第31話 魔法少女は変わりゆく世界で。(5)
◆6月29日 午後2時35分◆
ノワは私の瞳の奥底を覗き込むかのように、その澄んだ青い瞳を私に向けていた。
「可能性……?パンドラを……私が倒す……?」
私はその眼差しと目を合わせ続けることが出来ず、視線を逸らして俯く。
「人類を滅ぼすような奴と、自力で立つことすら出来もしない私が戦うなんて……普通に考えて出来るはずがないだろ……」
私は今の自分を卑下しながら、ノワの言葉を真っ向から否定する。
だが、そう答えることはお見通しといったように、ノワは私に告げる。
『僕は前に言ったはずだよー?僕はキミを選んだ。キミならその意味を理解できるんじゃないかい?』
「私を……選んだ……。それがなんだって――」
言いかけたその瞬間、以前ノワが似たようなことを言っていた時のことを、私はふと思い出した。
そして、私はようやくノワが言わんとしていることを察した。
「――っ!願いの力は無限の可能性を秘めている……。つまり、私があーちゃんの死を受け入れず、生き返らせることが出来ると信じている間は魔法少女の力を失うことはない……」
雨が魔法少女になれたように、願いは願った者の“こうありたい”というイメージによって具現化しているため、それが実在するかどうかは関係なく、願いを叶えることは可能だと考えられる。
また、願いは継続するものであり、私の願いは今もなお叶い続けられている。
それらを併せると、私の願いの発端である雨が命を落としていたとしても、私の中に“雨という存在のイメージ”さえ残っていれば、私の願いは叶い続けられることになる。
それはつまり、私が雨という存在を忘れることがない限り、私が魔法少女の力を失うことはない――ノワは私にそのことを伝えたかったのだろう。
「ノワは最初からあーちゃんが生き返らないと否定する気なんかなかったんだな……。そんなことをすれば、私が魔法少女の力を失い、パンドラを倒す手段の一つが消えることになるから……」
私が雨の死を受け入れようとしていたとき、ノワが唐突に未来の話をしはじめたのは、それを受け入れた瞬間、願いの力を失うと同時に魔法少女の力も失われ、私がパンドラを倒すという目的を果たすことが出来なくなってしまうからだと私は気付いた。
「もしそれが本当なら、人の心を理解したっていうのはお前の勘違いだ……ノワ……。お前はこれっぽっちも人の心を理解していない……」
私の中の何かが吹っ切れたように、その言葉たちが次々と口から溢れ出た。
「お前はいつだって人の心を弄ぶように私たちを騙して苦しめる……。私があーちゃんの死を受け入れようとしているのに、それすら許してくれない……。私がこんな体になって皆に迷惑を掛けてるのに、お前はまだ私を戦わせようとしてる……。もうたくさんなんだ……!私は望んで魔法少女になったわけじゃない……!あーちゃんが居たからやってきたし、やってこれた……それだけだ……!!未来がどうだとか、世界を救うとか、正直どうだっていい!!私はもう……何も失いたくない……!!頼むから、これ以上私から奪わないでくれ……!私を……私を……っ!!自由にしてくれ……」
私は息も絶え絶えながらに、全てを吐き出し終える。
すると、間髪入れずに私の身体は強く締め上げられるような感覚に見舞われた。
「――お姉ちゃん……!もう無理しないで……!!」
「――っ!?夏……那……?」
私の体はその小さな体に抱き寄せられ、僅かながらも温もりに包まれた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい……私、嘘ついてた……」
「嘘……?」
抱き寄せられた状態だったため、夏那の表情を窺い見ることは叶わなかった。
だが、その声はなぜか震えていた。
例えるなら、何かに恐怖し、怯えているかのようだった。
「さっきはお姉ちゃんはお姉ちゃんのままだって言ったけど、あれは嘘なの……。目を覚ましてからのお姉ちゃんは、ずっと辛そうで、苦しそうで、我慢しているように怒っていて……まるで別人みたいだと思った……」
夏那の言葉に、私は何も返すことが出来なかった。
なぜなら、それは言葉通りだったから。
目を覚ましてからの私は、文字通り何もすることが出来なかった。
寝ていることしか出来ず、ベッドから離れるにも人の手を借り、食事を摂ることも、用を足すことさえ自分一人ではままならなかった。
そんな生活を数日も繰り返した頃、私は頼ることしか出来ない自分が情けなくなり、そしてそんな自分に怒りさえ覚えはじめていた。
夏那はそんな私の様子を見て、私を別人などと表現したのだろう。
