第32話 魔法少女は希望と絶望で。(3)
◆7月7日 午後5時◆
『パン……ドラ……?』
「パンドラ――ギリシャ神話において、神々によって泥から造られ、全てを与えられた人類最初の女性です。神々より開けてはならないと授けられた箱を開けてしまい、人間に災いや疫病をもたらしたとされる話はあまりにも有名で、そのせいか破滅の象徴とされることも多い……」
イクスがパンドラについて注釈を付け加えると、黒衣娘は何故か私の頭から足を退かした。
そして、私の頭頂部を左手で鷲掴みにし、私の体を軽々と持ち上げた。
「ぐぅああ゛あ゛っ!?」
頭蓋骨が割れてしまいそうなほどの握力で持ち上げられたうえ、私の全体重が頭部から首にかけて掛かり、信じられないほどの激痛が私を襲った。
『神々に造られ、全てを与えられ、人間に災いをもたらした破滅の象徴……パンドラ……!お誂え向きの名前……はは……はははは……!!』
黒衣娘はニンマリと笑いながら、暁に染まりゆく空に向かって高笑いを響かせた。
「パ……パンドラじゃ……ないのか……?お前……?」
『……。今の私に名前なんて無い……。でも、その名前は気に入った。丁度良いから、今日この瞬間から、私はパンドラを名乗ることにする』
「……やれやれ、まったく勝手に。本当に手の付けられないお方ですね……」
イクスの呆れ声に少したりとも耳を貸すことはなく、黒衣娘改めパンドラは、その右腕を真横に伸ばす。
『私は新たな名を得た。残るは――お前だけ』
何の前触れもなくその背丈と同じくらい大きな鎌がその手中に出現した。
「っ……!?」
驚く私の心中など察するはずもなく、パンドラは重そうな大鎌を片手で器用に回転させたかと思うと、その回転はピタリと止まり、鋭利な切っ先はいつの間にやら私のうなじを掠めていた。
『その首を落とせば……本当に……全部終わり……。何もかも……全て……。本当の私は……そこから始まる……』
「お前、やっぱり――」
私の言葉を待たずして、私の置かれていた危機的状況は即座に一変した。
「――あ……れ……?」
いつの間にか私の頭部はパンドラのデスクローから拘束を逃れ、15メートルほど離れた場所で、芽衣に抱きかかえられる形で座らされていた。
『……』
パンドラはさほど不思議でもないといった様子で手を握っては開いてを繰り返したあと、私と芽衣のことを不服そうに睨み返してきた。
「芽衣……今のは……」
私の言葉に答えるでもなく、芽衣は私に向けてニッコリ笑った。
そして、すっくと立ち上がり、パンドラに向かって歩き出した。
その光景は、いつかの出来事を私に想起させた。
「あっ!?ちょっ……!?」
「……これ以上、春希さんには指一本触れさせませんの」
『私の邪魔を……しないで……。あなたはそいつに騙されている……。庇う必要なんてない……』
「騙されている……ですの?たとえあなたの言うとおり春希さんが私を騙していたとしても、私は春希さんを騙していましたの。それはお互い様ですし、なにより私はそれで構わないと思っていますの」
まるで臆した様子も躊躇う様子もなく、芽衣は勇ましい足どりで真っ直ぐパンドラへと向かってゆく。
「私はあなたのことを知っています……。そして、あなたに怒りや憎しみの念すら抱いていますの……。ですが、それはあなたとは違うあなたのお話ですの。今のあなたにその感情をぶつけるのは間違っている。だからこそ、あなたが生まれてしまう前に全てを終わらせてしまおうと、私は考えていましたの……」
パンドラから5メートルというところで立ち止まると、芽衣は立ち塞がるよう両手を大きく広げた。
「――ですが、あなたが既にこうして存在している以上、どのみち私に選択肢はありませんの。あなたが私の大事な人たちを傷付け、その未来を奪うと仰るのであれば、私に迷いはありません……。私がここで、あなたを破壊しますの!!」
『……』
芽衣が力強く叫んだその直後、茜色だった空は瞬きする間もなく、一瞬で夜闇のような陰りを作った。
私は空が陰った理由を確かめるため、沈み行く夕陽に視線を向け、その光景を目の当たりにすることになった。
「……っ!?あれは……」
オレンジ色に染まった空を背景にして、その巨大な塊は街の空に浮いていた。
「どうしてここに……じゃなくて――」
いい加減見慣れていたはずのそれではあったものの、私は度肝を抜かれ、顎が外れるくらいの大口を開けることになった。
