第18話 魔法少女は縁で。(2)
◆5月3日 午前10時10分◆
「う~…」
重い瞼を開くと、今となっては少しばかり見慣れた天井が視界に飛び込んできた。
だるさが残る体をゆっくりと起こし、首を回して周囲を確認する。
以前のような寝起きサプライズが無いことに少しだけ安堵すると、私はベッドから下りる。
「…?」
私はその時、床に触れた足先に妙な違和感を感じた。
だが、些細なことだと気にも留めず、フラフラとした足取りで扉に向かう。
…
応接間の扉をそっと開け、恐る恐る中を覗き込む。
するとそこには、アフタヌーンティーを嗜むかのようにテーブルを囲み、優雅に紅茶をすする人影があった。
貴族のティータイムという言葉をそのまま絵にしたような空間に尻込みしながらも、私は勇気を振り絞って声を掛ける。
「あ…あの…」
ネグリジェ姿で紅茶を口に運ぶ金髪ストレートのその姿は、一見すると二度見してしまうほどに目を惹くが、よくよく目を凝らせば見覚えのある人物だった。
「ん~…?やっと起きましたか、このお寝坊さんは――と言っても私も似たようなもんだけど」
その人物は私の姿を上目遣いでチラリと確認した後、何事もなかったように紅茶をすする。
「春希さん!!」
すると突然、背後から別の声が聞こえ、反射的に振り返る。
そちらはまったくの対照的で、持っていたトレーを盛大に落としたというのに気にも留めず、私の姿を見るなり、まるで獲物に飛びつくかのごとく私に駆け寄ってきた。
まったく無駄の無い動作で私の顔を両サイドから鷲掴みにしたかと思うと、私の目を覗き込むようにその整った顔を近づける。
「目を覚まされたんですの!?お体は大丈夫ですの!?ご気分は!?」
いきなりの状況に動揺しながらも、せめてもの抵抗で視線を逸らす。
「い…今まさにご気分に変調をきたしたんで、離してくれると助かる…」
無論、ここでいう気分とは、体調などではなく、私の機嫌の話である。
「ああ!?すみません!?つい…」
すぐさま私の頭部は拘束を解かれたものの、顔の火照りはすぐに引きそうにはなかった。
「言ったろー?絶対腹空かせてひょっこり起きてくるって?」
雨は尚も紅茶をすすり、芽衣に目配せする。
「…そ、それでも心配は心配なんですの!春希さん!ご気分が優れないときはすぐに仰って下さいの!あのようなことは、もう…」
私は、私を心配する芽衣の様子に、いつもとは違う何かを感じ取った。
まるで母親が子供を心配するような、はたまた療養中の患者を扱うような、言ってみれば心配性という域を出て過剰な振る舞いだったと言えなくもない。
勿論、心配されることに関して文句は無い。
ただ、私が彼女の目に“弱い人間”に映っているかと思うと、些か不甲斐なさを感じてしまう。
しかし、そんな考えは杞憂であったことをすぐさま知ることとなった。
「ん…?あのようなこと…?何かあった…?」
雨は眉を潜め、呟くように言う。
「こうさせた張本人がそれを言うかねぇー…?」
「張本人…?私が?」
私は寝る直前の出来事を思い返してみる。
だが、心当たりは何もない――というより、記憶そのものがないことに気付く。
「…そういえば、寝る前のこと覚えてない」
私が記憶していたのは、帰り道で芽衣の家のお風呂を借りようという話をしたところまで。
だが、いくら思い出そうとしても、どういう経緯で私があのベッドに寝ていたとか、どうやって着替えたという記憶が微塵も思い出すことがなかった。
「昨日…というか今日だけど、帰り道で突然倒れたんだよ。電池が切れたみたいに突然」
「たお…れた…?」
◇
◆5月3日 午前2時3分◆
普段は人や車で騒がしいくらいの桜並木の大通りだったが、今宵の一件はまったくの無関係だと主張するかの如く、まるで夜闇に飲み込まれたように無音で静まり返っていた。
そんな静寂の中を、だらだらとした足取りで進む三つの影があった。
「うっわ~…。もう二時過ぎてるしー…」
雨はスマホ画面に映し出された時刻を見て、驚きの声を上げる。
