最終話 魔法少女はそのままで。(4)
◆6月20日 午後7時45分◆
忍者の見真似で放った鎖鎌は、イクスの腕に何重にも巻きつき、その動きを拘束する。
しかしその直後、捉えたはずのその腕はスライムのように液状化し、鎖はすり抜けるように地面に向けて垂れ下がった。
『……何度試そうと無駄ですよ。私を捕らえることは不可能です。互いに疲弊もしているようですし、このあたりで諦めて頂ければ私としても助かる――などと言っても、素直に聞き入れてはくれなさそうですね?』
睨みを利かせていた私を一瞥すると、イクスは大きな溜息を吐きながら肩を竦めた。
「へぇー……?解ってきたじゃないか?こんなナリしてても、人一倍頑固で諦めが悪いのがチーの長所なんだよ!!」
雨が咆哮を上げながらイクスへと突進し、私はタイミングを合わせるように鎌を真横に構え、ブーメランを投げるように再び放つ。
すると、イクスはそれを避けるような動きを微塵も見せず、まるで全てを受け入れるように鎖でグルグル巻きになった。
「何のつもり……?」
『もはや避ける必要すらありませんので』
「……その余裕も今のうちかもよ?」
――パキ……パキパキ……。
その直後、鎖に接触している部分は濁るように白く色を変え、やがて乾いた音を立てながら表皮に亀裂を生んだ。
『……っ!?』
その状況に危険を察したのか、イクスは全身を一度液体化させて鎖の拘束を解き、再び体を復元する。
しかしながら、白くなった部分は元に戻ることはなく、木の皮が剥がれ落ちたかのようにボロボロと大地に落ち、その様子を見届けたイクスは訝しげな表情を浮かべる。
『石化現象……?一体なぜ……?』
「あんま大きな声で言うのも恥ずかしいけど、雨水を操る能力だけが魔法少女としての私の力ってのは、どうやら違うらしいんだわ?」
『これも魔法だと……?』
雨が雨水を操れるというのは、事実として間違いはないものの、それは真実ではなかった。
魔法少女になった時の雨は動転していたせいか、ノワに説明されていたことをほぼ覚えていなかった。
そして、なんとなく“祝福の雨”というワードを頼りに、雨水を操ることが出来ると知った雨は、そこで“雨水しか操れない”という先入観を持つことになった。
事実として、ただの水は操れないが雨水は操れるという状態だったため、そう勘違いしても仕方が無かったとも言えなくもないが、「自分ででっちあげた魔法少女なのだから、ちゃんとアフターサポートをしろ!」と、ノワに一言物申してやりたい気持ちが私の中に込み上げてきた。
「……ニュクスを構成するナノマシンは異空現体の特性を持っていても、ただ小さいだけで元が機械であることに変わりは無い。そして、シャイニー・リインには“鉱物を操る力”が与えられている。機械は金属によって作られ、金属は元を辿れば鉱物によって出来ている――それはつまり、お前と似たようなことが出来るってこと」
「石を金に変えるとか上等な真似は出来ないけど、石になるのは散々みせてもらったし。想像さえ出来ればヨユー……的な?」
「……あーちゃんは妄想力だけは誰にも負けないから」
「……なんか言った?」
「何も」
雨が雨水を操っていたカラクリは、雨水に含まれる塵や土埃などの不純物を媒介として、周囲の水分子を操り、雨水に含まれる不純物もろもろの分子を掻き集める事によって刀のように硬度を持たせたり、分子同士を紐のように繋ぎ合わせることでワイヤーのように伸ばしたりと、分子を操ることでその性質を自在に変化させていた。
鉱物が含まれるものは操作できるため、道端の石や土はもちろんのこと、鉄を含む血液すら操ることが可能であることを、私は一度見て知っている。
しかしながら最も驚くべきは、雨はこれらの操作を“頭で明確にイメージする”という方法で、しかも無意識ながらに実現していたことだろう。
『鉱物を……操る……。分子レベルの干渉……。分子構造までも意のままに変えられるというのですか……?ただの人間が科学の力も無しになど……そのようなこと、あり得るはずが――』
そこまで言いかけて、イクスは何か思い当たることがあったのか、ハッと声を漏らしながら顔を上げた。
『ようやく理解しました』
「……理解?」
『魔法は使用者の願いを叶えているわけではない……。科学や機械だけでは成し得ない事象を、人の思考や感情という“不確かでありながらも確かに存在する力”を介在させることによって、不足している要素を補完する……それが魔法の本質なのでしょう……。つまり、魔法は異空現体に類する異能力などではなく、科学が昇華した姿だった……というわけです……。フフフッ……ハッハッハ!!!』
ひとりで納得するように頷きながら高笑いを上げると、イクスは何故か自分の右手首を切断した。
『魔法は神に相応しい力などではなかった……。しかし、私は間違っていなかった……!科学の先に魔法があるのであれば、魔法が世に広まるのは避けられはしない……』
一瞬にして液状になった体は再び右手の目玉に収束し、新たな体を形成しはじめる。
そうして出来上がった体は、私たち二人に両手10本の指先を向けていた。
「……っ!?避けて、あーちゃん!?」
私が号令を出すよりも先に、雨は重心を変えながら真横に向かって回避していた。
それから秒も待たずして数十発の針が私の数ミリ横を通過していった。
「あんなの隠し持ってたのかよ!?しかも、不意打ちなんかしやがって!!」
「移動し続けてっ!でも、距離を空けちゃダメ!!アイツ、また逃げる気だ!!!」
私たちが回避する先を追従するように、イクスは毒針による連続射撃を続けていたが、それと同時に後方へと移動しながら、少しずつ距離を取っていることを私の目は見逃さなかった。
