序章「OK高校の血闘!?」
序章「OK高校の血闘!?」
近未来の日本。貧富の格差は極限に達し、犯罪が激増。政府は、自己防衛を求める富裕層からの要求に応じ、自己責任の名の下に、民間人による拳銃所持を、全面的に自由化した。
それから、五年の月日が流れた。日本は、アメリカ以上の銃社会になっていた……
* * *
「アンタ、みすず、だろ?」
呼び止められた黒いセーラー服の少女は、ゆっくりと振り返った。
一陣の強い風が、校庭を吹き抜けた。
長い黒髪が、風に舞った。
三月の風は、まだ、冷たかった。
加藤美鈴は、左手で、顔にまとわりついた髪を、かき上げた。色白の、面長の顔が、露わになった。
彼女は静かに、右足を半歩ほど後ろに引いた。スカートから伸びた白く細い足は、膝下まである黒い武骨なブーツに、包まれていた。
「先に名のるのが、礼儀だよ」
切れ長の目で、にらみつけた。
十五メートルほど先に、背の低い女子高生が、立っていた。制服は、茶色のブレザー型。
他校の少女だ。
チェックのミニスカートは、パンツが見えそうなくらいに、短かった。右の太ももには、細いガンベルトが巻かれている。ももの外側にあるホルスターは、既に、留め金が外されていた。
背の低い少女は、ウエーブのかかった茶色い髪を、左手でかき上げた。わざと、左耳を見せるように。
「アタシの名は、アッコ」
ニヤリと、口元を歪めた。
左の耳たぶは、上半分しか、残っていなかった。耳たぶの下部は、醜い残骸だけが、わずかに残っているだけだ。
美鈴は内心、舌打ちをした。
片耳のアッコ。東武線方面では、名の知られた早撃ちだ。
噂によると、拳銃のタイマン勝負を初めてしたのは、十三歳の時。相手は、中学のスケバン。場所は、体育館の裏。
二人は、ほぼ同時に引き金を引いた。スケバンの放った弾丸は、アッコの左耳を吹き飛ばした。一方、アッコの放った弾丸は、スケバンの腹部に命中した。しかも、続けざまに二発目を胸部に、三発目を頭部に撃ち込んだ。拳銃を抜いてから、三発目を撃つまでにかかった時間は、わずか一秒。
それ以来、片耳のアッコは、一〇人を超える拳銃使いの女子中高生と、早撃ちタイマン勝負を行い、全てに勝利してきた。初めての時を除いて、ただの一度も、相手の銃弾が、アッコの体をかすめることは、なかった。アッコの拳銃を抜く早さは、決闘を重ねるごとに、早くなっているそうだ。
「で、美鈴って女に、拳銃使いが、何の用なの?」
言葉を選びながら、美鈴は、ゆっくりと尋ねた。
同時に、よく見えるように目を細め、アッコの右の太ももを注視した。
ホルスターから露出している拳銃の銃把は、小さかった。おそらく、二十二口径の小型拳銃。他の早撃ち達が使うのと同様の、銃身が強化プラスチック製の、軽量拳銃だろう。
「アンタ、ひょっとして、まだ知らないの?」
アッコは、さらに口元を歪めた。だが、その目は、笑っていなかった。
「アンタの首に、懸賞金がかかったんだよ。三〇〇万円も」
美鈴の表情が、わずかに険しくなった。
「美鈴って女は、いったい何をしたの?」
「とぼけんなよ。アンタ、先月、浦和で風紀委員を殺しただろ。風紀委員を殺しちまったら、県の教育委員会が、懸賞金をかけるのは、当然だろ」
風紀委員は、各都道府県教育委員会の直属機関である風紀取締局が任命し、各高校に派遣している高校生だ。
「正当防衛よ。それに、あいつは、汚い女よ」
美鈴が、憎々しげに吐き捨てた。色白の美しい顔が、憎悪でわずかに歪んだ。
ククッと、アッコが声を押し殺して笑った。
「汚いからって、いちいち殺していたら、この国から、女子高生がいなくなっちまうかもよ」
その時、別の女の声が飛んだ。
「早くやりなさいよ!」
甲高い、耳障りな声だ。
美鈴はアッコに顔を向けたまま、声がした方角を、横目でチラリと見た。
