第32話 魔法少女は希望と絶望で。(1)
◆6月30日 午後3時◆
私がポケットからそれを取り出すと、ノワは怪訝そうな表情を浮かべながら首を傾げた。
『シャイニー・パクト……?それがキミの言う証拠?』
私は首を振ってやんわり否定をすると、シャイニー・パクトを両手で大事に包み込みながら、祈るように額に押し当てる。
「……まあ、見てて。ノワの言う勘違いこそが勘違い。お前のしてきたことは無駄じゃなかった」
『……?』
気を引き締めるようにシャイニー・パクトを強く握り直し、おもむろに真正面に掲げる。
そして、深く息をするように肺へと空気を送り込み、高々とその言葉を叫ぶ。
「――光輝く、希望の花!」
静寂に沈んだ空間に声が響き渡ると、シャイニー・パクトは私の声に応じるように光を帯びはじめ、やがて周囲に浮かび上がった光の粒子たちが、呼び寄せられるかのように集まりはじめた。
――ありがとう……あーちゃん……。
「真の輝きと、理の音色に導かれ――」
空を撫でるように腕を大きく動かすと、光の粒子は帯のような形を成しながら指先を追従し、私の周囲で円を描くように周回をはじめた。
そして、薄く透き通った布のような光の帯を幾重にも織り重ねるよう、私の体は舞を踊るように何度も何度も回転を繰り返す。
無論、例によって私の意思はそこになく、私の体は操り人形のごとくフルオートでそれを行っている。
『これは……』
光の帯たちは繭のような形を作りながら私を包み込み、そこに太陽が存在するかのように、目が眩むような輝きを帯びてゆく。
程なくして、何の前触れもなく私の体は回転を止め、迷うことなく輝く繭へと手を伸ばす。
「――今、新たなる光とならん!」
指先が光の繭に触れたと同時に、周回していた光は電流が伝わるかのように全身へと駆け巡り、オーロラのような七色の輝きを放ちながら皮膚へと吸い付いてゆく。
「春を……花を……――そして豊穣をもたらす、希望の女神――」
光のヴェールが私の全身を包み終えると、ド派手な効果音と共にそれらは光の粒子となって弾け飛び、雪のように降り注ぐ光となった。
「シャイニー……――フローラ!!」
ドヤ顔状態で変身のお披露目を無事に終えた私は、引きつった顔をそのままに、すぐさまその場に蹲った。
「……恥ずぅ!!?」
その姿を一言で言い表すとすれば、花の妖精のような姿だった。
大きな桜の花弁をすっぽり被ったようなスカートと、植物の葉を模したポンチョの胸元には小さなさくらんぼがあしらわれ、蔦で絡めとられたようなデザインの手袋やハイヒール、頭部に乗せられたヘッドドレスには赤、白、黄色と無数の花が咲き誇り、更にはビビットピンクだった髪の色は一転してエメラルドグリーンへとイメチェンの如く変色し、地面に触れるか触れないかというところまで不思議と伸び揃っていた。
しかし、私が特に物申したい点はそれ以外の部分だった。
「何だ、この恥ずい格好!?ファンタジー感出しすぎだろ!?」
特徴的な装飾以外の大部分はタイツのようになっており、凹凸の無い私のボディラインが恥ずかしげもなく強調されているばかりか、腰から脇腹にかけては丸出し状態のヘソ出しルックになっているわで、大惨事になっていた。
「というか、ナニ、女神って!?ファイナル・フォームとかで良くない……?いやいや、大体なんで女神……?どの顔がって話じゃん……。自分で女神なんて言うの恥ずいし、言わされるほうの身にもなれっての……!これ、なんかの罰ゲームか……?」
ファイナルが最後じゃない問題は往々にして存在するものの、私のような顔面偏差値平均点のモブが堂々と“希望の女神”などと名乗るほうがよっぽど詐欺っぽくはあるし、何よりも自分自身へのメンタルダメージがボディブローのように効いているので、そのあたりを改善してもらいたいものだと、私は心の中で声を大にして訴える。
「けどまあ……仕方ないか……。私はもうレムじゃないわけだし……。名前が変わったのもちょうどいいのかもしれない……」
私は恥ずかしいながらも覚悟を決めて立ち上がり、ノワへと向き直る。
「というわけで、これから私はシャイニー・フローラってことらしいから。よろしく」
『もしかして、その姿は……』
私がどういった意図でこの姿を見せたのかを、ノワはすぐに察したようだった。
「ミラ・フォームやこの姿は、ノワが予め用意していたものじゃない。そして、この姿はお前が勘違いしていたという証明にもなる」
ノワは以前、ミラ・フォームは自分が用意したものじゃないと言っていたことがある。
あの時の私はその言葉すらも疑っていたが、今となってはそれが本当のことだったと断言できた。
