第6話
私の叔父ことカステーラ博士が城下町で有名であることには、それなりの理由があった。
バクリッコさんの説明を要約すると、次のようになる。
…今から数年前、エスペーシア王国にたちの悪い流行病が蔓延した。
高熱による死者は日に日に増加し、その魔の手は城内にまで伸びて…エスペーシア王国のサフラン国王が高熱で倒れるのに、そう時間はかからなかった。
数日が経っても国王の容体は回復せず、いたずらに時間だけが流れていった。
次第にやせ衰えていく国王陛下を前に、最悪の事態を考えた家臣も何人かいたという。
そんなある日、エスペーシア城にひとりの旅人が現れた。
薄汚れた白衣をまとい、ボロボロの手提げ鞄を手にした男は、騎士団が止めるのも聞かずに、サフラン国王の寝室へと入っていった。
その場にいた騎士団長が「無礼者!」と剣を振りかざしても、旅人は臆することなくこう告げた。
「国王陛下の病を治してほしければ、何も聞かずに俺に協力してほしい。一週間経っても病が完治しなかったときは、俺を煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
それを聞いた騎士団長は、額に脂汗を浮かべながらも、しぶしぶ頷いて見せた。
身につけた白衣でしか医者と判断できない見知らぬ人間…
そんな者に頼らなければならないほど、エスペーシア王室は追い詰められていた。
その後、旅人の的確な指示と診療のおかげで、サフラン国王の病状は回復へと向かい、一週間も経たない間に病は完治した。
国王の命を救った旅人は、城下町の人々に感謝され、エスペーシア王国の永住権と王室専属医師の称号を授与された。
永住権のほうはありがたく受け取った旅人だったが、王室専属医師の称号は喜ぶどころか「そういうのは面倒くさい」と、自分の助手として働いてくれた女医に譲ってしまった。
サフラン国王は、旅人がウェントゥルス教の歴史学を専門に研究していたことを知ると、エスペーシア王国の歴史研究家として生活することを命じた。
…元パステール王国のパンデローではなく、エスペーシア王国のカステーラ博士として。
「博士は、エスペーシア城下町の人たちから絶大な信頼を得ている。でも、絶対に偉そうな態度は取らない。昔は、険しい顔ばっかで何考えてるかわかんなくて怖いときもあったけど、今は笑顔でいることも増えてきたかな。優しくて面白くて、いい人だよ」
私は、バクリッコさんと一緒にエスペーシア城へ向かう石畳のなだらかな上り坂を並んで歩いていた。
カステーラ博士の話をするバクリッコさんは、まるで家族のことを話しているかのように楽しげだった。
それだけで、自分の叔父が幸せに暮らしているとわかり、自然と笑みがこぼれてくる。
そこでふと、バクリッコさんが顔を曇らせた。
「でも、ときどき近寄りがたいほど暗い顔をしていることがあるんだよな。…やっぱり、母国壊滅の報せが堪えているのかも…」
叔父上…
「やっぱり、パンデローも叔父さんのこと心配なんだな」
「…?」
その言葉に頷きかけ、はてと首を傾げる。
…まだカステーラ博士が自分の叔父であるとは一言も言っていないはずなのだが…?
「あ、えっと…博士がさ、たまに話してくれるんだよ。自分と同じ名前の甥っ子のこと。それで、名前を聞いたときにお前さんが何者なのかすぐにわかったってわけ。きっと驚くだろうなぁ。博士のびっくりした顔なんて珍しいから見てみたかったけど、ふたりの再会の邪魔するわけにはいかないよなぁ」
叔父上が、私の話を…?
