第8話 魔法少女は失意の先で。(4)
◆4月7日 午後4時32分◆
濃緑色とでも呼ぶべきであろう、エメラルドを濃くしたような深く澄んだ緑色の瞳が、心配そうに私を見据えていた。
私がその瞳の奥に垣間見たのは、どんな強敵にも立ち向かうという勇敢さと、何事にも屈しないという信念、そして誰かを救いたいという強い意志――当然、そんなものが目に見えるわけはないので、それは私が感じ取った感想に過ぎないが、一つだけ確実に言えることは、私はまるで五年前の誰かを見ているような錯覚を覚えている……ということだろう。
「おっけー……。アンタの覚悟はよ~く伝わった。じゃあ、ここからは私からのお願い……私と一緒に来てくれる?」
「は……はい! もちろんですの!」
木之崎は大きく頷き、私もまた承諾するように頷き返した。
「あ、そうそう。私からの自己紹介がまだだったわ。まあ、私のことは知ってるみたいだけど、礼儀は大事だから、一応。私の名前はさみだれって書いて五月雨。ヨロシク」
「宜しくお願いしますの。五月さん」
今の私とチーの間には絶対に越えられない壁があり、それは今さら変えることのできない事実であり、現実だった。
私が再び馴れ合うような態度をとれば、あの子は昔に戻ったと勘違いしてしまい、最終的には依存してしまう――そうなれば、あの子に現実を突きつけることになり、傷つけ、悲しませ、今まで距離を置いて突き放すような態度を取ってきた意味も無くなってしまう……それでは何の解決にもならないと私は理解していた。
だからこそ、今の私がやるべきことは手を差し伸べることではなく、あの子が自分自身の力で手繰り寄せた糸を、上手に繋いで結んでやること――私はそう自分に言い聞かせながら、小さく何度も頷いた。
「じゃあ、急いで……」
「あっ!? 雨さん! 待ってください!!」
大声で私を呼び止める声に振り返ると、木にもたれ掛かりながらも立ち上がる夏那ちゃんの姿が視界に入り、私は慌てて駆け寄る。
「ちょっ!? 夏那ちゃん! 無理しないで!」
「これを……お姉ちゃんに渡してくれませんか?」
そう言って弱々しく震える指から零れ落ちた何かを反射的に掴みとり、私はそれを眼前にかざす。
「何……コレ……? 香水……じゃないよね?」
それは何の変哲も無いガラスの小瓶だった。
光に通すように照らして見ると、中には少量の液体らしきものが入っていたため、高級な香水かとも一瞬思ったのだが、夏那ちゃんがこのタイミングで渡すわけがないだろうと、私はその可能性をすぐに否定した。
「お姉ちゃんがくれた栄養ドリンクです。予備を渡されていたんですけど、私が持っていても役に立たないと思うので」
「栄養ドリンク……? なんか胡散くさー……ていうか、これって……」
「あ! それなら、ぼ……私も渡されていますの! どうぞ!」
思い返してみると、チーが似たようなものを何も無い地面に溢したり、交差点の角に振りまく場面に何度か遭遇しており、最初は匂い消しか何かだと思っていたのだが、交通事故の現場や動物の亡骸に振りまいていることを知り、どうやら浄化の真似事を続けているであろうことを私は後になって理解することになった。
それと同じものであると仮定した場合、栄養ドリンクをどうして道端に振りまいていたのかという疑問が残ることになり、ますます謎が深まってしまうような気もしたのだが、チーがこの場に何本も持ち合わせ、それを二人に配っていたという状況を加味すると、飲むことによって何かしらの効果があるものであることに間違いは無いのだろうと、私は判断した。
「あの子は意味の無いことはしない……。これにはきっと何か意味がある……。となると、やっぱ魔法絡み……」
もう一つの小瓶を押し付けられるように受けとり、手の平に乗せられた二つの小瓶を私は強く握り締めると、小瓶がほんの少し光り、暖かくなった感じがしたものの、再び手を開いて確認しでも変わった様子はなく、私は首を傾げる。
「ま、よくわからないけど……とりあえずこれは私がチーに渡しておくから、どーんと任せて!」
「ありがとうございます!」
私が出来るだけ明るく伝えると、夏那ちゃんは安心したかのように、そのまま木の根元にへなへなと座り込んだ。
