最終話 魔法少女はそのままで。(2)
◆6月20日 午後7時40分◆
「どうして……どうしてニュクスの体に自分の意識を移すような真似をした……?自分の体をトカゲの尻尾みたいに切り捨てるなんて……。自分の体をなんだと思ってる……」
体と意識を引き離された自分の存在を知っていた私は、自分で自分の体を捨てるというその行為を素直に受け入れることができず、本音を零した。
しかしながら、ニュクスという器に収まったイクスは意に介した様子もなく、まるで人形が笑みを作ったかのような不自然な笑みを浮かべ、なぜそんなことを聞くのだと言いたげに首を傾げた。
『不要なものを切り捨てることに、何の問題があるというのです?どんな形であれ、この世界では当然のように行われてきたこと。私の肉体は貴女方の力の前では無力であり脆い……それ故に私にとってはもはや不要。何より、私は未だ理想を成し得ていません。ニュクスという器と私の意志さえ残っていれば、いずれ理想を成し得るその時が訪れることでしょう……。そのために最善手を選んだまでのこと』
蝙蝠のような翼を大きく広げたかと思うと、それを羽ばたかせ、猛烈な突風を起こしながら舞い上がる。
そして、天井近くに設置された足場らしきものに飛び乗ると、壁にある操作盤を操作し始めた。
「……っ!?何をする気だ……?」
『そんなに怖い顔をなさらないでください。私にはもう貴女方と争う意志はありませんよ?』
「それはどういう――」
――バチン……ッ!ガコンッ……!!
イクスがそう言い放ったその直後、室内の照明が唐突に消え、地面に大きな振動が走り、私はその場で体勢を崩した。
「な……っ!?なんだ今の振動……!?皆、大丈夫か……っ!?」
「暗くて何も見えませんわ……。ですが、それなら……」
祈莉が呟いた直後、すぐ近くで風圧や質量の変化を感じ、暗がりながら祈莉が虎に変身したことをなんとなく察する。
「え~っと……天井が……迫ってきてますわ?」
「天井が……?」
仰け反るように背を曲げ、真上を見上げて目を細めると、赤色灯のようなものの距離が少しずつ縮まっているように見えた。
「あれは天井が迫っているのではありませんね……。地面が天井に向かって動いているようです……。しかし、このままいくと……」
「このまま……?まさか、ぺしゃんこになるなんて冗談言わないよな……?」
まるで地面がせり上がるように小刻みに振動しながら、私たちは着々と天井に迫っていた。
閉所に閉じ込めた人間を壁で押し潰すようなギミックは、フィクション界隈では度々登場する定番中の定番トラップであるし、秘密組織の地下施設ともなればそんなものがあってもおかしくはなかった。
しかしながら、そういった想像は一時の誇大妄想に終わった。
「……?天井が開きましたわ?」
「なんだか遊園地みたいで楽しいですね」
「なんだよ……慌てて損したわー……。会長が変なこと言うから焦ったじゃんか……」
「わ、私のせいにしないでください……!?あと、私はもう会長ではありません!!」
生真面目組の二人が慌てた様子で騒ぎ立て、マイペース組が落ち着いている様子を肌で感じ、暗所で見えないながらもいつもどおりの空気を感じ、そこはかとない安心感を私は覚えていた。
しかしながら、依然としてイクスの目的が掴めていなかったため、私は奇襲に警戒しつつ、その動向に注意を払うことに専念していた。
『ここは異空現体を捕獲し、研究する施設……というのは、既にご存知ですね?当然ながら、異空現体には大小様々な個体が存在しており、それらを研究するために多くの異空現体がこの場所へと持ち込まれる……。では、異空現体はどのようにして持ち込まれ、どこで研究され、どこに保管されているのでしょう?』
「持ち込まれて……保管……。宇城さんとこのフロア調べたときは異空現体を研究するような部屋はなかった……。とすると、地下にあったデカイ通路は異空現体を研究施設に移動させる地下輸送路……?だとすれば、ここは――」
