第8話 魔法少女は失意の先で。(1)
(……ここは?)
気が付くと私は、どこまでも広がっているかのように果てが見えないほど遠く澄み渡った青と、どこからともなく差し込む光明によって、数多の気泡たちが流れ星のように煌きながら流れ過ぎ去ってゆく、煌びやかで神秘的に彩られた世界――まるで、海の中を漂流しているかのように、私の体はその空間を漂っていた。
この場所が現実ではなく、それでいて夢であって夢ではなく、どちらかといえば抽象的なイメージや想像に近いものだということを、私はその現実離れした情景からすぐに察した。
(あー……なるほど。とりま、状況把握。イメージがかなり鮮明に視覚化されてるってことは、私、たぶん眠ってるな……)
私は状況を受け入れるなり、泡が流れてくる方向――つまり、より深い場所を目指して泳ぎはじめた。
暫く潜り続けると、光も届かないような深淵の闇の中に、自ら発光しているかのように鮮烈な光を放っている一際大きな気泡――一見した様子は、まるで真夜中に浮かびあがった月のようなものを発見し、私はその光にゆっくりと近づく。
(これは……?)
私の伸ばした指先が触れたその瞬間、気泡はパチンと弾けて無数の泡となり、それらは私の体を撫でながら頭上へと上っていくのと同時に、私の頭の中に突如として様々な情報が流れ込んできた。
(これが……この人の記憶……)
◇◇◇
◆4月7日 午後4時25分◆
瞼を開けると、生い茂る木々が真っ先に視界に入ってきた。
「ここ……は……?」
「あっ……!? 雨さん!?」
「ご気分はいかがですの?」
私を心配そうな面持ちで覗き込んでいたのは、一つは見知った顔、もう一つは見知らぬ顔という顔ぶれであり、体を起こして周囲を確認し、満足に光も届いていない薄闇に包まれた雑木林の中に寝かされていたことを私は理解する。
「夏那ちゃんと……アンタ誰?」
「あ、あの……えっと、私はその……春希さんの友達の木之崎芽衣といいますの。はじめまして、五月さん」
チーに新しく出来た同学年の友達だろうかと勘繰ったものの、数日前に当人から聞かされていた言葉を思い出し、それはないだろうとその可能性を早々に否定した。
「へぇ……。まあいいや。私、どれくらい気絶してた?」
「えっと、10分くらい……かな?」
映画のような映像をあれほど見せられたというのに、現実世界ではそれほど時間が経過していなかったことに、私は少しだけ驚いた。
しかしながら、私はそこで更なる疑問を抱くことになる。
「あれ……? 私は何を見てたんだっけ? なんとなく記憶はあるんだけど……」
「少々お待ち頂けますか? ……聞こえていますか? そちらの様子はどうですの?」
先ほど木之崎と名乗った子は、なにやら耳に手を当てながら独り言を話し始め、何をしているのかと一瞬疑問を抱いたが、どうやら耳に付けているインカムに向けて話しかけているであろうことに私はすぐに気付いた。
「夏那ちゃん、ゴメン。耳に着けてるソレ、ちょっと貸してくれない?」
「えっ……? あ、はい。どうぞ」
夏那ちゃんからインカム一式を受け取ると、私はすぐさまそれを耳に装着し、インカムに向かって話し掛ける。
「チー! 聞こえてる!?」
『うわぁ!? びっくりした!? ……って、あれ? この声……五月さん? 目が覚めたんです……の!?』
「んん……? アンタ誰……? なんか聞いたことあるような声だけど……?」
その声はチーとは似ても似つかない声で、思っていた相手とは違っていたものの、何やら聞き覚えのある声だったため、私は考えるよりも先に疑問の声が出た。
『へっ……? はっ……!? は、はじめまして~。ハーマイオニーですの~』
「ハー……ニー? なんか胡散臭い名前……じゃなくて、チーはドコよ!? 知ってるんなら今すぐ教えて!!」
『チー……? あ、花咲さんのことですね? ……って、ああ!? 今出てきました!? エゾヒさんが吹き飛ばされた感じで……と思ったら、煙が晴れてきました!』
文脈も何もかもが支離滅裂で、少しも状況が伝わってこないため、私は着々とイライラを募らせていった。
「春希さんは無事ですの!?」
インカムの向こう側にいる相手に私が問いただすよりも先に、木之崎と名乗った子が叫び声を上げ、私は突然のことに一瞬驚いて、彼女の顔をマジマジと見た。
すると、彼女は先ほどまでの朗らかな表情とは違い、真剣な表情でインカムに耳を傾けており、必死な形相を浮かべていた。
『え~と……ああっ!? じ、地面に倒れてます!!』
私はその言葉を聞くなりすぐさま立ち上がり、そして全速力で走り出した。
「あ、五月さん!?」
………
雑木林を出る直前辺りで、双眼鏡を覗き込んでいる小さな人影が視界に入り、私は追い越しながらもすぐさま急ブレーキをかけて立ち戻る。
「芽衣さん! 今、花咲さんが……。て、うわぁっ!? あー……えっと……はじめましてー……わ、私はハーマイオニー……。よろしくですのー……」
双眼鏡をポロリと地面に落としながら驚く様子を見せたものの、私の顔を見るなり、その子はすぐにそっぽを向き、良からぬ自撮り写真のように手で顔を隠しながら自己紹介をした。
リインの衣装を着て棒立ちになっていた子であることは、青い衣装を着ているのですぐにわかったのだが、私のことを知っているような発言といい、その一連の不審な動作によって、私は疑念を抱かざるをえず、顔を確認するために覗き込もうとするも、その子は顔をひたすら隠し、絶対に目を合わせようとはしてこなかった。
