最終話 魔法少女はそのままで。(3)
◆6月20日 午後7時43分◆
自分が空を飛んでいるという実感がまったく沸かない中、されどその事実を肯定するかのように夜の風と空を裂く感覚は肌に刺さり、私は少々困惑しながらも、闇夜に沈んだ地平線をぼんやりと眺めていた。
「しかしまさか……こんな形で空を飛ぶことになろうとは……」
“空を飛ぶ”という以前から密かに思い描いていた夢を、同じ魔法少女である人間に、それも荷物のように括り付けられながらという残念な形で実現することになり、私は酷く落胆していた。
「そんなに落ち込むなって?」
「べ……別に落ち込んでないし……」
まるで心を見透かすように図星を指されたものの、私は誤魔化すように見栄を張る。
「ははは。そーですか」
私をぶら下げながら翼を羽ばたかせている張本人は、自分が私を不機嫌にしていたことを知ってか知らずか、私のことを笑い飛ばしながら速度と高度を上げる。
「むー……」
私は機嫌を損ねながらも、自分の役割を全うすべく、どこへともなく続いている糸の様子を確認する。
すると、透明に近かった糸が僅かに色味を帯びていることに気付き、私は思わず声を上げる。
「……糸が!?たぶん……近い……!」
その縁の糸は、私の知り得る限り初見であった“白い色”をしていると同時に、糸と呼ぶことを憚られるほどに太かった。
恐らくとしか言えないが、ニュクスが私と繋がりの深いラプラスを吸収していたことにより関係性が生まれ、私自身がラプラスを“自分である”と認識したことで、糸として見えるようになったのだろうと考えられた。
「しっかし、占いとか信じてなさそうなのに、どこでそんなの憶えたんだ?」
皮肉と言うべきか、怪我の功名と言うべきか、糸はイクスを追跡するための指針の役割を果たし、私たちをイクスの居る場所へと誘ってくれてはいたが、それも万能ではなく、相手が近くに居ないと目視することが出来ないという欠点は未だ健在だった。
そこで私は、二つの方法を組み合わせてイクスを追跡することを思いついた。
「んー……。まあ、いろいろあって話すと長くなる。というか、占いを信じてないってのは偏見。魔法の一種だと考えればあり得なくはない」
メルティ・ベルのハンドベルを使って、八代霖裏が行っていたダウジングを見様見真似で試したところ、それは難なく成功し、イクスが向かったであろう方角をあっさり突き止めることが出来た。
その後、ハンドベルが指し示す方角へと進みながら、糸の濃度で距離感を把握し、ようやくイクスの近くまで接近するに至った。
「話すと長くなる、か……。それなら、丁度良いな。私、サイコメトリーってやつが出来るから、私と接触してれば頭に直接思念を送ったり出来る。ノワと会話するときにやったやつ」
「あー……そういえばそんなことあったな……って、え……?あれって魔法じゃなかったの……?サイコメトリー使えるなんて、初耳なんだけど……?」
さらっと流しそうになった特大級の暴露に動揺しながらも、私は平静を装いながら返す。
すると、私をぶら下げながら飛んでいるその人物は、私の顔を覗き込んだあと、突然笑い声を夜の空に響かせた。
「くっ……あははは!!!」
「なっ!?何で?今の笑うところ無くない……?」
「いや、だって……表情に出ないようにしてるのもバレバレだし、すっごく驚いてるのも表情以上に伝わっててさ……?ま、こんだけ密着してれば当然か。つか、私の言った事を1ミリも疑わないから、それが何よりツボってる……的な?」
「魔法があるくらいだから、人の心を読む力があっても不思議は無いし……。大体、あーちゃんがこのタイミングで嘘つく理由は無い……。ん……?ということは、さっきっから私の考えてることが筒抜けだったってこと……?ちょ……っ!?だ、だからさっきからニヤニヤしてたのか!?プ、プライバシーの侵害!!それじゃ、隠し事もできな――」