「あの~、それで、ぼ……私はどうすれば?」
「それは自分で考えな」
「え~、そんなぁ……」
「でもまあ、たぶんチーならこう言うだろうね。『この子をみてあげて。危なくなったら二人ですぐに逃げること』って」
チーの性格であれば、戦場に足を踏み入れてわざわざ危険に晒されるよりは、離れた場所でじっとしてくれたほうが安全だと考えることは判っているし、なによりも、後々のことを考えれば、これは二人にとって良いきっかけになると思われたため、私はチーのモノマネをしながら、それっぽい言葉を並べ立てた。
「あ。それ、確かに言いそうですね……。さすがは幼馴染み……。そうですね! そうします!」
「大丈夫です! ハーマイオニーちゃんは私に任せてください! こんな状態だけど、年上の私がゼッタイに守りますから!」
「年上……? どういうこと?」
「あーっ!? ななな、なんでもないです!? 夏那ちゃんに見守られながら一緒に居ますわー!?」
「みてって……そっちが……? ということは……はは~ん……なんだか面白そうなことになってるじゃん、ハーマイオニーちゃん?」
ウィッグを取り上げた途端に尊厳がどうのと慌て、年下であるはずの夏那ちゃんに年下扱いされ、極めつけとばかりに今の慌てようを見たことで、私はおおよその状況を察することになった。
これは面白そうだと、早速ながらにイジってみると、当のハーマイオニーちゃんは死んだ魚のような目で私を暫く見つめた後、視線を逸らしながら崩れ落ちた。
「あは、あはははは……」
「ええっ!? そ、そんなに落ち込むこと!? と、とりあえず時間も無いみたいだし、私達は行くから!?」
私は木之崎にアイコンタクトで合図を送り、私たち二人はその場を逃げるように立ち去った。
「行ってきますの!」
「あの子が絶望する前に、私が必ずあの子に希望を作らなきゃ……だしね……」
私は誰にも聞こえないくらいの小さな声で、そう呟いた。
◇◇◇
◆4月7日 午後4時55分◆
私は注目されながら喋ることや、自分の考えを打ち明けること、そして公然の場で人を疑うことなどが苦手であり、刑事ドラマや推理ドラマで見かけるようなシーンも、私にとってはハードルが高く、どちらかというとソファーの影で変声機を使うほうが性に合っているとさえ思っている。
しかし、苦手だからとか、100%ではないからと逃げているばかりでは解決しないことがあることも、私は経験上知っている。
だからこそ私は、信じられるものだけを信じることにしていた。
「あーちゃん、聞こえるー?」
「そんな大きな声出さなくても聞こえてるー」
私は退屈そうに待ちぼうけを食っているリインに声を掛け、ゆっくり歩みを進める。
「この雨、なかなか止まないね。さっきよりはマシになったみたいだけど」
先ほど地面を転がった時より雨足は弱まっているものの、雨はなおも振り続けていた。
「まあ、私はこういうの嫌いじゃないけど」
「私はさっさと止んで欲しいかな。まあ、こんな雨の中でも私は見えてるから問題ないけど」
リインは少し怪訝そうな顔をした。
「なにそれ? 目が良いアピール?」
「そんなんじゃない。あ、そうそう。“Rain or Shine”って言葉知ってる?」
「は? 知らない。何それ?」
「直訳すると『太陽はいつも雨を見てる』。まあ、太陽の上に雨は降らないからね」
「ナニそれ意味わかんない。どんなときに使うのよ?」
「絶対的有利に立っている時」
リインに向かってVサインを送ると、再び怪訝そうな顔を浮かべた後、納得したように人差し指を立てた。
「あー。まさに今の状況ってことか。で、ソイツどうするか決めたの?」
蔦に縛られたまま、まったく動くことのないエゾヒを指差しながら、リインはそう言った。
「まだ。でも、その前にリインに一つ聞いておきたいことがあるの」
「なによ。改まって」
「あの猫を一緒に埋めたのっていつだったっけ?」
「はぁ……? なに、突然?」
「いいから。答えて」
「あの猫って、黒い子猫のこと? ちょっと待って……確か一昨日くらい、だったっけ?」
「ありがと。その答えだけで十分」
私は大きく息を吸い、吸い込んだ酸素をゆっくり吐き出し、そして問いかけた。
「ねえ……。あなたは誰?」




