第15話 魔法少女は鏡と鐘で。(3)
◆5月3日 午前0時11分◆
学校の廊下をひた走る二つの人影がある。
「さすがにアレは反則だろおおおおーー!?」
私は張り裂けんばかりの叫び声を上げながら、全力疾走していた。
『きゃははははは!!!逃げろ逃げろー!』
パピヨンマスクはご機嫌な高笑いとともに、ハンドベルのようなモーニングスターを片手でグルグルと振り回しながら、私たちを猟犬の如く追い立てる。
『姉さまを悪く言う人間は、八つ裂きです!口が災いの元だということを理解させてあげます!』
その言葉が文字通りの意味を含んでいることは疑いようもなかった。
「くそっ…!」
窓ガラスをひとつ残らず叩き割り、立ち塞がる壁すらも粉砕しながら、モーニングスターを振り回す少女は五メートル後方まで迫り来る。
それはさながら、追い迫ってくるミキサーのようだった。
「てか、お前キャラ変わりすぎだろ!?サイコパスか!?」
『私は、お邪魔なゴミをお掃除してるだけですよー?きゃはは!!』
まるで、本当にゴミを掃除するような気分なのか、パピヨンマスクはご機嫌そうにそう答える。
「あー…コイツ、マジでヤバいタイプのやつだわー…」
それに対し私は、ドン引きを通り越して、血の気が引くのを確かに感じとった。
「芽衣!まだ走れるか!?とりあえず、アイツと距離をとる!」
「はいですの!走ることは慣れていますの!でも…春希さんが心配で心配で…」
芽衣はキョロキョロと視線を泳がせながら、考え込みながらも全速力で走るという器用なことをしていた。
「あー…これが通常運行ってやつかー…」
こんな状況でも、まったく動じない芽衣の様子を見て、私は先刻チーの言っていた言葉を思い出す。
――『今の状況を楽しめ』…か。
「…って、こんな状況楽しめるわけないだろー!?」
『ほらほらー?逃げないと本当のゴミになっちゃいますよー?まあ、逃げても無駄なんですけどねー?きゃははははは!!』
――ともかく、今のままだと埒が明かない。
いくら体力があるからといって、このペースで走り続けるのは自分達を追い詰めることにしかならない。
「とにかく、一旦身を隠せる場所を探す!どう切り抜けるかはそこから!」
「それでしたら、次の角を曲がってすぐに階段がありますの!一旦、上階で撹乱するのはどうですの!?」
「おっけー!採用!それなら、とりま全力ダッシュだ!」
速度を上げながら廊下の角を曲がり、目と鼻の先にある階段を四段飛ばしで駆け上る。
…
二階に上り、近くの教室に逃げ込んだ私たちは、机の影に隠れて息を潜めていた。
『どーこだー?この階に逃げ込んだのは知ってますよー?』
ホラー映画に出てくる快楽殺人鬼かのように、廊下の奥から私たちを探す声が反響しながら聞こえてくる。
互いが互いの口を塞ぎ、机の隙間から相手の様子を物陰から監視する。
『まあ、追い回すだけじゃ退屈で面白くないですからー?鬼ごっこに興じるのも悪くはありませんけどねー?きゃはは!』
――あれじゃ、ガチの鬼じゃないか。
私は芽衣の口を塞いだまま身を乗りだし、過ぎ去るまで様子を伺う。
声が遠ざかったのを確認すると、二人で大きな溜め息をつく。
「行ったな…」
振り返ると、芽衣は自分の口元を指差し、離してくれアピールをしていた。
それを確認して、ゆっくり自分の手を離す。
「悪い悪い。さて、これからどうするか…」
「あの方は一体どなたなのでしょうか…?ちょっと変わった方でしたの」
あれを、“ちょっと”という一言で片付けて良いのか些か疑問ではあったが、私は相槌を打つ。
「わからない…。私たちを最初から狙ってたとすると、この前の狐面の女と関係があることは間違いないだろうけど…」
だが、私は自分自身の発言に、言いようのない違和感を覚えていた。
あのプライドの高そうな狐面が、パピヨンマスクのような訳の判らないイカれた奴とつるみ、ましてや頼ったりするのだろうか、と。
「まあ、確実に言えることはある。私たちだけではかなり分が悪い」
学校の分厚い壁を、積み木を崩すかのごとく破壊する怪力サイコパス相手に、魔法の使えない私が太刀打ちできるとは到底思えない。
