第32話 魔法少女は希望と絶望で。(2)
◆7月7日 午後4時47分◆
「……っ!?春――」
その人物はベンチから立ち上がり、驚きを隠せないといった様子で私の顔をまじまじと見つめ返した。
「どう……して……。あっ……!?」
しかしその直後、その人物は我に返ったかのように小声を上げたかと思うと、自分で自分の口を塞ぎ、表情をコロコロと変えながら視線を泳がせ、よそよそしく私に背を向け、何事もなかったかのように空を見上げながら独り言を呟いた。
「あ~……春……はる……ハル……――ハルマゲドンが起こりそうな空ですの~……」
「それはとんでもなく物騒な空だな……」
高度な天然ボケにツッコミを入れつつも、私は歩を進め、ゆっくりと距離を詰める。
すると、その人物は引け腰ながら一歩、二歩と後退し、私を避けるような素振りを見せた。
それでも尚、お構い無しとばかりに私は距離を詰めてゆき、やがて数センチというところまで接近する。
「ええ~っと……。ど、どちら様……ですの……?」
事ここに至っても、まだ白を切りとおすスタンスを崩さない剛情な相手に対して、真っ向から対抗するべく、相手の手首を取り、逃げられないよう強く握り締める。
「……っ!?は……離していただけます……の……?」
私は首を横に振る。
「あんな真似をするようなら、二度と離さない」
「あんな真似とは……一体なんのことでしょうか……。私にはさっぱり……」
「言わなきゃ判らないの?」
私が睨み付けるように目を細めると、その人物は顔を背けるように、私から視線を逸らす。
「忘れていた私がこんなこと言うのは勝手かもしれないけど……私の顔を忘れたなんて、その口で言って欲しくない……。本当に私の顔を忘れたっていうのなら、私の顔をしっかり見ながらそう言って」
手首を強く引っ張って強引に振り向かせ、私は相手の両肩を正面から押さえつける。
そして、真正面から互いに見つめ合う形になった。
「そ、そんなの……ずるい……ですの……」
「ズルいのはお互い様」
その質問が意地悪な質問だと知りつつも、私はそれがもっとも効果的であると考え、あえてその言葉を選んだ。
「私に嘘を吐かないのは、私を信用していたからじゃない。嘘を吐いても意味がないと知っていたから。そうなんでしょ?」
「……」
持参していたリュックを開け、予め用意していたものを手早く取り出す。
そのまま押し付けるようにそれを差し出すと、その人物は驚きながらもそれを手に取った。
「マジカルキャプターメイの……同人誌……」
「主人公の名前がきっかけでもある。だけど、それ以上にこれが私の手元にあったことに私は物凄い違和感を覚えていた。たぶんこれを受け取ってもらえなかった記憶がどこかに残っていて、そのことがずっと心残りだったんだと思う。それを知らないうちに返されていたことがショックだったから私は思い出した」
あの時の私は、迷惑を掛けているからと理由をつけてそれを渡そうとしていた。
だが、その理由は本当の理由とは呼べなかった。
家族旅行の少し前から糸が見えるようになったことで、私は他者との関係性を意識するようになっていた。
その中で、好意を寄せてくれているにもかかわらず、関係性の糸がまったく変化しない芽衣に対して、見えない壁を隔てているような距離を感じていた。
だからこそ、あの時の私は互いの関係が確かなものであるという証拠として、形に残るものを残しておきたかったのだと思う。
だが、結果的にその目論見は失敗し、私には心の傷が残ることとなった。
「……」
その人物は何も言わず、ただただ俯きながら、それを凝視していた。
私は我慢の限界を迎え、少し懐かしくもあるその名を呼ぶ。
「――芽衣」
「……!」
私がその名を呼ぶと、その人物は肩をピクリと動かした。
「今度こそ受け取ってくれないか?友達の証として」
私が芽衣と呼んだその人物は、瞳いっぱいに涙を溜めながら顔を上げた。
「春希……さん……!」
痺れを切らしたかのように私の体を突然抱き寄せ、そして背骨を折らんばかりに強く抱き締めた。
「やっぱり……。春希さんは春希さんですの……!!もう二度と……会えないものだと……!」
私は条件反射的に突き放そうとしかけたものの、そうしなかった。
「抱きつくのは禁止――と思ったけど、再会のハグってことで今回は許してあげる」
――お帰り……。芽衣……。
