第9話 魔法少女は嘘つきで。(2)
◆4月7日 午後4時35分◆
今や、20メートル先が辛うじて見えるか見えないかというほどに雨脚は強まり、雨粒は地面を激しく打ち鳴らしていた。
それが自分の責であることは言うまでもなく、私は眉間に眉を寄せながら困惑していた。
「これは……ちょいやり過ぎたっぽい……?」
“レイン・フォール”という魔法は、霧雨程度の雨を降らせることはもちろん、豪雨を降らせるような調節も可能であり、私はこの場の影響を極力抑える為に加減をした――はずだったのだが、今回は何かの手違いによって大粒の雨が降る結果を招いていた。
「調子悪い……というより調子良すぎ……? でもなん……っ!?」
視界の端で何かが動いたことに気付いて咄嗟に全身の動きを止め、恐る恐るながらにその方向を振り向く。
どこかのホラー映画で見た怪物を彷彿とさせるように、豪雨の中を静かに徘徊している、とてつもなく巨大なシルエットがそこにあり、その姿を視界に捉えた瞬間、背筋が凍るような感覚を覚えると同時に、過去の鮮烈な記憶が恐怖とともに蘇り、私は条件反射のように身震いをする。
「エゾヒ……。くそっ……!」
幸いながら相手がこちらに気付いた様子は無く、肥大化する恐怖を押し殺し、ここで立ち止まってはいけないと自分に言い聞かせながら、私は急ぐように歩みを進める。
「芽衣……。そっちはどう……?」
『こちらは近くの林まで移動しましたの』
「ここからだとよく見えないけど、あの子はまだ無事……?」
『無事と呼ぶには痛ましい姿なのですが……意識はあるようですの……』
思い出したようにインカムに話しかけたのは、芽衣の動向を確認する意味もあったものの、本音を言えば誰かと話をしていないと恐怖でおかしくなりそうだったからだった。
人の声が聞こえるというだけで、こんなにも安心できるものなのかと驚くと同時に、こんな思いをしながらたった一人でエゾヒに立ち向かおうとしていた人間が居たことに、私はさらに驚かされることとなった。
「……おっけー。あんがと。こっちはもう少しでチーに接触するから、手筈通り私が合図するまでは待機でヨロシク。えっと、合図は……そうだな……『遠慮なんていらない』なんてどう?」
『わかりましたの。それと……』
「なに?」
『あの……無理はなさらないで下さいの』
「……? それって、私があの子と似てるから心配って意味? そりゃ私はチーほど頭も運動神経も良くはないけど、逃げ隠れすることに関してはチーより上。だから、心配御無用」
『はぁ……。周りを気遣って気丈に振舞ったり、自信過剰になったりするところも、似ているところに追加ですの』
「うっ!? け、けっこうガチな意見サンキュー……」
チーが私に似ていることが事実なのか、それとも芽衣がそう思っているだけでそれほど似ていないのかを確かめる術は無かったものの、あの子が言いそうなフレーズであると私自身も納得してしまったため、結果的に自分で自分の首を絞める形となった。
「まあ、大丈夫。無理で無茶でも、あの子が諦めていないなら、私が諦めるわけにはいかな――」
目的の場所に到着すると同時に、私は愕然とし、言葉を失った。
足元に横たわる小さな体は、全身泥まみれなだけでなく、着ていた衣装はボロボロで、柔肌は無数の切り傷と擦り傷だらけという状況であり、私が想像していた何倍も悲惨な有様だった。
もう少し早く到着していれば、これほど酷くなっていなかったかもしれない――そんなことが頭を過ぎり、私は後悔の念に苛まれながら奥歯を強く噛み締めた。
『雨さん? どうしましたの?』
「……到着した」
状況が状況なだけあって、一度抱いた不安を簡単には拭うことが出来ず、私はすぐさましゃがみこんで顔を近づけ、耳を澄ませる。