「さっきの声……アンタでしょ? なんで私のこと知ってるワケ? アンタくらいのサイズの女子の知り合いなんて、チーくらいしかいないはずなんだけど? つか、いい加減顔隠してないでこっち向いてくんない?」
「い、嫌です……の。私、恥ずかしがり屋なので、人と顔を合わせるのは……」
「い・い・か・ら! こっち見る!!」
断固として抵抗する相手に、なぜだか苛立ちを覚え、私はその小さな頭部を鷲掴みにし、力業で顔を無理矢理こちらに向けることにした。
「いたたたたぁ!? や、やめてください~!?」
その顔を見るなり、私はようやく相手が何者なのかに察しがつき、些細なことに無駄な労力を使ってしまったことに気付いて、大きなため息をつく。
「は~……どうりで、女子の知り合いの中には居ないわけね。……んで? なんでアンタがここに居んの?」
私の知る限り、チーとコイツの間に“小さい”という関係性はあっても、知人ではなかったはずなのだが、どういうわけか私が昔着ていた魔法少女の衣装を着て、この場に居るということに私は疑問を抱かざるを得なかった。
「だ、誰のことでしょうか~? 私はハーマイオニーですの~」
「この期に及んで、まだシラを切るか……良い度胸じゃん。つか、ナニ? ハーマイオニーだっけ? その格好ナニ? てか、おちょくってんの? 私の衣装まで持ち出して、喧嘩売ってるわけ?」
私は相手の被っていたウィッグをもぎ取ると、それを遠くの草むらに向かって放り投げた。
「ああーーっ!? そ、それがないと僕の尊厳がーーーっ!?」
「はあ……? 尊厳? ナニそれ? そんな格好のアンタにそんなもんあんの?」
「色々と複雑な事情があるんですー! 放っといてくださいー!」
ウィッグを失った自称・ハーマイオニーは、犬が投げられたボールを拾いに行くかのようにそれを必死の形相で追いかけていき、私は少しばかり居たたまれない気持ちになった。
どういう経緯なのかは定かではないが、私を救出するためにチーの手助けをしていたことは事実であり、その点だけは評価に値するだろうと考え至って、それ以上追求するようなことはせず、置き土産として落としていった双眼鏡を地面から拾い上げる。
「……なんかよくわからないけど、まあ今回は見なかったことにしておくわ。そんじゃ、ちょっと、これ貸りるよ」
草むらに飛び込んだ持ち主から返答を聞くこともなく、すぐさまレンズを覗き込んで目的の人物を探すと、健全な様子のチーをすぐに発見して、私はとりあえず安堵の息を吐いた。
しかしながら、次にレンズが捉えた光景を私の脳はすぐに処理することが出来ず、二度見してからそれが現実であると理解した直後、衝撃のあまり言葉を失った。
「……マジか?」
チー越しに視界に入った存在は紛れもなく、隣町を火の海にしたあの時のエゾヒであるということを、トラウマとも言うべき私の記憶が、警鐘を鳴らしていた。
しかしながら、数秒経っても双方ともに動く様子はまったくなく、私は混乱と放心状態を繰り返しながら頭を抱え込むことになった。
「様子がおかしい……。二人とも動かないし……一体、どういう状況……?」
「まっ、待ってください~!」
背後から声がして反射的に振り返ると、木之崎に肩を支えられている夏那ちゃんが視界に入り、私の脳は冷水をかけられたように正気を取り戻し、そして声を上げる。
「……えっ? ど、どうしたの!?」
パッと見たところ、足に外傷のようなものは見受けられないが、夏那ちゃんの両足はひどい痙攣を起こしている様子で、歩くこともままならないといった様子だった。
「えっと……なんか、急に体がだるくなって……足が動かなくなって……」
「単なる疲労……ってわけじゃなさそうね……」
エゾヒとの立ち回りで見せた夏那ちゃんの動きは、とてもじゃないが普通の人間の為せる動きではなかった……そのことを踏まえれば、チーが魔法を使って身体能力の向上を図ったことは明白であり、詰まるところ妹をこんな状態にした原因はチーにあることになる。
しかしながら、そうでもしなければエゾヒと相見えるなんて、無謀を通り越して命を捨てるようなものであり、それが最善の策だろうということも私は納得していた。
「あのバカ……。コミュ障のくせに、関係のない周囲の人間まで巻き込みやがって……。これじゃ、私の責任でもあるじゃんか……。ちょっとこれ、持ってて。すぐ済むから」
木之崎に双眼鏡を押し付け、右手の手のひらを天に仰ぎ、私は誰にも聞こえないような小声で言葉を発する。
ものの数秒でそれを終えると、すぐさま夏那ちゃんを両腕で抱え上げ、そのままお姫様だっこの状態で木陰まで移動させた。
「わわっ!? 雨さん!?」
「夏那ちゃんは、ここで休んでて。あの子は私が連れ戻す」
「で、でも……! お姉ちゃんは……!!」
小さな手が立ち上がろうとする私の服の裾をすがるように掴み、その必死そうな表情からは、並々ならぬ事情があることが一目で伺えた。
「……あの子と何かあったの?」
「春希さんは、私たちのことが信じられないと仰いましたの……。私が春希さんの信頼を損ねるような真似をしたから……」
「今のあの子ならそう言うでしょうね……。でも、その言葉を鵜呑みにして、チーを一人で行かせたってこと?」
「……」
私がトゲトゲしく言い返すと、木之崎は俯いたまま黙ってしまった。
――パチーン!!!
