第10話 魔法少女は咲けない花で。(2)
◆4月7日 午後5時14分◆
「……雑談をするような関係……じゃない? あれほど仲の良かったキミたちが?」
驚きを隠せないといった様子のリインⅡが雨に視線を送ると、雨はバツが悪そうに視線を逸らし、小さく舌を鳴らした。
「人は変わりやすい生き物だとは聞いていたけど、僕は人間というものをまだまだ理解出来ていないみたいだ。だけど、離れていたという状況でも、変わることのないキミたちの連携プレーは、流石だと誉めるしか無い。こういうのを確か、“一心同体”って言うんだっけ?」
『わ、私たちはそんなんじゃないっ!!』
否定する声が見事にハモったことで、不可抗力ながらその言葉を肯定するような形となった私は、居た堪れずにそっぽを向き、雨もまた恥らうように遠くを見上げた。
しかしながら、自らの死期がすぐそこまで迫っているというのに、まったく危機感も無く話を脱線させようとするリインⅡに、どことない違和感を覚えながらも、私は咳払いを一つして、脱線した話を元に戻す。
「コホン。前置きが長くなったけど、本題に入らせてもらう。あーちゃんはもう知ってるんでしょ? コイツの正体が誰なのか」
「ああ……知ってる」
リインⅡに対する雨の態度は、他人に対する態度でもなければ、敵にする態度でもなく、強いて挙げるとするのなら旧知の友人と呼んだほうが近しいと言えた。
その態度から、雨がリインⅡの正体を知っているだろうことを、私は既に察していた。
「私たちシャイニー・レムリィを追ってわざわざここにやって来たことからも、当時の私たちを知っている関係者であることは間違いない。そして、魔蒔化の種に封じられていた人物の意識は、当時の関係者の中において高い知性を持っているか、特殊な能力を持っている存在であり、あなたはその条件に該当している。極めつけは、自分が新しい体を手に入れるという目的のためにエゾヒの願いを利用し、山奥からこの町まで転移させることの出来る人物。私たちの関係者でそんなことが出来る存在を、私は一人しか知らない」
私はノワの近くまで歩み寄り、その顔を見下ろす。
「『願いを一つ叶えてあげる』じゃなくて、あそこは『望みを一つ聞いてあげる』でしょ? 大体、私たちを魔法少女にした張本人が、敵のフリして帰ってくるなんて悪趣味にもほどがあるでしょ。流星の加護を宿し、人の願いを叶える自称・流れ星の妖精さん?」
私が突きつけるように言い放つと、流れ星の妖精と呼ばれた当人は目を瞑り、そして黙り込んだ。
「けどまあ……一応。大分遅くなったけど……おかえり。ノワ」
「敵のフリ……か。こんな僕におかえり……だなんて。はははは……キミはやっぱり優しいな、レム。でも、よくそんなことが言えるね? キミは僕を“殺した”……そうでしょ?」
「……っ!?」
瞼を開いて急に真顔になったかと思うと、リインⅡは言い返すように冷めた口調で言い放った。
「ねえ、キミはどう思っているんだい? リイン? 君は彼女から何も訊かされていないんでしょ? 知りたくはないのかい? 本当のことを?」
思い詰めたような、迷っているような、そんな複雑な表情をする雨に向けてノワが囁くと、何かを決意したかのように雨は顔を上げ、私を鋭く睨み付けた。
「チー。あの時、ノワを殺したって言ったこと……。“あの嘘”の本当の理由を教えて」
「あ……あれは……。嘘じゃない……。私がノワを殺した……。その事実は変わらない」
(私たちの知っているノワを私が消してしまったことに変わりはない……。私は……嘘を吐いていない)
私は自分を納得させるように心の中で呟く。
しかし、ノワは私の胸中を知ってかしらずか、なおも私を追い詰める。
「キミにはまだ、この場で言うべきことがある。キミの口から言ってごらん。僕のもう一つの名前を」
