を過信せず、引き際を弁えることを忘れなければ、意外となんとかなるものだ。手に負えない事態だと判断した段階で、情報収集だけに留めて他の冒険者や組織に委ねる。そういう意味で、血袋鼠の件は近年まれに見る痛恨事だった。
「依頼に取り掛かっている間に限定すれば、人死にを出したこともない……」
「限定すれば?」
トールはこんな風に、話の要点を聞き逃さず的確に拾い上げる。これも俺の気付いたこいつの長所だ。
「俺に臨時じゃない、決まった相棒ができるのは、実はおまえで三人目なんだ。初めて組んだおっさんが、俺を故郷の村から連れ出した。組んでたのは二年くらいだが、妙な二つ名がつくような状況にはならなかった。そのおっさんが引退したあとの話は、前に少し聞かせただろ。時期としては、さらに四年ばかり後のことだ……」
俺は美人局に引っかかったり、結局どこの一団にも入れず本気で飢えそうになったり、右往左往しながらも、一人で依頼をこなすことを覚えた。
そいつに出会ったのは、一人ゆえの身入りの少なさと出費の釣り合いがギリギリ取れだした頃だ。
その頃には、誰と組んでも妙な事態になるし、仕事が他の冒険者のようにすんなりいかないのも当たり前になりつつあった。
「あんたがジャスレイ?」
当時拠点にしていた街の酒場で、臨時の協力者を待っていた俺に声をかけたのは、だいたい同じくらいの歳の頃と思われる魔法使いの男だった。
「ああ。風切鴉退治の依頼か?」
「そうだ、仲介屋からの紹介で来た。イアストレだ」
濃い肌に、はしこそうな体格の中背の男はそう名乗って、人懐こく笑った。
その依頼は、風切鴉という情報で向かったのに、実際にはそれより何倍もやっかいな怪物相手で、準備が足りてなかった俺たちは出直しを余儀なくされた。
結局、薬草だの煙幕だのと経費がかさみ、無事に依頼を達成したものの、収支としては完全に赤字になった。
「いやー、あんたのあだ名の意味、身をもって味わう羽目になるとはなあ」
報酬を折半して街に戻る道すがら、イアストレはそう言って笑った。
「あだ名って何のことだよ」
「ン、知らないのか?組んだ者に不運をもたらす『凶運』のジャスレイ。街の冒険者の間ではちょっとした噂だぜ?」
「は、はあ?!なんだよそれ、そんなことになってるのか!」
どおりで、協力者がなかなか見つからないと思っていたんだ。
「おっと。ほんとに知らなかったんだなあ……いやおれも、そんなのくだらねえって思ってたよ、今日までは。だがまァ、あんたのそれは本当に何かあるのかもな」
それから、他の冒険者からすでに敬遠されつつあった俺は、しばしばイアストレと組んで仕事をすることになった。
もちろん、何かしらの厄介ごとは依頼のたびに発生して、死ぬかと思う目に遭うことも、大赤字に終わることもやはりあった。
「今回こそほんとに死んだと思ったけど、なんとかなったし、とりあえず報酬まともに出て良かったよなあ?」
その日は、裕福な地主からの依頼で、大変な思いをしながらも、一息つける程度の報酬が貰えた。俺とイアストレは酒場に寄り、無事に仕事が終わったことを祝って乾杯した。
「本当にな……おまえを誘って良かったよ、一人なら多分死んでた」
「まァ結果生きてるんだからそれが全てさ。あんたの剣とおれの魔法、両方あっての勝利ってやつだな」
麦酒の杯を再び打ち合わせ、無事と努力を称え合う。ここで幸運を祝わないのは、俺だからだ。
「だが……俺はいいが、イアス、おまえはまともな一団に入ったり、妙なケチのついてない冒険者と組めるんじゃないのか?」
同じ街を拠点にし、お互い予定があいていれば組んで依頼を受ける関係は、二年ほどになろうとしていた。
俺から見る限り、イアストレは一人で活動しなければならない理由はなさそうだったし、事実、度々他の冒険者から勧誘を受けている。
「一団か?実のところ、前に所属していたところでちと面倒な事態になってな……結局一人が気楽になっちまったのさ」
「面倒な事態?」
聞き返した俺を、イアストレは指で招いた。顔を寄せると、小声で告げられる。
「オンナがらみ、ってやつ」
呆れつつ事情を聞くと、一団のある女性と良い仲になったイアストレを中心に、密かにその女性に好意を寄せていた団長と、さらにイアストレを好いていた別の女性が加わって、ひどい泥沼になったのだそうだ。
結局イアストレはそこから抜け、女性とも別れて、今拠点にしている街に移ってきたというわけだ。
「ははあ、おもてになるこって……」
「だからまァ、人数の多いとこは正直な。それでジャスよ、前から考えてたことなんだがな。そろそろ本格的に、おれと組まないか?」
「おまえと?」
それは、幾度か自分でも考えて、結局口には出さずにきたことだった。
「おれたち、結構上手くやってきたろ?ひどい目に遭うことも多いが、切り抜けてきた。おれもあんたも、確かに一人でもやってはいけるが、二人の方がやれることは多い。あんたの『凶運』なんてのは忘れっちまえ。な、どうだ」
前のめりに畳みかけられたが、即答できない程度には、自分の状態が妙だという自覚はある。
「なァ……依頼がどうのとかはこの際置いといたっていい。おれは、ただ単純に、あんたと行動するのが楽しいから、ずっと組めたらいいと思ってるんだ」
トールがそこで、ハッと息を飲んだ。
本当に察しのいいやつ。
「そんな風に言われて、嬉しくないわけがねえ。俺は、イアスと組むことにした」