ショートヘアの黒髪に、銀縁の細い眼鏡の女子高生。セーラー服の胸には、銀色の桜のバッジを付けている。
椎名政美。この高校、県立奥川口高校の風紀委員だ。
政美は校舎から出ると、ツカツカと近寄ってきた。だが、美鈴から三〇メートルほどの距離に来ると、用心のためか、ピタリと立ち止まった。彼女の背後には、四人の少女がつき従っていた。いずれも、政美に任命された風紀委員の助手だ。
政美達五人は、全員セーラー服姿で、腰にガンベルトを巻いていた。
「アッコ! あなたに払った前金の一〇〇万円は、私の自腹なのよ。ここでやらないんなら、前金を返してもらうわよ」
アッコも、横目でチラリと政美を見た。
「分かってるって。手柄は全部アンタのものだ。アタシは、金だけもらえれば、それでいい」
視線を美鈴に戻したアッコの口元からは、既に、笑みが消えていた。
「美鈴! 先に抜きな!」
美鈴は、少しあごを引いてアッコを見つめ、静かに口を開いた。
「たいそうな自信ね」
「ああ。アタシは県内で一番早いからね。それに引き替え、二丁拳銃の美鈴は、大宮の三十六人殺しで名は知れてるが、早撃ちだって話は聞いたことがねえ」
「噂には、勝手に尾ひれがつく。実際には、八人よ」
「そう……、まあ、噂ってのは、そんなものかもね」
「アッコ!」
政美が、再び口を挟んだ。だが、アッコはそれを無視し、言葉を続けた。
「オイ。噂の二丁拳銃は、ひょっとして、背中にしょってるスポーツバックの中にあるのか? だったら、出すまで待っててやってもいいよ」
アッコは、美鈴のつま先から頭のてっぺんまでを、素速く見た。
美鈴は、ホルスターを身に付けているようには、見えなかった。スカートの裾は、膝上十五センチほどだ。だが、美鈴は背が高く、その分、足も長い。だから、スカート丈は、それほど短いわけではない。小型拳銃を納めたホルスターなら、充分に隠すことができる。だが、スカートの下の拳銃は、素速く抜くことができない。
また、美鈴のブーツは、彼女の細い足には、太すぎるようにも見えた。ブーツの中に拳銃を隠すことも、十分に可能だ。だがその場合でも、素速く抜くことはできまい。
「さっさと殺しなさいよ!」
政美がまた、口を挟んだ。
アッコは美鈴から視線を逸らさずに、怒鳴った。
「アンタは黙ってな! 万が一にでも、丸腰の女を撃っちまったら、アタシの名に傷がつく。アンタみたいなお嬢には分からねえだろうが、拳銃使いにとって、名誉は、命よりも重いんだ!」
早撃ちの拳銃使いにとって、いったん「汚い奴」とのレッテルが貼られてしまうと、もう終わりだ。早撃ちのタイマン勝負は、二度と受けてもらえなくなる。早撃ちで、懸賞金を稼ぐこともできなくなる。
美鈴は、背負っていた黒いスポーツバックを、ゆっくりと肩から外し、足下の地面に静かに下ろした。
バックのジッパーを開けないまま、美鈴は上体を起こし、アッコを見据えた。
「バックの中じゃ、ないのか」
アッコのその言葉に、美鈴は、黙ってうなずいた。
両肩の力を抜き、左足を半歩前に出した姿勢で、アッコを見つめた。
「準備は、いいよ。先に、抜きなよ」
美鈴が、静かに言った。
アッコは、あごを少し引き、上体をわずかに前傾させた。右の脇を少し開き、右手は、腰から拳二つ分ほど離した位置で静止させた。
「アタシは、早いよ」
「分かってる」
美鈴が、答えた。
二人の少女は、静止したまま、微塵も動かなかった。
そのまま、時間が流れた。
三秒、四秒、五秒……
ピクリと、アッコの右手人差し指が、動いた。
次の瞬間、美鈴が、右方向に跳躍した。左足で大地を蹴った彼女は、空中で、右膝を胸に引きつけるように勢いよく蹴り上げた。
その瞬間、右のブーツの中から、銀色に光るものが飛び出した。
三十八口径の回転式拳銃だ。
