第6話 魔法少女は信頼で。(3)
◆4月7日 午後4時7分◆
完全な不意打ちを受けたにもかかわらず、エゾヒは片膝を崩した体勢から反撃のモーションに移り、その丸太のように太い左腕を限界まで伸ばす。
『少し、油断した。だが――』
アッパーカットを繰り出した直後である私は、当然ながら宙に浮いている――つまり、回避が出来ない無防備な状態だと言えるが、エゾヒの腕は私がこれから着地するであろう地点に狙いを定め、ラリアットのようになぎ払うような軌道を描いていた。
『二度目は――』
「……!」
ブオンという空を切る鈍い音とともに、鈍い衝突音がほぼ同時に発せられた。
『ぶっ……!』
一瞬、何が起きているのか自分でも判らなかったが、事実から述べると私の右足がエゾヒの顔面に突き刺さっていた。
(動きが……見える……)
エゾヒの反撃を視界に捉えた私は、咄嗟に重心を前のめりに持っていき、背を丸めて前方に半回転しながら右足を突き出し、エゾヒの顔面にキックをお見舞いする形になった。
その反動を利用して後方へと飛び退り、5メートルほど距離を置いた場所に見事な着地を果たした私には、恐らく「シュタッ!」という効果音が使われているに違いなかった。
「お姉ちゃんすごーい!? かっこいーーー!!」
「ななな、なんですか今の動き!? 五月さんみたいな動きでしたよ……!?」
「あ、でも女の子は『クソくらえー!』とか言っちゃダメなんだよー?」
「えっ? そこ……?」
(あ……危なかったーー!)
一瞬でも判断が遅れていれば、あの剛腕が私の体を直撃し、全身の骨は粉々に粉砕され、私は無残な姿を衆目に晒すことになっていただろう。
(今のはまぐれ……? いや、でも何か違うような……?)
私はそこに引っかかるものを感じて、その説を自身で否定した。
危険を察知し、咄嗟の判断からの重心の移動と、回避から転じたカウンター攻撃――それらの一連の動きは、私の無意識下のうちに行われていたとするのなら、それは“私の体が覚えていた”という表現のほうが正しく思えた。
実際のところ、魔法少女とは呼ばれていたものの、私たちシャイニー・レムリィは肉弾戦が主体であったため、この手の近接格闘は日常茶飯事であり、数年が経過した今でもそれらの動作が体に染み付いていたと考えるほうが自然だった。
『は、春希さん! 大丈夫ですの!?』
激しく脈打つ鼓動を抑え込もうと胸に手を当てて息を整えていると、私よりも慌てた様子のひどく上擦った声がインカムから聞こえた。
「まあ……なんとか」
『よかった……。いきなり飛び出したら危ないですの!』
「あっ、えっ……? ご、ごめんなさい……」
突然、子供が道路に飛び出したみたいに叱られ、私は驚きながらも反射的に謝ってしまった。
『春希さんは感情的になって動いてしまう癖がありますの! 気を付けて下さいの!』
「き、気をつけます……」
心配してくれていることは重々わかっていたのだが、同級生に真面目なトーンで叱られるというのは、なんだかとても複雑な気分で、私は自らの軽はずみな行動を深く反省した。
『……少しばかり侮っていたようだ』
私と芽衣が会話している少しの間に、エゾヒは立ち上がり、体勢を立て直していた。
『お前たちは、あの頃に比べて魔法の力が衰えているように感じていた……。だが、そんなことを気にする必要も無かったようだ』
(やっぱり、聖水くらいじゃ誤魔化せないか……)
首をしきりに回し、肩をストレッチするかのように回し、全身からバキボキという荒々しい骨の音が鳴り響いていた。
『ここからは本気で相手をしてもらうぞ』
その声からは、私たちシャイニー・レムリィに対しての復讐心などは微塵も感じられず、まるで戦えることを楽しんでいるようだった。
「ようするに、今のは準備運動ってことね……」
単に弱体化した私がそう感じているだけなのかもしれないが、以前とまったく同じ力をエゾヒが持っていると仮定しても、魔法少女に変身して戦っているときとはまるで感覚が違っており、以前より今のエゾヒの方が格段に強く感じられた。
