第9話 魔法少女は嘘つきで。(6)
◆4月7日 午後5時5分◆
打ち付けるように降り注いでいた雨はようやく終息を迎え、橙色の光が雲間から差し込んだかと思うと、その陽光はスポットライトのように私たちを照らし出した。
私はいずれ訪れるであろうこの瞬間を待ち続けていた。
「腕が……動かない……? 制御が……効いていない……? こ、これはどういうこと……? 君は一体、僕に何を……?」
「私は何もしてない。あっちに聞いてみたら?」
首を横に振りながら私が真横を指差すと、リインⅡは促されるように首を少しだけ動かす。
私が指し示したその先には、まるでレンズや水面を通したかのように不自然に景色が歪んでいる部分が存在しており、リインⅡは怪訝そうに目を細めた。
その直後、機を見計らったかのように何もない空間から足や手のようなものが生え伸びるように現れ、別々だったそれらは一つの人影を形成するように繋がった。
「そんな……君がどうして……?」
幽霊でも見たような表情を浮かべながら、長い金髪とラフな私服に身を包んだその人物に向かってリインⅡは問いかけるも、手品のように登場した当の人物は俯いたまま、リインⅡに目を合わせようとはしなかった。
「……私との繋がりはもうすぐ切れる。あと数分で動くどころか、喋ることすらすらできなくなる。今のうちに喋りたいことは喋ったほうがいいよ」
その人物は何かを決心したように顔を上げると、リインⅡのもとへと歩み寄り、その手の平でリインⅡの頬を優しくひと撫でしたあと、見せ付けるようにその手を眼前へかざす。
その手には泥がべったりと塗りたくられていた――それは、ひとつの事実を示していた。
「約束しておいて、結果的に嘘吐く形になっちゃって……ゴメン……。残念だけど、その体は私の体じゃない……というか、体と呼べるようなものでもない。これが今のアンタ」
ポケットからシャイニー・パクトを取り出し、動けないリインⅡにコンパクトの中にあるもの――つまり、鏡面を見せると、リインⅡはようやく自らの置かれている状況を察したのか、驚きの表情を浮かべた。
「泥……? まさか、この体は……」
「そう……。その体は、私の作った土人形」
◇◇◇
◆4月7日 午後4時42分◆
「君の……体を……?」
「誰かを犠牲にするような結末を、チーは望んでいない。だからといって、私だってチーだけが犠牲になるような結末を望んでない……。もちろん、チーのことが信用できないとか、チーのことを否定したいとか、そういった話でもなくって、これ以上あの子に辛い思いをさせたくない気持ちのほうが今は勝っている……。だって、チーが今までとってきた行動の意味がようやく理解できたからさ」
目的を果たしたのであれば、エゾヒと真っ向から戦う必要なんてないというのに、チーはなぜ私を救出したあと、エゾヒに一人で立ち向かっていったのか――私はそれがずっと疑問だった。
「魔法少女という過去に束縛されて、正義感から行動しているなんて考えてもみたけど、あの子は世界の全部を救えるなんてこれっぽちも思っていない。それじゃあ、大切なものを失うことをチー自身が恐れているからこそ、必死になってるのかとも考えたけど、たぶんそれも私の勘違いで、チーは今でも弱くはないし、自分ではなく他人のことを第一に考えている。それは今も昔もぜんぜん変わっていない」
振り返ってもみれば、自らが枯らしたアサガオの観察日記を書き続け、熊に戻ったエゾヒを山に返すことを断固として譲らず、見知らぬ子猫の亡骸に涙しながらも迷うことなく弔うなど、周囲から見れば奇行ともとられかねない行動を度々繰り返していた。
だが、チーは無意味な行動はしない……つまり、チーの行動には意味があると考え至ったとき、ようやくチーが何を考え、何を抱き続けてきたのかを、私は自ずと理解した。
「あの子はただ“無意味”なことを“意味のあること”に変えていた。だからきっと、チーが恐れているのは、消える必要のない命が目の前で消えることであって、どんな命であれ、無意味だったことにしたくなかっただけ……。私はそのことに気付いた……ずっと一緒に戦っていたってのに、今さらね」
不慮の事故による死や、戦争に巻き込まれた民間人、育児放棄による子供の虐待死や、いじめによる自殺……それだけに留まらず、密漁や殺処分、環境破壊による影響で命を落とす動物たちなど、魔法少女だった時のままであるチーがそういった“世の中に満ち溢れる理不尽な死”に心を痛めていることはほぼ間違いはなく、だからこそ手の届く範囲の命を救うことで、残酷で不条理な現実に独りで抗おうとしている――これまでの行動には一貫してそれがあり、それがチー行動理由だと私は考え至った。