私はその様子に唐突に怒りが込み上げ、その頬目掛けて平手打ちを加えた。
「アンタさ……。チーの友達って言う割には、あの子のこと何もわかってないんだね……」
木之崎の胸倉を掴んで眼前まで引き寄せ、チーの居た方角を指差す。
「チーは、アンタたちに危険なことをさせたくないから、たった一人でエゾヒに立ち向かってるんじゃないの?」
「それは、理解していますの……。私たちを危険に晒したくない……だから、私たちに嘘を吐いて嫌われてでも、私たちを近づけさせないようにしていましたの……。でもっ……! 私たちが無理を言って着いて行ったところで、春希さんの足枷にしかならないことも……私は理解していますの」
静寂が訪れたかと思うと、それを打ち破るようにパラパラと雨が降り始め、雨音が周囲を包みこむ。
長く感じられた沈黙を破るように、私は口を開く。
「自分が弱いことを棚に上げて……勝手な言い分……。それに、アンタはチーのことを誤解してる」
「誤解……?」
私は締め上げていた拳を解き、突き放した。
「あの子はアンタが思ってるほど強くないし、弱くもない……普通の子。道に迷って不安になったり、転んだりすれば泣くし、暗いところが苦手で歩けなかったり、夜は一人でトイレに行けないような、普通の女の子だった。だけど、自分のことすら満足にいってなくてボロボロなのに、面倒見が良くて、負けず嫌いで意地っ張りで、それでもやるときはやるし、正義感と責任感が人一倍強い……。でも、あえて一つだけ挙げるなら、チーは“寂しがり”だ。ちょっと嘘吐かれたくらいじゃ、あの子は離れたりはしない。いや……離れられないんだよ」
もともと内気な性格ではあったものの、魔法少女になってからは今までが嘘のように明るく振舞うようになった――しかし、ある時期を境にその明るさは消え、それまで以上に塞ぎこんでしまった。
私はその経緯を知っていたし、そうさせてしまった原因が自分であることも十分に理解していた。
「なにせ、当の本人が親しい人と別れることを一番怖がってるんだから」
チーが友達を作らなくなったのは恐らく、親しかった人間が自分から離れてしまったときの辛さを嫌というほど知っていて、自分が他人に依存してしまうことで、別れがより辛くなることを知っているから――だからこそ、寂しがり屋な自分を偽り、他者を遠ざけ、今も孤独を演じ続けていると私は考えている。
私にはそれをやめさせることは出来なかった――なぜなら、チーから離れることを選んでしまった私には、そんな資格などあるはずがなかった。
「私はチーと大喧嘩して、絶交した。あの子が一番辛くて苦しかっただろうってときに、私はそばに居ることを拒絶した。それに私はもう、あの子と同じ教室で勉強したり、ふざけあって笑ったり、一緒に登下校したりは出来ない。あの時の私と今のアンタの境遇は似ているけど、全然違う。アンタにはあの子の隣に立つ資格があるし、アンタの声や想いはちゃんとチーに届いてる……。だから、今すぐ決めて。ここでじっとあの子を見ているだけか、この手を取って私と一緒にあの子の支えになるか」
私が右手を差し出すと、木之崎は迷うことなく私の右手を強く握った。
「私はもう……迷いませんの……! 今はまだ自称になりますが、たとえ否定されても、信用されていなくても……私は春希さんの“友達”ですの! 自信を持って春希さんに“友達”と名乗れる存在に、きっとなってみせますの……!!」
「……うっ!?」
私が苦痛に顔を歪めると、木之崎は慌てて手を離した。
「あっ……!? 大丈夫ですの!? つ、強く握りすぎてしまいました!?」
「あーいや……大丈夫……。そういうのじゃないから」