雨音が支配する中に、か細く呼吸する音を確かに捉え、私はひとまず吐息を漏らす。
「……ほんっとバカ。こんなになってまで……」
一人であろうとなかろうと相変わらず無茶ばかりをし、傷だらけの泥まみれになろうと何度だって立ち上がる――私の目が届かなかった数年間も、自分にしか出来ないことだとか、使命だなどと決め付け、今もそれを繰り返している。
だが、その尋常ではないタフさと諦めの悪さは、不可能とも思える状況を何度となく打ち破り、他の誰にも出来ないことを成してきた。
それが事実として存在している以上、私にはその行動を否定することは出来なかった。
『あの、春希さんのご様子は……?』
「大丈夫。見た目ほど酷くはなさそう」
『それは良かったですの……』
「こっからは通話状態で固定しておくから、こっちの様子を聞いてて」
ポーションを持った手を眼前へと差し伸べると、チーはそれに気が付き、ゆっくりと顔だけを上げ、今にも潰えそうな擦れた声で呟いた。
「どう、して……」
幼少の頃であれば、泥だらけの顔を見て笑い倒したことだろうが、この場においてそんなことは出来るわけもなかった――それはそんな歳でもないとか、そんな状況ではないという理由でもなかった。
「お二人からお預かりしましたの」
普段の私であれば、誰かに優しく微笑みかけるなどという行為は絶対にしないと断言できる。
だが、芽衣ならそうするだろうと直感的に悟った私は、今は五月雨ではないのだと自らの心を律し、チーに微笑みかけた。
「なんでここに居る、の……。早く、逃げ……」
チーは勘が鋭く、記憶力と洞察力も優れており、私がボロを出して即バレという可能性もあったため、長居をすることはリスクが高い――そう判断した私は手早く用事を済ませることを決め、チーの体を抱き起こした。
左肩に触れた瞬間に体がビクリと跳ね上がり、肩が脱臼していることを即座に把握し、胸部に深々と刻まれた爪痕は、可愛いらしい衣装を胸元から腹部に掛けて無残に引き裂かれていたものの、致命傷に至っていないことも目視で確認した。
「ちょっとだけ、我慢してくださいの」
こういった状況になったことがないうえに、魔法で遠隔操作している状態でもあったため、力加減がまったくわからず、私は赤ん坊を扱うかのように細心の注意を払いながら、ゆっくり少しずつ上体を抱き起こし、写し身に持たせていた小瓶の中身をチーの口内へと一気に流し込む。
「ふぐぅ!? ……ぷはぁ!? い、いきなり何するの!?」
思っていたよりも何倍も元気そうな反応を見せたので、私は驚きながらも安堵しつつ、本当にこの栄養ドリンクは効果があったのかと関心する。
「春希さんは、やっぱり私の知っている春希さんでしたの」
入学式のあの日、チーが私と同じ高校へ入学したことを、私は密かに喜んでいた。
絶交宣言している身と言えど、賛辞の言葉を一言送るだけなら罪は無いだろうと、新入生の教室まで足を運んだ私は、一目散ながらに廊下を駆けるチーの姿を発見し、何があったのかとすぐにその後を追った。
路地裏でチーの背中を見掛け、これは数年ぶりに会話をするチャンスだと思いながら声を掛けようとしたとき、私はチーがあの頃からまったく変わっていないことをすぐに悟った。
子猫の亡骸を一目見て、「汚い」とか「放っておけばいい」と思ってしまった私に対して、その亡骸を抱き抱えながら涙を流すチーとの差をまざまざと見せつけられ、“変わってしまった自分”というものを突きつけられた気分になり、結果的にその行動を否定するような言動をとってしまった。
だが、変わってしまった自分にチーが気付かせてくれたからこそ、私は今、この場に立っている。
「い、言ってる意味がわからないんだけど……?」