「私がこれからしようとしていることは、その逆……。きっとチーを傷つけることになることになるってこともわかってる。でも、あの子なら乗り越えられる」
『……君は自分が何を言ってるのか解ってる?』
「そのつもりだけど? 頭おかしいんじゃないかって言われても仕方ないけど、これは私なりに考え出した答えだし、誰かに否定される謂れはないっしょ?」
平和を守るとか、野望を叶えるためとか、それぞれの信念や正義を掲げて戦っていた過去が確かにあり、今までそうしてきたからこそ深く考えもせず、盲目的に戦うことを選ぶことになった――だが、それが間違いであることに私たちは気付けなかった。
今の私達は掲げる信念もなければ、貫く正義もなく、過去に倣って解りやすい解決方法を選んだ末、戦うという方法を選んだだけであり、自ら望んで戦っているわけではない――ようするに、交渉することや譲歩することも、ひとつの決着であるといえた。
『なるほどね……。君が協力してくれるなら僕がこの場に留まる理由はないし、僕としてもこれ以上君たちの日常を壊すつもりはない。だから、この場を立ち去ることを約束してあげるよ』
意外なほどあっさりと交渉は済み、私は警戒を解く。
「……交渉成立。そんじゃ、私は何をすればいいの?」
『これを飲み込んでほしい』
その巨体をまるで犬のようにブルブルと震わせると、その背中からポトリと何かが落ち、大きな爪がそれを器用に摘み上げた。
差し出されたものを恐る恐る受け取り、私はそれをじっくり観察しはじめる。
見たところ、それはアセロラをひとまわり大きくしたピンポン玉ほどの赤い種のようなもので、匂いを嗅いでも何の臭いもせず、とりあえず排泄物という疑念は晴れることになった。
「これ、メチャ苦かったり、激辛だったりしないでしょうね……? 私、苦いのと辛いの苦手なんだけど……?」
『わからない。自分で食べたことはないからね。まあ、食べたところで人間の味覚は僕には解らないのだけれど』
「そうなると、ゲロマズの線も有りうるなー……。ちな、コレは何の種なのよ?」
『君も知ってると思うけど、それは魔蒔化の種だよ』
「げっ!?」
思わず左手から零れ落ちそうになり、慌てて掴み取る。
「……セ、セーフ」
『……気をつけてよ、大事なものなんだから』
「ごめん……」
『もしかして、エゾヒ君みたいになることを気にしてるのかい?』
「魔蒔化っていったら、そりゃね……」
街を火の海にするエゾヒの姿が再び頭を過ぎり、条件反射的のように背筋に悪寒が走ったものの、隣に視線を移すと、馴れ馴れしく話すまったく同じ風貌の熊の姿があり、私は複雑な心境ながらに大きなため息を吐く。
『エゾヒ君が暴走したのは、彼に眠っていた本能のままに行動したから。人間が自我を失ったらどうなるのか僕にも想像はつかないけど、君たち人間の祖先は猿だから、木を登ったり、食べ物を奪うために他人を襲ったり、見境なく発情するとかはするかもしれない。でも、それは大した問題じゃない』
「いや、大した問題だって……。それを聞かされた私にコレを飲めって? そのフリには無理があるっしょ……。ちょっと、考えさせて」
見た目や匂いは百歩譲って良しとしても、自我を失うことで醜態を晒してしまう可能性があることに関してはすんなり受け入れるというわけにもいかず、私は決断までに時間を要した。
「いや……そも論、ピンポン玉みないなコレを飲み込むなんて出来んのか……? 喉に詰まって死なない……? てか、そんなこと出来る人間なんて奇人か変人くらいじゃ――」
そこまで言いかけたところで、私は口篭る。
「なる……。わかった。ちゃんと見てなさいよ」
私は意を決して、右手に持った赤い種を口に放り込むようにすると、一気に飲み込んだ。
「うく……んん~っ! か、はぁあっ!! げほっ! けほっ……こ、これでどうよ!!?」
私は証拠を見せるように口の中を大きく開いて見せると、ノワは納得したように頷く。
『ありがとう、リイン。もう、眠くなってきたみたい。あとは宜しく頼むよ。いや? この場合任せてなのかな……』
「ええっ!? ちょま!? 寝落ち!? はやすぎるだろ、おいっ!? 寝るなって!?」
ノワは私にそれだけ告げると、糸の切れた操り人形のように四肢を垂れ下げ、寝落ちしたゲームのアバターのようにうんともすんとも言わなくなり、殺伐としていた空気は唐突に終わりを迎えたことで、雨音に満ちた物静かな空間が到来した。
「ヨロシクって言われても……ねぇ……」
私は左手に握っていた赤い実を眺めながら、暫く困惑することになった。