「ノワ……。お前、一体どういうつもり……?」
ノワの正体に気付いた時点から、雨に問い詰められる状況になってしまうことは想定されていたため、どう切り抜けるかの算段は予め考えていたし、だからこそ雨にあのことを気取られぬよう、私は言葉を選びながら慎重に話を進めてきた。
しかし、あろうことか、この展開で最も不利を被る立場になるであろうノワ自身が話題を振ってきたばかりか、私一人が問い詰められるような状況を構築するよう誘導してきた――その意図がまったく判らず、私は困惑することになった。
「……名前? もう一つ? どゆこと? それが、この話と何の関係があるの……?」
「それ……は……」
私の中途半端な反応が拍車をかけてしまったのか、雨は納得していないと言いたげに、鋭い眼差しに一層凄味を利かせる。
だが、私はその程度で屈するわけにもいかないため、条件反射のように視線を逸らした。
なぜならば、私が五年もの間、誰に語ることもなく、雨との関係を絶ってまで隠し通してきた真実への扉を開ける鍵――それこそが“ノワのもう一つの名”であり、それは絶対に雨に知られるわけにはいかないものだった。
「ふぅ……。チー、コッチちゃんと見て。私の目を見て話して」
焦りで混ぜこぜな私の心境とは裏腹に、雨は何かを悟ったのか睨むことをやめ、一切泳ぐことない吸い込まれそうなほど澄んだ瞳を、まっすぐ私に向けてきた。
真実を知りたいという一心で向けられた、その純粋な気持ちに気まずさを感じた私は、その目を直視することなど出来もせず、再び視線を逸らした。
「チー!」
私は目を閉じ、考える。
(もう一つの名をこの場で明かすことは出来ない……。そんなことをすれば、雨を傷つけてしまう。だけど、雨にも気取られてしまった以上、もう逃げ道はない。たとえ私が黙っていたとしても、ノワが黙っていないだろうし、このまま会話を続ければ、あの事がバレるのは時間の問題……。何か誤魔化す方法はないか……)
私は奥歯を強く噛み締め、思考をさらに加速させるも、都合の良い打開策がすぐに思いつくわけもなく、私の頭は次第に熱を帯びていった。
(ダメだ……思い浮かばない……。どうすればいい? どうしてこうなった? どこで間違えた? ノワを殺したと言った時? それとも、雨に真実を隠した時? エゾヒと戦おうと考えたことがそもそもの間違い? それとも、エゾヒを救おうなんて考えなければ――)
「――チー!!」
「――春希さん!!」
二人の声によって現実逃避から呼び戻された私の前には、芽衣の顔があった。
その顔は悲痛な面持ちで、ひどく歪んでいた。
「あ……。め……芽衣……? ごめん、考え事をしてた。大丈夫。なんでも――」
「何でもないわけないですの! 大丈夫じゃないですの!! 春希さんは嘘が下手ですの!!」
すごい剣幕で叱られた私は反射的に押し黙り、なぜこれほどまでに自分が叱られているのかと不思議になりながら、片眉を曲げる。
「この顔をするときの春希さんは、いつもこうだったんですのね……」
今にも泣きそうな上擦った声でそう言われたものの、その顔をただただ眺めているしかなかった。
当の私は未だ状況を把握できぬまま、首を傾げる。
「今の私には、視えているんですの! これが春希さんの感じている“苦しみ”だということくらい、私でも判りますの!!」」
文脈から何かが起きていることを察し、私は視線を下に落とす。
すると、まるで溺れてしまうのかと思うくらい、ものすごい量の胞子を自分が噴き出していることに気が付き、私は思わず声を上げた。
「う……ああ……!? な、なんだ……これ!?」
(芽衣にもコレが見えている……? さっきのネガミ・エールか? 今、私の感情は雨や芽衣に視られている……。黒い胞子……気持ちが悪い色……。私の穢れた心の色……。それが溢れ出て、皆の目に晒されている……!)