自分の気持ちが簡単に伝わればこれほど苦労はしないだろうが、いざ言葉で伝えるとなれば体面や気恥ずかしさが邪魔をする。
伝わらないと判っているからこそ、言葉にして伝えられる想いもある――だから、この言葉は私がチーに贈れる、私なりの「ありがとう」だった。
「そろそろ始める……準備は良い?」
『い、いつでも大丈夫ですの』
インカムに向けて小声で呟いたあと、私は平静を装いながら心の準備を整える。
「立てますか?」
「大丈夫。自分で立てる」
ぶっきらぼうところも、当時とまったく変わっていないなと懐かしみながらも、私はその小さな手を強引に掴み、引っ張り寄せる。
「遠慮なんていりませんの。だって、私達は友達なんですから」
これは私の思い込みや偏見かもしれないが、芽衣はどことなく祈莉に雰囲気が似ているため、チーも気を許したのだろうと感じていた。
そういった理由もあってか、チーのこんな姿を目の当たりにした状況であれば、芽衣は有無を言わさず抱きしめてしまうだろうという想像が働き、私はチーの小さな体を抱きしめる。
「私はまだ友達だって認めてない。それと、どさくさ紛れに私を抱きしめるの止めてくれる?」
写し身の体は泥で出来ているため、体温や感触まで再現することは出来ないが、もともと泥まみれのチーであれば、触れたところで気付かれる可能性は低い。
しかしながら、気取られてしまえば私の算段が水の泡となってしまうため、私はボロを出さないように注意せねばと気を引き締める。
『御免なさい。勝手なことをして』
「御免なさい。勝手なことをして」
インカムから聞こえてきた芽衣の言葉をオウム返しのように繰り返し、それにあわせるように自然な動きをつける。
それはまるで、ヒーローショーの役者になったような気分だった。
「いい。私のため、なんでしょ。言わなくても判ってる」
『やっぱり、春希さんに隠し事するのは難しいですの』
「やっぱり、春希さんに隠し事するのは難しいですの」
「でも、まあまあ良い線いってたと思う」
チーの「言わなくても判ってる」とか「まあまあ良い線いってた」という言葉に違和感を覚えた私は、すぐさま意識を本体に戻し、急激に高鳴りはじめた心臓を押さえこみながら、チーの様子を岩陰から確認する。
しかし、チーに変わった様子はなく、どうやらバレた意味で言った言葉ではないことを悟り、私は胸を撫で下ろす。
「どうした?」
「……芽衣。悪い。そろそろタイムリミットっぽい。短くてゴメン」
このまま会話を続ければ、チーに正体がバレるのは時間の問題であり、背後からはエゾヒが着実に迫っているため長居することも難しく、私は時間に迫られていた。
『いえ……ありがとうございます。春希さんにちゃんと謝れましたの』
「じゃあ、代わりにアンタの株を少しでも上げておくわ」
目を閉じて意識を写し身に戻すと、私は着ていたブラウスを脱ぎはじめる――もちろん、本体の私が脱いでいるわけではないので羞恥心とかはないのだが、芽衣には少し悪いと思いつつ、チーの株を上げるためだと一肌脱いでもらうことにした。
「ちょ、なにやって!?」
服を脱がせて確認するような真似はしていなかったため、芽衣のインナーに関しては、残念ながら私が使用している安物と同じデザインにしてしまい、そこだけが多少悔やまれたものの、よくよく考えてみれば他人の下着を平気な顔で確認するようになっては、チーに似てると言われても仕方が無いなと、一線を越えなかったのは正しかったと自分に言い聞かせる。
そんなことを考えながらブラウスを二つに破って結びあわせ、手早くチーの肩に掛け、即席の吊り包帯ならぬ、レイン・ストリングスで再現された泥のギプスが出来上がった。
「痛くないですの?」
「だ、大丈夫。それより、芽衣が……」
「私のことは大丈夫ですの」
「でも、そんな格好じゃ……!」
