第7話 魔法少女は一緒で。(5)
◆4月7日 午後4時37分◆
水滴が空からパラパラと降り注ぎ、それは雨粒となって地面を濡らし、雨音が空間を支配しはじめる。
「エゾヒ」
私の存在に、今気が付いたかのような素振りを見せ、エゾヒの眼光がこちらを睨みつける。
ひと睨みされただけだというのに、私の脳裏に過去の恐怖が過ぎり、両の膝は条件反射のように震え、背筋は凍りついたように固まる。
しかし、私は唾を飲み込みながら拳を強く握り、なんとか平静を保つ。
(油断は出来ない。今のエゾヒがどういった状況なのかはわからないけど、もしも活動限界を既に越えていた場合、以前のような破壊兵器になっている可能性は十分にある……迂闊に近寄ったら何をされるかわからない。だけど、活動限界内であれば、まだ正気である可能性もある……。ここは、一か八か、試してみるしかない……)
状況の変化を見逃さないよう、私は目を大きく見開き、一歩進もうとした――その直後だった。
――ビュン!!
突如、私の胸に爪跡が刻まれた。
「……ぃ!?」
私が苦痛の声を発するよりも先に、腹部にドスンという鈍く重い衝撃が走った。
水切りの石のように、私の体は何度も地面をバウンドしながら地面を転がり続け、回転が収まると、私の体は雨水でぬかるみきった泥に浸かることとなった。
(息……できない……)
呼吸すらままならない体を捩りながら仰向けになり、自分の胸元へと手を当てる。
すると、滑り気のある赤い絵の具のようなものが手の平に僅かにこびりついていた。
胸元から腹部にかけて、大きな4本の亀裂が走っていたものの、傷そのものは浅く、ダメージとしては衣装が派手に裂けているくらいだった。
(危なかった……。ただでさえ控えめな胸が、丸ごと持っていかれるところだった……というか、控えめだったからこそ、軽傷で済んだのか……?)
私は自分の出した結論に不機嫌になりながら、上体を持ち上げようとする。
しかしその瞬間、腹部と左肩に鋭い痛みが走り、私は思わず動きを止める。
「うくっ……!? 肩……が……?」
初撃よりも二撃目が思いのほか効いており、弱り目に祟り目とばかりに左肩は地面を転がった際に脱臼したらしく、少し動かそうとするだけで痛みが走った。
腹部に触れると焼けるように熱く、ズキンズキンと激痛がリズムを刻んでいたため、私は応急処置だけでも行おうと腰のポーチに手を伸ばす。
「……!? ポーションが……!? そういえば……さっき、あーちゃんに使ったんだった……。この感じだと、あばらの1、2本くらいはやられているかも……」
声を発するだけでも痛みが走るため、私は首を持ち上げ、自分の置かれている状況を再度確認する。
私の視線の先には逆さに映るエゾヒが、ゆっくりゆっくりと、しかしながら確実にこちらへと歩みを進めていることが視認でき、私は思わず笑みを浮かべた。
「理性が少しでも残っているなんて、甘い考えを持つべきじゃなかった……。あーちゃんの言ったとおり、私は何も変わってない……。魔法少女じゃなくなった私が、無茶をすればこうなることなんて判りきってた……」
“万事休す”という言葉が頭に浮かびながらも、私はその思考に反するように呟く。
「でも……まだだろ……私……。これくらいの危機的状況なんて、人生で何度も味わってきた……。私はこれくらいでへこたれたりなんてしない……」
衣装は水分を含んでその重みを増しており、体にかかる重力が何倍にも感じられるものの、その重みに逆らい、体中を襲う痛みを堪えながら、私は立ち上がる。
そして最後に、長い深呼吸をする。
「結果はともあれエゾヒの現状は把握できた……。あとは、あの胸にある“怒り”の原因をどう取り除くかだけ……。となれば、もうあの切り札を使うしかない」
私は現状の打開策を考えたが、一つしか思い浮かばなかった――それは、事前に用意しておいたもう一つの切り札を使う手段だった。
地面のマーカーを見た限り、その切り札はエゾヒの右斜め後方に位置していることが把握でき、私は全身を走る痛みに堪えながら、無理をおして歩き始める。
(目の悪いエゾヒが私を視認できているとは考えにくいけど、確実に私に向かって歩いている……。でも、意識があるようにも見えない……。意識の無い中で私を追っているのだとすれば、私が魔法を使ったことによる魔法の残滓を、エゾヒが本能に従って追っているだけ。それなら好都合……)
これ以上、私がこの場に留まれば切り札との距離が離れてしまうばかりでなく、私がエゾヒの攻撃範囲に入ってしまい、もはや成す術が無くなってしまう可能性があった。
そのため、私は自分が囮になって、エゾヒを切り札の場所まで誘導することを選んだ。
しかしながら、視界の端にエゾヒを捉えながら足取りを早めてみるものの、降りしきる雨と疲労のせいなのか、私が思うように体は動かず、スピードも上がりはしなかった。
(こんなんじゃ間に合わない……! このまま行けば私がエゾヒを切り札まで誘導するよりも先に、私がエゾヒの攻撃範囲に入ってしまう……。急がないと……!)