だとすれば、取り押さえて時間稼ぎをするか、それが無理なら逃げ切るしか術はないが、取り押さえるとしても生半可な力では振りほどかれるし、逃げるにしても現状を鑑みるに逃げ場はない。
「逃げ場も無ければ、助けも借りられない。虎と一緒の檻に閉じ込められた気分だわ…」
「諦めないでください、雨さん。私たちだけでも、頑張りましょう!ファイトですの!」
「いや、ファイトって言われても…」
――こんなとき、魔法が使えればなんとでもなるんだろうけど…。
ないものをねだっても何も解決しないことは十分承知しているし、自分で要らないと言っておきながら、虫のいい話であることも理解している。
だが、こんなときだからこそ魔法があれば良かったのにと思ってしまう自分が居るのも事実だった。
私が俯いた瞬間、私の肩にそっとが乗せられた。
「それに、私たちにはまだ可能性が残されていると思いますの」
「可能性…?」
私は思わず言葉を漏らす。
「逃げ場が無いと仰いましたが、本当にそうなのでしょうか?たぶん…なのですけど、ここが鏡の中の世界だとしたなら、その入口も鏡なんじゃないでしょうか?」
私は顔を俯けて考える。
「なるほど…」
階段から落ちていたせいでハッキリと断言は出来ないが、私たちがこちらの世界に迷い込んだ場所は、大鏡の近くだったことは間違いない。
それに、パピヨンマスクがこちらの世界に居るということは、当人が入ってきた入り口や、ここから出る方法がどこかにある可能性もあるということ。
芽衣の言うとおり、私たちにはまだ可能性が残されているのかもしれない。
「…だとすれば、学校にある鏡が全部出入口になってるってことはないか?」
もし、鏡が出入り口なっているとすれば、この学校に無数に設置されている鏡の一つを通れば元の世界に戻れることになる。
「私もそう思って、さっき走りながら探してはみたのですが、見当たるところに鏡がありませんでしたの…」
「マジか…」
私が驚きの言葉を漏らしたのは、鏡が無かったことなどではなく、あの状況で鏡を探す余裕なんてものが芽衣にあったことだった。
チーのことばかり考えているのだと思っていたが、ただ逃げるだけだった私と違って、私たちが今後どうするべきなのかを考え、既に行動に移していた。
突然、突拍子も無いことを言ったりもするが、どんな状況でも冷静でいられるという、チーの持っていないものを持っているからこそ、チーがこの子のことを気に入ったのではないかと思う。
「…あ、そうだ。それなら」
私はポケットにしまっていたシャイニーパクトを取り出す。
「それは、春希さんとお揃いの…」
食い入るように、シャイニーパクトを見つめている芽衣の姿を見て、私はチーに言われていたことをふと思い出した。
「あ、そういえば言いそびれてた。これ拾ってくれたの芽衣なんだろ?ありがとう」
「いえ、たまたま拾っただけですの。私は何も…」
そう言いながらも、その視線はシャイニーパクトに釘付けだった。
「拾い主だからって、そんな羨望の眼差しをされても、さすがにこれはあげられないぞ…」
「い、いえ!そんなつもりで見ていたわけでは…」
「あ。じゃあ、代わりにこれをやるよ。昔、チーから貰ったアサガオの種」
私はアサガオの種を3粒ほど摘み、それを芽衣の手のひらに乗せた。
「は、春希さんから…?ぜ…是非とも頂きたいですの!ああっ!?でも、これって大切なものなのでは…?」
「いいんだ。まだあるし、チーも喜んでくれると思う」
チーが育てた花の種が、人から人へと渡り、そして新たな花を芽吹く。
そして、その花の種が再び誰かに託され、そこでまた花は育ち、やがて種が生まれる。
アサガオが『固い絆』だというのなら、それは確かに目に見える、絆の証なのだと私は思う。
だからこそ、私が芽衣に種を渡すことをチーが喜ぶだろうと断言できた。
「ありがとうございますの!大切にしますの!」
まあ、案の定というかなんというか、当人には育てる気はなさそうだが。
