第33話 魔法少女は託し託される者で。(4)
◆6月20日 午後7時◆
イクスが姿を消した扉を通り抜け、私は一人、狭くて暗い通路を道なりに進む。
「真っ暗だな……。猫になれば見えるんだろうけど、さすがにもう猫はな……」
周囲に設置されている照明は十分とは呼べず、これほど狭く暗い場所で不意を打たれれば、私といえども不利な状況に陥ってしまう危険性は十分にあると言えた。
祈莉から受け取ったカードを使えば、猫の夜目によって、暗所での不意打ちに対しての反応が格段に向上することだろう。
しかしながら、語尾に「にゃ」が付いてしまうという最大の欠陥に関して、私は看過できるものではなく、その選択肢は私の中から真っ先に外された。
「ん……?」
進み始めてそれほど時間は経たずに、階下へと向かう階段のようなものを発見し、私はそこで足を止めた。
「うわ……。これを進むのか……」
鉄柵から身を乗り出すように下方を確認すると、まるで深淵へと続くかのように、先の見えないほど地下深くまで階段は続いており、奥底まで確認することは叶わなかった。
「仕方ない……」
この場所で襲撃される危険性は少なからずあったものの、“とっておき”などと大見得を切って足止めを三体放っておきながら、イクス自身がこの場で待ち伏せて不意打ちを狙うなどという姑息な真似をするとは到底思えず、私は周囲に最低限の注意を払いつつも、距離を離されないように少しばかり急ぎ足で階段を駆け下り始めた。
…
靴底が金属を打つ音が、カンカンカンという軽快なリズムを刻みながら狭い空間を反響し、私はそれを崩さぬように一定のスピードで階段を下ってゆく。
「しかし、ほんとに長いな……どこまで降りさせれば気が済むんだ……?というか、どうしてこう秘密組織ってのはバカみたいにデカい施設を造りたがる……?」
超高層施設や巨大地下施設など、普通に考えれば災害などの有事の際に逃走経路の確保が難しくなったり、老朽化に対するメンテナンス性が悪くなったりと、それほど大きなメリットが無いにも関わらず、人はそういったものを建造する。
きっとそれらは、人間が搭乗する巨大人型ロボットを造りたくなるのと同じような理屈なのだろうと私は考えていた。
現実的に考えれば、大きくすればするほど稼働させるのに莫大なエネルギーやコストはかかるし、人型にするくらいなら四速歩行の動物や虫型にするほうが姿勢制御もしやすく、小さくしたほうが小回りも利くという利点がある。
付け加えるのなら、操縦者を育成することや搭乗させて身を危険に晒すことも現実的ではなく、遠隔操作できる人材を育てたほうが理に適っていると言える。
だが、それらの論理矛盾は総じて“とある一言”で片がついてしまうのだった。
「ロマン……か……」
まったくどうでもいいことを考えながら階段を下っているうちに、私は重厚な鉄扉を一つ視認すると同時に、この階段の終着点が近いことをようやっと悟った。
「ふぅ……」
扉の前に立ち、呼吸を整え、十分に警戒しながら重い鉄扉を開け放つ。
すると、そこには車一台は通れそうな道幅のトンネルのような道が延々と伸びていた。
「まだあるのか……」
唐突に発生したダンジョン探索イベントに大きなため息を吐きつつも、私は仕方なく小走りに道を進む。
…
イクスの姿を見失ってからほどほどの時間が経過していたが、私は一向にイクスが通ったという物的痕跡を何一つ見つけることが出来ないでいた。
「本当にどこ行ったんだ……?一本道だから見失うはずは無いと思うんだけど……」
ここに至るまでの間に、自分が進んでいる道が本当に正しいのか、ここに至るまでに別の道を見落としていたんじゃないだろうかと、私は疑心暗鬼に駆られていた。
「あんな送り出し方されておきながら、道に迷ってイクスを見失ったなんて言えないし……それはガチでワラエナイ……。今さら戻ってる時間も惜しいし、とりあえず先に進むしか――」
残念なモノを見る皆の目が一瞬だけ私の脳裏に浮かび、言い知れぬ焦燥に駆られながらも、私は周囲を入念に見渡し始める。
