第6話 魔法少女は信頼で。(5)
◆4月7日 午後4時13分◆
突如として発生した煙によって周辺一帯は真っ白になり、私は白煙の中で孤立した。
霧が発生したというわけではなく、鼻を突くような焦げた匂いと刺激臭に加え、目が刺激されるようにピリピリ痛むことからも、これが煙であり、しかもただの煙ではないことは私にはすぐに察しがついた。
(あーちゃんを……探さなくちゃ……。そう遠くない場所に居るはず……。きっとあーちゃんのことだから、上手く回避したに違いない……きっと……。もし……仮にそうでなくても、きっと今ならまだ……)
薄目を開けながら片手で鼻と口を塞ぎ、もう片方の手で地面を手探りしながら、感覚を頼りに雨が居た方向に進む。
「――お姉ちゃん!」
「夏……那……?」
「ちょっとジッとしててね?」
妹の声が唐突に耳元で聞こえたものの、煙の刺激によってまともに見ることは出来ず、その姿は確認出来なかったものの、成すがままに顔面に何かを装着させられたあとに瞼を上げると、白煙に染まる景色の中に一つの影がぼんやりと浮かび上がった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「あ、ああ……。これは……ガスマスク……?」
妹らしき人物は顔面をガスマスクで覆っており、それが自分の妹であるということを認識するのに、私は数秒の時間を要した。
「それじゃいっくよー!! 肩に掴まって!!」
「ま、待って夏那!? あーちゃんは!? あーちゃんがまだ近くにいるはず! 探さないと……!!」
『五月さんなら心配要りません! ぼ……私が連れて行きます……の!』
ハーマイオニー声がインカムから聞こえ、妹は私の同意を促すように小さく頷いた。
熟考した後、私は説得されるような形で妹の背に掴まった。
「……わかった。お願い」
「それじゃあ、振り落とされないようにしっかり掴まっててねー♪」
「……っ!?」
ジェットコースターさながらのスピードで急発進したイアに背負われながら、私は白い煙で覆われた一帯を離脱した。
………
白煙を抜け出し、離れた位置で一旦立ち止まって後方を確認していると、程なくして雨を背負ったリインが煙の壁を突き破るように飛び出してきた。
「あっ!? ハーマイ……じゃなくて、リインちゃん!! こっちこっちー!!!」
手を振って合図を送ると、こちらを視認したリインがこちらに駆け寄ってきた。
「そっちも無事みたいですね」
「……っ!?」
リインの背でうな垂れている雨の姿を一目見て、私は堪らずに声を上げる。
「あーちゃん!」
「わわっ!? お、お姉ちゃん!? 暴れないで!? 一旦落ち着こうよ!?」
「お……落ち着いてなんていられるか! さすがにさっきのをまともに受けていたら、ただじゃ……っ!」
言い合いをしている場合ではないことは重々承知していたものの、私は気持ちを制御することにそう慣れてはいなかった。
『皆さん、聞こえますの? そこから40メートルほどの林の中に救護スペースを作りました。こちらに雨さんを搬送してください。応急処置はそこで行いますの』
◇◇◇
◆4月7日 午後4時15分◆
「あーちゃんは!?」
芽衣の指示した木陰に到着して早々、芽衣は雨を木陰にゆっくりと寝かせた。
首回り、胸部、腹部と手馴れた様子で触診してゆく芽衣を黙って見つめ、私は緊張しながら動向を窺う。
「外傷は少しあるようですの……。ですが、大きな怪我もなく、気絶してるだけみたいですの」
「ほ……本当……に……? よ、よかった……」
それを聞いた途端、私の体からは自然と力が抜け、支柱を失ったように膝から崩れ落ちた。
恐らく、『心の底から安堵した』という言葉はこういうときに使うのかもしれないと、私は身をもて実感した。
「と、とりま……コレ」
「う、うん」
所持していた自分のポーションを夏那に手渡すと、夏那は聞き返すでもなく私の意図を察し、それを雨に飲ませる。
その様子ぼんやりと眺めていると、私の中から焦燥感が消え、頭に上った血が全身に戻ってゆくような感覚を覚え、脳が次第に冷静さを取り戻していくのを感じとった。
「ひとまずこれで安心……。あ……そういえば……」
私は雨のポケットに預かっていたものを忍ばせながら、先ほど起きたことに対しての疑問に首を傾げる。
(大きな怪我は無い……気絶してるだけ……。あの瞬間、一体何が起きたんだろうか……?)