「――で……でか……ぃ!?こ、この前の比じゃ……!?」
デパートどころか、空を覆いつくさんばかりのスケールを持つであろうそれに、さすがの私も腰を抜かして佇むことしか出来なかった。
「これは……ケートス……?ディオフの取り逃がした個体でしょうか……?まさかこれほど巨大だったとは……」
『なるほど……ケートス……。あの時と同じ……』
相変わらず驚く様子もなくパンドラがそう呟くと、周囲に視線を泳がせた。
釣られるように私も周囲を見渡すと、先ほどまで私たちのことを見ていたであろう野次馬たちは、巨大な金のクジラが現れたというのにも関わらず、気にした様子などまったく見せてはいなかった。
彼らにケートスが見えていないというよりは、彼等自身が意志もなく、ただそこにあるだけのオブジェであるように思え、そこでようやく私は、今置かれている状況が家族旅行の際に発生した“夏那の夢の世界”に酷似していることに気がつく。
「ここは既に私の空間ですの。あなたに勝ち目はありませんの」
芽衣は臆面もなく、強い口調で言い切った。
だが、パンドラはまったく意に介さずといった様子で口角を上げながら鼻で笑った。
『ふっ……そんな小細工したって無駄。大体、迷わないと言っておきながら、私を破壊したいなんてこれっぽっちも思っていない。そうでしょ?』
パンドラが嘲笑を漏らすと、まるで張り合うかのように芽衣はニッコリと微笑んだ。
「その目の弱点を、私は知っていますの」
『――っ!?』
瞬きする時間すらも要さず、芽衣はなんの予備動作もないところから、5メートルはあったパンドラとの距離を一気に詰めていた。
しかし、変化はそれだけに留まらなかった。
「嘘でもハッタリでも、本気でやらないと意味が無い……」
『な……に……!?』
芽衣がパンドラからゆっくり離れると、パンドラの心臓部分にはダガーナイフが深々と突き立てられていた。
「“真理の目”は視え過ぎるが故に過信を招きやすい……。私は大切な人と過ごした幸せな時間を考えながら、あなたとお話をしていましたの。そこに怒りや憎しみなんて湧くはずがありませんの」
『敵意がまったく無かったのは、そういうカラクリか……。この体でなければ即死だっただろうが、この程度で私の体は壊れたりはしない……』
パンドラが自分の胸元からダガーナイフを抜き取ろうと、柄を握ったその瞬間だった。
――バヂバヂィ!!!
『――ぅ!?』
まるで何かが弾けた飛んだような音と同時に、パンドラの体からは目が眩むほどの青白い電光が発せられ、パンドラは握っていた大鎌を地面に落としながら沈黙した。
「物質に意識を宿しているあなたは眠ることを必要とせず、機械と異空現体によって構成されているため、まるで生物のように自己修復も行う。老いもせず、壊れても修復され、他者から力を奪い、無機物でありながら成長もする、永遠永劫止まることなく動き続ける殺戮兵器。ですが、今のあなたはまだ発展途上であり、言ってしまえば経験不足。今のあなたであれば私の力でも十分破壊することは可能ですの」
『め……芽衣……!!』
次の瞬間、再び状況は一変した。
「――っ!?」
『私の前で三度もその力を見せたのは失敗だった』
パンドラは芽衣の背後に一瞬で移動し、芽衣の両手を封じていた。
「――時間の欠落!?まさか……こんなに早く……!?」
『逃げようとしても、もう無駄。私はもうその力を理解し、習得した。アイツを消すまで少し黙ってて。それと、お前もボサっと突っ立ってないで手伝え』
言われるがままに沈黙と不動を守っていたイクスがようやく口を開く。
「……私の出る幕は無かったのでは?」
『五月蝿い。こいつはお前には荷が重い。だからさっさとアイツを捕らえろ』
「そう言われましても……?」
私が居た方向をパンドラが指差すも、イクスは首を傾げつつ、キョロキョロと周囲を見渡す。
『いつの間に……。どこに消えた……?』
「――ここだよ」
私はここぞというタイミングで立ち上がり、高台から声を発する。
すると、パンドラは振り返りながら顔を上げ、私を一目見てその顔色を変えた。
『……!?馬鹿……な……!?』
「春を……花を……そして豊穣をもたらす、希望の女神――シャイニー・フローラ!!』
芽衣が注意を惹き付けている間に隠れて変身を済ませた私は、屋上に設置されていた売店の上にわざわざよじ登り、登場タイミングを窺っていた。
「よっと」
