第三章「体育館倉庫は秘密の場所!?」
第三章「体育館倉庫は秘密の場所!?」
「本当に安全で、誰も来ない秘密の場所、どこかに心当たり、ある?」
美鈴が尋ねると、里沙が即答した。
「あるわよ。一カ所だけね」
里沙は、李美姫の死体を、廊下の奥の方へと引きずり始めた。
「そっちは、行き止まりじゃない?」
「非常口から、外に出られるわよ」
そう言いながら里沙は、廊下の突き当たりにある非常口のドアを開けた。
美鈴が、不満げな口調で言った。
「そこが開くんなら、わざわざ階段を昇り降りする必要なかったじゃん」
「非常口は、内側からは誰でも開けられるけど、外側からは開けられないのよ。外側から開ける鍵は、カードキーじゃないから、私のキーじゃ開けられないし」
二人は、死体と重傷少女を、校舎の外に出した。
「で、秘密の場所って、どこ?」
美鈴の問いに、里沙は、あごで正面を指した。
「そこ。体育館の第三倉庫よ」
東校舎の非常口を出ると、その正面に体育館の裏口があった。リサがカードキーを使い、ドアを開けた。
中に入ると、ステージの裏側の倉庫だった。多くの折り畳み式の椅子や机が、雑然と置かれていた。
「ここが、第二倉庫。第三倉庫は、そこにある階段を昇ったところよ。ちなみに、体育用具が保管されている第一倉庫は、体育館の逆側よ」
階段を昇ると、狭い倉庫があった。折り畳んだ紅白の垂れ幕と、スポットライトが二台あるだけだった。
「ここなら、人はあまり来なそうだね」
「あまりじゃないわ。めったに、よ。ここに倉庫があることすら知らない生徒が、大部分よ」
その時美鈴は、倉庫の壁際の奥に、ドアがあるのに気づいた。
「そのドアの向こうは?」
「空中回廊よ」
「空中回廊? 何それ?」
「体育館の内側の周囲に、通路が設置されているの。高さは、二メートル半くらいかしらね。ちなみに、南側と北側の、空中回廊の中央付近には、スポットライトを設置するスペースがあるのよ」
「へえ〜」
里沙と話しながら、美鈴は、重傷少女を、紅白の垂れ幕の上に寝かせた。
彼女から離れようとしたその瞬間、美鈴の腕を、その少女がつかんだ。
「待てよ。こんな場所においてくな。病院へ連れてけよ」
声自体は弱々しく、かすれていた。
「里沙! この女、意識が戻ったよ。病院へ連れてけ、ってさ」
里沙が、思わず目を剥いた。
「病院? 意識が戻っても、頭は朦朧としているようね。国民健康保険に入ってない者が、病院で治療してもらえるはずないでしょ」
「金ならある」
「はした金じゃ、行っても追い返されるだけよ」
里沙が、冷ややかに突き放した。
すると、重傷少女は、かすれた声を振り絞るように叫んだ。
「五〇〇〇万円だ!」
その言葉を耳にした瞬間、里沙も美鈴も、息を飲んだ。
しばらくの沈黙の後、里沙が口を開いた。
「相変わらず、あなた達は白髪三千丈ね。あなたのようなザコが、そんな大金持ってるわけない。日本人を、よっぽど馬鹿だと思っているようね」
「仕入れ金だ。毎月、李秀英はヤクを仕入れる。その金額が五〇〇〇万円だ」
里沙が思わず、勢い込んで、尋ねた。
「取引の日時と場所は?」
「フィフティーフィフティーだ」
「何それ。情報提供だけで、半分寄こせっての? 九対一ならいいわ」
「四、六だ」
「八、二。これ以上は譲れないわ。第一、一〇〇〇万円もあれば、治療費を払ってもお釣りが来るわよ。それに、ここでゴネてると、病院へ行くのが遅れるし、手術が手遅れになるわよ」
「わかった。八、二でいい。早く病院へ連れて行ってくれ」
「取引の日時と場所は?」
「病院に着いて、手術費用の請求書に、アンタがサインしたら話す」
里沙が、また目を剥いた。
「何ですって! アタシに手術費用を払えって言うの? 冗談じゃないわ!」
美鈴が、口を挟んだ。
「里沙、まあ、そう言うなよ。風紀委員の協力者に対しては、風紀委員の健康保険が使えるんだろ?」
「あれは私の保険じゃなくて、風紀取締局の健康保険よ。しかも、風紀委員一人当たりの年間上限予算が決まってるの。まだ四月なのに、こんな女のために使いたくないわ」
「あとで、こいつの一〇〇〇万円の中から、引けばいいじゃん」
重傷少女が、すかさず口を挟んだ。
「アンタ、話が分かる女だな。名前は?」
「先に名のるのが、礼儀だよ」
「張紫明」
里沙と張紫明との間で、交渉が成立した。
李美姫の死体は、紅白の垂れ幕で覆って隠した。その際、李美姫の学生証と、張紫明の学生証を交換しておいた。こうすれば、病院が張紫明を李美姫として扱うため、書類上は、李美姫は生存し続けることになる。
李美姫は、ピンク色の携帯電話を持っていた。電源を切ってから、里沙が、自分のウエストポーチの中にしまった。
里沙が、自分の携帯電話でタクシーを呼び、二人は、張紫明を都立病院へと運んだ。