「『お姉ちゃんは前のままでいいんだよ』なんて、怖くて言えなかった……。お姉ちゃんは私やお母さんに気を遣わせないように、いつもどおりに振舞おうとしてた……。だけど、そんなこと言ったら、お姉ちゃんが傷つくかもしれないと思った……。だから今日、お姉ちゃんを外に連れ出した……。センパイと三人で顔を合わせたら旅行の時みたいに……お姉ちゃんが前のお姉ちゃんに戻るかもしれないと思ったから……」
一番近くで同じ時間を過ごしてきた妹から“別人だ”と言われたのはもちろんのこと、妹に心配を掛けていたというのにまったく気付かなかったことや、私が必死に隠そうとしていたことが完全にバレていたこと、さらには妹のことを知らず知らずのうちに怖がらせてしまっていたことなど、その暴露は私に複数の衝撃を与えた。
「……お姉ちゃんは変わろうとしてるんだよね?辛かったことを繰り返さないために、大切なものを必死で守ろうとしている……。その気持ち、私にはすごく良くわかるよ……?でも、今のお姉ちゃんは自分に嘘をついて、無理に変わろうとしてる……。私たちに迷惑を掛けたくないから、雨さんのことや魔法少女だったことも無かったことにしよう……だから忘れようって……」
夏那は実の家族から存在を忘れられ、全てを失った過去がある。
そのため、家族というものに人一倍固執し、その関係を守ろうと人知れず努力を重ねてきた。
きっと、同じ想いを抱いていたからこそ、夏那には今の私がどんな状況なのかを敏感に察知したのだろう。
「お姉ちゃんが魔法少女を嫌いになるはずない。それに、私は迷惑だなんてこれっぽっちも思ってないよ?私はお姉ちゃんがお姉ちゃんじゃなくなってしまうほうがずっと怖いし、ずっと嫌なんだよ?」
「私が……私じゃなくなる……」
夏那の言うとおり、私は失うことを恐れていた。
これ以上大切なものを失わないために、私は今という状況を守ろうと必死になっていた。
だからこそ、私は以前と同じように振舞っていたつもりだった。
だけど、それは皮肉にも逆効果だった。
周囲の環境が変わったからでも、大切なものを失ったからでもない。
変わったのは私だった。
以前の私と今の私を比較している時点で、私は既に以前の私とは呼べない。
私は今を守ろうとするばかりに、無意識のうちに自分のことを自分で変えてしまい、それによって残された大切なものを失いかけているということに、ようやく気付いた。
「だから私は……お姉ちゃんはずっと魔法少女のままでいてほしい……!!」
私は夏那の背に片手を回し、自分に出来る最大限の力で夏那を抱き締め返した。
「お姉……ちゃん?」
「ありがとう、夏那……。確かに、今の私は私らしくない……。私は最初から諦めたり、決め付けたりはしない……」
私はそっと夏那の肩を押し返し、静かに頷く。
すると、夏那は私の顔を見て何かを悟ったように、ニッコリと笑いながら嬉しそうに頷き返した。
「……ノワ。私は私なりの結論が出るまで、私の出来ることをする。だから、パンドラを倒すことに協力するかどうかはそのあと決める。それでいい?」
『前向きに頼むよー?』
私は背筋を伸ばし、天高く右手を掲げる。
そして、見えない何かを掴むように拳を握り締めた。
「……そうと決まれば、情報収集開始。早速一つ目だけど、パンドラを倒せるのが私しかいないってことはないはず。大体、過去に空間を繋ぐなんて芸当が出来るなら、異空現体研究所をお前が自分自身で潰しにいけばいいだけの話……。なんでそうしない?」
過去に自由に介入出来るのであれば、大抵のことはなんとかなるはずだと考えられた。
そうしないことには理由が存在する――つまり、そうしていないことにこそ理由が存在するはずだった。
『ザンネンだけど、空間を遡ってこの場所と繋ぐことが出来るのは、僕がこの地に根付き、この空間が安定したその瞬間まで。それと、僕が直接干渉が出来るのはこの空間に居る誰かか、魔蒔化の種を通して繋がることの出来る体だけ。僕自身はここから一歩も外に出たりすることは出来ないんだー』
「この空間が出来た……ってことはつまり、去年の4月頃までしか戻ることが出来ない……?ハーマイオニーに魔蒔化の種を渡していたのは過去に干渉するための手段で、種を渡したのもその時だったってことか……」
『そういうことー』
以前、異空現体研究所は私たちが魔法少女として戦っていた頃から活動していたとノワは言っていた。
つまり、異空現体研究所という組織はかなり以前から存在していたことになり、去年の4月に遡ったところで根本から叩く事は不可能だと言えるだろう。
「それじゃあ、もう一つ。パンドラは“真理の目”を持っているって言っていたよな。つまり、それが無ければパンドラは完成しない。だとすれば、“真理の目”を持つ私が無事なら、パンドラが創られることはないんじゃないか?」
単純な話ではあるが、パンドラが創られることがなければ世界から希望が失われることもなく、私が倒す必要すらなくなる。
パンドラに必要不可欠なパーツである“真理の目”が異空現体研究所に渡らなければ、パンドラが完成することはないため、“真理の目”を有する私自身が無事であれば全て解決するのではと私は考えていた。