――ゴトッ……。
「……!?物音……!?」
ホラー映画のように、私が情緒不安定になる頃合を見計らったわけでもないだろうが、突然物音が聞こえ、私はその方向へと視線を向ける。
その方向には一際目立つシャッターで閉ざされた部屋があった。
「あれって……」
シャッターは閉ざされていたものの、真横に設置された通用口らしきものが開いていることを確認し、私はその扉を少しだけ開きながら内部の様子を覗き込む。
一見しても何なのかがサッパリ見当もつかない電子機器の類が室内に立ち並び、その中央付近に人の姿を確認し、私は思わず声を漏らす。
「……イクス」
目的の人物の姿をようやく視界に収めると、安堵半分、緊張半分といった気持ちで、吐き出したばかりの息を呑むように吸い込む。
「それにしても、一体こんなところで何をしてるんだ……?」
何かの装置を頭部に装着し、仰々しい椅子に腰を掛けている状態のイクスは、私の到着に気付いた様子もなく、椅子に腰掛けたまま寝落ちしているかのように動くことはなかった。
これ好機とばかりに距離を詰め、足音を立てぬように細心の注意を払いながらも足を進めていると、足のつま先に何かが当たり、私は咄嗟に視線を落とす。
「これは……S-Reaper……?」
私がそれを拾い上げるようとしゃがみ込んだ瞬間だった。
まるで首筋に何かが迫るような感覚を感じて、私は横に飛び退きながら反転する。
「誰だっ!?」
『――おや?よく気配に気が付いたものですね?この体に気配など存在するはずもないのですが……?』
その人物はまったく物怖じする様子も見せず、立ち並ぶ機器の物陰から姿を現した。
背格好は自分と同世代か少し上くらいで、全身白いライダースーツのようなものをバッチリ着込んでいる黒髪長髪の女性だった。
だが、そんなことよりも、私は見覚えのあるその風貌にまず驚き、名も知らぬ相手の名を咄嗟に口に出す。
「あの時の……女神……?」
私がそう呟くと、かつて私に救いの手を差し伸べた女神と、瓜二つの顔を持つその女性は、不思議そうに首を傾げながら、自分のこめかみに触れるような仕草をした。
『女……神……?神に近いと言えば正しい……とも言えますね……。しかし、身に覚えが無いというより、この場合は記憶に覚えが無いと言った方が差し支えないでしょう。何ぶん、この身体は完成したばかり。今この瞬間、初めて起動したのですから』
「この身体……完成したばかり……?初めて起動……?」
その口ぶりはまるで、自分は今起動したばかりの自律思考型AIを積んだロボットですよと言っているようにも聞こえた。
しかしながら、聞き覚えのあるその口調や、眠るように沈黙するイクスの姿を横目で確認し、その意味をおおよそ理解する。
「お前……まさか……。イクスなのか……?」
女神の顔をしたその女性は口角を上げ、満足げな表情を浮かべながら両手を叩く。
『――EXACTLY。さすがに察しが良いですね。この体はXシリーズ記念すべき10番目の素体であり最高傑作、コードネーム“ニュクス”。貴女のような方のために造られた“神の器”です』
「神の器……ニュクス……?私のためって、どういう意味だ……?」
私が疑問を呈すると、イクスは瞼を閉じながら語り始めた。
『……人間は平等だと謳いながら、罪や罰はなぜ平等ではないのでしょう?罪を立証できなければ罪に問われず、見つからなければ罪にすらならない……。権力を持つ人間はあらゆる手段で罪を隠蔽し、金を払えば罪すら軽くすることも出来ます……。大人でなければ、どんなに残虐なことをしていても責任能力が無いからなどと裁かれることもない……。それらは本当に正しく、平等であると言えるのでしょうか?私は長らく考え、そしてその答えに辿り着きました』
イクスの語るそれは、人間誰しも一度は疑問に思うことだろう。
