88 当たり馬鹿
ワイルドディアーという魔物がいる。
彼らはオスもメスも立派な角があり、オスメス関係なく、角の大きさや硬さなど立派さによって上下関係が決まり、また魅力がある。
同族であれば角を見ただけで上下関係が決まる、ある意味分かり易い種族だ。
大陸上の至るところに群れで生息しており、環境適応力が極めて高い種族でもある。
その角は硬度が高く、武器として加工することもでき、テイムすることが出来れば、大陸横断も十分可能な走行能力を得ることが出来る。
一方で、気性が荒く凶暴で、人に懐くことがないとされており、度々被害の報告が出ている。
実際は手を出そうとした冒険者や無謀な輩が返り討ちにあっているのではあるのだが。
ここはトリスタの南西に広がるフェルスト草原。
ちょうどソーマたちが進んでいた草原だ。
ちゃんと名前が付いていることに驚きだ。
それはおいといて。
このフェルスト草原を縄張りにしているワイルドディアーがいた。
この辺りには数百体のワイルドディアーが生息している。
数十体程度の群れで分かれているが、複数ある群れは時たま出会い、また分かれたりしており、流動的だ。
そのワイルドディアーたちの中で一際大きく立派な角を持った個体がいた。
黒い体毛に覆われ、金に輝いているような立派な角を聳え立たせ、群れの中心に君臨していた。
彼は巷で『当たり馬鹿』と通り名まで付いたこの辺り一帯のボスだった。
「ブルファー!」
馬の嘶きの様な唸り声を上げている彼である。
普通のワイルドディアーは、群れのリーダーに従い、自由気ままに移動を繰り返し、その場その場で餌を食む。
それがワイルドディアーたちの生き方だ。
時に襲われ、時に返り討ちにする、それすらも彼らの生き方の一部だった。
だが彼には不満があった。
自由に動き周りたいのに、後ろから自分よりも体力も力も劣る者達が勝手に付いて来る。
どの群れと接触しても彼以外が群れのリーダーになることは無かった。
なまじ彼には力があった。
立派な角、強い体躯、果ては【闘気】まで操れた彼に敵は居なかった。
広い範囲を移動していた彼は、時たま人間達とも接触することがあった。
彼とであった人間達は二通りの反応を示した。
奇声を上げて逃げるか、奇声を上げて襲い掛かってくるかだ。
襲い掛かってくる人間を撃退した後も、何度か襲われることがあったが全て撃退してきた。
そうするとまたワイルドディアーたちが集まってくる。
メスはいい。
美味しく頂くだけだから。
彼は本能に忠実だった。
誰もが彼の前に平伏し、付き従う。
でも、出来ればリーダーを代わって欲しい。
群れのリーダーでいるよりも誰かに傅きたかった。
むしろ蹴られたかった。
彼は変態だった。
彼は自由を愛する男だ。
彼は自由になりたかった。
大地を自由に駆け抜け、気ままに餌を食み、時々足蹴にされたかった。
彼は変態だった。
そんな彼は思いついた。
そうだ。
角、折ればいいじゃね?
思い立ったら即行動。
岩に何度もぶつけてみたり、人間の武器にわざと当たりに行ったりした。
いい迷惑である。
時々蹴られることもあった。
気持ちよかった。
女冒険者には引かれた。
彼の角がぶつけられた岩は粉々に砕け散り、武器は斧やハンマーすらスクラップにした。
それで付いた通り名が『当たり馬鹿』である。
ほんとにいい迷惑である。
そんな彼は今日も今日とて自分の角を折るために、次なる獲物を探していた。
今度の彼の犠牲は一体何になるのか。
まあそういうことであった。




