第9話 魔法少女は嘘つきで。(1)
◆4月7日 午後4時32分◆
「チョイ待った」
降り始めた雨が地面を次第にぬかるみへと変え、私たちは水溜りを踏みしめる音を立てながらチーの元へと急ぎ走っていた。
その途中、私はあることを思い出して立ち止まり、後ろに続く木之崎を制止させる。
「どうしましたの……? 急がないと春希さんが…」
踵を何度か地面に打ち付けると、地面の土は粘土のように踵にこびりついていた。
そのコンディションを確認して一回頷くと、踵についた泥を振り落としながらクルリと反転し、その視線を木之崎に向ける。
「これも、立派な準備なのよ。そんなわけだから、チョイ動かないでじっとしててくれる?」
靴やサイズ、靴下の長さや色、スカートの丈、くびれや豊満な胸のサイズ、シャツの素材や装飾、袖口や襟の形状まで、全身の隅から隅まで凝視し、それらの情報を頭に叩き込む。
「えっと……? あ、あの~……? 五月さん……? あまり見つめられると、恥ずかしいのですが……」
衣服の確認を一通り終えた私は、最後の仕上げとばかりに首を上げ、その顔へと照準を合わせる。
そして、肌の色、顎のライン、唇の質感、鼻の高さも同様に、脳内に焼き付けていく。
「それ……止めない? 五月さんってやつ? 呼ぶときは雨でいいし、年上でも呼び捨てで構わないから。その代わり、私もメンドイから芽衣って呼ぶけど」
「わ、わかりましたの。雨……さん」
「おっけー。ありがと、芽衣。そんで、こっちも終わり」
最後の最後に、その瞳の奥を確認し終えると、私は目を閉じ、今覚えた情報を頭の中で整理し始める。
「あの……ところで今のは?」
「私、ディテールにはこだわるほうなのよ。というか、こんくらいしないとバレる」
「はぁ……???」
「まあ、とりまこれで下準備は完了。んじゃ、芽衣はあっち。あそこの林の中に隠れていて」
「な、何でですの……!? 隠れてって……私、覚悟は出来ていますの!?」
チーの居る場所から少し離れた雑木林の方を指差しながら私がそう言うと、まるで置き去りにされそうになって駄々をこねる子供のように芽衣は反意を露にした。
だが、私は諭すように両肩を叩く。
「さっきも言ったけど、芽衣が戦場に立つことをチーは望んでいない。もしかすると、本当に二度と顔を合わせたくないと思っているかもしれない。そんな状態であの子の前に芽衣が現れたとして、あの子が素直に言うことを聞くと思う? さっさと離れろって言われるのがオチだと思わない?」
「そ、れは……」
木之崎芽衣はチーのこととなると、周りが見えなくなる――だからというべきなのか、チーの考えを真正面からぶつけられる事にはめっぽう弱く、それがたとえ私の憶測に基づいたものだったとしても、彼女は信じてしまうということに私は気付いていた。
しかしながらそれは、チーに対して真面目で真摯に接しているということに他ならず、その一途さは、チーに対しては強力な武器になると私は考えていた。
「だから、私があの子に直接、芽衣の想いを伝えてあげる。ようするに仲介役。私はチーと絶交してるから問題ナシ。これならオッケーでしょ?」
木之崎芽衣という存在を失うことを、チーが極端に恐れていることも明白――つまり、今の状況は互いが互いを心配するあまり、互いを拒絶していることになる。
その状況を逆手に取り、芽衣が自分よりも強くて信頼できる存在であるということをチーに対して示すことが出来れば、チーも口出しが出来ないくらい強力な説得材料になるのではないかという結論に至った。
「そ、それはヘリクツですの!? それなら雨さんも同じですの!! 絶交しているとはいえ、春希さんは雨さんのことを今でも友達だと思っていますの!!」
“絶交”などという言葉は、子供の間では広く用いられる喧嘩文句の一つであり、普通であれば二、三日あれば自然と解消してしまうようなものではあったが、私がチーに対して告げたのは紛れも無く“絶交”宣言であり、それを私から破るようなことはしてこなかったし、クマゴローの件があるまでは、チーから破るようなこともしてこなかった。
――パシャン!!