「違う……! 違うっ……違うっ!! これは違うんだ……!!」
自分の汚い部分を暴かれ、晒され、丸裸にされているような状況に堪えかねた私は、両手で胸を押さえて必死に抑え込もうとするも、溢れ出る胞子は指の隙間から留まることなく流れ出ていった。
私の動揺によって発生していることを頭では理解していながらも、簡単に精神を制御出来るはずもなく、壊れた蛇口のように止まることを知らない胞子たちは、私の全身を飲み込むほどに膨らんでいった。
「くそっ……! 抑え……られない……。なんで……? 止まらない!? 止まれよ!!!」
「落ち着け!? チー!?」
「他人に自分の心を……感情を見透かされる……それがこんなにも苦しくて痛いものなのか……。二人ともお願いだから……見ないで……っ! 私のことは……放っておいてっ!!!」
私が喉の奥から声を振り絞ったその直後、私の視界は突然真っ暗になった。
「春希さん」
暖かいものに、優しく包まれるような感覚を覚え、以前あったその状況を私はふと思い出す。
「……もう大丈夫ですの。私、前に言いましたよね? 目の前で泣いてる友達を放っておくなんて、私には出来ませんって」
「わ……私は……泣いてない」
「泣いてますの。心が」
“全て見透かされている”――そう感じたというのに、“見られていた”先ほどまでとは違い、不思議と悪い気がしなかった。
「話したくないのなら、話さなくて良いと思いますの。逃げることは悪くないことですの」
(逃げることは悪くない……私は逃げようとしていた? いや、逃げていた? ずっと前から……)
「痛いのが嫌だから。辛いのが嫌だから。苦しいのが嫌だから。人はそれらと向き合うことを避けるために逃げるんですの」
(痛いのは嫌だ。辛いのも嫌だ。苦しいのも嫌だ。誰かがそうなるのはもっと嫌だ。だから私は争わず、ずっと逃げてきた。私は、何もかもから目を逸らし、全ての逆境に背を向けてきた)
「でも、逃げてばかりだと結局、自分を追い込んでしまいますの。心も身体も、そして、自分自身の考え方も。最終的に逃げ道が無くなったことを悟ったとき、人は最後の最後で振り返りますの。あの時、ああしてれば、こうしていたならって。それは、未来の自分に傷跡を残しますの。“後悔”という無数の消えることのない傷跡を。だから、そうなる前に、そうならないように、人生には立ち向かわないといけない時が必ずありますの」
向き合うことを避けてきた結果、大怪我を負って一年間をベッドで過ごし、級友を失い、中学生活を棒に振り、大切な仲間ともすれ違ったまま、気が付けば私には何も残されておらず、たくさんの大切なモノを失った。
あの選択によって失ったものは、私にとってあまりにも多すぎた。
だからこそ私は、その選択が間違いでなかったことを信じよう、そして後悔はしまいと、現実から目を背け続けてきた。
「だから、今一度立ち止まって考えてください。その選択が正しいのか。その選択をしたとき、自分が後悔しないのかどうかを」
地面すらも見当たらず、振り返ろうとも背後には何も無く、周囲を照らす灯火も無い一面の真っ暗闇の中に扉が一つあった。
その扉を開ければ、光溢れる新世界が待っているかもしれないが、今と同じ孤独の世界が広がっているかもしれず、だからこそ私は進みも戻りもせず、何年もの間、その扉の前で立ち尽くしている。
(正直に言うと、怖い。でも、私はこの先に待っているものが……見たい。このまま立ち尽くしているのも疲れたし、もう一人は嫌……。ここで私が一歩踏み出さなければ、絶対に後悔する。私も……そして、雨も。きっとこれは、未来に進むための最後の選択肢なんだ)
芽衣の体を押し戻し、私は顔を上げる。
「……もう大丈夫。本当だよ。ほら」
「春希さん……」
自分の胸元を指差し、胸元から出ていた胞子が跡形も無く消えていることを主張すると、芽衣は安心したようにホッと息を吐いた。
「ありがとう、芽衣。おかげで決心がついた。私は後悔しないために、進もうと思う」
気が付くと、雨は口を半開きにしながら、まるで鳩が豆鉄砲を食らった時のような顔をしながら、ボーっとこちらを見つめていた。
「な、なに? その顔……?」
「今のは……なるほどねー……こりゃあ敵わないわけだわ……」
納得したと言いたげに雨は何度も頷いていたが、私はそれを傍目にしながら気持ちを改めるように拳を固く握り締め、今度こそ絶対に目を逸らすまいと心に決め、雨と真正面から向き合った。
「あーちゃん。今まで……ごめん」