焦って意識が散り、足元が疎かになってぬかるみに踏み込んでしまった私の体は、再び地面へと叩きつけられた。
その痛みに堪えながらすぐさま立ち上がろうとするも、肉体が声なき悲鳴を上げ、立ちあがることすら許してはくれず、意識の混濁とともに、視界が朦朧とし始める。
(くそっ……。ポーションの効果が……切れ始めてる……。底上げされてる自然治癒能力でも……傷が治らない……。体中が悲鳴を上げて……少しも動かない……)
――ピシャ……ピシャ……。
水たまりをゆっくり踏みしめるような水音が耳に届き、その音ははゆっくりと私に向けて迫っていた。
(音が近い……。もう……ダメなのか……)
その水音は私の近くで止まり、私は泥に浸かった顔をゆっくり上げる。
「どう、して……」
私の目の前には何故か人の手があり、その手の上には二つのポーションが乗っていた。
そして、雨によってずぶ濡れになりながら、芽衣は私に微笑みかけていた。
「お二人からお預かりしましたの」
「なんでここに居る、の……。早く、逃げ……」
私が逃げるように伝えるよりも先に、私の体は有無を言わさずに抱き起された。
「ちょっとだけ、我慢してくださいの」
芽衣は二つのポーションのうち一つを片手で器用に開け、その中身を私の口の中へと強引に流し込んだ。
「ふぐぅ!? ……ぷはぁ!? い、いきなり何するの!?」
「春希さんは、やっぱり私の知っている春希さんでしたの」
「い、言ってる意味がわからないんだけど……?」
ポーションは自然治癒能力を急激に高めることは出来るものの、ゲームのように即効性があるわけでもないため、傷がすぐに治るわけでもなければ痛みがすぐに消えることもない――はずなのだが、ポーションを飲まされた私の体からは不思議と痛みが消えていた。
「立てますか?」
「大丈夫。自分で立てる」
私はここに来てしまった芽衣へのせめてもの抵抗として、再び差し出された手を無視し、自力で立ち上がろうとする――しかし、その抵抗すら見透かされているかのように、私の手首は強引に掴まれ、引っ張り上げられた。
「遠慮なんていりませんの。だって、私達は友達なんですから」
「私はまだ友達だって認めてない。それと、どさくさ紛れに私を抱きしめるの止めてくれる?」
私の顔面には豊満な胸がぎゅうぎゅうと押し当てられ、身体は腰に回された腕でしっかりと固定されていた。
しかしながら、疲労しきっている私は甘んじてそれを受け入れ、芽衣に体を預けながら束の間の休憩を得ることにした。
「御免なさい。勝手なことをして」
「いい。私のため、なんでしょ。言わなくても判ってる」
「やっぱり、春希さんに隠し事するのは難しいですの」
「でも、まあまあ良い線いってたと思う」
芽衣は突然、黙りこくってしまい、私は違和感を覚えて問い返す。
「どうした?」
顔は見えなかったので表情は読み取れなかったが、芽衣はその直後、ゆっくりと私の拘束を解いた。
私は支えを失って体勢を崩しかけ、なんとか立て直すものの、芽衣は自分のブラウスのボタンをおもむろに外しはじめている様子が目に留まり、私は慌てて声を上げる。
「ちょ、なにやって!?」
そのままブラウスを脱ぎ、上半身はインナーのみとなった芽衣は躊躇することなくブラウスを二つに引き裂いて輪っか状に結び、それを私の右肩に下げ、もう一方の布によって腰まわりにしっかりと固定した。
「痛くないですの?」
「だ、大丈夫。それより、芽衣が……」
「私のことは大丈夫ですの」
「でも、そんな格好じゃ……!」
「えっと、その……言いにくいのですが、春希さんの可愛らしいさくらんぼが、お見えになっていましたので、丁度良いかと思いましたの……」
芽衣の言っている言葉の意味が数秒ほど理解できなかったものの、自らの胸部の状況を改めて把握した私は自分の痴態にようやく気付き、顔面は急激に熱を帯びていった。
私が取り繕おうとあれこれ考えているうちに芽衣は踵を返し、エゾヒに居る方向へと既に歩き出していた。
「なっ!? ちょっと待って! そっちは!?」
「春希さんは行ってください。私が彼を止めますの」
「何言って……」
「大丈夫ですの。今日の私は調子が良いみたいなんですの」
(それって、ポーションを飲ませた影響……? 夏那たちと同じで、一時的に身体能力が向上しているとはいえ、そんな付け焼刃が今のエゾヒに通用するわけは……)
「そ、それは勘違いだから……」
芽衣は振り返り、今までにないまっすぐで真剣な眼差しを私に向けた。
そこに、先ほどまでの穏やかな表情は微塵も残っていなかった。
「まだ、私が信頼できませんか?」
「だ、だから。そういう話じゃないんだって!」
「私は春希さんにだけは嘘は吐きたくないんですの。友達ですから……。だから、信じてください」
言い終えると、芽衣は私を安心させようとしてなのか、にっこりと微笑み、そして再び背を向けた。
私はさり気無いその言葉と所作に衝撃を受けていた。
迷うことなく他者を救い、毅然と脅威に立ち向かうその背中は、私よりも魔法少女らしく、その姿を目の当たりにした私は、私も彼女のようにありたいと心の底から感じていた。
「私が彼を止めます」
私は本当の意味で彼女を信じてみようと思っていた。