アッコは、右手で拳銃を引き抜いた。体を低く沈み込ませながら。
美鈴は、リボルバーを右手でつかむと同時に、体をひねって銃口をアッコに向けた。
銃声が、轟いた。
美鈴の細い体は重力によって落下し、右肩と右腰が、同時に地面に激突した。
アッコの体が、しゃがみ込んだような姿勢のまま、後方に倒れた。
そのまま、数秒が、流れた。
政美の助手の一人が、口を開いた。
「あ、相撃ち……?」
だが、その言葉が終わらないうちに、美鈴が、上体を起こした。
ゆっくりと立ち上がった美鈴は、左手で、胸の赤いスカーフに触れた。
スカーフの先に、穴が空いていた。その穴の周囲は、焼けこげていた。
アッコの放った二十二口径の弾丸が、貫通していたのだ。
美鈴は、ゆっくりと歩いた。アッコから五メートルほどの距離で、立ち止まった。
倒れたアッコの顔面は、美鈴の三十八口径の弾丸で、打ち抜かれていた。
美鈴の表情が、歪んだ。ほんのわずかであったが。
静かに、つぶやいた。
「片耳のアッコ。アンタ、ホントに早かったよ」
確かに、アッコは早かった。その上、射撃の腕も、一流だった。なぜなら、回避行動をとる美鈴の動きに合わせて、銃撃したのだから。だがアッコは、重力の影響まで計算する余裕は、なかった。それが、アッコの敗因だった。
突然、美鈴が、振り返った。政美達を、にらみつけた。風下にいた美鈴の耳に、ほんの微かではあったが、金属音が、風上から流れてきたからだ。
政美と四人の助手は、全員、凍りついた。金属音は、彼女達の、ホルスターの留め金を外す音だった。
助手の一人が、口を開いた。
「椎名さん、やりましょう」
政美は、強張った表情のまま、首を横に振った。
別の助手が、ささやいた。
「こっちは、五人です。同時に拳銃を抜けば……」
「ダメよ! あの女は、私達とは育った世界が違う。淑女が猛獣と戦っても、勝ち目はない……」
政美は、途中で言葉を飲み込んだ。
なぜなら、美鈴が急ぎ足で、近寄ってきたからだ。
向かい風を受け、宙に躍る美鈴の長い黒髪は、まるで、彼女が発する怒りのオーラのようだった。
「椎名さん! やらなきゃこっちがやられる!」
助手の一人が、恐怖のあまり裏返った声で叫びながら、拳銃を抜いた。
その瞬間、美鈴の右手の拳銃が、火を噴いた。
助手の少女は、眉間を撃ち抜かれた。まだ、二〇メートル以上の距離が、あったにもかかわらず。
美鈴の射撃は、非情なほどに正確だった。
助手の少女達が、一斉に悲鳴を上げた。恐怖で表情を引きつらせながら、全員ほぼ同時に拳銃を抜いた。
美鈴は、右足で踏み込み、前方へ飛んだ。まるで、地面にダイビングするかのように。同時に、左膝を、胸に引きつけるように蹴り出した。
銀色のリボルバーが、左のブーツから飛び出した。
左手でリボルバーをつかむと同時に、二つの拳銃の引き金を絞った。
美鈴は、まるでバレーボールの選手が床に飛び込んでレシーブをする時のように、両腕を前に伸ばして胸から着地した。
三人の少女が、地面に崩れ落ちた。
少女達は、誰も引き金を引くことなく、絶命した。
美鈴が、立ち上がった。二丁の拳銃を、政美に向けたまま。
政美は、ガタガタと震えていた。
「なぜ、アンタは抜かないの?」
政美は、恐怖で歯がガチガチと鳴るのを堪え、言葉を絞り出した。
「風紀委員を、殺したら、大変なことになるわよ」
「もう、一人殺してるよ」
美鈴の声は、氷のように冷たかった。
政美は、背中の毛が総毛立つのを感じた。
「で、でも、私は、自分の拳銃に全く手を触れてないわ。その私を殺したら、正当防衛は、成立しないわよ」
美鈴は、政美をにらみつけたまま、首を微かに振りながら、吐き捨てた。
「アンタは、まるで分かっちゃいない。自然界の鉄の法則を」
政美が口を開きかけたが、美鈴はそれを無視し、言葉を続けた。
