第34話 魔法少女は咲く花で。(2)
◆6月20日 午後7時28分◆
「雹果っ!目を覚ませ、雹果っ!!」
遠目から見た限り雹果に意識は無く、私が必死に叫ぼうとも、それは徒労に終わることとなった。
異形の怪物が友人の髪を絡め取るようにし、玩ぶように吊り下げているという目を疑いたくなるような光景に驚くと同時に、私の頭は一瞬で湯が沸騰したように昂ぶり、無意識ながらに強く足を踏み出していた。
「っ……!!シャイニー…――」
――ヒュン!!
憤る心を抑えきれずに踏み出した私の一歩よりも先に、その影は疾風の如く私を追い越し、瞬き一つする間もなく異形の怪物の目前まで距離を詰めていた。
『その子を……離せっ!!!』
そのまま大きく跳躍したラプラスは、手にした大鎌を横に構えながら、地面と平行になるように体勢を変える。
そして、自身を軸とした横回転の遠心力を加えながら、雹果を掴みあげるその手を目掛けて大鎌を振り抜く。
――バキィィンッ!!!
「……っ!?」
渾身の一撃は、確かに異形の怪物の右手に力強く振り下ろされた。
しかしながら、どういうわけか鏡の盾によって、その攻撃は防がれることとなった。
『くっ……!』
予期せぬ妨害にラプラスが空中で体勢を崩していると、ニュクスの左手に生えた無数の蛇たちが、獲物を観察するかのようにその眼を向ける。
そしてその直後、蛇たちの目からレーザーポインタのような赤く細い無数の光線が、ラプラスに向けて照射された。
『……っ!』
極寒の地で濡れたものが瞬時に凍ってしまう様のように、それは一瞬で石膏のように白く固まり、地面に落ちた。
そしてそれは、落下の衝撃とともに砕け、破片となって散らばった。
そうして砕け散った外套に視線を送りながら、ラプラスは何事も無かったかのように近くの足場へと着地していた。
『追い込まれて手駒を吸収なんて、悪役としてはド定番な真似してくれる……。けど、これはお前の言っていた“力を補なう”こととは違う……』
数秒前、まるでそうなることを予知していたかのように、ラプラスは纏っていた外套を蛇たちに向かって放り投げ、石化光線から身を守ることに成功していた。
しかしながら、無事に危機を脱したにも関わらず、ラプラスの表情はまるで悔しさを滲ませたように歪み、刺すような視線をニュクスに送っていた。
「おや……?口を滑らせたつもりはないのですが、既にご存知でしたか」
イクスは不思議そうに首を傾げながら、ニュクスの隣に並び立つと、無防備に吊るされている雹果の頬に触れ、まるで柔肌の感触を堪能するかのようにその輪郭をなぞる。
「……!?」
「実を言いますと、こちらの少女に興味が湧きまして、少しばかり予定を変更させていただきました。自己修復機能があるとはいえ、多勢を相手にすれば、さすがのニュクスも今のように劣勢に陥る状況も多分にあり得ます。その点、使用者の身を自動的に守るこの魔法は、打って付けの力と言える……。そこで、先んじてこの少女の持つ魔法を試させていただきました」
恐らく、雹果とイクシスが戦闘している様子を、イクスはどこかから観察していて、そこでシルトの有用性に気付いた。
そして、ニュクスがラプラスのことを瞬時に解析してみせたように、雹果とイクシスが戦っている最中に解析させていたのだろう。
もっと言うのであれば、イクスの目的が魔法の解析であるとするのなら、私たちが実際に魔法を使う様子を観察したほうが研究には都合が良いため、ライアを泳がせ、イクシスにデータ収集をさせていたという考え方もできた。
「やっぱり、お前の目的は私たちの扱う魔法……。そのために私たち魔法少女を探していた……。そういうこと?」
私が突きつけるように言い放つと、イクスはニッコリと笑みを浮かべた。
「EXACTLY。ディオフやライアの報告から、貴女方の行使する魔法というものは、人の感情をエネルギーとして、思念を事象として引き起こすもの――言い換えるのなら、考えたことを現実のものとすることや、願いを叶える力とも言うべきもの。突き詰めていけば、それは無限の可能性を秘めていると言って過言ではなく、神と同等の力とも言えるものでしょう……。新たなる世界の創造主となるニュクスにとって、これほど相応しい力はないとは思いませんか?」
イクスのその言葉で、私の中に残っていた点と点がようやく繋がった。