なぜなら、この姿はノワが生み出したものでありながら、ノワ自身が知ることのなかった姿なのだから。
「ノワ。お前はパンドラを倒すことが出来るとすれば私しかいないと言った。だからこそ、私がお前の頼みを受け入れる未来に辿りつくまで何度も同じ時間を繰り返し、私が断った場合は、その日その瞬間から過去に戻っていた……。逆を言えば、その先の未来がどう変わっていたのかをお前は知らない。そうでしょ?」
パンドラを倒すことの出来る可能性が私にしかないという理由については、理解もしているし納得もしている。
だからこそノワは過去との空間を何度も繋ぎ直すことで、この領域が生まれてからの一年数ヶ月という期間を幾度となく繰り返し、パンドラを倒す可能性を持っている私に魔法少女の力を取り戻させ、何とかしてパンドラを倒させようと手練手管を使って暗躍していた。
しかし、それは前提から間違っていると言えた。
「希望が失われる未来を憂いていたのは、お前一人だけじゃない……」
ノワが未来を変えようと行動したことによって、私と夏那の関係は深まり、ケートスを無事に救い出すことを成し得た。
その後、ケートスの力があったお陰で八代霖裏の窮地に駆けつけることが叶い、その命を救うことに繋がった。
一つずつを見れば僅かな変化だったかもしれないが、それらは連鎖反応を起こすように変化をもたらし、現在に大きな影響を与えている。
恐らくそれは、未来に関しても同じことが当てはまると言える。
“私にしかパンドラを倒せる可能性はない”という固定観念に囚われすぎるあまり、ノワは過去ばかりを見て、未来には目を向けてこなかった。
だが、可能性は無いと見限って、幾度となくノワが切り捨ててきた膨大すぎる時間の中で、人知れず変化は起こり、それは生まれていた。
「私がお前の話を断ったのは、未来に失望したからでも、自分の境遇を嘆いたからでもない……。未来を変えようとするのは、現在を生きようとする人間のすること……。それは私の役割じゃない」
繰り返されてきた時間の中で、私という可能性が生まれた。
しかしそれは、篩に掛けられて取り除かれてきた結果、最後に残った可能性の一粒がたまたま私だったというだけに過ぎない。
私は可能性であっても、本物の希望にはなれないと自覚している。
だからこそ、私がやるべきことは決まっていた。
「私の持つ“可能性”は“小さな可能性”でしかない。最初から分の悪い賭けだと言ってもいい。そんな可能性に望みをかけたとしても、結末は知れている。だから、私はその“可能性”を相応しい者に託し、“希望”に変える……。きっとそれが“可能性”である私の役目なんだ」
◇
◆7月7日 午後4時30分◆
「――ここです」
「ここって……」
そう言われ、私と祈莉は空を仰ぐように首を上げる。
案内されたその建造物は、堂々たる様子でそびえ立っていた。
「デパート……?」
「変わらない……。というより、ようやく戻ったんだろうな……」
その場所は、罪の意識から私があえて近付くことを避けていた場所だった。
寄り付きすらしなかった私には、ここ数年の様子は分かる筈もなかったが、恐らく以前に戻ったであろうことだけは一目で察しがついた。
「あれから六年も経ちますからね……」
まるで大きな災害が起こったことなど微塵も悟らせないどころか、まるでその復活を祝福するかのように多くの人々が集まり、以前のような活気を取り戻していた。
私はその様子を見ることが出来たことで、少しばかり救われた気持ちになった。
「……ここの屋上から、微かに反応が感じられます」
方角や漢字やらが描かれた手の平サイズの板にペンデュラムを垂らし、八代霖裏は私にそう告げた。
「こんなところに……?本当にいらっしゃるんですか……?」
「疑っているのですか?私、こう見えても占いには自信があるので。間違いなどありえません!」
八代霖裏は私よりもふたまわりほど大きい胸部を強調しながら、キッパリと断言した。
「……さて。それでは、私の役目も済んだようですので、私はこれで」
敗北感に似た感情を現在進行形で抱いている私に押し付けるように、八代霖裏は捜索のために貸していた手紙を私に手渡した。
そして、くるりと踵を返し、私たちに背を向けて歩き出した
「ちょっと待って」
私が呼び止めると、八代霖裏は立ち止まり、少しだけ不機嫌そうな顔をしながら私を睨み返した。
「まだ……何か?」
「いや、まだお礼を言ってなかったから。手伝ってくれてありがとう」
なぜか安堵したように小さな吐息を吐きながら、八代霖裏は言葉を返す。
「そんなことですか……構いません……。どのみち、お姉さんとは金輪際関わるつもりはないので」