登場シーンを終えて早々に高台から飛び降りると、パンドラは芽衣を突き飛ばし、警戒するように後方へと跳躍を繰り返す。
そして、地面に落ちていた大鎌を拾い上げると、すぐさま身構えた。
「……大丈夫か?芽衣?」
「は……はいですの」
『シャイニー・フローラ……。その姿は……一体……。お前はもう変身出来ないはず……。なのにどうして……』
私が戦力外であることを一番良く知っていたからこそパンドラは動揺し、今までとは明らかに違う態度を私に見せたのだろう。
つまり、相手の意表を突くという私の作戦は、一応の成功を見ることになった。
「パンドラ。お前は私の知るパンドラじゃないのかもと思っていた。だけど、お前は間違いなく世界を絶望に陥れる存在……パンドラだった。信じたくないけど」
目の前に居るこのパンドラが、ノワの語ったパンドラではない可能性があることも私は考えていたし、何より私自身がそう信じたかった。
だが、当人の発言によって、私はパンドラであるという確証を得ることになった。
「イクスと繋がりがあったことや他人の力を奪うその力も根拠の一つだけど、お前が芽衣のことを知っていたことこそが、私にとっては何よりの証拠」
芽衣は自分の痕跡を徹底的に消して回っていた。
だが、パンドラは芽衣のことを知っているばかりか、覚えていた。
「確かに、お前の言うとおり私は皆のことを騙していたかもしれない。じゃあ、お前は何なんだ?自分を否定して、周りに嘘を吐いて、全部嘘だらけ。私と何が違うんだ?」
『何が言いたい……?』
パンドラは私を一層鋭い視線で睨み付ける。
「本当にそれがお前の選んだ“正解”なのか?イノちゃんはこんな私になっても、ずっと私の味方でいてくれた。夏那は私が私でなくなってしまうほうが怖くて嫌だ、私にずっと魔法少女でいて欲しいと言ってくれた。お前はそんな二人に、自分が自分であると胸を張って言えるのか?」
「ちーちゃん……」
祈莉は今の私も以前と同じように接し、夏那は以前と変わらない私を望んでくれていた。
しかしながら、今の私は騙すことしか出来ず、それをどうすることもできなかった。
『黙れ……』
パンドラは大鎌を横に構えたかと思うと、一瞬で私の目前に現れた。
そして、真横に向かって一気に振り抜く。
――キィーン!!
私のスカート部分の花弁が数枚外れ、大鎌を防ぐと同時に軽い金属音を周囲に鳴り響かせた。
『!?』
「……黙らない。私がお前に遠慮する必要なんてないから」
私が左手で大鎌を掴むと、手に絡まるように巻きついていた蔦が意志を持ったかのようにスルスルと伸び進み、大鎌とパンドラの腕を絡め取る。
『くっ……!?』
パンドラがそれに気付いて離れようとするも一瞬遅く、その蔦はなおも伸び進み、やがてその全身を絡み取るように拘束した。
「前の私には戻れない……。だけど、たとえ皆を騙すことになったとしても、私は私であり続けたい……私は心の底からそう思っている……!」
雨のシャイニーパクトをポーチから取り出し、それを見せ付けるようにパンドラに向けて掲げる。
『――っ!?それは……まさか……!?』
「お前はどうなんだ!?今のお前の姿や行動を、あーちゃんに見せることができるか!?」
シャイニーパクトを開き、その鏡面をパンドラへと向ける。
『や、やめ……!?』
パンドラは顔を背けようとするも、蔦によって体は絡め取られており、その視線が鏡から外れることを許さない。
「お前は友達も姉も、魔法少女としても失格だ……パンドラ……。いや……花咲春希……!!」
◇
◆6月29日 午後2時50分◆
『――それはキミが、花咲春希のコピーだからだよ』
私はその言葉の意味がまったく理解できず、オウム返しのように復唱する。
「コピー……?何を言って……」
『説明しよう。一年前、病院に運ばれた花咲春希は一度だけ目を覚まし、リインの死を目の当たりにしたことで心に深い傷を負った。イクスはその機に乗じて花咲春希の意識をS-Reaperで抜き取り、それを開発していた素体に移植し、やがてパンドラが完成した。そして、パンドラは世界に憎しみをぶつけるかのようにこの世界から悪意を滅ぼし、それと同時に全ての希望を刈り尽くした……。これが僕の知っている未来だよー?』
「私の意識を……移植……パンドラが生まれた……。ちょ、ちょっと待って……脳が追いつかない……」
一年間の眠りから目覚める直前、私は病院の一室で目を覚まし、雨の魂が燃え尽きて消えてしまう夢を見ていた。
