11話
その後の行程も何事もなく進み、情報どおり二日歩いた頃に、その場所が見えて来た。
「あー見える見える、なんか建ってる。え、てかあれ?あれがそうなの?」
街を出て以来、代わり映えのしない赤茶けた渓谷をひたすら歩いてきた。大昔は川底だったと思われる景色が続いていたのだが、昨日の日暮れ頃から、左右の断崖の幅が広がり、下り坂になった。そして今、勾配を下りた先は開けた地形になっていて、見渡す限り岩だらけの荒野が眼前に広がっている。
比較するものがなくて大きさがつかみにくいが、視界の中央あたりのかなり先、明らかに整地された敷地と、青く輝く水場にそれを囲む木立、そしてその奥に建つ平屋の建造物だ。
「なんか……エルフの建物っていうから、もっとこう、超どでかくて、きらきらの、城!みたいなのかと思ってた。地味っていうか、そんな大きな建物じゃないぽい?」
「そうだな……エルフの建造物には、今おまえが言ったみたいな、豪勢なのもあるんだが。まあ近づいてみればわかるだろ」
辿り着いてみると、地味さの意味はすぐ理解できた。木立と、荒れてはいるが往時の面影を残しているであろう小さな庭園を通り目の前に立ってみると、大きさとしては、街なかの商店くらいの規模しかない。だが、扉のない開口部から見えるのは、下りの階段だったのだ。
地表に見えている平屋の部分はこの遺構の入り口部分に過ぎず、本体は地下にあるらしい。
「うわー……ミラロー遺構って、そうかそういう」
「どしたよ?」
庭園に建っている石碑を珍しげに眺めていたトールがこちらにやってくる。
「ここまで来といてなんだが、ものすごく入りたくなくなったよ俺は」
人族の使う文字は、エルフの文字をやや簡略化したものだ。なので、読み書きのできる人族なら、慣れればエルフの文字も読める。
エルフの建造物にしては無愛想な四角い開口部の上部には、こう刻まれていた。
ミラロー監獄。
もういっそ扉が開かなければいいのにと思ったのだが、階段を下った先にあった石の扉はあっさりと開いた。
放棄された施設とはいえ、地下の建物に入る扉が無施錠ということは、色々な状況が想定される。
例えば、人族の盗掘者か何かが既に解錠している場合。これは、曲がりなりにもエルフの施設だったことを思えば、考えにくい。通常、エルフは施錠といえば魔法か、魔法のかかった鍵を使うので、人族が開けられるものではない。
あるいは、初めから無施錠の可能性。これも、たとえ中ががらんどうでも、人族が自由に入り込むのをエルフが良しとするとは思えないので、違うだろう。
次に考えられるのは、中にはミゴーがいて、施錠も忘れて研究だか調査だかに没頭している。これが一番平和で望ましい。切実にこうであって欲しい。俺たちはあのおっかないヴーレとかいうエルフから報酬をもらって万々歳。
「で、ジャスは最後の可能性、これはやっぱり罠で、誘い込まれたオレたちをおぞましい災いが待ってる、と思ってるわけね」
「そうだよ、もうそれしかないだろこの状況」
「悲観的だなー」
俺たちは、というか俺は、開いた扉を前にして、ぐずぐずと立ち止まっている。
「もう来ちゃったんだし、行くしかないじゃん。そのミゴーってエルフがここにいなきゃ、また他のとこ探さないとならないんだろ?ならさっさと済ませようぜ」
くう、正論。
「やっぱあのとき、流されて引き受けたのが良くなかったよな……今回の依頼を生きて乗り越えたら、俺はもっと意志を強く持つ」
「フラグたてんなよ……」
トールが使う言い回しや単語にちょいちょい謎のものがまじるのはいつものことなので、気を取り直して通路を観察した。
エンドレキサの話だと、放棄されて魔法も通っていないらしいので、中が暗いのは予想通り。扉の先は少し真っ直ぐな通路が続き、また下りの階段があるように見える。