私がその答えを導き出した瞬間、天井の隙間から柔らかな光が差し込み、私たちをスポットライトのように照らした。
『この空間は、地上から地下施設へと異空現体を搬入するエレベーター。つまり外に直接繋がっていることになります』
「待てよ……?争う意志が無い……外に続くエレベーター……!?まさか、また……!?」
イクスの意図に私が勘付いたときには既に遅く、月光が室内の半分ほどを照らし、翼を広げながら鉄柵に足を乗せ、今まさにその場から飛び立とうとしているその姿を私はようやく視認した。
『それでは皆さん。いずれまた会う機会もあるでしょう』
吐き捨てるように使い古された捨て台詞を残し、イクスは天井から差し込む光に飛び込むように姿を消した。
「んなっ!?アイツ、逃げやがった!?」
イクスが去ったあともエレベーターは上昇を続け、私たちは立ち尽くすように、着々と迫る星空を見上げていた。
「……花咲さん……どうしますか?倒す気が無いのなら、あの人を追う必要もありませんが?」
天井を見上げながらも、天草雪白は私に問う。
だが、私は迷わず答える。
「このまま放ってはおけない。今逃がしたら、イクスはきっと同じことを繰り返す……。それじゃ、ラプラスが私たちに託してくれた想いを無駄にしてしまう……。だから、イクスを止めるために、ニュクスの体は絶対に破壊する」
「破壊するったって……。イクスとニュクスはもう合体しちゃってるんだろ?どうするんよ?」
私は少しだけ戸惑いながらも、一先ずながらも結論を返す。
「まだ判らない……けど、きっと手段はある……。そのためにも、まずはイクスを捕まえて連れ戻すことが先決。ここで撒かれたら、それこそ手段が無くなっちゃうし」
雨は「それもそっか」と呟きながら、首を何度も縦に振ったあと、背伸びをしながら私に背を向けた。
「時間が無い。こうしている間も、距離を離されてる。イノちゃん。イクスの応急処置をお願いできる?中身は無くても体は死んでないし、あのまま放っておいたら出血や感染症で死んでしまうかもしれない。むこうのイクスを捕まえるにしても、あの体に戻すことが出来なくなるのはなんとしても避けたい」
「わかりましたわ。こちらはお任せください」
祈莉は先日使用された例のカードを取り出すと、何故か意味深に笑った。
「それとあーちゃん。さっき使ってた鳥に変身するカードを私に――」
私が振り向くと、雨は既にそのカードを差し出していた。
話が早いなと感心しながらそれを受け取ろうとすると、まるで意地悪をするかのように、私の手が届く筈もない高さまでそれは掲げられた。
「あ、ちょっ!?何するんだ!?」
「……渡さない。これは私が使う」
「はあ?何言って……?冗談言ってる場合じゃ――」
私がそう言いながらその顔に視線を向けると、雨は真剣な面持ちで私を見つめており、それが嘘や冗談ではないことをすぐに察した。
「――冗談なんかじゃない。私がチーを抱えて飛ぶって言ってるんだ。チーはひとつのことに集中すると周りが見えなくなるだろ?空中戦になったら1対1じゃ不利だろうし、私は回避に集中できて、チーは攻撃に集中できる。いわゆる、一石二鳥的なやつ?」
「周りが見えなくなるってのは認めるけど……。あーちゃんはここに来てからずっと戦ってるし、さっきだってイクスの攻撃をまともに食らってる……。そんな状態で私を抱えて飛び続けるなんて、それこそ冗談でしょ?」
私が言葉で論じたところで、根性論で返されるような気は何となくしていた。
しかしながら、その予想に反し、雨は大きく深呼吸を繰り返した後、私に向かって礼儀正しく深々と頭を下げた。
「……!?な、何して……!?」
