第32話 魔法少女は希望と絶望で。(5)
◆7月7日 午後5時20分◆
「――グロース・ライト!!!」
屋上全体が一瞬だけ淡い緑光に包まれ、まるでその穏やかな光に掻き消されるかのように雨雲は散り、頭上にポッカリと開いた雲間からは茜色の日が差し込んだ
『グロース・ライト……?一体何を考えて――』
パンドラはすぐに何かを察したかのように、ニタッと笑みを浮かべた。
『なるほど……ただのブラフ、か……ははは……。私を騙そうとしても無駄。私の考えがお前に判るように、お前の考えていることも私には判る』
まるでそう確信していると言いたげにパンドラは鼻で笑ったものの、私は煽りに動じることなく反意を示す。
「そう思ってるのならそれで構わない。まあ、私の目にはもう雌雄は決したように見えてるけど」
私がそう告げた直後、パンドラは再び大鎌を構え、赤い眼光を私に向けた。
『ハッタリは無駄だと言って――』
しかし、構えた大鎌はパンドラの手から零れ落ち、重い金属音を鳴らしながら地面を滑るように転がった。
『手……が……痺れ……る……?これは……一体……?』
小刻みに全身を震わせながら、パンドラは不思議そうに自身の手のひらを見つめはじめる。
視線を下に移したことでようやく視界に入ったのか、パンドラは自分に起きている異変に気付き声を上げた。
『これは……花……!?ふざけた真似を……!!』
パンドラは自分の胸元に咲いた花を確認し、それを確認するや否や強引にむしり取った。
だが、むしり取られたはずの花は胸元から再び花を咲かせ、枯れ落ちては蕾が現れ、花を咲かせるという異常とも呼ぶべき状態を幾度となく繰り返していた。
『……!?わ、私に一体……何をした!?それに何だ……これは……!?か、体の中が……掻き回されているような――』
自らの体を抱き抱えるようにして、パンドラは内から溢れる何かを抑え込むよう必死に堪えながら、それでもなお私に怒りの視線を向けた。
「……ずっと考えていた。お前の体はどんな魔法も通さないから実体の無い魔法では動きを止められないし、物理的に押さえ込もうとしても頑丈だから力技でもほぼ不可能。たとえ一時的に抑えつけられたとしても、お前がイクスに『荷が重い』と言ったように、時間の欠落を使う相手は隙を見せた瞬間に記憶を消されて逃げられてしまう。つまり、普通の方法じゃどう足掻いてもお前を止めることはできない。それならいっそ外側からじゃなく、内側からやればいいと私は考えた――」
――バサッ!!
『――んあ゛あ゛っ!?』
聞き慣れない不気味な音とともに声を上げ、パンドラは全身を仰け反らせながら硬直した。
「――お前には芽衣が体を張って空けてくれた、文字通りの穴があったから、それを利用させてもらった」
膝や踝、肘や肩の付け根の関節など、体中のありとあらゆる隙間という隙間から無数の蔓が顔を覗かせ、それらはパンドラ自身を絡めとりながらアサガオの花で全身を彩った。
『――!?ま……魔法に……アサガオの種を……仕込んで……私の中……に……!?』
一定の効果があったことを確認した私は、パンドラの落とした大鎌を手繰り寄せるようにして手に取ると、自分の足に絡みついていた蔦を一本ずつ丁寧に切り裂いてゆく。
「胸の穴目掛けてアサガオの種を仕込んだレイン・バレットを打ち込んで、仕上げにグロース・ライトを使ってアサガオを急成長させた。成長に必要な水分は雨のお陰で十分あるし、光と栄養は魔法で供給したから、種は芽吹き、花を咲かせては枯れ、種を作るという成長を無限の如く繰り返す……。そうしているうちに、お前の体の中の隙間という隙間に蔓は入り込み、やがてはお前の動きを奪う。体が精密機械で出来ているお前には、こういうアナログな方法が効くんじゃないかと思って」
ひと通り足に絡みついた蔦を切断し終えると、私は腰を上げ、パンドラへと歩み寄る。
『まさ……か……。さっきまでの雨も……仕組んでいたのか……』
私はその発言を鼻で笑いながら、首を横に振った。
「……いや。私だってそこまで用意周到じゃない。そもそも、私があーちゃんの魔法が使えるなんて思ってなかったし、この雨が降るまでそんなこと考えもしなかった。でも、不思議と今の私なら出来るんじゃないかって気がした……。もしかすると、あーちゃんが私を手助けしてくれたのかもしれない」
私はシャイニー・パクトを手に取り、その鏡面に向かって笑みを送る。
『あー……ちゃん……』
レイン・バレットという魔法は、ノワに捕まった私を助ける際に雨が見せた魔法だった。
もちろん、その頃の私にはその原理を理解することは出来なかったものの、私の能力なのか、はたまた雨のシャイニー・パクトを使って変身している故の恩恵なのか、今の私にはその原理が全て理解できていた。
