最終話 魔法少女はそのままで。(5)
◆6月20日 午後7時50分◆
「何でここに芽衣が――んぐぅ!?」
私がその事を問う間もなく、私の顔は例の如く柔らかい二つのクッションに押し潰された。
「仲間のピンチに駆けつけるのが、ヒロインのお約束ですの……!当然ですの……っ!!」
「あーいや……そういうの訊いてるんじゃ――」
顔面にかかる圧力は徐々に増し、空気の通り道を確保するため、私は顔の位置をずらして何とか顔を上げる。
そうして見上げた視界に入ってきた芽衣の両頬は、月明かりの逆光に照らされ、その輪郭はガラスのような光沢を帯びていた。
「……というか、もしかして怒ってる……?」
「当然ですの……っ!!!間に合わなかった……変えるどころか、希望の芽すら摘んでしまった……!そう思って私は……!!」
芽衣が目の前に現れたという展開だけで、ただでさえついていけていない状況だというのに、怒りながらもグズっているというその状況に、私は更なる困惑を余儀なくされた。
だが、芽衣が私のことを心配していたというその想いは、私には痛いほど伝わっていた。
「……心配掛けてごめん。でも、私だって芽衣が連れ去られて、ずっと心配だった。私たちの力だけで本当に芽衣を元に戻せるのかって不安だった……」
私は芽衣の頬に触れ、涙を拭いながらその温もりを確かめる。
「本当に……無事で良かった……」
「あー……感動の再会してるとこ悪いんだけどさー……私も居るからなー?目玉は下に落ちそうになってて間一髪だったし、芽衣は芽衣でチーの姿を見て放心状態になってるしで、私も結構大変だったんだぞー?誉めてくれていいんだぞー?」
「目玉……?そ、そうだ……!イクス……!!イクスはどうなったの……!?」
「もち、回収済み。けど、ガチでキショいから瓶に入れといた」
臭い物には蓋をする――とは少々意味合いが違う気もするが、ホルマリン漬けのように手持ちの小瓶に入れられたイクスの目玉を、苦手なモノを摘むようにしながら近付けて見せつけた。
目を細めて中身に目を凝らすと、どうやらナノマシン部分の大半は石化してしまったらしく、瓶に入っていたのは少量の液体ナノマシンと目玉だけのようだった。
「……確かにキモい。まあ、これならもう逃げられないだろうし、グッジョブあーちゃん」
芽衣の腕を下からすり抜け、私は小瓶を受けってその場で立ち上がろうとする。
「あ……っ!?ここで立つと――」
芽衣は慌てたように私を制止するも、時既に遅しとばかりに私の体は強烈な風によって煽られ、その場で尻餅をつく結果となった。
「痛――」
全体重がかかったヒップドロップを繰り出すことになり、臀部に痛恨の一撃が入る――かと思われたものの、不思議なことに私にはなんのダメージも無く、私は困惑しながら足元を確認する。
「――くない?なんか……地面がぶにょぶにょしてる……。この感触……どこかで……?」
ウォーターベッドのような感触でありながら金属のような質感の地面を撫でるように確かめ、未だ空中を漂っているような浮遊感を覚えた私は、それぞれ似たような経験から、自分がどこに立っているのかを自ずと理解する。
「ここってもしかして、ケートスの上……?デカっ!?」
「他の皆さんのもとへ戻っている最中で、もうすぐ着きますの。それよりも、あれほどの怪我でたくさん出血もしていたのに、まだ動いては……」
「あれほどの……怪我……?」
気を失う前のことをふと思い出し、私は自分の胸元を改めて確認する。
私の衣服は胸元が貫かれたように切り裂かれた穴と、その周囲を赤く滲ませている大量の血痕が痛々しく残っていた。
それにも拘らず、直接触って確かめようとも痛みはおろか傷跡すらも無く、まるでそんな傷など最初から負っていなかったかのように私の体は健康体そのものだった。
「心臓を一突きにされたはず……なんだけど……。これってもしかして、ケートスの因果改変……?」
「……いいえ、それはありませんの。落ちてきた春希さんをカイくんで受け止めた時には、春希さんは既に……」