確かに衝撃は伝わっているはずなのに、ビクともしないし、傷付きもしない――例えるなら、大木を思いっきり殴ったり、蹴ったりしたときに近く、攻撃にまったく手応えを感じられ無かった。
結果的にではあるが、私の先制攻撃は、越えるべき壁の高さを知らされる結果となった。
(しかし……どうしたものか……)
RPGなどでは、序盤に出てくるのに明らかに勝てないという理不尽極まりない敵が往々にして存在しているのだが、大抵の場合、そういった敵にはダメージがほとんど通らず、プレイヤーは“コイツは後で倒す敵であり、今は勝てない”と自ら納得し、戦うことを早々に諦め、そのまま倒されるか、離脱するか、或いはリセットするなりして戦闘を放棄するものなのだが、ちょうど私はそんな状況に立たされているような気分になっていた。
しかしながら、これはゲームでも遊びでもない現実であり、私には“逃げる”などという便利で都合の良い選択肢は用意されていなかった。
「……ふ~ん。別に変身したってわけじゃなさそうね……。あ。あれって祈莉が昔作った衣装か……。なるほど、なるほど」
ふと視線を横にずらすと、雨はコチラを見ながらブツブツと呟いており、この状況を理解することに注力しているような様子だったが、こっちが命のやり取りしているというのに、当の囚われのお姫様は見物にご執心であり、まったく呑気なものだと、私は大きなため息を一つ吐いた。
(今の私は魔法少女の力をほぼ失っている状態で、勝ち目なんて本当にあるのかどうかも怪しい。でも、この状況を打開する方法があるとするなら、それは“私の経験”。それと……)
『これほどに愉快な時間は久しいな。すぐに終わらせるには勿体無い。時間を掛けてゆっくりと楽しもうではないか! シャイニー・レム!』
エゾヒはエゾヒで雨のことなどお構いなしといった様子で意気揚々と話を進め、副音声さながらに二人同時に喋っている今の状況は非常に聞き辛くてややこしかったため、そういうのは特典オーディオコメンタリーとかだけにしておいてほしいと、私は心の中で思っていた。
「私はこう見えて忙しんだけど……」
(ともかく、今は何とかして、二人に注意を向けさせないと……。まずは私が標的にされているというこの現状を打開することが先決だけど……)
二人に注意を向けさせている間に私が雨を救出するという作戦だったはずが、私がエゾヒに先制パンチをお見舞いしてしまった結果、エゾヒは完全に私を標的としており、私自らが作戦を台無しにしてしまうという情けない結果を招いてしまった。
しかしながら、相手がこちらの力量を測り違えてくれたという点は、距離をとりながらの牽制行動を誘発させやすくできるため、こちらとしては好都合な効果であり、全部が全部悪いことばかりではなかった。
「それじゃあ、私もいっくよー!!」
「イア!? 何言って――」
私でさえ経験に後押しされて辛うじて危機を免れたような状況であるというのに、実戦闘未経験のイアがこのタイミングで私の真似をしてエゾヒに攻撃なんてしようものなら、確実に回避されたうえに反撃が来た挙句、その反撃を私のように回避できるわけもない。
私は妹の末路を想像して、血の気が引いてゆくのを感じ、咄嗟にそれを止めようと振り返ろうとした。
『ぶっ……!』
次の瞬間、私の視界を高速移動するものが横切ったかと思うと、エゾヒの顔面にドロップキックするイアの姿が私の視界に入った。
「……は?」
まるでヘッドショットを喰らったかのように、エゾヒの体は後ろのめりになって倒れ、イアはくるりと一回転して、体操選手もビックリな着地を決めて見せた。
イア自身も、自分が何をしたのかをまるで理解していないという様子で、屈伸したり、その場で足踏みしたりして自分の体の調子を確かめている。
「……い、一旦距離を取る。走るよ」
「えっ? うん」
私は一瞬、呆気にとられながらもすぐに気を取り戻し、イアの手を取ってエゾヒとの距離を取る。
