第5話
その若者は、象牙色のくせっ毛を風になびかせ、萌黄色の瞳をきらりと光らせると、
「カステーラって、ここじゃ知らない人のいないカステーラ博士のことだろう? オレでよかったら、今からでも案内するよ。仕事は、オレがいなくてもなんとかなるからさ。この昼メシのお礼をさせてほしいんだ」
そう言って、にっと笑った。
話は、数十分前に遡る。
私がエスペーシア城下町へ到着した頃にはもう、太陽は空高く昇っていた。
活気に溢れた城下町は、大勢の人で賑わっていた。
大通りや広場はもちろん、入り組んだ路地裏まで、生き生きとした表情の人々が楽しげに行き交っている。
夏の盛りは過ぎているが、大通りに連なる屋台や市場では、採れたての瑞々しい野菜たちが所狭しと並べられ、鮮やかな色彩が目に眩しいほどだった。
それを買い求める人たちも、近所の主婦らしき女性から、鋭い眼光の一流シェフらしき男性まで様々である。
…今まで色々な国の城下町を見てきたが、こんなに賑やかな場所は初めてだ…
物珍しさからつい目をキトキトさせて歩き続けたせいか、気がつけば脚が棒のようになって、立っているだけでも痛いくらいの疲労が溜まっていた。
ここのところ歩き詰めだったせいもあるが、とりあえず広場で休憩することにした。
南の広場が近かったので向かってみると、中央には大きな噴水が鎮座していて、鯨が潮を吹くように水しぶきを上げていた。
お昼時ということもあり、親子連れが木陰で仲良くお弁当を囲んでいる。
私は噴水を背にしてベンチに腰掛けた。
あいにく日陰ではないが、風にのって舞う噴水の水しぶきがここまで飛んできて気持ちがいい。
暖かくなってきたので羽織っていたローブを鞄にしまい、そこでロールパンのことを思い出した。
鞄の中からポテトサラダのサンドイッチを取り出す。
あのとき少年がくれたロールパンはふたつ残っていたので、サンドイッチもふたつあった。
どちらにもポテトサラダがはち切れんばかりに詰め込まれていて、ひとつ食べるだけで満腹になりそうだ。
「いただきます…?」
手を合わせ、頰を撫でる風に祈りを捧げる。
そこで、何やら視線を感じた。
顔を向けると、正面に立つ街路樹の影から、じっとこちらを見つめている若い男性と目があった。
若者は決まり悪そうに視線を逸らしたが、その先にあるものは…私が手にしたサンドイッチである。
考えるよりも先に、口が動いていた。
「あの! よろしかったら、おひとついかがですか!」
噴水の音でかき消されないよう声を張り上げると、彼は顔を輝かせて駆け寄ってきた。
くるくると跳ねた象牙色の髪に、透き通るような萌黄色の瞳。
私よりも二、三歳ほど歳上だろうか。
どこにでもいそうな人だが、その服装はとても珍しいものだった。
シワひとつない白シャツに、塵ひとつない黒の燕尾服。
胸元には一輪の赤い薔薇。
右ポケットからは、金の鎖に繋がれた懐中時計が顔を覗かせている。
背の高い彼に合わせて作られたであろう黒いズボン。
光り輝く黒の革靴、純白の絹製手袋。
それはまるで…
「いいのかい、旅の人! 本当に、そのサンドイッチ、オレにくれるのかい!」
思考を遮るように、彼が口を開いた。
その勢いに押されて、私は彼にサンドイッチを差し出した。
「ああありがとうぅぅ…!」
彼は深く頭を下げてからベンチに腰掛け、嬉しそうにサンドイッチを頬張った。
「な、なんだこれうんめぇ〜!」
辺りにいる人々が思わず振り返るくらいの大声…。
こ、この人は、あのときの私のように困っていたわけではないのか…?
「うめぇなぁ! このポテトサラダ、なんでかわかんないけど、すっごく懐かしい味がするんだよなぁ。なんでだろ…ま、いっか、美味しけりゃ」
見る見るうちに若者のポテトサラダ、もといサンドイッチは小さくなり、あっという間になくなってしまった。
なんとなく自分の分も食べられてしまうのではないかと不安になり、慌てて残りのサンドイッチを口に詰め込む。
しかし、彼はひとつで満足したらしく、私に向かってまた深く頭を下げた。
「旅の人、本当にどうもありがとう。…ありがとうついでに、もうひとつお願いがあってさ。オレの話、聞いてくれるかい?」
口をもぐもぐさせながら頷くと、彼は顔を上げて語り始めた。
「実はさ、今日に限って上司が仕事の見回りに来ちゃってさ。それで、昼寝中なのに叩き起こされて、今までひとりで残った仕事を片付けてたんだ。おかげで昼メシ食べ損ねちまって、腹減って死ぬとこだったんだよ」
「…え?」
要するに、彼は仕事をサボっていることがバレて昼食を抜かれてしまい、お腹が減っていただけらしい。
き、貴重な食料が…
落胆したものの、そこでふと疑問が頭をよぎった。
「あの…どうして私が旅の者だと…?」
質問してみると、彼はニヤリと笑った。
「そりゃあ、わかりやすいからさ。大通りの市場でキョロキョロしている人は大抵、旅人さん。あれぐらいの人混みは日常茶飯事だから、この町の人は慣れちまってる。だから、旅人さんはすぐわかるんだ」
大通りの市場! そんなところからすでに見られていたとは…
「ところで旅人さん、エスペーシア王国へは観光で?」
「あ、えっと…人を探しているんです。この国ではカステーラという名前のはずなのですが、ご存知ありませんか」
正直、あまり期待はしていなかった。
しかし、彼はぱちくりと瞬きをしてこう答えた。
「カステーラって、ここじゃ知らない人のいないカステーラ博士のことだろう? オレでよかったら、今からでも案内するよ。仕事は、オレがいなくてもなんとかなるからさ。この昼メシのお礼をさせてほしいんだ」
…驚いた。
どうやら、叔父の知名度は予想以上に高いようだ。
「よし、そうと決まれば早く行こうぜ! あ、オレの名前はバクリッコっていうんだ。よろしくな。旅人さんは?」
少年のように無邪気な視線を向けてくる彼に、私は早口に名乗った。
両手に汗をかいたまま表情を窺うと、
「ああ。パンデロー…そうか、なるほどな。じゃ、行くか!」
彼は少し考える素振りを見せたものの、ひとりで納得して歩き出した。
ローリエさんといい、このバクリッコさんといい、エスペーシア王国には不思議な…いや、親切な人が多いんだな…
私は胸に手を当てて神に感謝を捧げると、バクリッコさんを追いかけた。