雨が他人の思考を読み取ることが出来ると知り、私は不覚にも最も隠し通したかった五年前の出来事を頭の中に思い浮かべてしまった。
すると、それが雨に伝わってしまったのか、雨は先ほどまでの笑顔をはたりと消し、口を噤んだ。
「見え……た……?」
私が恐る恐る問い掛けると、雨は肯定の意を示すように小さく頷いた。
「ああ。けど、実を言うとそのことはもう知ってた。チーが死んだら私は長く生きられないことも、私が死ねば魔法少女じゃなくなったチーが病院に逆戻りになることも」
「……っ!?」
私は予想外の返答に、動揺を隠すことさえ忘れていた。
「ま、起きちゃったことは変えられないし、今さら騒ぎ立てることでもないから気にしてないよ。それに、私とチーが運命共同体ってことなら、こうやって一緒に行動してたほうが思い出も作れてむしろ都合良いっしょ?だから私は、それを知ったときから、ずっとチーの傍に居るって決めてた」
「だから、一緒に行くなんて突然言い出したのか……」
私は自分の言葉に違和感を覚え、過去の記憶を辿るように振り返る。
「いや……もしかして、かなり前からそのことを知っていたってこと……?いつ……?まさかあのとき、起きていた……?」
七不思議事件の時も、なんだかんだと言いながら私と行動を共にするようにしていたのは、少しでも私と同じ時間を過ごすためだと私は考えていたのだが、もしそうした理由から行動を共にしていたとすれば、そのとき既にその事実を知っていたことになる。
だとすれば、そのことを知った時期は、五年前に私と雨が一心同体となった時が可能性として最も高かった。
「いーや。事情があるから詳しくは言えないけど、ある人から聞いた」
「ある人……?それって……まさか――」
五年前、あの場に居合わせていたノワやラプラスに聞いたという線が可能性としては最も高かったが、真っ先に私の頭に思い浮かんだその人物は、その二人とは別の人間だった。
「おーっと?とか言ってる間に見えてきたっぽい?」
雨が素っ頓狂な声を上げながら視線を向けている先へと目を凝らすと、蝙蝠のように闇の中を舞うその姿が私の視界にも映った。
…
「待て……!!」
私の声が耳に届いたのか、イクスはその場で反転し、私たちの姿を確認する。
『おや……?まさか、空まで追ってくるとは……。なかなかに執念深い方々ですね?』
「はあ!?つか、お前にだけは言われたくないわっ!?」
『しかし……貴女方が私を追跡する理由は既に無いと思っていたのですが……?まさか、ここに居る彼女の復讐……とでも……?』
挑発なのか無意識なのかは定かではないが、イクスは自分の胸元を指差し、下卑た笑みをその無機質な顔に浮かべた。
だが、それが挑発かどうかなんて関係無いと割り切り、私はその言葉を否定するように首を横に振る。
「……違う。私たちはお前を元の体に戻すために来た」
私たちの目的を伝えると、イクスは腹を抱えるように笑い、その甲高い声を夜の空に響かせた。
『私を……?元の体に……?はーっはっはっは……!仰っている意味が判りませんね……?私はもうあの体に戻るつもりはありませんよ?』
「ラプラスが繋いでくれた“可能性”は、パンドラの箱に残ったひとかけらの“希望”……。私にはそれを未来に繋げ、絶望の未来を回避する義務がある。だけど、その原因であるお前をこの手で殺めるような真似をすれば、私は私の信じた正義を否定することになる。だから私は、絶対にお前を死なせたりしないし、託された想いを見捨てもしない。我が儘だと言われようと、無理だと言われようと、僅かでも可能性が残されているのなら、何がなんでも全部を救って、みんなの笑顔を取り戻す……!!これは義務や使命なんかじゃなく、他の誰でもない花咲春希の願いだ!!」