「私にはパンドラを倒せる可能性がある……なんて言われてはいたものの、それはお世辞みたいなもので、お前と私にある力の優劣が大きく覆ることはないって最初から理解していた。だけど、同じ記憶を持って、同じものが視えていたとしても、その捉え方や感じ方が変われば考え方も変わる――つまりは、私たちはお互いがどう動くかはある程度予測出来るけど、互いの知らないことは知り得ないし、考えていることもハッキリとは判らない。芽衣がお前を欺いたように、“過信”こそが私やお前の最大の弱点であり、私がお前を騙すことのできる唯一の方法であると、私は逆に確信を持って言えることが出来た。だから私は、お前が知っている花咲春希と、お前の知らない私を利用すれば、“過信”させて隙を作るくらいは可能だろうと考えた」
野外に長期間放置された銅像のように蔓まみれになってしまったパンドラだったが、その様子がいたたまれなくなった私は、その顔から蔓や花を引き千切って露出させてゆく。
「この戦いは私にとって、この世の命運を掛けた果し合いでも、ましてどちらが正しいなんて己が正義を賭けた戦いでもない……――如何にして相手を誘導し、その隙を突くのかというただの騙し合い。私が一度でも優位にあることを示せば、お前は必ず私を超えようと躍起になる。そして、お前が私を出し抜いて勝利を確信したその時、必ず隙が生まれる。私はその瞬間をずっと待っていた」
『……』
ようやく蔓の向こうから現れたその顔は、ただただ私のことをジッと見つめ返していた。
「改めて言わせてもらう。お前が捨てようとした過去や、お前を支えていた人たちに助けられて、私は今ここに立ち、全てを捨てて得た力よりも大きい力だと私は示した。これこそが、お前が間違っていたことの私なりの証明だ」
私がドヤ顔で言い放つと、パンドラはまるで錆び付いたように鈍りきった腕を動かし、私に向かって手を伸ばす。
『証明……だって……?私は……まだ負けていない……っ!こんなのは……負けとは呼べない……!!』
我ながらの諦めの悪さに驚かされながらも、私は伸ばされたその腕を掴み、そっと下ろす。
『こんなことをした……ところで……私を破壊することまでは……できない……。自己修復さえ終われば……私は元通り動けるように……なる……。そうなればお前なんて――』
「それでいい。私の勝利条件はお前の動きを止めることであって、私は最初からお前を破壊するつもりなんてない」
『な……っ!?』
私はキッパリ言い放つと、芽衣に向き直り、そして深々と頭を下げた。
「……芽衣、お願い。さっきも言ったけど、花咲春希はたとえ敵であっても、犠牲は望まない。それは私も同じ……。どうしようもない奴かもしれないけど、私にとってパンドラはもう一人の私で、もう家族みたいなものなんだ。だから――」
芽衣が未来からやって来た目的は、パンドラが誕生してしまうことを阻止することではあったが、私のしようとしていることは、一見すればその目的に反していた。
それだというのに、芽衣は私に駆け寄って顔を上げるよう促すと、首を大きく横に振った。
「……春希さんが謝る必要はありませんの。ここからは私の問題ですの」
芽衣はパンドラに向き直ると、神妙な面持ちでその前に立った。
そして、穏やかな笑顔を浮かべたかと思うと、その手でパンドラを強く抱き寄せた。
「春希さん。随分と遅くなってしまいましたが、おかえりなさい……ですの!」
『――っ!?』
パンドラは驚いたように目を見開き、そして抗うように首をぎこちなく横に振る。
『は、離して……!私は……パンドラ……!こんなことをされる資格は無い……!!だから……』
「……?」
パンドラのどこか不自然というべきその態度を不審に思い、私はこれまでの記憶を遡りはじめる。
――芽衣と……パンドラ……。
「ん……?待てよ……?それだと順番が……」
そのことに気付いた瞬間、私の脳内に電流が流れたような衝撃が走った。
そして、自分が大きな勘違いをしていたことに気が付かされた。
「そう……か……。そういうことだったのか……」
眠りから覚めたばかりの私に対して、パンドラは私のことなどどうでも良いと言っていた。
それが本当ならば、何故わざわざ雨の家の前を訪れ、夏那の前に姿を見せたのか。
その理由は、パンドラの今までの言動が全てを物語っていた。
「前に言った筈ですの。春希さんになんと言われようと、春希さんは私の友達ですの」
『芽……衣……』
恐らくパンドラは、行方不明だった芽衣をずっと探していた。