見える範囲の通路は、付近の岩山から切り出したような赤茶色の石造りだ。しかし人族の手によるものとは比べ物にならないほど、表面は完璧に磨かれ洗練されている。しかも放棄されてから数千年経っていても、壁や床にも傷みは見えない。これはまさにエルフの技術で作られた建造物共通の特徴だ。
問題は、扉があっさり開くような状態なのに、ホコリひとつなく、人族が入り込んだ形跡が見られない点だ。
エルフが放棄した施設に人族が入るのを良しとしないのは、彼らの持つ技術などに不用意に触れて、人族社会に悪影響を及ぼすことを危惧してだと言われている。だから、実際入り込んだ人族がいても何か罰を与えるわけでもない。
となれば、何も得られないとわかっていても、開けば入るし、開くとなれば噂を聞いて他の連中も押し寄せる。そんなこんなで観光地のようになった結果、わざわざエルフが技術的問題のある部分を取り除いて人族に譲渡した、という場所も存在するのだ。
少なくとも、街から二日ほどで来れてしまう距離を考えても、ここがずっと無施錠だったとは考えにくい。
確実に、最近誰かが来て扉を開いたのだ。
トールがアレドレキに習った、熱も発する明かりの魔法を角灯に灯し、侵入する。
練習すれば温度も光量も思いのままらしいが、今のところ蝋燭や獣脂の節約程度にしか使ってこなかったため、さほど明るくない。街や村のおかみさんが収入の足しに売るのより少し暗い程度だ。
「もっと真面目に練習しときゃ良かった。野営は焚き火するし意外と出番ねえよなコレ。ジャスが使えないのって、そういう理由?」
「まあ……それもそうだし、今みたいな場面でも、松明がありゃ事足りるからな。逆に魔法で火をつけられない冒険者は、明かりの魔法の方を覚えるんじゃねえかな」
一応、なんとなく覚えそびれた理由は他にもあるのだが、今するような話でもないので言及しない。
入り口から少し進んだ先はやはりまた下りの階段で、それを降りると、金属の格子の扉があった。格子の向こう側の正面は行き止まりで、通路は左右に伸びている。
「お、地図ってか見取り図があるじゃん!」
格子戸もこれまたあっさり開いた。壁に取り付けられている薄い金属板には、このミラロー監獄の見取り図が刻まれている。その隣にこれまた今の人族の技術では到底作れないような薄い硝子のはまった小窓があった。
「これって受付……?」
背伸びして小窓を覗き込んだトールが言う。
「そうだな。この図にもそうある」
「あ、そうか、やけに高いと思ったらエルフ仕様なのか」
「ああ。人族が訪れることを想定してない場所はだいたいこうだ」
壁の見取り図によると、今いる場所が受付、左に事務所や魔法動力室などの施設の管理に関わる区画があって、右に向かうと奥に折れる通路で、その並びが監房だ。
「てか……すごい普通だな」
「普通?」
「や、なんかさ……大昔に放棄されたエルフの建物、っていうから。こんな見取り図があるなんて思わないし、もっとこう複雑で迷うような作りで、罠とかあるみたいなさ……」
何のために監獄をそんな風に作るっていうんだ。
「言ってることがよくわからんが……おまえの言うそれは、いわゆる迷路ってやつだろ。どっかの王が宮殿の庭に娯楽で作ったとか、愛人だか隠された子供だかを匿うために作ったとかの逸話があるようなやつ」
「逸話はわかんねーけど。一番奥に宝物隠したりとか」
「洞窟の奥に財産を隠すような話は昔からあるが……というか、そんな大掛かりな建造物を作ったら、隠そうとしてる財産なんか吹き飛ぶような金がかかるんじゃないか?」
「ん、んー?確かにそうなのか?」
わざわざそんなことをするのは、よほどの酔狂だと思う。
「比喩的な意味で、迷路のように複雑な建物ってのなら、聞いたことはある。城の増改築を続けた結果そうなったとか。あとは、城攻めされた場合のために城下町の道が入り組んでるとか」
「現実って、味気ねえんだな……」
やっぱり冒険者に妙な期待をしてるとしか思えないぞ、こいつ。
考えた結果、まずは監房の区画から見てみることにする。同じ形の居室が並び通路から全ての扉が見渡せるはずで、もし明かりが漏れていたり、開いてる扉があったらすぐわかるからだ。
