18話
日暮れの森の中、打ち捨てられた廃村の広場に、身も凍るような冷気が漂いはじめた。
同時に、白い霧のようなものが辺りを覆い、生臭い獣臭が鼻をつく。
渦を巻いて霧が寄り集まり、広場の中心に人族のような形をした何かが姿を現した。
幽鬼だ。
幽鬼はどういう相手か知っていれば、退治そのものは難しくはない。知らないと苦労すると言い換えてもいい。
まず、現れるのは夕方以降だ。
日没の少し前に姿を現し、夜が更けるとともに力を増し、それは深夜に頂点を迎える。そしてまた夜明けに向かって力を失い、朝には消える。それを日毎に繰り返すわけだ。
当然、日暮れか朝方に討伐に向かうのが定石とされている。
白い霧の人影には、こちらから触れることはできない。刃も魔法も、全て素通りする。しかし奴が伸ばしてくる指先に触れられると、人族は奇妙な思いに囚われる。
ついていかなくては、という。
そこで抵抗しきれなかったり、何も助けがなければ、朝には人族の冷たい亡骸だけがその場に残るのだ。
だが--
「出やがったね!手筈の通りに行くよ!」
生臭い空気が、頭の芯が痺れるような魔法の匂いに取って代わられる。
「燃え尽きな!」
気合い発声、森が燃え上がったかと思うような炎が、幽鬼の漂うあたりの地面を、舐めるように這っていく。
下生えが炙られるのと同じくして、白い霧の塊は身悶えするように揺らめいて消えた。
「や、やったの?!」
「これからよ、坊や。地面のほうをよく見ていて」
木陰から躍り出た斧戦士が戦斧を振りかぶり、まだ草が燃えている中心あたりに叩きつけた。
聞くに耐えない甲高い絶叫が響きわたり、土が盛り上がったと思うと、地面から大きなものがばたつきながら飛び出す。
四つ足の、赤黒く焼け焦げたような、人族態度の大きさの何か。
「そいつが本体だ。思いっきりやっちまえ!」
俺が叫ぶと、鎚鉾を構えて硬直していたトールが、声もなくそれを振り上げ、走り出した。
「き、気持ち悪りぃ〜……」
ぐちゃっていったあ、と呻いて、トールが地面に突っ伏している。
トールは一応、振った鎚鉾で自分の頭をかち割ることも、仕留めそこなって死ぬこともなく、幽鬼の本体を叩き潰した。さすがに一撃とはいかず、何度か殴る感じで。
「あらあら……本当に駆け出しなのね」
「そんなことでやってけんの、あんた?」
姉妹が周辺の確認を終えて戻ってきた。
「あの一体だけみたいだね。駆け出し連れて複数相手にならなくて良かったよ」
俺たちと広場で声をかけてきた二人組は、結局、幽鬼退治にやってきたのだ。
五人なら選択肢も広がるんじゃない?と言ったのは姉の魔法使いの方だったのだが、まずトールに武器を使った経験がないことを説明しないわけにはいかなかった。
幽鬼一体ならば、本来俺一人でもどうにか倒せる。まあ一人だと取り込まれないための気付の薬だのを用意する必要があって、経費がかさむのだが。
経験積むのに付き合わせるのは悪いから他の冒険者を当たってくれ、と断りを入れる俺に、姉妹は最初の怪物退治こそ人手は多い方がいいだろうと言って、同行を申し出た。
しかし何を受けるにせよ、駆け出しを連れていけるような依頼の報酬が五等分では、さすがに姉妹の方は手間に対してうまみがなさすぎる。
するとヴァンネーネンが「あ、私、今回抜けておきますね。皆さんで行ってきてください」と言い出したのだ。
「ネネちゃんが幽鬼イヤだつってた気持ち、オレわかったわ……」
町への帰り道、トールが手のひらを閉じたり開いたりしながら言う。トールのそれはヴァンネーネンが幽鬼を嫌ったのとはちょっと違う気もするが、黙っておく。
「なっさけない!てかそんなんで、どうして鎚鉾なんか持ってるのさ?」
「それは、勧めてくれた人がいて……」
「じゃあ慣れるしかないわね。潰さなきゃ自分が死んでしまうもの」
姉妹とトールの会話を聞きながら、冒険者になったとき俺はどうだったかな、と思い出そうとしていた。
はじめての怪物退治は、やっぱり無我夢中で、何がなんだかわからないうちに終わったような記憶がある。
昼に依頼を受けた町を出て幽鬼を倒し、翌日の午後遅くには戻ってこれた。
廃村の再開拓を目論んでいる農夫の一族からの報酬を半分にし、姉妹に手渡す。
「なんだか、きみらの方が負担が大きかったのに、等分では悪い気もするな」
「いいってことよ。初めての怪物退治成功にご祝儀さ。ところで、あの女の子はどこかで待たせてるのかい?」
「ここにいます」
ヴァンネーネンが姉の方の背後に現れた。
「うわっ。気配消して近づくなよな。いい子で待ってたかい、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんじゃありません。おかえりなさい、皆さん」
ヴァンネーネンは前日別れた時もあっさりしたものだったが、けろりとした顔でそこに立っている。