法というルールは長い時間を掛けて培われたものであり、そう整備された経緯にはそれぞれにそれなりの理由があり、一方からすると不平等であったとしても、双方の観点から見れば仕方の無いこともある。
だが、恐らくイクスが提起しているのは一つ一つの法ではなく、法というルールはそもそも正しいのか、そのルールに抜けはないのか、というもっと根本的な話なのだろう。
『人が法を作り、法に従って人が人を裁いている間は、この世界はいつまで経っても“正しい世界”になりはしない。この世界を変えるためには、隠された悪事に監視の目を向け、等しく審判を下す、人間よりも高位の存在――つまり、神の存在が必要不可欠だと私は結論付けました』
イクスは目を見開き、両手大きく広げた。
「神……。またそっち系の話か……。それじゃあ、全知全能の神を創って、そいつに世界中で起こる悪事を監視させて悪を裁かせようってこと……?本気で考えてるんだったら荒唐無稽すぎるだろ」
『いいえ、不可能ではありません。このニュクスは、異空現体の情報を埋め込んだナノマシンによって驚異的な自己再生能力が備わっており、事実上、粉々に粉砕したとしても再生する不滅の性質を持ち得る体。そして、その体に肉体という楔から解き放たれた“真理の目”と“正しき心”を有する意識を宿すことで、未来永劫、“真理の目”によって悪行を監視し、“正しき心”によって人々を正しい方向へと導く神が誕生することでしょう』
「未来永劫、悪行を監視って……とんだブラック企業だな……」
人が法を作り、人が人を裁いている以上、そこに私情や政治的圧力などが影響してくることはまず避けられず、公平性など担保出来るわけもない。
だが、全知全能の神なんてものが存在するのならば、イクスの言うように悪行は等しく裁かれ、善行は報われるという、実にわかりやすくて正しい世界となることだろう。
『故に、その両方の性質を持つ貴女は魔法少女などという器に収まるべきではなく、新世界の創造主となり、悪を淘汰し、人を導く未来永劫、不滅の神となるべきなのです……!!』
「ズビシ!」という効果音が鳴りそうな勢いで指を差され、私はどうにも居心地が悪くなって思わず視線を逸らす。
「なるほど……。一匹残らず駆逐……じゃないけど、神になればこの世界の悪い奴らを一人残らず懲らしめることが出来るってのは、ちょっと気分が良さそうではある」
私はイクスにゆっくりと歩み寄ると、その顔面に顔を寄せ、瞳を覗き込みながらニッコリと微笑む。
「――なんて言うと思ってんのか?勘違いすんな、バーーーカッ!!」
『……っ!?』
「褒められて悪い気はしないけど、過大評価も甚だしいわ!自分の目が狂うはずは無い?自分で言うのもなんだけど、本当の私は顔も冴えないし胸も無いし身長も低いし体力も無い、引き篭もりでオタクでコミュ障で、性格もひん曲がりきって友達も少ない、ただ捻じ曲がった世界を僻んで小声でブツブツ文句をたれているだけの陰キャのJK!魔法がなければ目立つものなんて何一つ持ってない!お前は私の持つ魔法少女の力を見ているだけで、私のことをまったく見ようとしてない!だから、お前の目は節穴だ!」
『ふ……節穴!?私の目が……!?』
「一応、誤解されないように言っておく。こんな私だけど、自分では気に入ってるし、こんな私を好きだって言ってくれる人たちだって居る。私はそれだけでいい。世界を変えようなんてのは、こんなちっぽけな私がやることじゃない。お前の馬鹿げた理想に私や皆を巻き込まないで、一人で勝手にやってろ」
私が否定の意を一通り吐き出し終えると、イクスは暫く沈黙した。
そして、顔を上げ、私の目を真っ直ぐ見据える。
『はっはっは……。そう……ですか……。素直に従っていただけないというのであれば、止むを得ません』
「――!」
イクスの左腕が上がり、私の首元目掛けて伸びる。
それを視認した私は、一歩後退しながらも同時に魔法を発動する。
「――諦めが悪いな!?時間の欠落!!」
魔法によってイクスの記憶は操作され、その手は私を捕らえることが出来なくなる――はずだった。