私はシャイニーパクトを取り出した理由を思い出して、改めて鏡を覗き込む。
「…って、あれ…?」
私は覗き込んだコンパクトの中身に違和感を覚え、言葉を漏らす。
「これは…鏡が真っ暗ですの?」
コンパクトの鏡は、いくら覗き込んでも真っ暗で、私の顔はおろか背後の景色すらも映り込まなかった。
私は鏡の部分を何度か突っついてみたが、鏡に吸い込まれるようなことは無かった。
「やっぱり、鏡は出入口ではないのでしょうか…?」
「いや…。もしかすると、この鏡が向こう側の世界に無いからじゃないか?」
恐らく、こちら側が鏡の中の世界だとすれば、向こう側にある世界を投影したものがこちらの世界ということになる。
だとすれば、向こう側の世界に存在していないシャイニーパクトの鏡は、何も映すことは出来ないと考えるのが妥当だろうと思い至った。
「これでは結局、鏡が出入口なのかどうか…」
「…いや。そうでもないぞ」
私の言葉に、芽衣は首を傾げる。
「もし、この学校にある他の鏡がこの鏡と同じように真っ暗になっていたとしたなら、私たちがさっき見たものは何だ?」
「さっき見たもの…?」
私が何を言いたいのかを理解したらしく、芽衣は何度も頷く。
「“鏡が鍵”だ。とりあえず、この学校にはじめからある鏡を探そう。まずはそこからだ」
◇
◆5月3日 午前0時13分◆
私は咳払いを一つしたあと、話を始める。
「…私は最初、生徒会が部活に昇格させることをエサに、同好会を利用して七不思議をでっち上げるように指示を出していたんだろうと考えた。だけど、その認識は違っていた」
仮に七不思議がバレたとしても、その同好会が七不思議をでっち上げたことにしてしまえば、生徒会としては痛くも痒くも無いまま責任転嫁できるため、ノーリスク。
そのため、生徒会が裏で手引きしているのだと私は考えた。
だが、そう仮定してしまうと、事実と現状が噛み合わなかった。
「生徒会に協力していた同好会は、翌年には軒並み部活動として認められていたという事実はある。けど、それは七不思議に協力していたから裏で便宜が図られたわけではなく、正式にその技術力が認められたから。七不思議に利用されていた技術はどれも、普通の生徒が思いつくような代物じゃなかったし、高い専門的な技術が必要なものや独創的な発想で創られたものばかりだった。そして、二年前に七不思議を解明した宇城悠人という生徒は、七不思議を解明する際にその技術を提供した同好会を名指しで高く評価したうえで、それを公の場で公言していたことも確認されている」
美術部、陸上部、科学研究部、機械工作部、吹奏楽部、演劇部。
これらの部活は共通して、七不思議に用いられた技術を有していた。
トイレの花子さんは機械工作部。
夜な夜な動き出す人体模型は陸上部。
誰も居ないのに鳴り出す音楽室のピアノは吹奏楽部。
目が動くモーツァルトの肖像画は美術部。
あるはずのない13段目の階段は演劇部。
そして、鏡に映る少女は、美術部、演劇部、科学研究部の共同作業だろう。
「そうなれば、一つ疑問が浮かぶ。本来、七不思議に協力したとなれば、それは咎められるべき行為のはず。それなのに、それらの同好会はなぜか優遇され、部活に昇格した。それは何故か?」
部活動昇格の見返りに、生徒会に技術提供することは、云わば癒着みたいなもの。
もし、同好会の行いが公に暴露されていたとすれば、それは学校全体を巻き込んだ大問題に発展していてもおかしくはない。
だが、そうなっていない事実がある。
それこそが、事実と噛み合わない現状のひとつだった。
「その答えは、七不思議の噂が意図しない形で広まってしまったことはどうしようもないし、一つ残らず消すことも出来ない。だから、七不思議という存在自体をエンターテインメントに仕立て上げることにした」
男は黙したまま、ただただ私の話を聞いていた。
だが、暗闇でハッキリとは判らなかったが、私にはニヤリと笑ったように見えた。
「当時の生徒会は、七不思議が生徒会の用意した企画だったと公表することで、事態を収束させることを思いついたんだろう。そして、それに協力していた同好会は技術力を評価されて、部活動に昇格した」