「……なるほど。夏那から頼み込んだとはいえ、嫌な役回りさせて……ごめん……。でも、一つだけ聞かせてほしい。それならどうして、私の頼みごとを断らなかったの?」
私が捜索している人物は、痕跡すら残さず、人の記憶からも消えてしまうという非常に厄介な相手だと言えた。
当然ながら、私が思い当たる場所に目星をつけて足を運んだところで、簡単に見つかるようなものではなく、捜索を開始してから既に一週間も経過しているというのに、痕跡の一つも見つけることが出来ていなかった。
そこで私は、八代霖裏は物探しの占いが得意だと天草雪白が口走っていたことを思い出し、わざわざ夏那に話を通して捜索協力を仰いだ。
意外にもあっさりと協力はしてくれたのだが、雹果同様の恨みを買っている可能性は多分にあり、私の頼み事を何の見返りも無しに聞いてくれるとも考え辛かったので、こうして文句一つ言わずに同行しているという状況に私は疑問を抱いていた。
「嫌な役回り……ですか……。そうですね……」
「……?」
八代霖裏は再び溜息を吐き、仕方ないと言いたげに口を開いた。
「……お姉さんに命を救われたのも事実ですし、その御恩を返さないのは八代家に身を置く者として恥ずべき行為だと考えました……それだけです。雹果姉さまはともかく、雪白姉さまは恩義を感じていたようですし……」
「恩義……?」
私が繰り返すように呟くと、八代霖裏は自分の口を慌てて押さえた。
「く……口が滑りました。今のは聞かなかったことにしてください。それでは失礼します……!」
誤魔化すような捨て台詞を残しながら再び踵を返し、、八代霖裏は一歩踏み出そうとする。
「お待ちになってください!?」
立ち去ろうと横を向いた瞬間、祈莉は慌てた様子で声を上げた。
「雹果さんも霖裏さんも、誤解してらっしゃいます……!確かに、元々の原因を作ってしまったのはちーちゃんかもしれません……。ですが、その責を問うのは間違いだと思います!!力及ばずにあのような結果になってしまったのは……その……残念でした……。ですが、それであればあの場に居た私にも責任はあるはずですわ!?ちーちゃんだけに全て押し付けるのは絶対に間違っています!!だって、何よりもあの事件で一番心を痛めているのは――」
祈莉の言葉に一瞬だけ足を止めたものの、八代霖裏は構わずそのまま背を向け、背中越しながらに口を開く。
「間違いでも勘違いでも構いません……。私には関係ありませんから……。ですが、姉上方の様子を間近で見てきて、私が抱いているこの苦痛は間違いなく本物です……。それを否定する権利はあなたにはありません……」
「それは……」
徐々に熱を帯びてゆく論争を見かね、私は争いの発端ながらも仲裁に入る。
「いいんだよ、イノちゃん。私が原因であることは事実。開き直るつもりはないけど、一年も眠っていたから天草先輩との約束も守れなかった。今の私の言葉には、信じてもらえるだけの説得力はない」
「ですが、このままではちーちゃんが悪者みたいです!これじゃあ、あの時と――」
その言葉を遮るように、私はその勘違いを跳ね除ける。
「――りんちゃんは怒ってもいないし、私のことを恨んだり憎んだりもしていない。私とどう接するべきかを迷っているだけ」
「――っ!?」
その言葉に一番驚いたのは祈莉ではなく八代霖裏だったようで、すぐさま振り返り、眉尻を上げながら私を睨み付けた。
「“真理の目”……。やはり、あのお話は本当だったんですね……。人の心を勝手に覗き見て、嘲笑って……さぞかし気分が良いのでしょうね……?」
落ち着いた様子ながらも、言葉では強めに罵るように呟く。
だが、私はその言葉に気を害するなどということもなく、平然と切り返す。
「自分に笑顔を向けている相手が自分を嫌ってるって一目で判っても、都合が良いだけで気分は良くない。まあでも、この目のお陰でりんちゃんに嫌われていないってわかって、私は安心してるけど」
恐らく、雹果あたりから“真理の目”が人の感情を視ることができることなど、その詳細について聞かされ、その力を私が有しているということも知らされているのだろう。
だからこそ、怒りや嫌悪などの負の感情を見せていないにも関わらず、“嫌な役回り”という私の言葉を肯定したと考えられた。
「虚勢を張っても全てお見通し……というわけですか……。本当に嫌な役回りですね……まったく……」
どこか天草雪白に似た言い回しをしながら、八代霖裏は視線を逸らし、小さく頷いた。
「お姉さんの仰るとおり、私は迷っています。雪白姉さまはあのガサツ女が死んでからはひどく落ち込み、責任を感じてらっしゃいます。少なくとも、お姉さんを恨んでいるようには思えませんし、トウガ様とちゃんとした別れが出来たことに感謝の念すら抱いているようでした……。ですが、雹果姉さまはあの一件以来、お姉さんのことを快くは思っていない……。それでも、お姉さんは夏那さんのお姉さんで、私の命を救った恩人でもあります……。だから、私はどうするべきか……どうあるべきことが正しいのかをずっと考えていました……」
