第2話 魔法少女はコミュ障で。(4)
◆4月3日 午後3時25分◆
学校に居る間、私は度無しの伊達眼鏡を常時着用しているが、私の目は両目の視力ともに2.0であり、本来であれば眼鏡をかける必要など無い。
無論、年齢相応にオシャレに気を使っているからなんて理由でも勿論ない。
単純に、黒板が見えづらいことを視力のせいにしたほうが、何かと都合が良かったからだ。
(疲れた……)
今日の授業中、私には黒板の文字はおろか、三メートル以上先はまともに見えていなかった。
そのため、視覚がまったく当てにならなかった午後の授業は、耳と記憶力だけでなんとか乗り切り、放課後のホームルームになった頃には、私の疲労感はピークに達していた。
(毎日これじゃ……授業どころじゃないな……)
魔法少女として最後に戦ったあの一件以来、私の体には後遺症が残っていた。
それは、魔法少女の時に使用していた幾つかの魔法や特殊能力が、変身をしていなくても使えるようになっていたこと。
その中の一つである“ネガミ・エール”という魔法は、私の日常生活に多大な影響を与えていた。
(どうしてこんなことに……)
“ネガミ・エール”は悪意や残留思念などの負の感情を目視できるようになる魔法であり、以前は敵の出現場所をいち早く特定出来るため、索敵を主だった用途として利用していた。
一見するとなんの変哲も無い魔法ではあるものの、今の私はその“ネガミ・エール”という魔法が常時発動している状態である。
それがどんな状態であるかというと、退屈だとか、つまらないとか、気分が悪いだとか、人間なら自然と出てくる普通の感情である“嫌悪感”も負の感情に含まれるため、授業中の教室、まして人が一箇所に集まっている環境となればその量は尋常ではなく、“嫌悪感”というドス黒い沼のようなプールに始終浸されているような状態だと言えば、この気持ちが伝わるのではなかろうか。
(何か対策を講じておく必要がある……な……)
悩ましい問題に頭を抱えていると、担任が声量を上げ、私は現実に引き戻されるように顔を上げる。
「よく聞けー。明日の午前中は身体測定。午後には体力テストがある。各自運動着を持ってくるように。忘れたら貸し出し用の特別な香りのするジャージ着させるから、その時は覚悟しろよー?」
(それは最悪だな……。まあ冗談だろうけど、臭いくらいは常識的に考えてなんとかしておいてほしいものだ……)
ジャージのことも然ることながら、身体測定というイベント自体が私にとっては踏み絵のようなものであり、「いっそのこと明日は休んでしまいたい」などと脳裏を過ぎる。
そんな私の心の内を見透かしたかのように、担任は注釈を付け加える。
「それと、休んでも抜き打ちで受けさせるから、ベストコンディションじゃないからなんてくだらない理由で休もうなんて考えないほうがいいぞ? まあ、その気持ちは判るけどね?」
ようするに、運動着を持っていない日に抜き打ちなんてされた日には、貸しジャージに身を包みながら謎の臭いを撒き散らし、奇異の視線を一身に浴びながら一日を過ごす、ということになる。
そんな事態を想像しただけで吐き気がするし、未来永劫記憶に残り続ける悪夢のような一日となることはまず間違いないだろう。
それ故に私は、明日だけは運動着を忘れぬようにと固く心に誓った。
………
程なくして学びの時間にピリオドを打つ号令が済み、自由という名の放課後が始まった。
教室内にたむろする人間や、帰り支度を済ませてさっさと教室を立ち去る人間に大別される中、隣の人物は後者に属すことを示すように立ち上がった。
「それでは、春希さん。またあし――」
危険な天使が立ち上がり、私に別れの挨拶を告げる。
私はその瞬間を待っていたとばかりに、すかさず彼女の服の裾を掴んで引き止める。
「――た? あ、あの……? どうかなさったのですか?」
少しだけ嬉しそうな、それでいて不思議そうな表情を見せながら首を傾げる。
「あ……の……。えっと……」
何を勘違いしたのか、私の頭に触れようと手を伸ばしてきたので、私は条件反射的にその手を振り払う。
私のドギマギする様子を見て私の意を察したのか、彼女は自身でその答えを導き出した。
「……!? あ、あの……もしかして、今朝のお答えをもう頂けるんですの……?」
私はコクリと頷き、視線を逸らしながら無言でノートの切れ端を差し出す。
すると、危険な天使は不思議そうな面持ちでそれを受け取り、その紙をゆっくり開く。
そこで彼女は状況を察し、私を二度見しながらその小さな目を見開いた。
「こ、これは……ほ、本物ですの!? 有難う御座いますの!! ということは……!」
今にも踊りだしそうに甲高い声を上げ、期待に満ち満ちた視線を私に向ける彼女に対し、私は首を横に振りながら“待った”のポーズを取り、そのまま下を指差す。
「え……下?」
彼女に手渡した紙には、私の連絡先――といっても、学校支給の携帯端末のもの――と、私から彼女へのメッセージを書き記しておいた。
「友達になるための……3つの条件……?」
私は他者と距離を置きたいが、彼女は私との距離を縮めたい――こういった、互いに反する目的を持つ場合での交渉は、徹底抗戦して勝利するか、双方が譲歩して折衷案を採るしか落とし所は無い。
この状況で私が意地を張って拒絶しようと、相手が危険な天使である以上、私に対しての行動や行為がますますエスカレートしかねないし、百合ならまだ優しいほうだが、ストーカーからのヤンデレルートに発展――なんて事態はなんとしても避けなくてはならない。
そこで私は、実直な性格の彼女ならば、先に条件さえ提示しておけば、譲歩するにしても何にしても、自分にとって有利な状況が作り出せる可能性が高いと結論付けた。
「『一つ、校舎内での会話は必要最低限に』……ということは、外であれば会話し放題ということですの!?」
普通に考えれば、それは友人というよりは外で会う知人くらいな関係だとは思うのだが、彼女がポジティブシンキングの持ち主であることが功を奏し、その真意を深読みされることは無かった。
とはいえ、外で遭遇したときに無限に話をされるのも困りものではあるのだが。
「『一つ、故意に近づかないこと』……つまり、偶然ならいくらでも構わないということですの?」
席が隣同士で必然的に近づいてしまうことを考慮し、故意でなければ問題は無いという条件まで譲歩することにした。
しかしながら、不安の残る一言を聞いてしまった気がして、私は一抹の不安に駆られた。
「『一つ、抱き付くのは禁止』……それでしたら、頭を撫でるのはだいじょ――」
危険を察した私はすかさず彼女から紙を奪い取り、修正を加えて彼女に差し戻した。
「えっと……頭を撫でるのも禁止……? つまり、互いのことを知るまでの準備期間が必要……ということですの? わかりましたの! 私、春希さんがお友達と認めてくれるためにがんばりますの!」
彼女は恐らく、友達になるまでのお試し期間であると考えているのだろうが、私はそのように考えてはいない。
これらの条件は、私の思い通りに事が運ぶよう仕組まれた計略であり、連絡先を渡したのも、三つの条件に信憑性を持たせるため――つまり、私には初めから友達を作るつもりなどないのだった。