私は一瞬だけ抱いたモヤモヤとした気持ちを振り払うため、右足で水溜りを強く踏みしめた。
「そんなこと……知ってるよ……。でも、あの子がどう思おうと、チーのことを“友達”とは認めない……。だって、私がそれを認めたらノワは――」
あの頃の私は、チーの行動をどうしても肯定することが出来ず、その気持ちが今でも変わっていないからこそ“友達”として許せなかった。
私は当時の悔しさと憤りを思い出しかけたとき、ようやく大事なことを思い出した。
「あ……ああーーーっ!? そ、そうだった!? すっかり忘れてた!! あのことを早くチーに伝えないと!?」
「あのこと……?」
「あ、いや……こっちの話なんだけど……。あーでも、早くチーに知らせないと大変なことになる……。芽衣、とりま急ごう!!」
こんなところで油を売っている暇は無いと思い至り、穢れの無いまっすぐで強烈な眼差しが、私の目を貫いていることに気付き、私は疑問の声を上げる。
「……って、何……? 人の顔をジロジロ見て……?」
「あ……いえ……雨さんって、ちょっと春希さんとどこか似てるなー……なんて思っていましたの」
「はぁ……? 私が、チーと……? ジョーダンでしょ……?」
「機転が利くところや、意地っ張りなところ……それに、突飛なことをなさったりとか、自分が傷ついても人のために何かしようとするところ……あと、表情がコロコロ変わるところとかもそっくりですの」
芽衣は指折るように数えながら、私とチーの共通点をつらつらと並び挙げ、私はその多さにガックリと肩を落とす。
「なんか、然り気無くディスられたような気もするけど……それよりも、私ってそんなに顔に出てる……?」
「はい。春希さんもコロコロと表情が変わるので、考えていることが丸判りなんですの。ご自身では気付いていらっしゃらないみたいなのですが、そこも可愛らしいといいますか……」
真っ向からそう指摘され、私は顔を隠しながら背を向けた。
「チーと一緒とか……めっちゃ恥ずい奴じゃん……。ゴメン……これからは気を付けるように努力するわ……」
「ああ、いえ!? ご、ごめんなさいですの!! 別に責めている訳では……」
――バシャ!!
会話を遮るかのように水音が鳴り響き、私は音がした方向へとすぐさま振り向き、視界の端で動く影を捉えた。
「春希さん!?」
「チー!? マズっ!? 後手に回った!?」
地面に伏している小さな人影――言わずもがな、それはチーだった。
風雲急を告げるような焦燥感に見舞われ、私は急かすように芽衣の背を押した。
「芽衣、早く行って!! 私がインカムで合図したら、あの子に言いたいこと言って! 私がそれを全部あの子に伝えてあげる! あとは、こっちでテキトーに合わせるから!」
「は、はいですの!!」
「あーっと! 言い忘れてたけど、私がチーと会話している間は絶対にコッチを見ないこと! ダメ! ゼッタイ!! いい!?」
「わ、わかりましたの!」
逸る気持ちを抑えながら、芽衣が林に向かって走り去るのを黙って見送り、視界から消えたことを確認して、私はすぐさま次の行動に移す。
「なんとか、間に合わせる……! まったく……。キューピッド役は辛いわ!!」
先ほど事細かに記憶した情報を思い浮かべながら、私は頭の中でそのイメージを固め、それが終わったところで高らかに叫ぶ。
「……ミラージュ・レイン!!」
発した言葉が響き渡るのとほぼ同時に、私の目の前に突然人影が現れた。
それは、私のイメージしたとおり、木之崎芽衣の姿をしていた。
「ちょっと、ディテールが荒い……かな? まあでも、服の質感とか結構良い線いってる?」
“ミラージュ・レイン”――それは幻影を創り出す魔法であり、分身を作って敵を撹乱したり、意識を投影して偵察する際などに使っていた魔法であり、言葉通り実体を伴わないため、分身して集中攻撃するなどいう芸当は出来ず、戦闘向きではなかったものの、他人の姿や物に擬態することは出来たため、支援に重宝していた。
しかし、この魔法には雨が降っていないと幻影を投影出来ないということと、明確なイメージが自分の中にないと見映えが酷いものになるという、二つの致命的な欠点があった。
ようするに、先ほど芽衣の姿を入念に観察していたのは、この魔法を使用するための準備だった。
「レイン・ストリングス!」
両手を大きく前に突き出したあと、手の平を地面に向けると、指先から滴り落ちた雨滴が粘り気を帯びた糸のように伸びはじめ、地面へとまっすぐに突き刺さった。
そして、腕ごと勢い良く引っ張ると、雨水に包まれた土と泥が、まるで釣糸に引っ張り上げられたかのように隆起し、それらは徐々に姿を変えながら、人の形を成した。
「うっし、こっちも上出来♪」
“レイン・ストリングス”――それは雨粒を集めて糸状にし、敵に巻きつけて動きを封じたりすることのできる魔法で、多量の雨水があれば水球に閉じ込めるなどということも可能であり、雨が浸透している土であればそれごと操ることも可能だった。
しかしながら、例によって難儀な制限が存在しており、どう違うのか私には見当もつかないが、ただの水は操れず、雨水しか操ることが出来ないため、雨が降っている状況かその直後でないとこの魔法は扱うことが出来なかった。