一つ目の疑問は、こうして雨が無事だったことに関してだった。
あの瞬間はまだ闇の輪による拘束は完全に解けておらず、身体の自由が制限されていたあの状態で私を突き飛ばした上、エゾヒの攻撃を回避するなどという芸当が雨に出来たとは到底思えず、以前同様に急所を外すくらいが関の山だろうと考えられた。
しかしながら、雨は致命傷も無く、こうしてほぼ無傷という状況に私は違和感を覚えた。
単純にエゾヒが攻撃を外したのか、それとも雨が頑丈過ぎて打ち所が良かったのか、はたまた運に助けられたのか……情報が足りないため私の中で結論は出なかったものの、雨が顛末を知っている可能性は十分にあったため、雨が無事に目を覚ました後で聞くこととして保留することにした。
しかし、それを置いたとしても、もう一つの疑問は決定的に不可解だった。
「夏那。自分勝手な行動はするなってさっき言ったよね? どうして私を助けに来た?」
「えっと、それは……」
ポーションの空き瓶を受け取りながら 私が返すように問い詰めると、夏那は戸惑った様子を見せながら言い淀んだ。
「お二人は悪くありませんの」
「それはどういう意味?」
そこに間髪いれずに間に割って入ったのは、案の定というべきか、芽衣だった。
私がすかさず芽衣を睨みつけると、数秒の沈黙の後、芽衣は口を開いた。
「春希さんが危険な状況になったときは、お二人には最優先で春希さんをサポートして頂きたいとお願いをしていましたの」
その回答は嘘ではないかもしれないが、私の推測した真実とも違う――しかしながら、私の推測を裏付けるには十分な答えだと言えた。
白煙が広がる直前に聞こえてきたインカムの声からも、号令を出したのが芽衣だということは明らかであり、最初から夏那が勝手に煙幕を使用して私の救出を試みたなどとは考えていなかった。
しかしながら、私が直接芽衣を問い質したとしても、以前のように上手く話をすりかえられて誤魔化される可能性は十分有り得たため、夏那を矢面に立たせて問い詰める状況を作り、逃げ道のない状況を作り出した。
なぜなら、人一倍正義感の強い芽衣が、自分のせいで他人が問い詰められているという状況に黙っていられるはずがないと、私は考えたからだった。
「それじゃあ、私の問いにちゃんと答えて」
理由は定かではないし、出会って数日なのでたまたまという可能性もあるが、どうやら芽衣は、話をはぐらかすようなことはあっても、私に対して嘘を吐きたくないらしく、そのことは私の目が証明していた。
二日前、「私の友達って誰のこと?」という私の問い掛けに対し、芽衣が返答することはなかったが、いつも通りの調子で「私ですの!」などと答えてさえいれば、その場をやり過ごせただろうし、私としてもそう返答されていたら追求の筋道を見失っていたことだろう。
恐らく、芽衣がそうしなかった理由は私から見て、自分が友達とは思われていないということを芽衣自身が自覚していたからであり、その言葉が嘘になってしまうからだと考えられた。
「……煙幕を使ったのも?」
「はい。使用するのが最善だと私が判断して、夏那さんに使用して頂きましたの」
煙幕は雨の救出が完了したあとに私が使用する予定だったもので、エゾヒへ対抗するための切り札の一つでもあったのだが、それをこのタイミングで使用するということは、それなりの緊急性があったと芽衣が判断したということになる。
もともと私が雨の救出活動をしている間の判断は芽衣に一任するということになっていたので、煙幕を使用したことに対して、私は芽衣を問い詰めるつもりは毛頭なかった。
故に、この質問は芽衣の意図によるものなのかの確認だった。
「じゃあ、あのガスマスクは何?」
私が用意するよう指示した煙幕は、殺傷能力のない無害なものという指定であり、ガスマスクなどはそもそも必要がない――ようするに、私が芽衣に用意させたものではなかった。
しかしながら、実際に用いられた煙幕は、殺傷能力は低いものの、無害と呼べるような代物ではなかった。
「お姉ちゃん! それは……!」
「……貰いましたの」
誰かから貰ったのは事実なのかもしれないが、芽衣が真実を語ってはいないのは明らかだった。
「なるほど。よくわかったよ。私が仲間外れだってことが」
私にはまだ疑念がある――それは、煙幕を使用してからの対応が早かったというより、早過ぎたことだった。
「煙幕を使用するように芽衣が夏那に指示を出し、煙幕とガスマスクを取りにこさせ、二人にそれぞれ誰を救出させるのか役割を分担し、私と雨を救出させた……。この段取りがあの一瞬の間で行われたとは思えない。だとすれば、私を除いた三人で、はじめからそうするように決めていたと考えるほうが自然」
「……」
最初から煙幕を夏那に渡し、近くの茂みに二人分のガスマスクを隠しておき、誰が誰をサポートするのかの担当と煙幕を使う合図を決め、それぞれサポートする相手の場所を逐一を確認しながら行動する――予めそうしておけば、私と雨を救出した際の手際の早さも説明がついた。
しかし、それは逆を言うと、私の知らないところで、私や雨を救出する作戦が動いていたということになる。
「ど、どこに行きますの!? 春希さん!?」
私が無言で踵を返して来た道を戻ろうとすると、芽衣はすぐに呼び止めた。
「時間がない。あとは私がなんとかするから、皆はそこで黙って見てて」
見たところ煙幕の効果は未だ続いており、無風空間である状況から目算するに、その効果が持続すのは残り3分程度といったように窺えた。
「雨さんはこうして救い出しましたの! あとはきっと誰かが……」
「……誰か? 誰かって誰? そいつを今すぐ呼んできてよ。ココに」
「それは……ですが、春希さんが無理する必要なんてないですの!?」
「私は無理なんてしてない」
「それは嘘ですの! 春希さんはこの前と同じ顔をしてますの!!」
芽衣が突然立ち上がり、私の顔に手を伸ばす。
その手が触れそうになった瞬間、私は思いっきりその手を振り払った。
「友達面するのもいい加減にして……っ! 嘘吐きはどっち!? 三人で私に隠し事をしていたクセに!」
「お、お姉ちゃん……! だから、それは……!」
「ままま、待って下さい!? ここはみんな冷静になって――」
「私は冷静だ!」
私は吐き捨てるように叫ぶと、すぐさま白煙に向かって歩みを進める。
「私は私の出来ることをする。だから、邪魔はしないで」
「春希さん……」
既に切り札の一つが切られた状態であり、残す切り札の効果も煙幕の中でないと高い効果は望めない以上、ここで私が動かないわけにはいかなかった。
「今の私は、皆を信頼できないから」
芽衣は、最優先で私を助けるよう二人に指示を出したと言っていた――それはつまり、“私が犠牲になることよりも、雨が犠牲になる方が良い”と考えているということに他ならず、それは私の意に反していた。




