第二章「保健室は野戦病院!?」
第二章「保健室は野戦病院!?」
美鈴は、二つの死体から赤いセーラー服を脱がし、それを、重傷少女と、死んだ李美姫の顔に被せた。
「他の生徒に、顔を見られないようにしないとね」
美鈴のその言葉に、里沙が答えた。
「他の生徒なんて、一階にはいないわ。一階では、よく銃撃戦が起きるからね。まあ、二階には、生徒が少しいるけど……」
「で、保健室は、どこ?」
「東校舎の一階よ。この校舎は、南校舎」
美鈴は、李美姫の死体の両脇をつかんで、引きずり出した。土足のまま、廊下に上がった。
「階段よ」
里沙が、呼びかけた。重傷少女の体を引っ張りながら。
「南校舎から東校舎へ行くには、二階にある連絡通路を通る以外ないわ」
「一階から東校舎へは入れないの?」
「入り口は、東校舎の教職員用玄関だけ。そこは、防弾服と拳銃で完全武装した職員が固めていて、生徒は入れないわ」
「厳重な警備だね」
「東校舎の四階には、校長室と教職員室があるからよ。二階の連絡通路も、自動ロック式の防弾ドアがあって、普通の生徒は、勝手には入れないわ。わたしは秘密捜査中だから、ほとんど全てのドアの合い鍵になるカードキーを持っているけどね。まあ、東校舎四階のドアは、開けられないけど」
美鈴と里沙は、死体と重傷者を、苦労しながら二階まで運んだ。
二階の教室の内外には、十数名の生徒がたむろしていた。赤いセーラー服の少女達を引きずる美鈴達を見ると、全員の顔色が変わった。
女生徒の一人が、美鈴達に声をかけてきた。
「李グループのメンバーをやっちゃうなんて、アンタ達、ひょっとして、新しい風紀委員? それとも……、ただの馬鹿?」
里沙が、口元をニヤつかせて、答えた。
「馬鹿じゃないわ。アタシは、風紀委員よ。李美姫は重傷で、死にかけてるの。悪いけど、保健室に運ぶの、手伝ってくれる?」
その女生徒は、途端に顔面を引きつらせて、慌てて教室の中に逃げ込んだ。
李美姫という言葉を聞いた瞬間に、生徒達は一斉に教室の中に逃げ込んだ。全ての教室内が、騒然となった。
「李美姫を、風紀委員が拘束したって!」
「李美姫が重傷だって!」
「また風紀委員のせいで、血の雨が降る!」
各教室から、そうした生徒達の声が聞こえてきた。
「風紀委員は、みんなから好かれているね」
美鈴が、思わずイヤミを口にした。
それに対し、里沙は平然と答えた。
「去年の乱射事件は、私には関係ないわ。前任の風紀委員が、単細胞だっただけよ」
二人は重い死体に苦労しながらも、連絡通路にたどり着いた。
里沙がカードキーをパネルに当てると、分厚い金属製のドアが開いた。
連絡通路を、渡った。
東校舎の二階には、音楽室や視聴覚室があった。
二人は階段を下り、一階の奥にある保健室の前に、たどり着いた。
美鈴が、保健室のドアを開けた。
鼻をつく臭いが、襲ってきた。消毒薬と汚物と血の臭い。それに、何かが腐りかけたような臭いもする。
「うわっ! まるで野戦病院だね」
美鈴が思わず、そう吐き捨てた。
保健室には、二段ベットが、ずらりと並んでいた。数えてみると、全部で一〇もある。その全部に、生徒達が横たわっていた。全員、重傷患者のようだ。
「だから言ったでしょ。保健室に行くのは、良くないアイディアだって」
「去年あったっていう乱射事件は、相当酷いものだったようだね」
「そうでもないわ。昨年十二月の乱射事件の被害者は、半分くらいよ。四分の一は、その前から入院していて、残りの四分の一は、今年になってからの入院よ。他にも、ベットが空くまで待っている寝たきりの生徒が何人もいるわ。なにせ、この学校の生徒の大半は、国民健康保険に入ってないからね。その点、学校の保健室なら、無保険者でも、生徒である限り、無料で入院できるから」
美鈴は、美姫の死体や重傷少女を、保健室の中に運ぶのを諦めた。重傷少女の怪我の手当は、廊下で行うことにした。
保健室の薬品棚には、消毒薬と包帯しかなかった。
美鈴が、里沙に尋ねた。
「止血剤はないの?」
「そこになければ、奥の部屋よ。モルヒネやなんかと一緒にあるんじゃない?」
「ドアに鍵がかかってる。合い鍵貸してよ」
「無理よ。そのドアは、保健の先生しか、開けられない」
「じゃあ、保健教師は、どこにいるの?」
「奥の部屋よ。きっと今頃、あの女は、モルヒネ打って夢見心地よ」
「酷い保健教師だね」
「いまどき都立高校で、保健の先生なんて、まともな神経じゃやってられないわ」
「だけど、保健教師がヤク中で、朝からモルヒネやってるんなら、患者の面倒は誰が看てるの?」
「保健委員よ。各クラスの保健委員が、毎日、昼休みと午後に来て面倒みるのよ」
「へ〜え。えらいもんだね」
「そうでもないわよ。だって、保健の先生からモルヒネを分けてもらってるんだから。彼らはそれを、クラスメイトに販売して小遣い稼ぎしてるってわけ」
その里沙の答えを聞いた美鈴は、思わず絶句した。
「それもまた……、酷い話だね。保健教師と保健委員が、グルになって麻薬販売なんて……」
「そお? だけど、そうでもしなきゃ、このコ達の面倒、誰が看るの? 保健の先生一人じゃ、これだけの人数面倒みきれないし、ただ働きなら、誰も介護の仕事なんてするわけないわ」