『魔法が世の常となる前に、私が神となって人に宿る邪心を全て消す……!!それがニュクスとなった私に与えられた使命……!!正しき理想の世界のためにも、私は何としても今を生き延びねばならない……!!』
イクスは一気に速度を上げながら山林に向かって飛び去った。
「山の中に逃げ込まれたら、もう追跡できなくなる……」
私はこれ以上相手に時間を与えることは出来ないと心を決め、鏡の盾を顔前に構えながら体を縮こまらせる。
「私が突っ込む!あーちゃんはフォロー宜しく!」
私の意図を察した雨は、私を括り付けていた糸を解き、丸まっている私をバレーボールのように上空へ放り投げる。
「ちゃんと拾ってやるから、安心して行って来いっ!!」
そして、落下する私の足裏にピタリと合わせるように、タイミングよく蹴りを放った。
「行っけぇーーーーっ!!!」
雨の足が私の足に触れたその瞬間、私は大声でその名を叫ぶ。
「――シャイニー・ライトーーーー!!!!」
『な……っ!?!?』
イクスはこちらの動向に気付き、慌てた様子で振り返りながら両手で毒針を乱射する。
「これで――」
だが、流星のような光の軌跡を描きながら、音速の如きスピードで突き進む私の体は鏡の盾によって守られ、放たれた毒針を尽く弾き飛ばした。
「――終わりだぁーーーーー!!!」
数メートルほどまで接近したところで、私は渾身の力を込めた自らの拳で鏡の盾を叩き割る。
『馬鹿……な……!?!?自分で盾を割った……!?』
砕け散った無数の破片は勢いそのままに、イクスの胴体や四肢、翼の各部位に飛礫のように突き刺さり、私もまた同様に脳天からイクスの腹部に突っ込み、落下しないように胴体にしがみついた。
「つ……捕まえたぁ!!」
『私を捕らえることは不可能だと――』
先ほど鎖から抜け出したように、体を液体化させて抜け出そうとするも、私の想定どおり、それは失敗に終わった。
『馬鹿……な……!?!?なぜ……!?』
見ると、イクスの体は全身に刺さった鏡の破片から侵食されるように石化が進行し、既に身動きすらまともに取れないまでに進行していた。
「私とあーちゃんは一心同体――ようするに、常に繋がっている。私が扱う武器も魔法も、あーちゃんにとっては自分の武器と同じってこと!!というわけで、石化が回る前に、目玉を回収させてもらう――……って!?」
体もろとも目玉も石化してしまっては元も子もないと、私は右手首に埋まった目玉を取り除こうとする。
しかし、目的の目玉は右手首には見つからなかった――というよりも、そこにあるはずのイクスの右手首から先はどういうわけか忽然と消えていた。
「目玉はっ!?どこ!?」
私が目玉の行方を探すように視線を泳がせたその直後だった。
『どうやら、今度こそ……私の勝ち……です……』
「――ぅぐっ!?」
雷が体を貫くような激しい痛みを感じ、私は何が起こったのかが理解できないまま視線を下げる。
私はそこではじめて、自分の胸がイクスの右手首から伸びた刃によって貫かれているという事実を知ることになった。
「そん……な……ぐはぁ……!?」
目の前にあるイクスの顔は鮮血を浴びることで紅白を彩る仮面となり、そして次の瞬間にはバラバラに砕け、灰となって夜闇に散った。
私もまた重力に抗うことさえ出来ず、その様子を横目に眺めながら、暗い闇に飲まれた。
◇
◆???◆
ふと目を開けると、私は真っ暗で何もない空間にひとり佇んでいた。
どうして自分がこんな場所に居るのかがまったく判らずに、とりあえず周囲を見回していると、ふと誰かに呼ばれたような気がして、私はその方向へと視線を向ける。
すると、見たことも無いほどの無数の縁の糸がその方向に向けて伸びていることに私は気付く。
――あっち……?
何も考えずにその方向へと一歩踏み出そうとすると、突然誰かが私の手首を掴み、私を引き止めた。
『――そっちに行っちゃダメ』
慌てて振り返ると、そこには呆れたような表情を浮かべるラプラスの姿があった。
『私より先に行くのはさすがナシでしょ?私は君に希望を託したんだから』
ラプラスは立ち位置を入れ替えるようにそのまま私を強く引っ張ると、突き放すように私の胸を強く押した。
私はその反動で体勢を崩し、尻餅をつきながらラプラスを見上げる形になった。
『私は彼を切り捨てる未来を選択をした……それが未来のためだと思ったから、後悔もしていない。だけど、君はそれを選ばなかった……。君は、君だけの力でその答えを導き出した……。きっと私と君は同じ魂を持っていても、まったく違う存在……』
私に背を向けると、ラプラスは糸の伸びる方向へと歩き出した。
『それは私からの最後の贈りもの。きっと君なら、本物の魔法少女になれるかもしれない』
ラプラスは振り返りもせず、その歩みを止めることはなかった。
「――っ!!」
私が引きとめようとその名を叫ぼうとするも、開いた口は何故か声を発さず、音にもならなかった私の言葉は虚空に消えた。
『皆が笑顔の世界を……君は生きて』
◇
◆6月20日 午後7時50分◆
「こ……こは……?」
目が覚めると、見慣れない天井――ではなく、眩しいくらいに煌々と輝く月と満天の星空が視界に飛び込んできた。
「チー……っ!?」
「あー……ちゃん……?」
私を覗き込む形で視界に入ってきたのは、少し怒っているような雨の顔だった。
「は……春希……さん……。生きて……いるんですの……?」
続くように私を覗き込んだのは、涙でぐしゃぐしゃになっている、どこか懐かしく感じる顔だった。
「芽……衣……?」