その言葉を言う資格は無いと、私は自覚していた。
だからこそ言葉にはせず、自分が思い、感じたことを伝えるため、その細い腰に両手を回し、想いの全てを伝えるために強く抱き締め返した。
「……コホン。お二人とも、感動の再会はそれくらいにしていただけます?見ているこちらが恥ずかしくなってしまいますわ」
祈莉は腕を組みながら眉を曲げ、何故か不機嫌そうに頬を膨らませていた。
「……と言いつつ、何でイノちゃんは怒ってるんだ……?」
「怒ってなんていませんわ」
言葉ではそう言いながらも、祈莉は私と芽衣を力ずくで引き剥がした。
「さて……。芽衣さん……と呼んでよろしいでしょうか?私はあなたのことを未だにハッキリと思い出せていませんので、お久しぶりだという感情は残念ながら……」
「……構いませんの」
芽衣は申し訳なさそうに首を横に振った。
「ちーちゃんが以前と変わらずにこうして立っていられるのは、芽衣さんという支えがあったからだと私は思っておりますし、そのことに関しては感謝の念も抱いております……。しかしながら、確かめておかなければならないことがありますわ」
私は祈莉の発言に同意するように大きく頷き、芽衣に向き直る。
「どうやってやったのかは知らないけど、学校のデータベースや町に住んでいたという痕跡も消去して、皆の記憶から自分に関する記憶も全部消した。私のスマホからも連絡先を消して、たぶんその時一緒にその同人誌を返しにきた。別にそのことを咎めるつもりはないし、その方法を聞こうとも思ってない。私たちが聞きたいのはその理由」
私は再びリュックに手を突っ込む。
そして、便せんの中に封入されていた二つの端末を取り出した。
「あそこまで徹底して痕跡を消しておきながら、何故かこの二つだけは私の手元に残されていた。私なりにその理由を考えた」
芽衣はありとあらゆる自分の痕跡を、データから人の記憶まで、徹底的に消していた。
その理由に関してはある程度推察できたが、二つの端末だけを私の手元に残していた理由が定かではなかった。
「入学式の翌日、この二つの端末を便せんの中に入れ、芽衣は私に渡した。それから時間が経って、病室に現れたライアが私に渡したはずの端末を持っていた。だから芽衣は、ライアが私から端末を奪ったのだと誤解し、それを取り返そうとライアに襲い掛かった」
ライアが病室に現れたとき、八代霖裏が捕らえられていると判った段階までは、芽衣は落ち着いている様子だった。
だが、ライアがあの端末を見せた直後から様子が変わり、私たちが見ている状況だというのにも関わらず、ナイフで相手に切りかかるなどという大胆な行動に移った。
当時の私は、その行動が芽衣のものとは思えず不可解な行動だと感じていた。
だが、一度記憶を消された今となっては、その大胆な行動は私たちの記憶を消すことを前提とした行動ということで納得できた。
しかし、その行動の裏を返せば、あの場にいた全員の記憶を消してでも、あの端末を奪い返す必要があったということになる。
「その後、芽衣の意識が異空現体研究所に捕らえられている間に二つの端末の行方はわからなくなり、私が眠ったままの状態になった。目的を果たすことができないと悟った芽衣は、自分が居たという痕跡を全て消すために私の家に侵入し、そこで机の引き出しに入っていた未開封の便せんを発見した。きっと、芽衣は混乱したと思う。だって、あの時ライアに奪われていたと思っていた端末が、何故か未開封の便せんの中にあったんだから」
ライアに奪われたはずの端末が、どういうわけか未開封の封筒に戻っていた――恐らく芽衣の目にはそう映っていたことだろう。
しかし、私たちが当たり前に知っていたことを芽衣が知り得ていなかったからこそ、そんな状況が起こり得た。
「芽衣はメルティ・ベルやメルティ・ミラの存在は知っていた。だけど、彼女たちが変身するところを一度だって見ていない。だから、あの二つの端末を雹果やりんちゃんが所持していたことや、あの端末がメルティ・ベルやメルティ・ミラに変身するための道具であるということを知らなかった」
「――!」
私の言葉に驚きを隠せないといったように芽衣は目を見開き、そして考え込むように地面に視線を向けた。
「それらの状況をまとめると、芽衣は端末に関しては何も知らされないまま、この二つの端末を私に渡すよう誰かに頼まれた。そうじゃない?」
「……」