つられるように腕時計を確認すると、確かにちょうど2時を回ったくらいだった。
「まさかこんな時間までかかるとは、さすがに想定外」
「それなー…。なんか色々ありすぎて疲れたわー…」
雨は思いっきり背伸びをしたあと、自分で自分の肩を叩きながら、おっさんのように首を回す。
「…幽霊退治するつもりで来たのに、神様の相手することになるなんて思わなかった」
私もまた、老婆のように背を丸めながらトボトボと歩く。
「でも、春希さんと一緒に夜の学校探索出来ましたし、私はとっても楽しかったですの!」
私や雨の疲れ切った様子とは正反対に、芽衣は満足げな笑みを浮かべながら楽しげにそう語る。
「幽霊退治ってところにツッコミを入れれば良いのか、楽しかったってほうにツッコミ入れればいいのか…。なんか、また疲れが…。てか、普通の感覚を持ってるのは私だけ…?」
大きくため息をつきながらうな垂れる雨の様子を横目でチラ見し、様子をこっそりと窺う。
すると、それに気がついたのか、雨はすぐさまこちらの視線に気が付いて、怪訝そうな表情を浮かべる。
「う~ん…?何よ…?人の顔チラ見して…?」
「あー…いや…」
正直言うと、私は時間なんかより、先ほどの雨の様子が気に掛かっていた。
再び魔法少女に変身して戦ったことや、新たな力を発現させたことだけではない。
私だけが変身したことを、雨は一体どう思っているのか。
だが、知りたいと思う反面、同時にそれを聞くことを私は恐れていた。
「…なんか結構疲れてる顔してるなーって思っただけ」
私が適当に誤魔化した直後、雨はピタリと足取りを止め、一瞬固まった。
そしてすぐさまコンパクトを取り出し、鏡で自分の顔を確認する。
「う、うわぁー…自分で言うのもなんだけど、マジでヒドイ顔…。あー、早く帰ってお風呂入ろー…」
「あっ。それでしたら、うちのお風呂使われますか?」
「芽衣の家って…?そういや、クマゴローを連れ帰る時に来たけど、あのときは外観見てガチでビビった…。てーことは、まさかお風呂は…?」
私は小さく頷く。
「そのまさか。あれは風呂というよりローマの公衆浴場だな」
「てるまえ…?なんだかよく判らないけど興味があるな…。ちょっとだけ寄らせてもらおっかなー、なんて?」
「それでしたら、寄るだけと言わずに泊まっていかれてはどうですの?明日は学校もお休みですの?」
芽衣の誘いに、雨は腕を組んで考える。
だが、一秒と待たずにその答えは出たようだった。
「う~ん…親にはもともと友達の家に泊まるって言ってあるし、お言葉に甘えてそうさせてもらうわ」
私はその一言に異を唱える。
「…それはつまり、もともと私の家に泊まるつもりだったってこと?」
「はぁ?今さら何言ってるんだ?親に夜の学校に行ってたー…なんて言えないだろ、フツー?チーが夜遊びするならおばさんが居ないのは確実だろうし、何かあったときはチーが無理を言うからしょうがなくって言えば…」
私は大きくため息をつきながら、ポリポリと頭を掻く。
「あー、なるほど…。まあ、考えることは一緒ってことか…」
「一緒?」
雨は小首を傾げる。
「こっちはもともと芽衣の家に泊まる予定だった。だから、学校に向かう前にお泊りセットを芽衣の家に置いてきたし、親に位置バレしなように私のスマホは芽衣の家に置いてきた。今持ってるこのスマホは芽衣に借りてるもの。万が一バレても芽衣が学校に忘れ物したからしょうがなく一緒に…という感じ」
「んな!?ずっるぅ!?私だけハブかよ!?」
「別にそういうつもりは無い。来れるかどうかも判らなかったし」
正直なところ、怖がりで優等生である雨が私と一緒に学校に侵入することを善しとするかどうかは、半々といったところだった。
それ故に、この作戦の頭数には最初から入れていなかった。
「ま、まあ。そりゃそうだけど…」
「それにあの時はお風呂にゆっくり入れなかったから、今度こそ…」
私はふと自らの左手を見つめながら、その手を閉じ開きする。
「しまったー…。あの感覚が…」
あの時の、柔らかいような硬いような不思議な感触がフラッシュバックのように手に戻ってくるのを感じ、私は右手で顔を覆う。