「チー。私たちはほとんど同時に魔法少女になって、イノが仲間になるまでの間は、ずっと二人で戦ってきた……。思い返せば意見の食い違いで喧嘩ばっかりしてた気もするけど、辛いことも、苦しいことも二人で乗り越えてきたし、私はその全部が楽しかった……。チーと一緒に戦ってるってだけで、私は嬉しかった……。でも、今はチーと一緒に戦うことが出来ない……私が弱すぎるから……」
「頭を上げて……。あーちゃんは弱くなんてない……。私はずっとあーちゃんに……」
雨はゆっくり頭を上げながら、その首を横に振った。
「今のチーがとんでもなく強くなったのは理解してるし、二人の戦いに私がついていけないってことも自覚はしてる……。けど、本音を言えば、私はチーの隣に立ちたい……。相棒として……この先もずっと……。ここでチーを一人で行かせたら、たぶん私はもうチーの隣に立つ資格が無くなる気がする……。だから頼む。サポートでもなんでもいいから、今回ばっかりは最後の最後まで私をチーの隣に居させてくれないか?」
これから追跡する相手は、人間とは思えないほどの身体能力を持っていたイクスであり、そのイクスが神の器と称すニュクスの体を得た現在、結果的にどれほどの能力を有しているのかは私でも見当がつかなかった。
それに加え、“ラプラスの瞳”のようなチートレベルの特殊な力を有しているわけでもない雨が、イクスに真っ向勝負を挑んだところで、その結末は想像に容易いと言えた。
雨を連れて行かなければ身の安全は保証されるし、あのような悲劇が生まれないことは無いだろうと判ってはいたものの、それと同時に、私がこうしてこの場に立っていられるのは、他ならぬ雨という存在があったからでもある、という事実もまた存在していた。
「……わかった。安全運転でお願い。落としたら末代まで呪うから」
たとえそれが別の世界とはいえ、命と引き換えに“可能性”を繋いだ勇者に頭を下げられ、私に断る権利などあるのだろうかと熟考した末、私は説得される形で承諾することにした。
それに何より、今の私の力で雨を守り通すことが出来ないのであれば、五月雨という人間の隣に立つ資格は無いだろうと、まったく同じ想いを私は抱いていた。
「の、呪うって……こ、怖いこと言うなよ……!?とか冗談やってる暇なんてないんだったわ……善は急げだな!!」
雨はそう言うと、いつぞやのように私を小脇に抱えた。
「相変わらず軽いなー」
「ちょっ!?だーかーらー!?私はモノじゃないっ!この体勢は納得いかないっ!!」
私は両手両足をバタつかせて、全身で抵抗の意思を示す。
「暴れるなって!?たく、しょうがないなー……」
雨はポケットから小瓶を取り出し、口で蓋を開けると、その中身を空気中にふり撒いた。
すると、空気中に散った水の粒は一本のワイヤー状になり、私と雨の胴回りを何度も交差するように周回をしはじめる。
「これでどう?スカイダイビングみたいだから、さっきよりはマシだろ?」
「意外としっかり固定されてる……。落ちる心配はなさそうだけど……本来の使い方とはだいぶかけ離れてるな……」
水の紐とも言うべきそれは、私と雨の体をひと括りにするようにガッチリ締め上げ、私の体は身長差ゆえに必然的に宙にぶら下がる形となった。
「なんだか、親にだっこされてる子供みたいです」
私の姿を見てボソリと呟いた雹果に、私は即座にツッコミを入れる。
「こ、これはスカイダイビングだっ!?」
「まったく貴方たちは……もしや、緊張という言葉を知らないのですか……?まあ、それはともかくとして……どうやって追いかけるつもりですか?外は視界も悪そうですし、相手は何処かへ飛び去り、向かった先も判らないのでは探しようがありませんよ?当てはあるのですか?」
「そうだ!お願いがあります、天草先輩。戻ってくるまでの間、それを貸してもらえますか?」
「コレを……ですか……?構いませんが……どうするつもりなのです?」
