第4話
パステール王国の国教であるウェントゥルス教には、ふたつの宗派があった。
自然現象や災害を神と同等のものとして扱う南風派と、自然現象や災害よりも人間が優位に立とうとする北風派。
ふたつの宗派は、ともに相容れない理想を持ちながらも、程よく折り合いをつけながら共存していた。
しかし、ある日。
「南風派は軟弱な宗派であり、信者はのちに滅亡する。北風派が優位に立つ日も遠くはない」
と、北風派の神父が南風派を否定する発言をし、人々の間に広まっていった。
おそらく、不作の年が続いたためだろう。
南風派の人々はこぞって北風派に改宗し、自然現象を蔑ろにし始めた。
この状況に危機感を覚え、いち早く対処に動き出したのが南風派の神父…
つまり、私の父だった。
…自然現象を蔑ろにする北風派の暴挙を、自然現象の一部である神がお許しになるはずがない…。
父は北風派の人々に改派を勧めた。
南風派がどれほど神や自然を崇拝し、何百年もの間受け継がれてきたか、喉から血が出るほどに訴え続けたのである。
しかし残念なことに、近年の異常気象はとどまるところを知らず、この年は豪雨が長引き、パステール王国の農作物は壊滅状態だった。
その中で自然を敬えといわれて、人々が腹を立てないはずがなかった。
父は、北風派の信者たちによってパステール城へ連行された。
その頃すでに北風派の強い後ろ盾となっていたパステール王国国王は、この敬虔な南風派の神父を捕らえ、国家に対する反逆という罪により死刑を命じた。
…と、ここまでがパステール王国の最期を決定づけた醜聞として他国に伝わっている情報である。
しかし…これは真実ではない。
私の知る真実の物語には、もう一名、重要な人物が関わっている。
だれあろう、叔父であった。
『悪い夢だと思っていた
明けない夜がないように
止まない風はないと
心が信じていた』
母の歌声が聴こえる。
また、あの夢を見ているらしい。
居間で本を読む私の隣で、居候中の叔父が北風派増加の新聞記事を前に眉を寄せていた。
「叔父上、眉間のシワは取れなくなるそうですよ。気をつけたほうがいいです」
当時十歳の私が大人ぶって声をかけると、叔父は苦く笑って目頭を揉んだ。
「まったく、甥っ子と俺は十五しか離れていないんだぞ? そんな母さんみたいなこと言うんじゃない」
私が母の弟を「叔父上」と呼んだり、叔父が姉の息子である私を「甥っ子」と呼んだりするのには、それなりの理由があった。
…ふたりとも、同じ「パンデロー」という名前なのである。
幼い頃は、その紛らわしさから名付け親である母を恨んだこともあったが、叔父に、
「俺のことは高貴な感じで叔父上と呼んでくれ。俺も、君のことは気さくな感じで甥っ子と呼びたいんだ」
と笑顔で言われたことをきっかけに、名前については深く考えないようになった。
「叔父上」も「甥っ子」も、自分たちだけに与えられた特権のように思えたからだ。
「…最近の北風派は、ついに国王陛下をもその手中に収め、この国を牛耳ろうとしているらしい…。義兄さん、これは南風派の神父として、黙って見過ごすわけにはいかないんじゃないか?」
私とお揃いの銀縁眼鏡。
その奥で、叔父の深い藍色の瞳が鋭く光っていた。
向かいに座る父は「確かにね」と小さく息をついた。
ティーカップへ伸ばした右手の甲には、大きな青黒い痣が残っている。
数日前、教会への投石騒ぎで負った怪我が完治していないのだ。
「パンデロー君の言う通り、このままではパステール王国に大きな災いが降りかかるだろう。神はお怒りになっている…。その証拠に、このところ風向きが安定していない」
「神父様である義兄さんの勘は、驚くほどよく当たるからな。この先、何か起こるかもしれないってことか…。俺に出来ることがあったら、なんでも言いつけてくれよ」
「そうか、ありがとう…。しかし、私たちの行動以前に、神はすでにお決めになっているのではないかな」
「お決めに…? 南風派と北風派、正統なウェントゥルス教はどちらか、ということか?」
叔父の問いかけに、父は静かに首を振った。
「神がお決めになるのは、この国の未来だよ」
私が分厚い本越しに見た父は、とても穏やかな表情をしていた。
…今から思えば、父はこのときすでに、何もかもわかっていたに違いなかった。
北風派と問題を起こした義弟の代わりに自分がパステール城へ連行されることも、そこで殉教の道を選ぶことも、パステール王国が竜巻で壊滅することさえも…。
すべてを知ってなお、父はその運命を受け入れた。
息子の私には、そう思えてならなかった。