「どうあるべき……か……」
八代霖裏が抱える“苦痛”の意味を理解し、私は目を閉じる。
「今回は御恩を返すためにお姉さんに協力しましたが、これっきりです。これ以上お姉さんには関わりません」
全てを出しきるように言葉を並び終え、八代霖裏は大きく息を吐いた。
「そう……。りんちゃんは偉いな……。私はそれで構わないよ。それに恩知らずだなんて私は思わないから安心して」
「偉い……ですか?私は偉くなんてありません……」
「誰も傷つけたくない?」
「……それも、“真理の目”の力ですか……?つくづく便利な力ですね……?」
「違うよ。これは簡単な推察。りんちゃんが一番気にしているのはそこじゃない。りんちゃんがそのことを気に掛けているのなら尚のこと、夏那と距離を置こうだなんて考えて欲しくない」
「なっ……!?どう……して……!?」
信じられないといった様子で、八代霖裏は私の言葉に目を見開いた。
「自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じて知る。そして、知り得た情報をもとに、自分の頭で考え、何を信じるかを自分の意思で判断する……。結局のところ、自分の選択に答えなんてないし、自分が後悔しない道を選ぶことしか出来ない。少なくとも私はそうしてきた。だから、りんちゃんが真剣に考えて出した答えなら、誰だってそれを否定することは出来ない。だけど、夏那やりんちゃんの関係に私たちの揉め事を持ち込むのは絶対に間違ってる。だから、りんちゃんには自分が後悔しないと思った選択をして欲しい」
私がそう告げると、八代霖裏は俯き、暫くの間黙り込んだ。
そして、数十秒もの沈黙のあと、ようやく口を開いた。
「……私からも一つ聞かせてください」
「なに?」
「夏那さんとお姉さんは実の姉妹ではないと、夏那さんは話してくれました……。それなのにどうして、お二人の仲は……その……そのような関係なんですか……?」
「夏那が自分で……?そうか……夏那が……」
夏那が自分からプライベートな話をしていたということに、私はまず驚いた。
だがそれと同時に、自らそのことを打ち明けるまでに妹が成長していたことや、そんなことを打ち明けることの出来る友人が目の前に存在しているということに、私は喜びに似た感情を抱いていた。
「私と夏那の関係……だっけ……?私は姉で夏那は妹……。姉って肩書きがある以上、私は妹のことを守りはするけど、それは姉という立場に与えられた役目でしかない。戸籍上そうってだけで、“姉妹”というのは私たちの関係を表わした言葉ではないと私は思ってる」
その質問は恐らく、八代家と私たち姉妹の境遇を重ね、自分と姉たちとの関係を比較して出た言葉なのだろう。
しかし、境遇は似ていたとしても、私と夏那の関係は八代家のものとは根本から違っている。
寄せ集めの家族である私たちには、最初から繋がりと呼べるものなど何一つなかった。
同じ屋根の下で暮らすことを強いられ、姉と妹という役割を与えられ、名前以外の互いの情報は一切明かされもせず、言うなればゼロからのスタートだと呼べた。
そんな状況下であれば、下手をすれば同じ家に住むだけの他人同士になっていたかもしれない。
だが、それでも私たちは長い時間を過ごす間に家族となり、姉妹となることが出来た。
でも、それは結果的にそうなっただけで、そうなれと言われてなったわけではなかった。
「……?」
八代霖裏はしかめっ面を浮かべ、眉をハの字に曲げた。
「私に出来ないことを夏那は出来るし、夏那は私のことを尊敬してくれてる。どちらかが上でも下でもなくて、遠い関係でもない。近い言葉で言うのなら、たぶん“友達”に近い関係だったんだと思う」
私と夏那は同じ時間を一緒に過ごすうちに、互いが互いのことを気にするようになった。
そして、互いのことが気に入り、好感を持ち、好きになり、一緒に居たいと思える存在になった。
その経緯だけを見れば、それは友達という関係となんら変わりはない。
きっと私たちは、“姉妹”という関係が始まる前に“友達”だったのだと思う。
「きゃはは……!姉妹で友達ですかー……。これではまったく参考になりませんねー……」
八代霖裏は口ではそう言いながらも、どこか嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「……ですが、判断材料の一つにはなりそうです」