(呆気にとられている時間なんて、1秒だってない。とにかく、この状況は非常に危険だ)
「あの人、大丈夫かなー? もしかして、ちょっとやり過ぎた?」
「まあ、たぶん大丈夫だと思う……。体のほうは」
顔面にドロップキックをお見舞いされ、開幕直後に2度ならず3度までもダウンを決めさせてしまったとなれば、私よりイアの攻撃の方が、肉体的にも精神的にもダメージは大きかったことだろう。
私であれば一生根に持ち、何が何でも報復することを胸に誓うことだろうが、それはエゾヒであっても例に漏れることはないと、幾度となく戦ってきた過去の経験からも推察できた――つまり、その報復が真っ先にイアへと向けられることはまず間違いないと言えた。
「ねえねえ! それより、お姉ちゃん! ナニコレ! すごい!! 速い!!」
イアは語彙力を失ったような単語を叫びながら、その目を輝かせながら私の顔を覗き込んだ。
「そりゃあ……ね……」
今のイアは普通の人間ではないのだから、こんな結果も当然なのだろうと、私は心の中で思った。
◇◇◇
◆4月7日 午後3時30分◆
まだ、人影もまばらに存在する公園だったが、そこにはいつもと違う空気が流れており、堪らずといった様子で、ハーマイオニーが言葉を漏らした。
「な……なんかぼ……私たち、結構目立ってませんか?」
「そりゃね」
行き交う人々は、必ずといって良いほど私たち三人を凝視しながら通り過ぎてゆく。
夕方の公園に、魔法少女服を着たコスプレ集団が現れたのだから、目立つのは当然であり、普通に考えれば目立たないほうがおかしいと言えた。
「ハーマイオニーちゃんはすごく可愛いから、一番目立ってるよ」
「も……もう……! 恥ずかしくなるようなことを大声で言わないでください……!」
私がわざとらしく大きな声でそう言うと、ハーマイオニーは赤面して両手で顔を覆う。
(うわ……なんだコレ……カワイイな……。男だけど……)
「えー? 私はそんなことないと思うけどなー? ハーマイオニーちゃんは可愛いよー♪」
「うぐぅ……。尊厳……が……」
可愛い子に悪戯してしまう男子小学生の気持ちと同じかどうかは定かでないが、恥らったり困ったりする仕草が妙に可愛くてクセになってしまい、私はついついイジりたくなる衝動に駆られるようになっていた。
しかし、留意すべきはどんなに外見が可愛かろうと中身が男だということであり、夏那の歯に衣着せぬ言葉はハーマイオニーにとっては刃物でしかなかった。
「それにー、そういうお姉ちゃんも、かなり可愛いよー♪」
「そんなわけないだろ」
「えー? そんなことあるよー? ねぇねぇ、あとでみんなでいっぱい写真撮ろうよ!」
私はというと、魔法少女服を着て外をかっ歩しているという状況なのに、恥ずかしがるでもなく堂々としているわけだが、私はあがり症であって恥ずかしがり屋とかではないので、ただ単純に自分だけが目立つ状況というものが苦手なだけであり、集団に紛れている間はそれほどストレスを感じず、私より目立って恥ずかしがっている人が近くに居るという状況であれば、それほど大きなストレスは感じないのだった。
多少気掛かりなのは知人に鉢合わせして身バレしないかという懸念だったが、知人と呼べるほど親密な人間なんてほとんどいないし、もし出会ってしまってもこの格好なので、他人のフリを貫き通すまでだった。
「着きました。この辺りですの」
先頭を歩いていた芽衣が到着を告げ、私たちは足を止めた。
そこは数日前に雨がエゾヒにさらわれた場所だったが、その時のことが一瞬頭を過ぎり、私は奥歯を強く噛み締めた。
(あの時……私は何もできなかった。だけど、あの時とは違う……。あーちゃんを助けるための準備もした。今の自分なら、あーちゃんを助け出せる可能性は十分にある)
私は大きく頷くと、持って来た荷物の数々を木陰に置き、すぐさま準備に取り掛かった。
「二人とも、そこでじっとしてて」
「わっ!? 冷たぁ!? イキナリなに!?」