『全部を救う……その中に私が含まれていると……?これは笑わせてくれますね……。とりあえず、私を逃がすつもりは無いということだけは理解できました。いいでしょう。私が逃げ果せるか、貴女方が私を捕らえることが出来るか……。ここがいわゆる正念場というわけですね?』
大の字にイクスが構えると、その両手両足から50センチほどの刃がそれぞれ展開され、間髪入れずに、イクスは螺旋を描きながら空を裂き、私たちとの距離を一気に詰めてきた。
私は反射的に距離をとろうと両足に力を入れるも、肝心の足は当然ながら地に付いておらず、まるで床が抜けてしまったような感覚を覚える。
「しまっ――」
焦りを覚えたその直後、私の体はまるで後方に引っ張られるかのように動き、初撃を辛うじてかわすことに成功していた。
「あ、ありがとう。あーちゃん……」
「チーはどう動いてほしいか、考えてくれるだけでいい。私はその通りに動くから」
以心伝心というものが、これほど頼もしく心強いものなのだと痛感しながら、頭の中で「わかった」と考え、雨は無言で頷き返す。
「それじゃ、行くぞ!!シャイニー・ライト――からの、モルゲンシュテルン!!」
迎撃するようにイクスに向かって魔法を放つと、イクスは当然のように回避行動に出る。
だが、“ラプラスの瞳”はそれすらも予測しており、既に回避するであろう方向へとハンドベルを射出していた。
しかし、方向こそ間違っていなかったものの、イクスはそれを察知していたかのように走高跳の要領でハンドベルのチェーンを飛び越え、難なくといった様子で回避に成功していた。
『そのような攻撃が私に通用するとでも?それと忠告ですが……攻撃する際に名前を叫んでいたら何をするのか判ってしまうのでやめた方が良いかと……?』
「よ、余計なお世話……!こうしないと出ないんだ……!!」
完璧なチートスキルに思われた“ラプラスの瞳”であったが、ここに来て弱点が露見することになった。
それは、対象の移動速度が速すぎる場合や、逃げ道が多い場合はその予測にブレが生じやすく、予測の誤差が大きくなるという欠点だった。
それに加え、私の扱う魔法や武器は直線的なものが多いうえに、魔法の名を叫ばないと発動しない――それはつまり、相手からすればこれから何をするのかがバレバレであり、全方位に逃げ道のある空中戦においては致命的な欠点だと言えた。
「これじゃ、決定打が無い……。せめて、これがもっと軽くて使い易ければ――」
『――今度はこちらからいかせてもらいますよ?』
私に考える時間すら与えないように、イクスは空中で身を翻し、両手両足に備わった刃をすぐさま連続して繰り出す。
「――ハバキリ!!ムラクモ!!」
「――シルト!!」
イクスの両手両足による四連撃は、雨の二刀と鏡の盾によって防がれ、残った一撃はハンドベルの柄でなんとか防ぎ、私たちは窮地を凌いだ。
『どうやら、空中戦であれば、私に分がありそうですね?』
「こっちだって腕は四本あるんだ。負けてないっての!!」
「ハバキリとムラクモ……。そうか……!無ければ作れば良いのか……!」
ラプラスが何もない場所から一瞬で大鎌を出現させていたことをふと思い出し、私は心の中で借り主に謝罪しながら、ハンドベルを構える。
すると、ハンドベルは輝きを放ちながら形状を変え、数秒後には私の想像したとおりの形状へと変化した――ある一点を除いて。
「……って、ちっさ!?」
恐らくラプラスは、シャイニー・リインに与えられていた“鉱物の力”を利用して物質の原子構造を改変し、あの大鎌を一瞬で形成していたのだと考えられた。
その力を受け継いでいる私であれば、ハンドベルをラプラスの持っていた大鎌に変えることも可能であると踏んでいたのだが、どうやらその目論見はだいぶ甘かったようだった。