雨の家の前を訪れ、夏那の前に姿を見せたのはそれが理由であり、その過程でこの場所へと辿り着き、都合悪くも、芽衣がパンドラを破壊するために未来からやって来たことを耳にしてしまったことで、パンドラは自暴自棄になって暴れていた――そのような筋書きなのだろうと私は愚直にも考えていた。
だが、それは順を追って考えてみれば矛盾している話であり、それが真実でないことは明白だった。
『――って!?お前、何をして……!?』
自由に身動きを取る事が出来なくなっているパンドラの背後に回り、まるで蜘蛛が罠に掛かった獲物を捕らえるように、足先から蔦を巻きつける。
『ちょっ……!?おまっ……!?やめっ……!?』
…
蔦がパンドラの全身を包み込み終えると、まるで巨大なミノムシのようになったパンドラは完全に沈黙した。
「ふぅ~……。結構、上出来?」
「あんなことして、春希さんは大丈夫なんでしょうか……?」
「大丈夫。あの程度で死ぬわけない」
ひと仕事終えた私は、完成したミノムシの出来栄えに満足しつつ、ベンチに座って一息つく。
「イノちゃん。ちょっとお願いがあるんだけど、このパンドラをノワのところまで運んでほしい」
「ノワさんのところへ……?わかりましたわ」
祈莉は阿吽の呼吸とばかりに何も言わず、テキパキとパンドラミノムシを持ち上げて肩に乗せた。
「それと芽衣。イノちゃんと一緒に、ケートスでそこに転がってるもう一個のミノムシを私の家に運んでくれる?」
今度は鎖でグルグル巻きにされ、地面に転がりながら気を失っているメルティ・ベルを指差す。
「それで、そのついでになんだけど――」
私が耳打ちで詳細を伝えると、芽衣も同意するように頷く。
「わ……わかりましたの!それで、春希さんはこれからどうなさるおつもりですの……?」
「私はここでやることがまだ残ってるから」
…
「さて、と……」
手早く人払いが済んだところで、私はものの試しとばかりに早速それを使う。
そして、物陰に隠れている人物に向かって歩き出し、ゆっくりとその距離を詰める。
「――不完全とはいえ、我々の最高傑作であるパンドラをこうもあっさりと……。女神と名乗ったということは、まさか彼女は本当に……」
私は相手の真正面に立ち、こちらの存在にまったく気づいていないことを確認してから声を発する。
「――あーちゃんを死に至らしめた罪と、私を誑かしたり、辱めた罪……。ここで償ってもらおっか?」
「なっ……!?い、いつの間に……!?」
試しに使ってみた時間の欠落が思いのほか効果的で、これはドッキリになんかに使えそうだなーなどと考えながら、私は内心でほくそ笑む。
「今のはまさか、パンドラ様と同じ力……。やはり、あなた様はもしや――」
イクスが何を言おうとしたのかを察し、私はそれを遮るように先に否定する。
「私は神なんかじゃない――普通の魔法少女。お前の操り人形にはもう二度となってやらない」
首に蔦を伸ばして軽く締め上げながら、飼い犬のリードを引っ張るかのように収縮させる。
すると、イクスの顔は私の眼前まで一気に引き寄せられた。
「ぐぅっ……!?」
「余命が少ないとはいえ、お前があーちゃんの命を奪ったことに変わりは無い。そして、その罪をお前は償うべき。でも、証拠が無い以上、お前を法で裁くことはできない」
私が鋭く睨み付けると、イクスはほんの少しだけ口角を上げた。
「でも、都合の良いことに、この国の魔法少女はとある特権を持っている」
「とある特権……ですか?」
私は肯定するように大きく頷く。
「相手が悪であれば、月に代わってお仕置きすることが許されているんだ」
私はそう告げた直後、イクスの顔面を左手で鷲掴みにして固定し、すかさずパンドラの持っていた大鎌の刃先をその首元にあてがう。
「私は魔法少女で、お前は悪。ここでお前の首を私が土産にしても、ただのお仕置きってことに出来る」
「オー……こ、これはなかなかジョークが秀逸デスネー……?この国の魔法少女というものはなんともクレイジーです……ハッハッハッ!!」
軽口を叩きながらも、イクスの首筋には一筋の汗が流れ落ちていった。
「――なーんて思ってたけど、ちょうどいいからお前には実験台になってもらうことにする」
…
「こ……こは……?」
男は気を取り戻すなり、キョロキョロと周囲を見回しはじめた。
「いえ……それよりも……。私は……誰なのでしょう……?まったく何も思い出せない……。ふ~む……」
イクスだったその男は近くのベンチに腰を下ろすと、ただただボーっと地平線に沈みゆく夕日を見つめていた。
その様子を遠巻きに確認した私は、誰にでもなく言葉を残しながらその場を立ち去った。
「――さよなら、イクス。永遠に」