天草雪白はハンドベルを私に手渡しながら、不思議そうに眉を曲げた。
「ありがとうございます。たぶん、これがあれば探せます」
「あっ!?い、言い忘れましたが、それはあとで必ず返してください……ね!?必ず……ですよ!?」
何故か慌てた様子で付け加えるように釘を刺す天草雪白に、私は違和感を覚えて首を傾げる。
「いや、借りパクなんてしませんよ……?私をなんだと思ってるんですか……」
言葉の意味どおりにそれを受け取った私に向けて、「それは違う」と意思表示をするように、雹果は首をブンブン横に振っていた。
「……?」
「今の言葉を要約すると、必ず帰ってきてほしい……という意味です。姉さまは面倒な人なので言葉が足りません」
「ああっ……!?何を言っ……違……っ!?そ、それは大事な後輩だからで……!?というか、面倒……!?面倒って何ですか……!?そ、そもそも貴方に私の心情を代弁される謂れはありません!?」
「大事な後輩……心情を代弁……へー……。会長も可愛いところあるじゃないですかー?」
「しまっ……!?くぅっ……!!」
図星だったのか、雨に弄られたというのに反論もせずに、天草雪白は今まで以上に赤面し、顔を隠すようにそっぽを向いた。
その横をスタスタと通り過ぎ、雹果は私に押し付けるように一枚の鏡を手渡した。
「それじゃ私も。1枚しかないけど、何かの役に立つかもしれない。がんばハールキ」
雹果は無表情ながらもガッツポーズを私に送り、私は苦笑いを返した。
「それ、ゴロ悪いな……。けど、ありがとう雹果。それと、先輩も」
「ここから先は力になれませんが、必ず帰ってきてください。貴方たちに何かあったら寝覚めが悪いですから」
その一言で、仇だとばかりに雹果に問い詰められる光景や、恋人の血で手を染める天草雪白の姿が突然脳裏に浮かび、私は高鳴る鼓動を鎮めるように胸を押さえる。
「そう……ですね。もう二度と、悲しい想いはさせません」
そう告げると、天草雪白は首を傾げながらも、穏やかに微笑み、そしてゆっくり頷いた。
「それじゃ、イノちゃん。行ってくる」
「行ってらっしゃい。お気をつけて」
いつの間にやら虎から人間の姿に戻っていた祈莉は、早速とばかりに床に倒れていたイクスを抱き起こし、まるでちょっと出かけるときのような挨拶を私たちに投げ掛けた。
「えっ?それだけ……?結構雰囲気出してたのに、塩対応すぎないか?」
雨が祈莉の背中に苦言を投げ返すと、祈莉は振り返りもせず、淡々と治療の準備をしながら答えた。
「二人が揃えば無敵だということは、私が一番良く知っていますわ。ですから、二人なら必ず成し遂げ、無事に帰ってきます。そうですよね?」
祈莉が私たちに向ける強い信頼を肌で感じ取り、ラプラスが今わの際に語っていた言葉の意味を私は理解した。
人は信頼されるからこそ、相手を信頼出来るようになるし、乾祈莉という人間は花咲春希という人間を無条件で信じ、頼ってくれる。
その信頼は、たとえ相対する相手がイクスやニュクスであろうと、少しも揺るがないほどに強固なものだと言えた。
だからこそ、ラプラスは彼女のことを“一番信頼している親友”として挙げたのだろう、と。
「……そうだな。必ず、アイツをとっ捕まえてくるわ!」
「もちろん無事に、ね」
私と雨は頷き、笑みを浮かべながら二人で親指の腹を見せ付けると、祈莉は半身だけ振り返りながらも何も言わず、ただ微笑み返した。
「というわけで急ごう、あーちゃん。とりま、魔法で加速するから、姿勢制御はヨロシク。シャイニー……」
「――って、もう!?てか、それ今言うか!?心の準備が――」
雨が背中に生えた翼を広げたことを確認すると、私はロケットが発射するかのようなイメージで両足から魔法を放つ。
「――ライトーーーーー!!!!」
人の理に抗うように大地を離れ、私たちの体は光の軌跡を描きながら、月明かりの照らす夜空に舞い上がった。