その問いに芽衣は何も答えず、唇を噛み締めるように口を噤んだ。
「……それでは、私からも一つ。勝手ながら、この二つの端末を解析させて頂きました。まず、これら二つの端末は雹果さんや天草先輩が変身に使用していた端末とまったく同じものでした。また、この二つの端末には異空現体研究所の方々が使用していた“伝承を現実世界に顕現させる技術”と“魔法”を組み合わせた技術が用いられており、位相空間から伝承イメージを抽出し、獣化魔法によって肉体に定着させることで、使用者に魔法少女に類似した能力を与えているということも解明できました」
私が眠っていた一年間、祈莉はライアの残したS-Reaperについて調べていた。
その理由は、私がまったく目を覚まさないのはS-Reaperが使用されたからだと勘繰り、私を目覚めさせるきっかけを掴めるのではと考えたからだった。
結果的にその考えは間違いでは無かったと言えたが、解析は困難を極め、私を目覚めさせるまでには至らなかったと祈莉は私に語っていた。
しかしながら、それらの解明は一週間前を境に一気に進展することとなった。
そのきっかけとなったのが、二つの端末だった。
「ライアさんは以前こう仰っていました。この端末には未知の技術が使われている、自分にはサッパリだと。不思議だと思いませんか?異空現体研究所の技術が使われているというのに、私にはこの端末を容易に解明することが出来ましたし、私しか知り得ないはずの獣化魔法がこの端末には用いられている……。偶然というには出来過ぎていますわ」
祈莉は芽衣の真正面に立ち、その瞳の奥を覗き込むかのように直視する。
「これらの端末を作り、ちーちゃんに渡すよう芽衣さんにお願いしたのは、私なのではありませんか?」
「そ……れは……」
芽衣は肩を震わせながら俯き、言葉を漏らすように呟いた。
私はその様子を見兼ねて、芽衣の両手を取った。
「誰にも相談せず、一人で全てを背負って、一人で全部解決しようとしているのは芽衣の方じゃないか……。自分が存在していたという痕跡を一つ残らず消してしまえば、それは最初から存在していなかったのと同じ……。つまり、因果関係の影響は最小限に抑えられるかもしれない。だけど、そんなことと引き換えに芽衣と一緒に過ごした時間は、皆の記憶から消えた……。でも、私だけは覚えている。芽衣と過ごした時間を無かったことになんてしたくない。短い間だったかもしれないけど、芽衣とあーちゃんと一緒になって泣いたり笑ったりしたあの時間は、私の人生で一番大切で、一番充実していた時間だったって断言できる」
「春希……さん……」
芽衣の頬にそっと触れ、流れ落ちた涙の後を親指で拭った。
「誰かを見捨てて得られる未来なんて私はいらないし、目の前で泣いている友達を放っておくことも私には出来ない。私は皆を笑顔にする。そのためなら何だってするって決めた」
――祈莉だけが解明できた未知の端末を持っていたこと。
――自分が居たという痕跡を消し、因果の影響を少なくしようとしていたこと。
――私が嘘を見破れるということを出会う以前から知っていたこと。
それら全てが、芽衣の正体を物語っていた。
「私は過去を変える。そのために、芽衣の力を私に貸してくれないか?」
「私は――」
芽衣は息を飲み込むように大きく喉を鳴らし、そしてゆっくりと口を開いた。
「――私は春希さんを救い、パンドラの誕生を阻止するため、20年後の未来からやってきましたの……」
『……私は……馬鹿だ』
どこかで聞いたような声が耳に届き、私は咄嗟に振り返る。
「この声は……」
まばらに行き交う人々へと視線を泳がせていると、マスコットキャラクターと同質でありながら似て非なるものというべきか、人々に紛れるようにそこに居ながらも、どこか異質な雰囲気を漂わせているとある人物が目に留まった。
「――っ!?この前の……!?」
黒い布を羽織って全身を包み隠している人物など、私の記憶の中では一人しか思い当たらず、一目見て黒衣娘であると判った。
『あんなことを望んだから、全てを失った……』
黒衣娘は不思議と行き交う人々にぶつかることもなく、一歩一歩と歩みを進め、まっすぐ私たちの方へ向かってきた。
先日起きた一件のことを思い出して気後れしていると、隣の人間は顔面蒼白といった様子で倒れるように尻餅をついた。
「芽衣……っ!?」