* * *
都立病院で手術の手続きをしたあと、張紫明から全ての情報を聞き出した。
麻薬取引の場所は、古宿高校。今月の取引日は、何と、今夜だった。
校内を麻薬取引の場所にしているのは、確かに、合理的な選択だ。なぜなら、教育委員会に風紀取締局が設置されて以来、警察は、学校内での捜査権を、事実上失った。刑事も警察官も、校内には、風紀取締局の許可なく立ち入ることができない。その許可を、風紀取締局が出すことは、ほとんどない。ところが、風紀取締局の捜査能力は、個々の風紀委員の能力に大きく左右されるため、概して、警察よりもだいぶ落ちる。そのため、全国の公立学校は、無法者の安住の地と化しつつあるのが現状だ。
二人は、高校へ帰るタクシーの中で、話し合った。
「美鈴、私達は、フィフティーフィフティーよ」
「二〇〇〇万円ずつか」
「ええ」
「うまくいけば、今夜、李秀英も、仕留めることができるわね。美鈴、あなたの作戦は、第二作戦として、今夜の作戦がうまくいかなかった時に実行しましょう」
美鈴は、しばらく黙ったまま考えた。張紫明の情報によると、李秀英は麻薬取引の際には、李三姉妹の部下全員を集めるという。今朝、李美姫とその部下三名を射殺したが、李グループのメンバーは、まだ二〇名以上いるそうだ。自分と里沙の二名では、どう考えても、頭数が足りない。
張紫明によると、麻薬取引は、毎月、次のように行われる。取引時間は、深夜零時。取引場所は、南校舎の最上階である四階の教室。南校舎には、一階当たり六つの教室がある。取引場所は、両端を除いた、四つのうちのどれか。つまり、三年二組から五組までのどれかだ。見張り兼警備役の李グループのメンバーが、取引場所となった教室のドアの外側に立つ。人数は、前後のドアとも二名ずつ。さらに、四階と三階の間の階段の踊り場付近には、四名が警備に当たり、四階の非常口の内側にも、二名が警備として張り付く。つまり、四階の廊下と階段には、合計一〇名の武装した女子高生ギャングが、警備に付くわけだ。他に、一階の玄関の内側にも、警備が二名立つ。残りのメンバーは、全員、教室の中で、現金の警備と李秀英の護衛にあたる。
取引時間は深夜零時だが、李グループの先遣隊として、普段は、李大栄や李美姫が、自分の部下を引き連れ、十一時少し前に、学校に来る。そして三〇分ほどかけて、不審者がいないかどうか、南校舎の全ての教室と便所をチェックする。そうして安全を確保した上で、携帯電話で李秀英を呼ぶ。彼女が部下を引き連れて校舎に入るのは、たいてい十一時半頃だ。
取引相手のチャイニーズ・マフィアのほうも、毎回、二〇名ほどの護衛を連れて来るらしい。五〇〇〇万円分の麻薬を運ぶのだから、そのくらい護衛がいても、当然だろう。
したがって、襲撃するなら、李秀英が、取引場所の教室に到着してから、取引相手のグループが来るまでの間、すなわち、十一時三〇分から零時までの間しかない。しかしそれでも、二〇名を超える大軍と戦わなければならない。
作戦の実行時間は、わずか三〇分。いや、前後一〇分ずつ余裕を持たせるとすると、時間はわずか一〇分間だ。その一〇分間で、李秀英を射殺し、五〇〇〇万円の現金を奪わなければならない。
美鈴は、口を開いた。
「里沙、やっぱり今夜の作戦には、何人か仲間が必要だよ」
「あなたは十人力でしょ」
「相手は二〇人以上だよ。誰か、知り合いはいない? 拳銃の扱いに慣れていて、その上度胸のある奴」
里沙は、眉間にしわを寄せながら答えた。
「私は一匹狼だからね。残念だけど、そういった心当たりはないわ」
「じゃあ、この学校で、誰か心当たりは?」
里沙は腕組みをして、しばらく考え込んだ。
「この学校には、私も、今年の一月に転校して来たばかりだからね。心当たりは……、特にはないわ」
「だったら、これから探すしかないね」
美鈴は、腕時計を見た。
「もうそろそろ、お昼の時間だね。この高校も、給食は無料でしょ? だったら、学校の食堂に行けば、たくさんの生徒が集まってるんじゃない? そこで、仲間を集めようよ」
多くの都道府県の公立学校では、数年前から、給食が無料化していた。貧困層が増大したため、有料だと、食べられない生徒が出てしまうからだ。しかも、貧困家庭の子供の場合、家庭では食事ができない者も少なくなかった。そうした社会情勢を背景に、地方分権化の推進により、予算が充実した首都圏などの一部の都道府県では、公立高校の学費無料化や、給食費の無料化などが実現した。地方議会では、国会とは逆に革新派の勢力が伸長したことも、こうしたバラマキ型・人気取り型の政策を、後押しする結果となっていた。
そのため、荒んだ公立高校の生徒達は、授業には出席しなくても、無料給食を食べるために、高校に通うようになっていた。
第三章・終