「私も見た。チーの胸に刃になったコイツが刺さってた。血もたくさん流してたから、魔法でどうにか出血を抑えようとしたんだけど、ちょっとしたら刃の部分が溶けて無くなって、目玉だけが残った。そしたらチーの傷が無くなってて、不思議に思ってたらチーが目を覚ました……みたいなかんじ?つか、言ってる私も意味判らん……」
「もしも因果改変の力を使ったのであれば、私たちは春希さんが怪我を負ったことすら覚えていないはずですの」
「傷が無くなった……?回復じゃないとすると……傷が勝手に塞がったってこと……?」
意識を失っていた間に見た、夢の中の出来事をぼんやりと思い出し、私は何が起きたのかをなんとなく察した。
「あ……。まさか、これが贈り物……?」
ラプラスが語っていたように、その意識がもともと本来の肉体から移されたものであるのなら、その意識はイクスの目玉のような“核”に移されていたと考えられる。
夢の中で「私より先に行くのは」と口走ったことを合わせると、ラプラスの意識はその時点ではまだ消えておらず、ニュクスに吸収されていたラプラスのナノマシンがイクスの制御を離れ、私の傷を修復してくれたとも考えられ、「私からの最後の贈りもの」というラプラスの言葉にも意味が当てはまる。
しかしながら、夢の中の話なので確証も無く、私の妄想の産物である可能性も否定できなかった。
だが、それ以上筋の通った仮説が思い浮かばず、私はラプラスからの最後の贈り物ということで、とりあえずのところは納得しておくことにした。
「とりま、細かいことは後にしない……?流石にもうヘトヘト……。チーも無事で、コイツ等の野望も阻止できたわけだし、あとは戻ってからでよくない?」
そういって、雨はケートスの背に寝転がった。
「そう……ですね……」
雨に小さく頷き返すも、生返事をする芽衣に違和感を感じた私は、芽衣に視線を向けた。
「……芽衣に言っておかないといけないことがある」
芽衣は不思議そうに私の顔を見つめ返しながら、不思議そうに首を傾げた。
「全部終わったからって、私たちの前から黙って姿を消したりしないで」
「……!?」
私がそう告げると、芽衣はまるで機械がフリーズしたように固まったあと、ゆっくりと俯いた。
「姿を消す……?ナニソレどーいう意味……?あっ!?まさか、未来に戻――じゃなくて、今のナシっ!ナシでっ!!!」
口を滑らせたことを自ら肯定するように、雨は自分の口を慌てて塞いだ。
しかしながら、その行為は意味を成さなかった。
なぜなら、私は既に芽衣の口から直接、未来から来たという事実を伝えられていたのだから。
「いいんですの、雨さん。きっと春希さんはお見通しなんですの……。私の知っている春希さんもそうでしたの……。私が考えていることやこれから何が起こるのかも、全部……」
私は首を横に振り、その言葉を全否定する。
「違うよ。私に見えるのは、過去の私が知り得たことだけ。見ても聞いてもいないことは知り得ない。私が芽衣について知ってることは、語尾が特徴的で、小さいものが好きで、猫が好きだけど嫌われている、誰よりも優しくて強くて、正義感と責任感が強くて強情、私なんかよりもずっと友達想いで、いつも笑顔――そして、皆の記憶を消して、何も言わずに自分の存在を消そうとしていることだけ」
数秒の間の後、芽衣は徐に顔を上げた。
「……安心してくださいの。皆さんの記憶を消すつもりはありませんの。お別れの言葉も、今ここで伝えようと思いますの。もう幾許も時間がないようですから……」
芽衣は自分の手の平を見せ付けるように私たちに向け、私は驚きのあまり声を失った。
その手はガラスの彫像ように透き通り、その向こう側に見える数多の星々をレンズ越しにみるかのように煌めいていた。
「こうなることは覚悟していましたの。未来が平和になれば、過去を変えるために私がこの時代を訪れる理由はありませんの」
「……!?」
「春希さんを助けるために来たのに間に合わず、目を覚ましてみれば春希さんは自分の力で何とかしてしまいましたの。目的は完遂できたというのに、なんだか複雑な気分ですの」
芽衣は眉を曲げながら、情けないと言いたげにはにかんだ。
「それは……違う……!!」
「春希……さん……?」