「はあ……? な、なんで急に謝るの……? つか、チーが謝るとかキモっ!?」
「いいから真面目に聞いて。私、間違ってた。たぶん、私はあーちゃんのことを信じきれていなかったんだと思う。あの時、私が全部正直に話していれば、こんなことにはならなかった。でも、あの時はそういう答えしか思いつかなかった。でも、これは私が決めることじゃない。私たち二人が決めることで、私たちが乗り越えるべきことなんだって、ようやく気付いたんだ」
雨のことを第一に考えた結果、私は真実を隠し通すことを決めた。
それは雨が真実を知ってしまうことで傷ついてしまうと、私が勝手に思い込んだからであり、私が雨を信じきれていなかったからに他ならなかった。
「根拠とか、そんなのものはない。でも、私は今のあーちゃんが受け入れられるって信じる。いや……今度こそ、信じさせてほしい」
「チー……」
私は唾を飲み込み、大きく息を吸い込み、そして溜め込んだ想いを全て吐き出すように答えはじめる。
「私は、全ての間違いを隠すために、『ノワを殺した』って言った。ノワのもう一つの名前を隠したのも、それが理由」
「全ての間違いを……隠すため?」
「そして、ノワのもう一つの名前は……ツキノワ」
「ツキ……ノワ? それって……どこかで……」
雨は少しだけ考え込む様子を見せあと、何かを思い出したかのようにハッとした表情を浮かべた。
「ツキノワって……だだだ、ダイアクウマの親玉!?」
私が肯定するようにコクリと頷くと、雨は頭を抱えながら首を傾げた。
「ノワの名前がツキノワ……? だとすると、待って……ってことは、敵の親玉が私たちを魔法少女にして、自分の組織と戦わせてたってこと? はぁ? 何ソレ、意味わかんなくない……?」
「それこそが、あーちゃんに知ってほしい事……いや、知らないといけないこと。願いを叶える流れ星の妖精ノワが、ダイアクウマの親玉のツキノワでもあった……これが何を示しているのかを、私は最終決戦のあの日に知った。というわけで、自分が魔法少女になった時のことを、全部正直に言ってみて」
「へっ……? な、なんで、そんな話になるワケ……?」
あの時を振り返ってもらう必要があったため、私は黙って見つめながら雨に圧をかける。
それが真面目な質問だと悟ったのか、雨は素直にそれに応じるようにこめかみに人差し指を当て、思い出すように語り始めた。
「あーもう……わかった……。言うよ、言いますー。確かあの日は夜中に目が覚めて……眠れなくて星空をぼーっと眺めてた。そしたら、大きな流れ星を見つけた。それで“流れ星に三回お願いすると願いが叶う”っていう学校で流行ってた噂を咄嗟に思い出して、とりあえず『今朝観たアニメの魔法少女みたいに強くなって、悪いヤツを倒したい』ってお願いをした」
以前、雨が自分の願いを語る機会があったとき、竹刀を振るような動きをしていたことを私はおぼろげながらに覚えていた。
先入観から竹刀を振っているのだと当時の私は勘違いしていたものの、それがステッキを振る動作であることに私は気付いていた。
「それから何日か後、下校中にアクウ魔達に襲われて、シャイニー・レムに変身したチーとノワが突然現れた。何がなんだかわからないうちにシャイニーパクトを握ってた私に、魔法少女になってくれってノワに言われて……いつの間にか、魔法少女に変身してた。あの時は、願い事が叶ったーなんて思って、すっごく嬉しかったのを今でも覚えてる。これで私も強くなれるって! な、なんか改めて言うと恥ずかしいな、コレ。い、今は違うからね!? そりゃまあ、もうちょっと強くなりたいかな~とは思ってるけど、魔法少女みたいに悪いヤツを倒すっていう願い事はもう叶ってるわけで――」
屈託のない表情で笑いながらも恥じらいつつ、雨は全てを語り終えた。
それは、あの当時に見せていた、私の記憶に強く残っている笑顔だったものの、数秒後、その表情は時間をかけながら少しずつ強張っていった。
「悪いヤツを倒す……願い事が……叶った……? ノワは願いを叶える妖精で……ノワがツキノワ……。え……待って、嘘……だよね?」
自分が語った言葉の真意に気が付いたのか、認めることは出来ないと言わんばかりに、雨は首を横に振った。
だが、私は非情に徹するように、首を横に振る。
「嘘じゃない。あーちゃんの願いが叶った。それが答えなんだ」
「ノワは……私のその願いを叶えるために、ツキノワとしてダイアクウマを創った……?」