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東の空が白み始めた頃、私は客室のベッドで重たい身体を起こした。
疲れはまだ残っていたが、心は軽くなっていた。
昨夜、ローリエさんに促されるまま、すべてを話してしまったことが精神的に効いたのだろう。
たかが財布を拾っただけで朝食までご馳走になるわけにはいかないので、身支度を整えて早々に出発することにする。
しかし、居間ではすでにローリエさんが二人分の朝食を用意して私を待ち構えていた。
「あなたのことだから、先回りしておかないと朝ご飯も食べずに出掛けちゃうと思って」
年の功というものだろうか、得意げに笑うローリエさんには、私の考えなどお見通しのようだった。
「…この道をまーっすぐ行けば、城下町よ。パンデローくらいの歳の子なら、お昼ぐらいには着けるかしらね」
庭先まで見送りに出てくれたローリエさんは、地平線から顔を出した太陽に目を細めつつ、北へ続く道を指差した。
私は太陽を背にして、微笑むローリエさんに深々と頭を下げた。
肩に掛けた鞄には、昨日の少年からもらったロールパンにローリエさん特製のポテトサラダが詰まったサンドイッチが入っている。
羽織った鳶色のローブが、朝の爽やかな風を受けてはためいた。
「何から何まで、大変お世話になりました。このご恩は、一生忘れません」
「まったく、大袈裟ね。これぐらい忘れたって、だれも怒らないと思うけど…。あ、忘れるといえば、あなたに言い忘れていたことがあったわ」
そういうとローリエさんは、私の瞳をじっと覗き込んだ。
「あなたと同じ名前の叔父さんだけど、この国では違う名前で呼ばれているかもしれないわね」
「…なるほど、確かにそうかもしれませんね」
私たちの暮らすこの世界には、言語はひとつしか存在しないが、人名だけは国によって大きく変わることが多い。
名前ぐらい、その国特有のものがあった方がいいのでは…と、大昔の人は考えたらしいが、詳しいことはわかっていない。
ただ、現在でもこの風習は続いていて、子どもの頃に『人名変換表』というものを覚えさせられる。
友人たちは渋々暗記していたようだったが、私はというと、この『人名変換表』の暗記を趣味とする変わった子どもだったので、
ローリエは、パステール王国ではロウロ、だったかな…
と、今でも大抵の名前はその場で変換することが出来た。
「パンデローはこっちではかなり珍しい名前ね。そういうのは、変換が難しいんじゃなかったかしら?」
「そうですね…遠い国になればなるほど、変わった名前になるんです。確か『名前変換表』にも書いてあったと思います」
私は自分の部屋に飾られていた『名前変換表』を思い出しながら、
「パンデローは、エスペーシア王国ではカステーラとなるはずです」
そう淡々と告げると、ローリエさんは満面の笑みを浮かべた。
「パンデローは真面目な子だったのね! ちゃんと覚えてるなんて、記憶力がいいんだわ〜。 私は変換表なんて全然覚えられなかったけれど」
「いえ、単に自分の名前だったからというだけで…」
そんなことで褒められるとは…と、はにかんでいると、ローリエさんは「うちの孫の名前も変わっていてね」と、頼んでもいないのに嬉しそうに話し始めた。
「数年前まで、生まれ故郷の遠い国に住んでいた子なの。だから向こうでの名前で呼んでほしいって言われてるんだけど、これが変わった名前で全然覚えられなくて…。わたしはずっとエスペーシア王国風のコーカンって名前で呼んでいたから…」
「コーカン、ですか…」
記憶の底にある『名前変換表』を手繰ってみたが、残念ながら見覚えのない名前だった。
仕方なくわからないと告げると、ローリエさんは「あら残念」と寂しげに笑った。
「お役に立てず、申し訳ありません」
「そんな、パンデローが謝ることじゃないでしょう。気にしないでちょうだい。また手紙で聞けばいいだけのことだもの。…まあ、何度も聞きすぎて呆れられちゃってるけど」
「…お会いしてみたいです、ローリエさんのお孫さんに」
私は、心からそう思っていた。
こんなに優しくて思いやりのあるステキなローリエさんのお孫さんなのだから、きっと城下町中の人たちが憧れる紳士に違いない。
私の言葉に、ローリエさんは満面の笑みを浮かべた。
「あら嬉しい! ぜひ、そうしてちょうだい。きっと孫も喜ぶでしょうから」
それからローリエさんは、まるで自分の孫を見送るように「また遊びにおいで」と声をかけてくれた。
その言葉を背に受けて、私は城下町へと歩き出した。