さほど期待しないで行ったのだが、なんと最も手前の監房の扉の小窓から、明かりが見えた。
「いきなり当たりじゃん……」
小窓についている硝子は、光は通すが中の様子は見えないものだった。
「開けるしかないよなあ」
「だろーね。ビビってるんなら、オレが開ける?」
トールがニヤニヤしながら言う。
「バカ言え、新米にそんなことさせられるかよ。というか、あれは多分エルフのよく使う自動扉だぞ。知ってる?自動扉」
扉の表面、真ん中あたりに図案化された花の紋様が描かれている。手でそこに触れると開く仕掛けだ。
「知ってるも何も……前いたとこではそこらじゅうにあったよ」
「へえ!魔法がないなら、なんか機械仕掛けとかなのか?」
トールの世界は、人族がかなり技術を発展させているようだ。
「そんなとこ。詳しい仕組みはオレもわかんねーけど」
時間ができたら向こうの世界の話をじっくり聞いてみたいところだ。
「ともかく、明かりが見える以上、あの部屋は多分魔法が通ってる。施錠されてない限りは、扉に触れたら勝手に開く」
魔法動力室の方を後回しにしたのが吉と出るか凶と出るか。
「まあ魔法が通ってるってことは、ここを開けたのはエルフだ。それがミゴーじゃなくても、ヴーレよりは穏やかな奴だと思いたい」
もし戦う羽目になったらエルフ相手では勝ち目は全くないのだが、俺は一応抜剣し、トールには盾を構えさせた。
「エルフなら話し合いだが、万一怪物なら相手によっては逃げるからな。了解か?」
「りょーかい」
扉の紋様と、監房であることを考えれば、近づくだけで開く形式の自動扉ではないはずだが、慎重に歩みを進め、扉の前に立つ。
「よし、開けるぞ」
壁を盾にするように扉の横に立ち、トールに俺の後ろに来るよう合図する。
あらかじめ指示してあった通り、トールが角灯の明かりを消したところで、扉の紋様に手を触れる。
扉は音もなく滑らかに開いた。
視線だけで中を確認すると、金持ちの応接間のような、普通の内装が整えられていた。
「おお?」
死角から声がする。男だ。
「誰かいるか」
誰何すると、大きな影が開いた戸口の前に現れた。
「ミゴー!あんたか!」
青ざめた白い肌に、瞳は氷のような薄青、人族風に短めに整えた髪は鋼の光沢を持つ群青色。俺よりも頭二つは背が高い。
『湖』のミゴーがそこに立っていた。
「そなた、冒険者のジャスレイではないか。なぜここに」
ミゴーは約三年ほど前の最後に会った時と全く変わらず、少なくとも健康そうで、まずい状況にあるようには見えなかった。いたって普通だ。
「あー畜生、本当にいるとは。あんたを探しに寄越されたんだよ」
顔を知っていて話し合いの余地のある相手であるばかりか、依頼がこれで完了するという安心感から、俺は完全に油断していた。
「寄越されただと……あっ、これ、入っては!」
ミゴーの慌てた声に横を見ると、トールが戸口から首を室内に突っ込んだところだった。
「え……?」
言われて後ずさろうとしたトールは、その場でがくんと体を揺らして硬直した。
「は……?ちょ、何これ、首、抜けねーんだけど」
「ああ……やってしまったか。ジャスレイよ、これはそなたの連れの子供か?」
「子供ではないけど連れだ。一体どうした」
トールは戸口の横の壁に手をついて後ろに下がろうとしているが、首のところを完全にその場に固定されているかのように、それ以上動くことができない。
「ジャスレイ、そなたはこの扉のところからこちらに指一本入ってはならぬぞ。この監房の本来の機能でな、こうなってはもう中に入るしかないのだ。人族の子供よ、暴れると怪我をするぞ」
こちらへ入ってしまえ、と促され、トールは中に引っ張り入れられた。
「クッソ、どんな罠だよ」
首をさすりながらトールがぼやく。
「ミゴー、どういうことになってるのか説明してくれ」
見上げた先で、ミゴーが頷いた。