目覚めた直後の私は、それはただの悪夢だと思って流していたが、それは実際に起こったことであり、雨が死んだその瞬間を私が目の当たりにしていたことも事実だった。
つまり、ノワの話は事実に則しているという部分があり、信憑性が高かった。
だが、その言葉を素直に信じることなど、私には出来るはずもなかった。
「つまり、私がパンドラで私が未来を滅ぼすってことだよな……?じゃ、じゃあ……今ここにいる私はなんだって――」
仮にノワの語ったような未来に進んでいるとするならば、私が未来のパンドラだということになる。
しかしながら、今現在、私の意識はここにあり、イクスに捕らえられてもいないため、少なくとも私がパンドラになる未来には進んではいない。
私はそう考えていた。
『キミは会っているはずだよー?キミと同じ精神複製体に?』
「精神複製体に……会っている……。ま……まさか……!?」
ノワの一言で、私は自分の考えが間違っていることに気付かされた。
言うまでもなく、人格がまったく同じ人間などこの世に存在するはずはない。
だが、その大前提が間違っていた。
なぜなら、私は過去にその条件に当てはまる人物と出会っていた。
「イク……シス……。それじゃあ私は……イクシスと同じように、意識を複製された人間……?」
私がボソリと呟くと、今まで黙っていた夏那が口を開き、声を震わせながら疑問を口にした。
「こ、コピーって……。それって、お姉ちゃんが本物のお姉ちゃんじゃないってこと……だよね……?ノワちゃん……嘘……だよね……?本物のお姉ちゃんはどうなっちゃうの……?パンドラっていう人になっちゃうってこと……?それにどうして、お姉ちゃんが悪いことをしようとしているの……?私には信じられないよ……?」
夏那の“本物の”という言葉に胸を締め付けられるような気分になりながらも、私は唇を噛み締めるように必死に口を噤んでいた。
『信じるも何も、事実だからねー。何せ、全部僕がやったんだからー』
「なっ……!?」
『さっき言っていたように、彼らが“真理の目”を手に入れてしまうという因果は、僕にはどうしても変えることが出来なかった。だから、彼らが“真理の目”を手に入れながら、花咲春希という存在を失わない方法を僕は考え、この結果に辿りついた。幸いにも、花咲春希の体は空っぽのまま放置されていたから、僕がこの体でライアに成りすまし、花咲春希の精神複製体を作り、それを元の体に移植するという方法は十分に実現可能だった。そしてこの方法なら、彼らの目を欺きながら花咲春希が存在する未来へと辿り付ける』
私は頭を抱え、目と耳を塞ぎ、数十秒ほど沈黙した。
「パンドラと同じ意識を持っていて、他人の力を自分の力として行使できる私なら、パンドラと相対しても僅かながらに希望は残っている……。だから、ノワは私が生き延びる未来を選択し続け、パンドラと戦わせるために過去を繰り返してきた……」
夏那は突然走り出し、ノワに掴みかかった。
「そ……それって、お姉ちゃんとお姉ちゃんが戦うってこと……だよね……?どうしてそんなことになっちゃうの……!?どうしてそんな酷い事、お姉ちゃんにさせようとするの……!?お姉ちゃんはどうなっちゃうの……!?そんなの……そんなの悲しすぎるよ!?わからない……!わからないよ……!?」
夏那は溢れ出る大量の涙を地面に溢しながら、崩れ落ちるように地面に跪いた。
「夏那……もういいよ……。そんなに泣かないで……。とりあえず、今日は家に帰ろう?」
「お姉ちゃん……。でもっ……!?」
私は手招きするように合図を送り、夏那を自分のもとへと呼び寄せる。
「……せっかく雨宿りに来たのに、顔は余計に濡れちゃったな」
私はそう言いながら、夏那の顔をハンカチで拭った。
「夏那の気持ちは判ってるよ。私はノワの操り人形になるつもりはない。夏那が悲しむようなことはしない」
「う……うん……」
「ノワ。お前が未来のために苦労してきたことも、私を必要としているってことも理解してる。だから私は、自分が納得のいく答えを必ず見つけ出す。それまで待っていて欲しい」
私がノワの顔を見つめると、ノワは私に背を向けながら答えた。
『構わないよー』
「……ありがとう」
少しでも驚いた!感心した!と思った方はブクマ&評価お願いします!!
(そうすると作者がもっと驚かせてやろうと画策し始めます)
※次回の更新は来年1月になるかもしれません。