しかし、おあつらえ向きというべきか、雨雲を作り出すことによって局地的に雨を降らせることが出来る“レイン・フォール”という魔法もまた存在しており、準備さえ整えておけばどこでも使用可能ではあった。
無論、今この場に降っている雨もまた、その魔法の効果によるものだった。
「からの~……合体!」
蚊を撃墜するかのように両手を勢い良く合わせると、創り出した土人形と木之崎芽衣の幻影が一つに重ね合わさり、まるでそこに本人が存在するかと見紛うかのような、木之崎芽衣の複製が出来上がり、私は満足げに額の滴を拭う。
「ふう、出来上がりー。おー? 今度のは結構上出来かも? ……といっても、こんなときくらいしか使い道がないんだけどねー……」
分身が作れたら、学校生活が便利になるかも……などとふと思い至って作ってみたものの、雨の中でしか使えず、屋内で使えたとしても泥で汚れてしまうという致命的欠陥があることが判明したため、実際に役に立つ機会はほぼ無いまま数年が経過してしまった、失敗作とも呼べる創作魔法だった。
しかしながら、ここ最近では二度ほど使用する機会があり、その有用性を見直す結果となった。
「あの時は咄嗟に作ってみたけど、記憶で作ったからチーにバレないかヒヤヒヤしたわ……。でも……」
小学生の時に絶交してから話す機会は殆ど無かったものの、路地裏でその姿を一目見た瞬間、あの子が昔のままだということに私は確信を抱いていた。
昔から優しい子で、赤の他人であろうと迷うことなく命を懸けられ、何の関係もない猫の亡骸の為に涙を流すことが出来るあの子は、一人になろうと、自分がどんなに傷つこうと、その考え方を何年経っても変えることが出来ずに成長し、今もなお目の前に居る敵すら救おうとしている……私にはそう見えていた。
大事なときにあの子の隣に立つことは出来ず、同じ階段を一緒に上ることさえ出来なくなった間柄であったとしても、何度折れても伸びる若木のようなあの子を添え木のように支え、影ながら支える事くらいは私にも出来る……そう自身に言い聞かせ、覚悟を決めるように拳を強く握り締めた。
「……うん。一人で全部を背負う必要なんてない……。頼むから無事でいてくれよ、チー」
◇◇◇
◆4月7日 午後4時58分◆
校舎裏で雨と会話をしたとき、雨は見てもいないはずなのに子猫を埋めたことを知っていた様子であったことや、雨がエゾヒにさらわれたあと、黒幼女が現れて、去り際に私のことをチーと呼んだこと、そして最後に、黒幼女が現れたとき、いずれも雨が降っていたこと――これらの状況は全て、黒幼女の正体が雨であることを指し示している。
雨がそんなことをした理由は、面と向かって私と顔を合わせることを躊躇ったため、アバターとなる別の人間で私との接触をはかろうとしたからだと考えられた。
以前ハーマイオニーに見せてもらった写真には、学園祭で行った男女逆転版演劇の衣装合わせをした時に撮られた光景が写されており、そこには黒幼女の格好をした金髪王子と男装姿の雨が一緒になって写っていた。
恐らく雨は、それと同じ写真を持っており、それを参考にしたか、たまたま印象に残っていたか、はたまた手頃で一番想像しやすかったという理由で、黒幼女をアバターの姿として選んだ。
「別人を……演じていた」
リインは視線を泳がせながら、何かを考え込んでいるような素振りを見せた。
「根拠なら、もう一つある。エゾヒはさっき『やはり、こちらに合わせるのは難しいな』と言っていた。私は最初、この言葉の意味がわからなかった。けど、さっきエゾヒと会話してハッキリした」
エゾヒは『お主が先ほど我の背中に投げつけた瓶』と語ったが、私はその中の一言に疑問符が浮かんでいた。
「子猫を埋めたのはそっちでは一昨日かもしれないけど、実際のところは五日も前の話。あなたやエゾヒが居た空間では“さっき”かもしれないけど、エゾヒが雨を連れ去ってからも三日が経過している……つまり、私たちと同じ時間を過ごしていたハーマイオニーでもないし、三日後という約束を呑んだエゾヒでもない」
これに関してはハッキリとした確証を得られていないものの、恐らく異次元設定でよくある、“時間の流れが違う”というやつによって、エゾヒたちが消えた先の時間の流れのほうが早く、こちら側が遅いが故に、エゾヒは『やはり、こちらに合わせるのは難しいな』と言葉を漏らしたと考えられた。
連れ去られていた雨と再会したときの反応や、衣服の状況や反応からみても、その可能性にはある程度の確証を持つことが出来ていた。
しかしそう仮定すると、条件に該当する人物は存在しないことになる。
「あなたは宿主の記憶を探ることは出来ても、その前後の状況やその時の感情みたいなものは引き出せない。そして、今さっき目を覚ましたばかりだからこそ、あなたは時間の感覚が把握できていない。これが私の推察だけど、ちがう?」
リインは目を閉じて凝然としたまま立ち尽くし、長くも短くも感じられる数秒の間、静寂が流れた。
私は痺れを切らし、そしてもう一度問う。
「……もう一度聞く。エゾヒでも、ハーマイオニーでもなく、あーちゃんでもないあなたは一体何者?」