聖水三つ分を入れた霧吹きを左手に装備し、私はそれを二人の全身に念入りに吹きかけていき、続けざまに、今朝購入したばかりの男性用の消臭スプレーを右手に装備し、職人のように満遍なく吹きつける。
「さ……寒ー! お姉ちゃん! これすっごく冷たいよー!? 虫除けスプレー?」
「まあ、そんなところ」
「し……死んじゃいますー!!」
「死なないから安心して我慢しろー」
エゾヒは魔法の残滓を追えるほど、魔法というものに対して鋭敏な感覚を持っていることが解っており、そしてなにより鼻がよく利くため、10メートル先からでも人間を嗅ぎ分けることができる――つまり、魔法を付与したうえで人間の匂いを消さないことには、エゾヒの鼻を誤魔化すことなど到底できない。
銀には古来より魔除けの効果があるとされており、諸説あるが、有名なのは“銀の食器に添えられた食べ物が毒を含んでいた場合に、銀が腐食して危険を知らせてくれる”というやつで、それが時を経て曲解され、魔除け効果があるものとして、教会やら退魔業なんかに引っ張り凧な神聖なものとして出回ったらしい。
そういった流れなのかもしれないが、現代にも銀イオンが銀と同様の効果があるという都市伝説めいた噂はあり、実際のところそれは半分本当だった。
そして以前、聖水を創り出す過程で代用品になるものを探す機会があったのだが、その噂を知っていた当時の私は、胞子が出現している場所にこの消臭スプレーをかけて実験してみたことがあり、結果としてその実験は失敗に終わった。
しかしながら、まったく効果が無かったわけではなく、スプレーを吹きかけたとき、黒い胞子はそれを避けた――言い換えると、魔が避けた。
別に“魔除け”と“魔避け”を掛けて上手いことを言おうとしているわけではないのだが、負の感情に対して何かしらの効果があることが立証されており、エゾヒの放つ負の感情に対して効果があると期待できたため、人間の匂いを消しつつ魔除けにもなる銀イオン入り消臭スプレーは、今回に関しては一石二鳥の代物というわけだった。
「あ!? お姉ちゃんにもかけてあげるよ」
「あ、私は大丈夫。もう掛けたから」
私にはもともと魔法の力が宿っているし、相手に顔バレしてる以上、それを施す必要性は無かったため、流れるように嘘を吐く。
「それじゃあ、二人ともこれ飲んで」
私は鞄から取り出した緑色の小瓶を二人に手渡すと、ハーマイオニーはあからさまに怪訝な表情を浮かべ、苦言を漏らした。
「あの~……なんか、嫌な予感しかしないんですけど……?」
「水分補給も兼ねた栄養ドリンクみたいなものだから」
「ん~……? 何も味がしないねー」
「……あ」
「まあ、それなら……」
「あー……」
夏那は躊躇うことなく、あっという間にそれを全部飲み干し、それを見たハーマイオニーも続けて全部飲み干したため、私は「半分だけ飲んで」と言うタイミングを完全に逃し、敢え無く口を噤んだ。
「まあいいや……。はいコレ。ひとつずつ持ってて」
「今、飲んだやつ?」
「そう。怪我してヤバくなったら飲むこと」
鞄の中にあった5つのポーションの内の3つを取り出し、それを一つずつ二人に手渡すと、またしてもハーマイオニーは苦言を呈す。
「……? そこは普通、救急セットとかじゃ……?」
「つべこべ言わない」
「……はい」
(私に対しての信用が著しく低いようだけど……。まあ、それはお互い様か……)
二人に小瓶を渡し終えると、私はビデオカメラの準備をしている芽衣のところに歩み寄った。
「はい、コレ」
「えっ? 私に……ですの?」
取り出しておいた、残りの一つを芽衣に差し出すと、芽衣は不思議そうに私の顔を見つめ返した。
「芽衣も飲んでおいて。あ、一気に飲むと危ないから、とりあえず半分だけ」
「私は大丈夫ですの。これは春希さんが持っていたほうが……」
「怪我してからじゃ遅い。飲んでおいて」
「……わかりましたの」
たとえ前線に立たずとも、私たちと行動を共にする以上、危険に晒されていることに変わりは無いし、万全を尽くしておくことが今の私に出来ることだった。