「以前までの私じゃ、きっと何も出来なかった……!逃げ出さずに向き合うことを、芽衣は思い出させてくれた……!芽衣のお陰で、想いを言葉にする大切さを知った……!私は私のままでいいんだって、芽衣が気付かせてくれた……!辛いときや苦しいときに私のことを救ってくれたのは、芽衣がくれた言葉だ……!!芽衣と一緒の時間を過ごしたからこそ、今の私がある……!!それは事実であり、私にとっての真実だ!!!」
私が真剣に想いを伝えたというのに、芽衣はなぜだかクスリと笑った。
「私が春希さんを救ったのではなくて、春希さんが私を救ってくれた……だからこそ、今の私があるんですの。私と春希さんが出会った時、私を友達にしてくれたのは春希さんのほうですの」
「私……が……?」
入学式当日、私の名を「すごく素敵な名前」と芽衣が言ってくれたこと。
雨がエゾヒの連れ去られた翌日、「私はもう友達だと思っています」という言葉。
そして、ノワの拘束から解かれたときに「私と友達になって」と言った私に対し、芽衣は「出会った時から友達です」と言っていたこと。
振り返ってみても、どれ一つとして私から友達になったという事実は無かった。
「私はカイくんの力を借りてこの時代にやってきました。ですから、因果改変による補完力で、皆さんの記憶に私の存在が残ることはありません。安心してくださいの」
「記憶に残ることはない……って!芽衣のことを全部忘れちゃうってこと……!?」
雨が突然立ち上がって芽衣に詰め寄ると、芽衣は雨の手を掴みとり、そして握手をするように手を重ねた。
「雨さん。未来でお会いすることは出来ませんでしたが、ここで出会えて本当に良かったですの。春希さんを救うには、雨さんを救う必要があると語った祈莉さんの言葉の意味……この数ヶ月で十分に理解できましたの。やっぱり、春希さんには雨さんの存在が必要ですの」
芽衣は振り返り、もう片方の手で私の手を取ったかと思うと、私と雨の手を繋げた。
「……!?まさか、芽衣がこの時代に来た本当の目的って……」
「こんなときに、もっと一緒に居られれば良かっただなんて……私は欲張りさんですの……」
私と雨は同時に頷くと、もう片方の手でそれぞれ芽衣の手を取った。
「雨さん……?春希さん……?」
「……そんなのは欲張りじゃないよ。欲張りってのはチーみたいなやつのことを言うんだ」
冗談を混じりに振舞っていながらも、雨はその目に大粒の涙を浮かべていた。
今回ばかりはと、私は雨のフリにツッコミを入れなかった。
「そうだよ……私だって、同じ気持ち……。この時代に残ってくれるなら私は嬉しい……だけど、芽衣の帰りを待っている人たちも居る……出来るのならずっと一緒にいたい……けど、我が儘は言わないで送り出そうって考えてた……。だけど、こんな別れになるなんて考えもしてなかった……」
過去を変え、未来が変われば、芽衣は過去を変えるという理由を失い、この時代にやってくることはなくなる。
ケートスの因果改変によって芽衣が過去へやってきたのであれば、目の前に存在しているはずの“木之崎芽衣”という存在は、私たちの前に現れなかったことになり、ケートスの補完力によってその事実すら無くなる。
つまり、芽衣は元の時間に戻るのかもしれないが、ここで過ごした数ヶ月分の記憶は、全て私たちの中から消えて無くなることになる。
「私は……芽衣の別れの言葉なんていらない……!芽衣……私に芽衣の本当の名前を教えて……!私は絶対に芽衣のことを忘れたりしない!!もう……絶対に……忘れたりしないから……っ!!!」
私が芽衣の手を強く握ると、芽衣は応じるように私の手を強く握り返した。
そして、瞼を深々と閉じ、ゆっくりと首を横に振った。
「もし……もしも……ですの。この先、私たちが奇跡的に出会う機会があったのなら、その時はもう一度私に訊ねてくださいの。その時は必ず答えるとお約束しますの」
芽衣は私と雨の手をそっと解き、背を向けながら月の見える方角に向かって歩き出した。
「芽衣……!!」
そしてクルリと振り返り、いつもの笑顔を私たちに向け、小さく手を振った。
「――さようなら、春希さん!」
「……っ!!!」
月光に溶けるようにその姿は消え、追うように伸ばした私の手は、虚しく空を掴んだ。