「人の感情……エネルギー……事象を引き起こす……。まさか……!?ディオフがケートスを狙っていたのは、ケートスが同じような力を持っていたから……?最初からニュクスにその力を与えるために、ケートスを狙っていた……?」
「確かに、ケートスを利用することも計画のひとつとして存在していました。ですが、吸血鬼同様、自我や高い知性を持つ異空現体を完全な制御下に置く技術は研究途中でして、残念ながら未だ不完全。しかしながら、危険な力を持つ存在として確認されている以上、放っておけばいずれ計画の邪魔となる可能性も否定できません。ですので、心苦しいながらも排除することにしました」
「……」
『伝承に出てくる意思を持たない物体や、明確な意思を持たない伝承のみ伝わる空想上の生物を選んで顕現させ、使役しているというわけか……。いずれにしても悪趣味極まりない……』
「その点、魔法少女は危険な力を持っていようと、元々は人間。話も通じるうえに操りやすく、力も弱く捕らえやすい。少し油断させればこの通りです。異空現体を研究するよりも、何倍も効率良くニュクスを強化することが出来る。そう私は考えました」
紹介するような手振りをしながら、イクスは雹果のことを指し示し、そして嘲るようにニヤリと笑った。
「……っ!」
必死に抑え込んでいた怒りを止められずに私の足は動き、魔法を発動させながら全速力で飛び出す。
「私たちを……何だと思ってるんだっ!!!」
魔法によって速度の加わった私の体はフワリと浮き上がり、私の飛び蹴りはダーツの矢の如く、イクス目掛けて一直線に飛んでゆく。
そして一秒と経たずに、踵がイクスの顔面に突き刺さるだろうという所まで来たところで、私の体はそれの介入によって動きを止めた。
「――っ!?なっ……!?」
ニュクスを守っていたはずの鏡の盾は、何故かイクスを守り、私のダイレクトアタックはものの見事に防がれる結果となった。
「無防備な指揮官に奇襲をかけるというのは、実に良い作戦だと思います。ですが、私を狙っても無駄です。今の私はニュクスと感覚を共有しています。故にこの鏡はニュクスではなく、最初から私を守っているのですから」
「――無駄なんかじゃありません!」
――ガキィン!!
物陰から現れた人影が、ニュクスの背部からその巨大なハンマーのようなものを振り下ろしていた。
「あ、天――じゃなくて、メルティ・ベル……!?」
天草雪白の表情は、一見して普段どおりに見えたものの、その眼光の鋭さから相当な怒りを溜め込んでいることを私はすぐに察した。
だが、存分に怒りを込められていただろうその攻撃すらも、鏡の盾によって防がれていた。
「まったく……。大人しくしていれば怪我をせずに済んだものを……」
「あの程度で弱音を吐くほど、私は弱くありません。それと生憎ですが、妹が私の代わりに危険に晒されている……そんな状況で黙って見ていられるほど、私は大人ではありませんっ!!」
ハンドベルを一旦離すと、天草雪白はそれを真横に向ける。
「――モルゲンシュテルン!!」
真横に放たれたベルをチェーンを引くことで器用にコントロールし、蜘蛛足となったニュクスの足を薙ぎ払うようにしながら、ニュクスの体を絡めとるようにチェーンが巻き付いてゆく。
「それは私が妹に託した力です!その力のことは、誰よりも私たちが良く知っています!!」
天草雪白が私に視線を送りながら小さく頷き、私はその目配せによって彼女が私に何かを伝えようとしていることを察する。
「無駄じゃない……私たち……。そういうことか……!」
言葉の意図を理解し、その思惑を繋ぐようにラプラスに視線を送ると、ラプラスも了承するように頷き返し、私とラプラスはすぐさま反対方向へと走り出す。
そして、切り返すように反転すると、二人同時に加速し、ニュクスの両側面から再び攻撃を繰り出す。
「てりゃあっ!!」
『はあああっ!!』
「何度やっても無駄ですよ?その鏡がある限り、貴女方の攻撃はニュクスには達し得ない」
「そうかもしれない……。けど――」
イクスが悟ったように呟いた直後、結果的に私たちの攻撃は二枚の鏡の盾によって完全に防がれていた。
だが、それは私たちの思惑通りとも言えた。
「お前が相手にしているのは私たち……!!」
『盾は2枚。つまり、同時に防げるのは一度に二人分まで!!』