「生きるためには、喰わなきゃならない。喰うためには、殺さなきゃならない。だから、殺しそこなった者は、死ななきゃならない。獲物を仕留めそこなった狼は、空きっ腹を抱えて餓死するのが運命だ。アンタは、アタシを殺そうとした。そして、それに失敗した。だからアンタは、死ぬべきだ。それが、自然界の鉄の法則」
美鈴が口を閉じた瞬間に、政美がすかさず、言葉を挟んだ。
「ここは、自然界じゃない。学校よ」
「どちらも同じだよ。ヒトが生きる学校も、ケモノが生きる大自然の荒野も」
「全然違うわよ。なぜなら、人間の世界には、正義がある……」
「正義だって?」
美鈴が、鼻で笑った。
「ええ、そうよ。だから、正当防衛以外で人を殺したら、殺人犯として、警察庁があなたを、日本全国に指名手配することになる。証人だって、ほら、後ろの校舎で、たくさんの生徒達が窓から私達を見ているわ。彼らの多くは、正義を求めて、真実を証言するはずよ。今までは、県の教育委員会からの、県内の学校だけの指名手配だったけど、警察庁が指名手配して懸賞金をかけたら、あなたは日本全国どこに逃げても、賞金稼ぎに命を狙われることになるわ」
美鈴は、政美の背後の校舎に、チラリと視線を向けた。
心の中で、美鈴は思った。今、この女を殺さなければ、後々面倒なことになる。相手を殺しそこなえば、自分が殺される。それが、自然界の鉄の法則。だがこの場には、多くの目撃者がいる。そのうちの何名かは、政美の言うとおり、法律上の正義を求めて、真実を証言するだろう。
美鈴は、口元を憎悪で少し歪め、言葉を吐き出した。
「腰抜け女め!」
いきなり、右手に持った拳銃の銃把で、政美の顔面を殴りつけた。
グシャリと、政美の鼻がひしゃげた。
ダラリと、真っ赤な血が流れた。
「どう? これでもまだ抜かないの?」
政美は、ガタガタと震えながらも、黙って首を左右に振った。
美鈴は、心の中で、舌打ちをした。
だが、仕方がない。多くの目撃者のいる中で、正当防衛以外で、人を殺すわけにはいかない。たとえ、自分の命を狙った者であっても。
美鈴は、侮蔑の表情をわざと浮かべて、吐き捨てた。
「銃を抜く度胸がないなら、人の命など、狙うな。腰抜けは、さっさと消えな」
ゴクリと唾を飲み込んでから、政美は、美鈴に背を向けた。校舎のほうに向かって、歩き出した。
数歩も進まないうちに、恐怖に突き動かされた政美は、走り出した。校舎に飛び込んだ後、振り返って美鈴のいた方角を見た。
美鈴は、既に、校門から出るところだった。
政美は、折れた鼻に右手を当てながら、大声で叫んだ。激しい憤怒と憎悪の感情に突き動かされて。
「美鈴! よくもアタシの美しい鼻をへし折ってくれたわね! それに、風紀委員の助手を四人も殺して、ただじゃすまないわよ! 県教育委員会の懸賞金は、六〇〇万、いえ、一〇〇〇万円までいくわ! そうなったら、埼玉中の賞金稼ぎが、あなたの首を狙いに来るわよ! 片耳のアッコより腕のいい早撃ちは、県内にはまだまだいるわ! それに、寝首をかくような汚い拳銃使いも。近いうちに、アッコよりも腕が良くて、その上もっと利口な拳銃使いを雇って、あなたを殺してやる! 首を洗って、待ってなさい!」
美鈴は、黙ったまま、振り返らずに校門を出た。
政美を殺しそこなったことに対する悔恨の念を感じつつ、心の中で、自分で自分に言い聞かせた。
「ちょうどいい。もうそろそろ、埼玉から卒業する時期だと、感じていたところだよ」
美鈴は、その日の内に、埼玉県を出た。十四歳の時から無宿人だった美鈴にとって、財産と呼べるものは、背中に背負ったスポーツバックと、二丁の拳銃、それに、母の形見の黒革のブーツだけだった。
美鈴は、生まれて初めて、生まれ育った県を離れた。
そして、東京へと向かった。
序章・終