「そ……そんな……どうして……!?まだ時間はあったはず……!?」
「……あいつを知ってるのか?」
芽衣は私の声すらも届いていない様子で、顔は青ざめ、全身を震わせ、今まで見たこともないほど怯えていた。
『望まなければ、失うことはない……わかっていたことなのに……』
「と、止まりなさい……!?それ以上、近付かないで……!!!」
芽衣が拒絶するように叫ぶと、賑やかだった周囲が静けさに染まった。
『近付くことも……そればかりか、生まれてくることすら望まれていなかったなんて……笑わずにはいられない……。はは……ははははは……!!!』
黒衣娘は突然大声を上げながら笑い出し、周囲の人間たちは何が起きたのかと足を止めた。
だが、まるで黒衣娘だけが止まった時間の中で動いているかのように、一歩一歩と着実にその距離を詰めていった。
「――待て。それ以上、芽衣に近付くな」
私が二人の間に割り込むと、黒衣娘はこれ以上無いほど不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
『お前は……また私の邪魔をするのか……。忠告したはず……私の前に顔を見せるな、と……』
「どうして私を毛嫌いする?私がお前に何をした?というか、お前は一体何者なんだ……?」
私が問い返した瞬間、空気が一瞬にして変わり、冷たくなっていくのを私は全身で感じた。
『――っ!?お前は罪を重ね続けておきながら、それを知りもせず、無実だと主張するのか……。私はお前の存在そのものが気に喰わない……。何もかも、だ……。その顔が……その声が……その正義感が……その全てが……!!』
次の瞬間、まるで燻っていた火が一瞬にして燃え上がるように、その体から膨大な量の殺意の胞子が放出された。
「!?」
身の危険を察知したのも束の間に、次に私が瞼を開いたときには、視界一杯に地面だけが映っていた。
「……なっ!?ぐはぁ!?」
腹部と首の付け根あたりに重い衝撃が走ったのを後から知覚し、自分が一瞬にして二度の攻撃を受け、自分が地面に倒れ伏していることを、今さらになって認識した。
状況を理解する間もないまま痛みを堪えていると、間髪入れずに側頭部に重たい衝撃が走る。
「ちーちゃん!?」
『動かないで』
私の側頭部は黒衣娘によって踏みつけられ、私は起き上がることもままならず、私は羽をもがれた虫のように、もがくことしか出来なかった。
『貧弱……無能……無様……。あまりにみすぼらしいから放って置こうと思っていた……。けど、目障り……。だからここで消す……』
「勝手だな……!?私は……お前に消される理由はない……!!」
私が苦し紛れに叫ぶと、黒衣娘は鼻で笑った。
『ふっ……。私にはその権利がある。お前を裁く権利が』
「これはこれは……。この状況は理解に苦しみますねー?」
人がひとり殺されかけているという状況にも関わらず、拍子抜けするような声が聞こえ、私は首が動かないながらも視線だけを動かす。
すると、声の主であろう見覚えのある男が立っていた。
「イ……クス……!?」
右目に眼帯をしているという点だけは以前と違っていたが、それ以外は駅前で出会った時と同じような風貌をしていた。
「おや……?あなたは……。しかし、どうして動――」
『――黙っていろ!お前の出る幕はない!!』
イクスの言葉を遮るように、黒衣娘の一喝が飛んだ。
「……これはこれは失礼しました。ですが、この場所では何分人目が多いゆえ、目立つような行動は控えて頂きたく――」
イクスは野次馬を気にするかのように、流し見るような視線を周囲に送った。
だが、イクスの言葉に反するかのように、足蹴にしている左足に一層力が込められ、私の頭部は更なる圧力に軋むような音を上げた。
「ぎぃ……!?」
『くどい……。私は黙っていろと言った……。私は私のしたいようにする……私の邪魔はするな……!』
イクスはやれやれと言いたげながらも、それ以上口出しするようなことはしなかった。
『いずれ滅ぼすのであれば早かろうが遅かろうが変わらない……。今すぐこの忌々しい場所を消し去ってしまうのも悪くないな……』
「ほろ……ぼす……?まさか……お前……!?」
芽衣が一目見て怯え、私を殺したいほどの恨みを持ち、イクスが目上のように扱い、いずれ滅ぼすなどと大口を叩く――そんな存在に私は心当たりがあった。
「パン……ドラ……!!」