その時、少女の声がした。
「ねえ。のどが渇いたの。お水ちょうだい」
美鈴は、すぐにその少女を見つけた。入り口近くのベットの一段目に寝ていた。大きな瞳が印象的な、黒髪の少女だった。
里沙が、代わりに答えた。
「うるさいわね。私達は、保険委員じゃないの。彼らが来るまで待ちなさい」
「だってアタシ、昨日から何も飲んでないのよ」
「それがどうしたって言うの? 寝たきりなんでしょ。飲み過ぎると、お小水が、尿瓶から溢れちゃうわよ」
「お水飲みたい!」
少女が、甲高い声で叫んだ。
里沙が何か言おうと口を開きかけたが、その前に、美鈴が口を開いた。
「いいじゃない。少しくらいなら」
そう言って、美鈴は紙コップを手に取り、保健室の壁際にある洗面台の蛇口から、水道水を少し汲んだ。少女のところまで、そのコップを運んだ。
「どう、持てる?」
美鈴は、コップを差し出した。
少女は、悲しげな目で答えた。
「アタシ、全身不随で、首から下は、ほんのちょっとも、動かせないの。お姉さん、飲ませてくださる?」
美鈴は紙コップを、少女の口に静かに当て、水をゆっくりと流し込んだ。
「ありがとう。優しい親切なお姉さんに出会えて、カオリ、感動しちゃった」
「カオリっていうんだ」
「そう。田中カオリ。お姉さんの名前は?」
「アタシは、加藤美鈴」
「美しい鈴、って書くの? 綺麗なお姉さんにピッタリの美しい名前ね。その名前、お母さんが付けたんでしょ?」
美鈴は思わず、押し黙った。母親のことは、美鈴にとって、他人には、触れられたくないことだったからだ。だが、すぐに考え直した。名前を誰が付けたかなど、一般的には、たいしてプライベートな質問ではないはずだからだ。
「そうだよ」
「そうよね。女の子の名前って、母親が付けることが多いのよね。アタシの名前も、そう。良い香りを織る、って書くの」
「香織か……」
「名前を付ける時だけは、どんな母親も、自分の娘を愛するのよね。自分よりも、幸せになってもらいたい。そんな希望を込めてね。しばらく経つと、娘なんて、どうでも良くなっちゃう親もいるけど……。お姉さんは、ずうっと、お母さんに愛されているんでしょ?」
香織の質問は、美鈴の心を、グサリと突き刺した。
「アタシの母は……、死んだよ。アタシが、十四歳の時にね」
一瞬、香織は言葉を飲み込み、押し黙った。だがすぐに、口を開いた。
「そう……。善人は、早死にするものだからね。アタシの母は、アタシが十五歳の時に、家を出て行ったわ。家賃を何ヶ月分も滞納したままね。おかげでアタシは、すぐに大家から追い出されて、十二月の寒空の下、一人で凍える羽目になったわ。あの女、酷い女だから、今でもたぶん、どこかで生きてるよ。シャブを打ちながらね」
「アタシの母も……」
そこまで言って、美鈴は口を閉じた。
「何?」
香織が、促した。
美鈴は、言うか言うまいか数秒迷ったが、思い切って、口を開いた。
「アタシの母さんも、シャブ中だったよ……。親がシャブ中だと、子供は地獄を見るけど、それでも、生きてた方が、良いよね」
「そうかもね……。お姉さんのような優しくて美しい女性を育てたんだから、お姉さんのお母さんは、素晴らしい人だったんでしょうね」
「シャブを始めるまでは……、そうだったかもね」
里沙が、廊下から声をかけてきた。
「美鈴! ちょっとくらい手伝いなさいよ! 全然、血が止まらないわ!」
「分かったよ!」
少しいらだった声で、美鈴は答えた。
「じゃあね」
香織には、優しく声をかけた。
「お姉さんに、また、会いたいわ。今度は、いつ来てくださる?」
香織は瞳を潤ませ、すがるような目で美鈴を見た。
「来ても、アタシじゃ、何もしちゃあげられないよ」
「構わないわ。お姉さんのような素敵な女性とは、話をするだけで、まだ生きてて良かった、と思えるもの」
「じゃあ、機会があったら、また来るよ」
美鈴は、指先で、香織の髪を軽く撫でてから、廊下へ出た。
美鈴を見るなり、里沙がぼやいた。
「全然血が止まらないわ。この女、もうダメね」
「包帯の巻き方が緩いんだよ。止血剤がない時は、圧迫止血で血を止めるしかない。アタシにまかせな」
美鈴は、重傷少女の傷口に、幾重にも重ねたガーゼを当て、きつく包帯を巻いた。
「あなた、うまいじゃない。どこで習ったの?」
「母親。若い時、看護婦だったらしい」
ぶっきらぼうに、答えた。
里沙は、わざと大きな声で話し始めた。
「李美姫も、悪運の強い女ね。アタシの撃った弾丸を二発も喰らったのに、美鈴のおかげで、命拾いしたわね」
すると、保健室の中から、少年の声が聞こえた。
「李美姫だって? そんな女、すぐにどこかへ連れてってくれ! 保健室に置いておかれたら、奴らが大挙してここへ押しかけて来る!」
「あ〜ら、植物人間じゃないコが、他にもまだいたようね。安心しなさい。この女は大切な人質だから、安全な秘密の場所にすぐに移すわ。ねっ、美鈴」
里沙が大声で、美鈴に同意を求めた。
「ああ」
美鈴は答えながら、保健室のドアに手をかけた。
香織が、声をかけてきた。
「美鈴お姉さん、気をつけてね」
「ありがとう」
美鈴は答え、ドアを閉めた。
第二章・終