「さて、めでたく初めての依頼も無事終わったわけだけど、あんたたちまだこの町で稼ぐつもりかい?」
「その予定だ。少々ふところが寒いんでな」
「それなら、私たちともう少し組みませんか?今回、結構うまく行きましたよね」
姉妹がそれぞれ、左右から俺を挟んで尋ねる。なんだこの絵面。
「もてもてだ。」
ヴァンネーネンの視線が痛い。
いやでもこれ多分もててるのとは違うんじゃねえかな……
「そんなことだろうと思って、待ってる間に依頼を見繕っておきました。行ってみる?」
指先に挟んだ依頼書を振りながら、ヴァンネーネンは意味ありげな笑顔を浮かべた。
「もてもてだー。」
俺の少し前を行くトールが、昨日のヴァンネーネンそっくりの口調で言う。
「おまえまでそんな反応すんの?」
「あのおねーちゃんたち、なんかすっかりジャスのこと気に入ってるじゃん」
「あのな、おまえはアレだよ、なんで俺が『凶運』なんて呼ばれてるのか、まだわかってねえんだ」
なんだよー、とトールは膨れっ面だ。
俺とトールにヴァンネーネン、そしてギンニール姉妹(やっと覚えた)は、前日の廃村とはまた別の方向の、とある村から程近い洞穴に向かっている。
最前を行くのがヴァンネーネン、続いて斧戦士のマイア、魔法使いのオリガ、トール、俺という隊列で、森の中の小道を進む。
これは、十日ほど前に洞穴に怪物が住み着くまで、村人が薪拾いやら山菜キノコ採りに狩りだのなんだので、日々生活のために使っていた道だ。
しかしすでに道は草や枝で浸食され始めていて、ヴァンネーネンやマイアは枝を避け、足元を時折踏み固めるようにしながら歩いている。
こういう道は、誰も通らなくなると埋もれて塞がってしまう。そうなると人々は生活の糧を得るために、再度道を切り拓かねばならない。
それにかかる時間で飢える者も出るかもしれない。そうなる前に洞穴を確認し、住み着いた怪物を排除して欲しい、というのが依頼の主旨だ。
皆で少ない蓄えから持ち寄ったという報酬が、彼らの切実さを表している。
俺は田舎の村で育ったので、もう本当、そういう村人の微妙な均衡でギリギリ飢えないで済んでるみたいな感覚、よくわかるのだ。
だから、今のこの、女性に囲まれて脂下がってるみたいな言われようには異議を唱えたい。
とりあえず、脂下がってはいない。囲まれてるのは遺憾ながら事実だが。
ヴァンネーネンの見つけてきた依頼に、ギンニール姉妹は即決で乗ってきた。
報酬は決して高額ではない。しかも対象の怪物は、前に受けた冒険者が調査を途中で断念して撤退したため不明とあった。
急ぎの案件ではある、が、儲けは薄く危険度も高そうで、どちらかというと奉仕精神で引き受ける類の依頼だ。
調査中断となった冒険者は、それこそ駆け出しに毛が生えたような人たちだそうです、とヴァンネーネンは言う。
とりあえず、敵が何なのか調査し、ダメそうなら撤退、情報だけ持ち帰る。そこは基本変わりない。
俺としては、報酬はほとんどなしの手間損になるかもしれないが本当にいいのか?と姉妹にしつこく確認するしかなかった。
もともと村人の生活圏だということもあって、洞穴はすぐに見つかった。
「変な臭いは今回はしてないね……」
前回の洞穴が血袋鼠だったのを思い出したのか、トールは警戒気味である。
「あら、そういう怪物を見たことあるの?」
興味をひかれたようにマイアが尋ねる。
「あーうん。なんか真っ赤なベタベタした手下みたいなのがいっぱい出てくるやつ」
「それって血袋鼠?ずいぶん物騒なのと遭遇してんだね」
「色々計算違いがあった結果だ。こいつがいなかったら死んでたよ」
あれは今思い出しても本当に危なかったし、痛恨の失敗だった。
外から得られる情報もなさそうなので、洞穴に踏み込むことにした。
オリガが普通の明かりの魔法を使えたので、それを角灯に灯して進む。
「あ。これは何がいるかわかったかもです」
入ってそう経たないうちに、ヴァンネーネンが洞穴の壁面を調べて言った。
「見て。ここ、穴が空いてる」
指された場所を皆で覗き込むと、落ちてきた土でわかりにくいものの、人族が腹這いになれば入れる程度の大きさの横穴がある。
「あっちから出てきて……多分ここに入ったんじゃないかな」
反対側にも、同じような穴があるのを教えられて、俺にも大体想像がついてきた。
「知ってるやつ?」
トールが俺の横で穴に頭を突っ込んでいる。
おまえっていう奴は。ミラロー監獄でどんな目に遭ったのか忘れちまったのか?
「これは多分、穴大蛇だな」
「穴……あ。あー、そいつ、凄い音たてる?」
「岩喰鮎もだが、地面を掘ってくるやつは大抵そうだよ」
「えーとね、多分、そいつ戻ってくると思う。音がこっちに近づいてくる」
頭を穴から出したトールが後ずさる。
「は?!」
「ちょっ……もう出んの?!」
姉妹が慌て出すのを尻目に、俺にも音が聞こえてきた。あー、うん、もう出るな。