『ようやく捕まえました』
イクスの左手はガッチリと私の襟首を掴み、私の体は地面を離れ、宙に浮かされていた。
「な……んで……!?時間の欠落が……!?」
Xシリーズであるニュクスに魔法が効かないことはある程度想定していたものの、記憶操作が本質である時間の欠落であれば、イクスの記憶に対して作用するため、ある程度の効果が見込めると踏んでいた。
だが、結果的に私の魔法が効いていなかったかのように、イクスは私を捕らえているという事実があり、時間の欠落の効果はなぜか発現していないという状況がまったく理解できず、私は動揺を隠すことが出来なかった。
『先刻、貴女が私に使った魔法……あれが精神干渉系の類であることは判っています。そこで少しだけ、対策を講じさせていただきました。とはいいましても、この体に私の意識があると貴女に勘違いしていただくよう環境を用意したしただけなのですけどね?』
「環境を……用意……?」
ここに至るまでに見聞きしたものを思い出し、自分がイクスに誤認識させられていたことにようやく気付いた。
「そう、か……。あなたがS-Reaperを使ってその体に意識を移しているのだと、私は思い込んでいた……。でも実際、あなたは別の場所からニュクスを遠隔操作している……」
床に落ちていたS-Reaperや、眠ってるイクスの姿を見て、私はイクスがイクシス同様に、自らの意思をニュクスという体に移したのだと思い込んでいた。
だが、それはイクスが仕掛けたブラフだった。
恐らくイクスは、私と真っ向から戦っても勝ち目は無いと考え、最初からニュクスを操作できる別の場所に向かっていたのだろう。
自分を追うように私が追跡したことを察し、通路の照明を暗くすることで、自分の通った順路を進まないよう別の道へと誘導し、さらには私が都合よく単独行動を始めたことを逆手に取り、ニュクスを遠隔操作しながら私をこの場所に誘導し、油断している私を捕獲するという算段だったのだろう。
『EXACTLY♪この方法であれば、貴女の魔法が私に干渉することは絶対にあり得ませんし、ニュクスが不滅である以上、私が敗北することも決してありません』
そう語った直後、イクスは何故か右手を私の額にかざした。
『そしてもう一つ、貴女に良いことを教えて差し上げましょう。このニュクスにはS-Reaperと同じ機能が搭載されていまして、相手の意識を自身に直接取り込むことが可能なのです。つまり、ここで貴女の意識を抜き取ってこの体に移してしまえば……お分かりですね?』
「――っ!?」
私はその言葉が意味していることを察し、慌てて抵抗を始める。
「や……やめろ!?私は神になんてなってやるつもりは……!!」
私はエネルギーを放出するイメージを浮かべながらイクスの手首を握る。
だが、まるで流し込んだ力が吸い取られるかのように、私の手から力が抜けていった。
『安心してお休み下さい。再び目覚めたとき、貴女は既に神となっているでしょう。きっと他の皆さんへのお披露目も、これ以上無い“とっておき”のサプライズとなるのでしょうねー?楽しみです。ハッハッハー!!』
イクスが高笑いを始めたその直後、どこからともなく呟く声が聞こえた。
『――これは、まだまだやることありそうだな』
――ガキン!!
何が起きたのかが判らないうちに私が地面に尻餅を付くと、私の襟首を掴み上げていたはずのニュクス手首が切断され、私と同じく地面を転がっているのが確認できた。
『な……!?』
ふと顔を上げると、全身黒尽くめの外套を纏った人物がその背丈よりも大きな鎌を構え、私の目前に立っていた。
『Why……!?その姿……!?これは一体……!?』
慌てるイクスを尻目に、その人物は背中越しに私を見下ろす。
『……立って。あなたはもう、私が手を差し伸べなくても自力で立てるはず』
「ニュ……ニュクスが……もう一人……?」
私を窮地から救ったのは、ニュクスと同じ顔をしている、もう一人のニュクスだった。