「どうした…?何かあったのか…?」
「あー…いや…なんでも…。まあ、三人揃って話が出来るならちょうど良い」
「…ちょうど良い?何がですの?」
「二人に相談があ――」
その瞬間、私の体はまるで後ろから引っ張られるようにバランスを崩す。
「――あ…れ…?」
平衡感覚を失ったかのように視界が揺れ、私の意識はそこで途絶えた。
◇
◆5月3日 午前11時◆
私の目の前には様々な種類のサンドウィッチが並べられ、私はそれぞれの味を堪能するように端から食してゆく。
些か遅い朝食であったとはいえ、私の腹は限界を知らないかのように、それらの食物を口から胃へと格納してゆく。
「倒れたってのに、食欲はいつも以上…。この分だと体調のほうは問題なさそうだな…。てかもしかして、ガス欠で倒れたんじゃないか?」
「わらひをはらへこひゃらに…うく…。するな」
私は口に入っていたものをミルクティーで一気に流し込みながらそう答える。
「いやもう既になってるだろ、それ…」
「そんなに慌てなくても、まだまだ沢山ありますの」
扉のほうに視線を向けると、芽衣は追加のサンドウィッチをトレーに乗せて現れた。
「ありがと」
テーブルに乗せられたサンドウィッチに、早速手をつける。
「…あんまり甘やかしても良いこと無いぞー?野良猫みたいなもんだからさ?」
「いえいえ…こうして見ているだけで心が癒されますの…」
芽衣はまるで猫に餌を与えるように、私が食べる様子をニコニコと笑いながら見つめていた。
――猫はかわいい。そして、かわいいは正義。
普段ならそっぽ向いて距離を取るが、状況が状況だけに今回は甘んじて受け入れるとしよう。
猫のように。
「それより、聞きたかったんだけどさ?昨日のこと」
「はに?」
ふたたび複数のサンドウィッチを口に含みながら答えると、雨は呆れたと言いたげな表情を浮かべた。
「…とりあえず、食べ終わってからで良いから」
…
私は用意されたサンドウィッチを全て平らげると、食後のミルクティーをすする。
「…ふう。満足」
「そりゃ、あれだけ食べればな…」
雨は呆れ顔で、空になったトレーを見つめる。
「で、だ。昨日のことだっけ?」
「ああ。舞台で話してたことはある程度理解は出来たけど、どこでどうなってこんなことになったのかが理解できてない」
私は飲み干したティーカップをそっと置く。
「…きっかけは二週間前。私たちが屋上の踊り場で雹果を発見したあのときだ。雹果は屋上に居る天草雪白と宇城悠人を見ていた。恐らくあの時、天草雪白の抱いていたものや、抱えている問題を雹果は知ることになった」
「抱えてる問題…?」
「…天草雪白が未だ宇城悠人と一緒に居ること。そして、離れる決断が出来ていないこと」
入学してから数週間の時間が経過していたものの、天草雪白が隠している事実を、雹果はそれまでに知ることはなかった。
警戒心の強い天草雪白は、自分より強い退魔の力を持つ雹果と幽霊である宇城悠人が接触してしまう危険性を恐れていた。
それ故、屋上でのあの瞬間まで、雹果に気付かれることがなかったのだと考えられる。
「それらを知った雹果は、陰ながらその手助けをしようと考えた」
あの時、雹果はその目に涙を浮かべていた。
今になって思えば、感情の乏しい彼女が涙を流しているという状況そのものが異常事態だった。
つまり、あの状況には雹果の感情を揺さぶるなにかがあったということ。
「それからすぐ、雹果の前に自分と同様に霊を見ることが出来る人間が現れた――まあ、ようするに私だ。私から部活を作る話を聞いた雹果は、天草雪白と宇城悠人に近付く絶好の機会が向こうからやってきたと思っただろう。翌日、私が部活申請で生徒会室を訪れた際を見計らい、宇城悠人こと八代稲荷神に接近する決定的なきっかけを作ることに成功した」
私が生徒会室の扉を開けたとき、雹果が転がり込んできたのは偶然だったのか、狙っていたことなのかは定かではない。