「――先に謝っておく!悪い!!」
その声が聞こえた刹那、突如として頭上から青い鷹が姿を現した。
それはもの凄いスピードで急降下したかと思うと、つま先から生えた水の爪で雹果の髪をバッサリと断ち切っていた。
「がおーーー!!!」
支えを失って落下する雹果の体を、ここぞというタイミングで走りぬけた虎がその背で受け止めたかと思うと、スピードを落とすことなくその場を駆け抜けた。
「これはこれは、見事な連係プレーですが……。それは大事な研究材料ですので、ただで逃がしたりはしませんよ?」
ニュクスが左手を伸ばすと、走り去る虎を追従するように無数の蛇たちがその視線を向け、外套を石化させた時と同様、赤い光線を次々に照射する。
虎は左右にステップを繰り返しながら、その光線を器用に避け続けるも、避け切れなかった一本の光線が虎を確実に捉える。
光線が接触するかしないかという次の瞬間、虎は二頭に分裂した。
「分裂……?しかし、それならこれはどうでしょう?」
右手で左腕を固定し、その先に生える蛇たちが、二頭の虎を取り囲むように八方から石化光線を照射する。
そして、それらは範囲を狭めるように中央へと収束していった。
『甘いの。若造』
少女のような声が聞こえた次の瞬間、一方の虎は無数の蝙蝠へと姿を変えて、光線の隙間を縫うように飛び去り、そしてもう一方の虎は小さな狐の姿へと姿を変えたかと思うと、その場で姿を消した。
「偽者……?それでは、本物はどこに……?」
「――こちらですわ」
その声は、イクスの向けた方向とは真逆の方向から発せられた。
そして、何もない空間が歪み、その先から雹果を抱きかかえる祈莉が姿を現した。
「そちらでしたか。私としたことが、すっかり騙されてしまいました」
振り返るや否や、まるで不意をつくように蛇たちが祈莉へ視線を向け、その目を赤く光らせた。
「いい加減、ちょっと黙っとけ」
青い鷹が翼を広げて飛び上がると同時に、湖面から鳥が飛び立つような水しぶきが上がり、その長い足を頭上に思いっきり振り上げ、そのまま一回転した爪の軌跡は、弧月を描くような青白い光を宙に刻んだ。
その直後、蛇たちの動きがピタリと止まったかと思うと、無数にあった蛇の首たちは次々に地面へと落ちていった。
「ぐっ……!?」
その様子は、強者である鷹が弱者である蛇を捕食する瞬間を彷彿とさせ、弱肉強食の現実をまざまざと見せつけるような光景だった。
「よっ…と」
舞い降りるように翼を羽ばたかせながら再び着地を果たし、ゆっくりと立ち上がると、青い鷹こと雨はバトンの先端をイクスに向けて言い放つ。
「あんたには言いたいことが山ほどある。けど、私よりも物申したそうな人がココに居るから、今は譲っとくことにする。ちゅーわけで、ヨロ」
雨は私の背をそっと押し、促すように顎を振った。
私は大きな溜息を一つ吐き、押し出されるがままに一歩前に躍り出る。
そして、大きく深呼吸をしてから、口を開く。
「……イクス。お前は私たちのことを“元々は人間”だと言った。斯く言う私も今までずっとそう思っていたし、そう思い込むことで魔法少女になった自分はもう人間じゃない……だから、普通じゃない自分が普通なんだって、自分を納得させてた……。でも、そんな考え方がそもそも間違いだった」
私は周囲を見回すように振り返り、私を見守ってくれている人たちの顔を一人ずつ眺めてゆく。
「私の周りには、人と共生する妖精も居れば、人と愛を育んできた神も居るし、種族や生まれも違うのに、友情で結ばれた者も居る……。人間とかけ離れた特殊な力があろうと、たとえヒトという種族でなかろうと、どんな姿をしていようと、分かり合うことは出来るし、信頼し、理解を深めることはできる。本当に大事なのは、人間であるかどうかじゃなく、ヒトとしてどう生きているか――他人を想い、分かり合おうとする心を持っているかどうかなんだって、私はようやく気付いた」
ラプラスに視線を送ると、彼女は少しだけ驚いたような表情で私のことを見つめ返し、そしてほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「だから、今も昔も、そしてこれから先の未来も……。私たちは魔法少女であり、ずっとヒトであり続ける。それをお前に否定される謂れはない」