「あ、もう着いた。…パンデロー、この先の角に建っている真っ白い家が見えるかい?」
バクリッコさんの指差す先には、真珠のように美しい純白の小さな家が建っていた。
ほかの家々と比べても、新築であることが一目瞭然だ。
私が頷いてみせると、
「もうわかるだろう? あれがカステーラ博士の研究所さ。で、研究所の庭を抜ける道がエスペーシア城の勝手口に繋がってるってことは、オレしか知らない極秘事項…ってことで、オレは仕事に戻りまーす」
バクリッコさんは研究所の前庭を横切り、草花を器用に跨ぎながら駆けて行った。
中程まで行ったところで振り返り、
「困ったことがあったら、いつでもエスペーシア城へ来いよ! 何でも力になってやるからな!」
と大きく手を振るので、私も深々と頭を下げた。
あの服装、やっぱり城内で働いている人だったのか…。しかし、仕事をサボっても怒られるだけで済むなんて、パステール王国の城では考えられないだろうな。
母国を思い出してため息をついた、そのときだった。
「バク! また昼食を抜かれたな? 仕事が始まる前に来てくれたら、ご馳走してやったのに」
純白の小さな家から、その声は聞こえてきた。
ここからではよく見えないが、声の主は日陰になった裏庭にいるらしい。
「……」
懐かしさのせいだろうか…。
私は全身に鳥肌が立つのを感じながら、庭の先を見つめていた。
その視線の先で、バクリッコさんが足を止めた。
裏庭にいる声の主に、照れくさそうな笑みを浮かべているのが見える。
「いや〜、昨日も一昨日もご馳走になったんで、今日ぐらいは自分でなんとかしようと思ったんすよ。それで、昼メシは心優しい旅人さんに恵んでもらいました」
「はあ? それじゃあ他人の迷惑になっているだろうが! まったく、その心優しい旅人も、今頃お前さんに貴重な食料をあげてしまったと後悔していることだろうよ」
その声が聞こえるたびに、胸は高鳴った。
気がつけば、両手の震えが止まらなくなっている。
大きく深呼吸を繰り返していると、バクリッコさんがいたずらっぽい笑みを浮かべて、
「博士。その心優しい旅人さん、博士のお客さんなんですよ。さっきから、玄関で待ってます」
「え?」
声の主は、旅人という心当たりのない客人に戸惑っているようだ。
バクリッコさんはというと、名残惜しそうに「それじゃ」と塀を飛び越えていった。
塀の向こうへ消えていく、黒の燕尾服。
視界の隅には、秋風にたなびく白衣。
裏庭から、懐かしい声の主が姿を現した。
「…お客というのは、君のことかな…?」
亡き母と同じ、深い茶色の髪の毛が風に揺れている。
あの頃と変わらない藍色の瞳に、私とお揃いの銀縁眼鏡…。
「叔父上!」
顔を合わせるのは五年ぶりだが、何も変わってはいなかった。
あの日…朝焼けの中、母国を去って行った人物が目の前に立っている。
「…甥っ子…? 甥っ子なのか…?」
「はい! お久しぶりです!」
懐かしい声に、懐かしい呼び名。
叔父は満面の笑みを浮かべて、私の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「甥っ子〜! 来てくれたんだなぁ! ありがとう!」
本当に、何も変わっていない。こういうところ…やっぱり母さんとそっくりだ…おかげで、うまく整えられた髪型も台無しだ。
と、突然叔父が手の動きを止めた。
顔を上げると、叔父は確かめるように呟いた。
「…甥っ子がひとりってことは…そういうこと、なんだな」
その言葉に、亡くなった母を思い出す。
「……」
目を伏せて頷くと、叔父はため息とともに腕を下ろした。
「…まあ、国を出たときから覚悟はしていたからな。今頃、義兄さんと再会して仲良くやってるはずだ。そうだろ?」
「…ええ…そうでしょうね…」
叔父が笑顔だったおかげか…私も素直に頷くことができた。
叔父は「そういえば」といたずらっぽい笑みを浮かべた。
「甥っ子、なんだか巷では甥っ子の噂話ばかりされているみたいだが…まさか、本当に竜巻を…?」
「お、叔父上までそんな…」
「ははっ、冗談だよ」
叔父は上機嫌のまま正面玄関のドアを開けて手招きした。
「ちょうど美味しいコーヒーを淹れたところなんだ。甥っ子も、一緒にお茶にしよう。クロワッサンもたくさんあるぞ」
「叔父上、まだクロワッサンがお好きだったんですね」
「当たり前だろ。好きなものが簡単に変わってたまるか! ほら、早く入った入った!」
…叔父がわざと明るく振舞っていることは明らかだ。
もちろん、本人もそれを隠そうとはしていない。
しかし…それが逆に私の心を和ませてくれるのだった。