泥だらけでズタボロの上、胸部を恥ずかしげもなく露出している人間にそう言われ「いや、それはこっちのセリフだ!」とツッコミを返してやりたくなったものの、私はなんとかその気持ちを抑えながら、芽衣が言いそうな言葉でそれとなく伝えることにする。
「えっと、その……言いにくいのですが、春希さんの可愛らしいさくらんぼが、お見えになっていましたので、丁度良いかと思いましたの……」
慣れない言い回しを使ったせいなのか、ちょっとばかり変態な感じにはなってしまったが、どうやらチーには言わんとしていること自体は伝わっていたようで、その顔は見る見るうちに赤らんでいった。
そんな何気ない言葉を交わし、変化してゆくチーの表情を間近で見ることになり、その全てが懐かしく思え、私は昔に戻ったような不思議な錯覚を覚えていた。
すると次の瞬間、雨粒ではない熱いものが私の頬を伝い、私は一瞬驚く。
「……えっ?」
悲しいわけでも、嬉しいわけでもないのに、それは自然と溢れ出し、それは拭っても、拭っても止まることは無く、決壊したダムのように流れ出した。
私はその理由がまったく理解できずに混乱する。
「……なん、で? なんで!?!?」
胸が締め付けられるような痛みに襲われた瞬間、私は初めて気が付いた――チーに依存していたのは私であり、寂しかったのは、私のほうだったのだ、と。
そこに立っているのは、私だけど私ではなく、この涙はチーには見えていない……だからこそ、チーは昔のように私を心配をしてくれることはなかった。
戻りたいのに戻れず、近くにいるのに遠く、気付いてほしくても気付かれてはいけず、想いを伝えたいのに伝えられない――そこには、私の失ったものがあった。
「……ダメだ。今は考えるな……私……」
私は袖で涙を拭い、写し身の私は踵を返し、迫り来るエゾヒを真っ向から迎え撃つように、まっすぐ歩みを進める。
「なっ!? ちょっと待って! そっちは!?」
「春希さんは行ってください。私が彼を止めますの」
チーが誰とも馴れ合わないのは、失うことを恐れているから――つまりは、他人の強さを信用していないからだった。
逆を言えば、ここで芽衣の姿をした私がエゾヒに立ち向かい、芽衣が強いことをチーに示すことで、チーは芽衣が“強い存在”であると認識を改める――それが、私の描いたシナリオだった。
この作戦が成功すれば、チーは芽衣のことを頼るようになる――つまり、芽衣は私の代わりになれる。
「何言って……」
「大丈夫ですの。今日の私は調子が良いみたいなんですの」
「そ、それは勘違いだから……」
私が振り返り、チーをまっすぐ見据えると、どことなく困惑している表情を未だ私に向けていた。
これでも足りないのかと、私は更なる追い討ちを掛ける。
「まだ、私が信頼できませんか?」
「だ、だから。そういう話じゃないんだって!」
「私は、春希さんにだけは嘘は吐きたくないんですの。友達ですから……。だから、信じてください」
見た目からして他人になりすましている私が、絶交宣言した相手に堂々と友達宣言するなど「どの口が!」と自分にツッコミを入れたくなるほどの所業だった。
その直後、なぜだか言いようのない背徳感に苛まれ、私は作り笑顔をしながらすぐさまチーに背を向ける。
「私が彼を止めます」
世界が変わり、時間がどんなに経ち、絶交していても、離ればなれでも、たとえ変身できなくとも、私たちがシャイニー・レムリィであったことに変わりはない――そして、今も昔も、私の目標はずっとチーであり、私はこの子の背中を追っていた。
だからこそ、この子の隣に並び立つことの出来る強い存在でありたいと、今尚思っているし、これ以上この子だけに辛い思いをさせたくはない――それが嘘偽りの無い、私の本当の気持ちだった。