部費削減問題によって多くの部活が同好会にされてしまった二年前の状況を鑑みると、部活動への昇格を渋る学校側に納得させるための口実として七不思議を利用することで、大きな効果が見込めると踏んだのだろう。
「だけど、結果的に生徒会の目論見が全て計画通りに運ぶことはなかった。なぜなら、七不思議の最後の一つを用意する前に、仕掛け人である生徒会長が亡くなってしまい、七不思議が生徒会が用意した企画だったと公言する人間が居なくなってしまった。それだけでなく、八つ目の七不思議が生まれることになり、七不思議の謎は残り続ける結果となってしまった。まあ、七不思議の騒動自体は沈静化することが出来たから、結果だけ見れば成功なんだろうけど」
「八つ目の七不思議…か。それが、君が考察した七不思議の真相か?」
私は首を横に振る。
「いや…本題はここから。どうやっても、噛み合わない歯車がまだ残ってる」
「噛み合わない歯車…か」
「なぜ生徒会役員であるはずのあなたが、私に七不思議の解明を依頼したのか。最初からそれだけが疑問だった。生徒会であれば七不思議の大半が解明されていることは知っていたはず。でも、さっき言った事実を合わせて考えると、二つの可能性に辿り着いた」
私は握りこぶし突き出し、見せるように指を立てて数える。
「一つは過去の清算。今も残り続けているであろう七不思議を今度こそ終わらせるつもりだった。そして、もう一つの可能性は、依頼した本人が七不思議が解き明かされていることを知らないフリをしていた」
「ほう…。それで、君はどっちだと思ったのだ?」
「両方とも。少なくともあの場において、あなたはそう答えざるをえなかったと考えた」
七不思議をでっちあげたのが生徒会であったとバラしたところで、今の生徒会が実害を被るとは考えにくい。
だから、落ち着いた時期を見計らって、過去の生徒会がやったこととして幕を下ろそうと考えていた。
そんなところに、都合の良さそうな人間が現われ、それを利用しようと考えた――というより、利用せざるを得ない状況だったと言ったほうが近いかもしれない。
「…あなたはずっと演じ続けていた。彼女を書記のように扱っていたのも、席を譲らずに生徒会長として振舞っていたのも、既に恋人であるはずの天草雪白と距離を取っているのも、七不思議を解明する以前の自分を演じるため」
「…本当なんですか…?」
暗闇の奥から、またしても声が聞こえた。
私がライトを向けると、大鏡の前で戸惑いの表情を浮かべる天草雪白がそこに居た。
「演じ続けていたというのは本当なのですか…?答えてください、宇城先輩!」
諦めたと言いたげに、男は呟く。
「…彼女の言うとおりだ。私には以前の記憶が残っている」
「だったらどうして…!?どうして、私に黙っていたんですか!?私は、貴方と話したいことが沢山あった!それなのに…!」
数秒の沈黙の後、男は口を開く。
「…私にはまだやるべきことがあった。それだけだ」
先ほどとは打って変わり、高圧的な口調ではなく、まるで諭すような口調だった。
「まったく…見てられない」
私は出来の悪いドラマを見ているような気分になり、思わず目の前の寸劇に口を出す。
「天草会長。その人は、あなたが悲しまないように嘘をついた。それしか考えられない」
「私が…悲しまないように…?」
あの場で、この男が七不思議を知らないフリをしていたのは、それを悟られたくない人間がすぐ近くに居たから。
なぜなら、過去を清算するということは、未練を断ち切るということ。
それはつまり、未練があるからこそ、未だに存在していられるということ。
それが失われればどうなるのかは、知っている人ならば誰でも想像がつく。
「…二年前に七不思議を生徒会の催しに仕立て上げようとした生徒会長と、七不思議を解明して呪いで亡くなったとされる生徒。その二人は、宇城悠人という名の同一人物」
私は男を指差す。
「そして、それこそが噛み合わない歯車である、あなたという亡霊の正体だ」