だが、扉に体重を掛けてまで聞き耳を立てていたところをみると、生徒会室の外に来ていたのは意図的なものであることは間違いなかった。
「その直後、私の忠告を聞いた雹果は、真意を問いただすために宇城悠人との接触を図った」
恐らく、天草雪白と雹果の関係改善のために私が語った言葉は別の解釈をされ、宇城悠人と対話することを雹果に決断させた。
そして、私が雹果を連れてもう一度生徒会室を訪れるよりも前に、雹果は宇城悠人と会っていたと考えられる。
それは、彼女がその後に語った言葉が裏付けている。
「真意…?一体何のために…ですの?」
「八代稲荷神と一緒に封印されたことになってるはずの人間が、今もなお天草雪白と一緒に居る。それどころか屋上でキスをしようとしていた。妹としてはどうしてそんなことになってるのか気になって当然だろう?」
「なるほど…!それは納得ですの…!」
芽衣は何度も強く頷いた。
「そこで今の現状を聞いた雹果は、二年前のトウガ封印作戦の続きをしようと提案した」
「それはまた唐突な…。しかしまた、どうしてそんなことを?」
「恐らく、縁の切れたはずの宇城悠人を天草雪白が視認することが出来たのは、自分が作った縁結びのお守りの効果の影響だと考えたんだろう。二人の間に強力な縁を作り上げてしまったことに対して雹果は責任を感じていた。まあ、本当に影響があったかどうかは判らないけど」
雹果は自分の持つ縁の力が、八代稲荷神に匹敵するか、それ以上のものであることを知っていた。
だからこそ、未だに二人が別れられないのは自分のせいだと思い込んだのだろう。
「宇城悠人は雹果の提案を快諾した。なぜなら、宇城悠人自身も天草雪白と自分の関係をどうにかする手段を模索していたから」
恐らく雹果は、天草雪白の前から姿を消したはずの宇城悠人が、なぜ今も一緒に行動しているのか問いただすことを躊躇したことだろう。
なぜなら雹果から見れば、宇城悠人は自分に嘘を吐いていたことになるから。
最悪の場合、宇城悠人と対立せざるをえない状況も想定していたことだろう。
だが、それは杞憂に終わった。
宇城悠人もまた、今のままではいけないと以前から思っていたから。
「そこで宇城悠人は条件を出した。一つは天草雪白の中に残っている宇城悠人としての自分の存在を消すこと。そしてもう一つは、封印されていることになっているトウガの後始末。つまり、自分の残したしがらみを綺麗さっぱり消すことが条件」
「しがらみ…か。だからチーを使って七不思議を利用しようと考えた…?」
私は頷く。
七不思議の一件を白日の下に晒すことは、宇城悠人のやり残したことの一つでもあった。
そして都合よく、自分に協力する人間と使えそうな駒も揃っていた。
そんな絶好の機会を宇城悠人が見逃すわけもなかった。
「この計画の最重要人物である天草雪白を誘導するには何かしらの餌が必要だった。だから、宇城悠人の存在を視認できる私は、とても都合の良い餌として利用されることになった。その餌である私を釣るための餌…それこそが七不思議の解明」
七不思議は私を利用するのにうってつけの題材ということもあり、わざわざ七不思議の話を引っ張り出し、この作戦の隠れ蓑にしようと企んだのだろう。
そうなれば、七不思議の謎も解き明かされることになり、宇城悠人にとっては一石二鳥だった。
「だから私に七不思議を解くよう宇城悠人が偽りの依頼を出し、七不思議を調べられては困る天草雪白と対立するよう仕向けた」
宇城悠人との対話を終えたであろう彼女は、私にこう告げていた。
『あなたの言ったことは一理ある。気持ちは言葉にしないと伝わらないし、言葉にしてくれないと判らない』と。
あの言葉は結果論であり、宇城悠人と話が上手くまとまったからこそ出た言葉。
そして、こうも言っていた。
『私はあなたを利用させてもらうことにした』と。
私はあの時すでに、この作戦に利用されることを宣言されていた。
「こうして、七不思議の解明を隠れ蓑にした、“天草雪白と宇城悠人を破局させよう作戦”の筋書きは出来上がったわけだ」
「…もうちょっと良いタイトル無かったのか?」