「具体的なイメージが出来ていない……?それとも、力のコントロールが下手なのか……?」
ハンドベルの柄は小さな鎌になり、ベル部分が小さくなったことで、それは鎖鎌と呼ぶに相応しい形状に変化していた。
だが、私の想像していた大鎌とは掛け離れた、中途半端な状態であると言え、結果的には大失敗だった。
『それは……クサリガマ……でしょうか?私の記憶によれば、それは忍者の用いる道具……。ハッ……!?まさか、魔法少女は忍者……?となると、魔法は忍術……!?その関連性は実に興味深いですね……!!』
「アレは放っておいていいのか……?なんか、変な誤解されてるぞ……?」
「な……なんにしても、しょうがない……!!」
大鎌にならなかったことはスッパリと諦め、私は新たな武器を手に、イクスへと接近する。
するとイクスは両翼を広げ、距離を取るように後方へと羽ばたく。
「はっ!!」
2メートルほどまで距離を詰めたところで、鎌の部分を振りかぶるように投げ、鎖が伸びきったタイミングで外側に強く引っ張る。
『……ッ!?』
すると、鎌は不規則な軌道を描き、イクスの腹部を掠めた。
「まだだ!!」
雨は私を両腕で強く抱きかかえ、ムーンサルトのような捻りを加えながら自身の体を空中で回転させると、鎖鎌は大きな楕円を描きながら軌道を変え、計算されたようにイクスの直上へと到達する。
今まさに振り抜かれようとしているそれを防ごうと、イクスが両腕をクロスさせて構えるも、回転力の加わった鎖鎌は目にも留まらぬ速さで通過し、イクスの両手首をまとめて切断した。
「あーちゃん!!」
「りょ!!」
手首が落下するのを視認し、私は身を乗り出すと、私をガッチリ固定していた水の紐は緩み、私は糸でぶら下げられながら右手首を無事にキャッチする。
「……これでお前を、元の体に戻せる。お前の本体は目玉だから」
『……はっはっは。そんなことをしたところで、無駄ですよ?』
イクスがそう呟いた直後、その体はまるでチョコレートが溶けるかのようにドロドロと液状化し、空中に浮かぶ無数の球体となった。
その光景に驚いて目を取られていると、握られていた右手首が独りでに開き、私を睨み付ける目玉と目が合った。
「……っ!?あっ……しまっ……!?」
あまりにもグロテスクな状況に追い討ちをかけられるように動揺してしまい、私は思わずそれを手放してしまった。
『ご存知の通り、ニュクスの体を操っているのは“この目”なのです。切断したところで無意味です』
落下する手首に引き寄せられるように漂っていた球体がくっつくと、形状記憶でもしていたかのように一瞬にしてニュクスの姿を再び形作った。
「マジ……か……」
「これは自己修復よりも性質が悪い……。さすがに液体を捕らえるのは難しいし……。一時的にでも目玉と体を分離できれば……」
液体や気体を捕らえるケースの場合、壺や瓶に詰めるのがお決まりのパターンではあるものの、イクスにそんな小細工が通用するとも思えないし、なによりも、あれほどの質量を閉じ込めておけるだけの壺や瓶を持ち合わせているわけもなく、すぐに用意することも難しい。
そうなると、核となっているイクスの目玉と、ナノマシンの集合体であるニュクスの体を一時的にでも分離し、遠隔操作できる範囲外まで一気に遠ざける方法しか考えられなかった。
「さっきみたいに石にするか……。けど、そもそも石にする方法がもう無いし、出来たとしても全部石にするわけにも――」
「石にする……。そうか……!?それだ!!!」
私の思惑が伝わったのか、雨は信じられないといった様子で私に視線を送った。
「っ……!?わ、私……が……?」
私は肯定するように大きく頷いた。
「ああ。私とあーちゃんが力を合わせれば、きっと出来る……!!」