だが、事はそう単純な話では済まなかった。
『これまたザンネンー。彼らはもう“真理の目”を手に入れちゃっているんだよねー。まあ、キミにそんなことを言ってもピンと来ないだろうけどー?』
「なっ……!?それじゃあ、私以外の誰かから“真理の目”を手に入れたってことか……?いや……でもそれなら、ケートスの力を使って“真理の目”を奪われないよう因果を変えてしまえば――」
私が矢継ぎ早に代案を出すと、ノワは私に背を向けながら首を横に振った。
『今のケートス君の力であれば一年くらいなら遡って因果を変えることは可能かもしれないけど、それは彼に大きな負担を掛けるし、そもそもそれじゃ意味がないんだよねー?』
「意味がない……」
その言葉の意味を考え、私はすぐにその答えへと辿りつく。
「そうか……。そんなことをしても、“真理の目”がなくなるわけじゃない……」
ケートスの力で因果を書き換え、もう一つの“真理の目”が異空現体研究所の手に渡らないようにすること自体は可能だと考えられる。
だが、それは“真理の目”を奪われるという因果を変えることまでは出来ない。
「“真理の目”が手に入らなければ、奴らは再び私を狙ってくる……。だけど、それを防ぐ手立てもない……。だから、意味がない……そういうことだな……?」
手近に眠ったままの私が居たのであれば、奴らの魔手が再び私へと伸びるのは必然と言える。
異空現体研究所が私をすんなり見逃してくれるとは思わないし、居場所を突き止められる何らかの手段を講じていると考えたほうが自然だろう。
仮に迎え撃つ場合、雨であればイクスと対等に渡り合えたかもしれないが、以前の戦い同様、雹果や祈莉だけで私を守りきることは相性的に難しいものがあるだろうし、何より今の雹果が協力してくれるとも思えないため、異空現体研究所が私の持つ“真理の目”を奪いに来た場合、それを防ぐことの出来る人間も居ない。
つまり、他の“真理の目”を異空現体研究所が手に入れるという因果を書き換えたところで、異空現体研究所が“真理の目”を手に入れることはほぼほぼ避けようがないと言えた。
「過去に戻れても去年の四月までで、“真理の目”は既に相手の手に渡っている……。つまり、パンドラが創られるのも時間の問題か、もしくはもう既に創られているか……。もし完成していた場合、“真理の目”を有している以上、下手な小細工も通用しないし、真正面から戦って倒すしか方法はない……」
パンドラがイクスシリーズの後継機であると考えれば、その体は霊的なものを受け付けないことは変わらず、敗北させられた相手として、天草先輩や雨の戦闘データは当然ながら有しているだろうことも予想の範疇である。
そう考えると、スピードやパワーが以前より向上しているのはほぼ間違いなく、倒すための難易度は上がっていると断言できる。
さらに、私と同じ“真理の目”を得たことでエネルギーの流れを視認出来るようになったと仮定すると、人間では到達しえない身体能力と思考能力も合わさって、未来予知に近いことが可能になるのではと、私の脳は答えを弾き出した。
「ちょっと待て……。えっと……マジで勝つ方法なくない……?そいつ……?」
『僕もそう思うよー』
ノワが頭を悩ませている理由がおおよそ理解でき、私も同様に頭を抱える。
しかし、私の思考がそこまで到達したところで、私はようやく最初の疑問へと立ち戻った。
「そういえば……パンドラを倒すことが出来るとすれば私しかいないって言ってたよな……?その根拠はなに……?」
ノワは私たちに横目で視線を送ったかと思うと、少しだけ迷った様子で眉を曲げた。
「……?」
そして、目を深々と瞑り、何かを決意したような真剣な表情で私に向き直った。
『理由は簡単……。それはキミが――』
◇
◆6月30日 午後2時55分◆
植物に覆われ、見る影もないほどに朽ち果てたベンチらしきものの上で、その人物は私たちの来訪を待ち侘びていたかのように鎮座しながら出迎えた。
『よく来てくれたねー?レム?それに、イア?』
大樹のもとまで出向く意気込みで訪れてはいたが、その手間が省けたと少しばかり肩の力が抜けた。
しかし、私の同行者はそれとは対照的に肩を強張らせ、相手を威嚇するように吼える。
「――っ!?あなたは……!?何故ここに……!?」
祈莉はすぐさま敵対心を露にして構え、怒りの形相で声の主を睨み付けた。
一触即発の空気を感じた私は、すぐに補足を入れる。
「ストーップ!イノちゃん、あんな姿だけど中身はノワだから大丈夫!」
「えっ……?ノ、ノワさん……ですか……?どうしてそのようなお姿に……?」
『あんな姿なんて言わないでよー。これはもう僕の身体でもあるんだから僕でも傷つくよー?でも、どうしてこんな姿してるか知りたいー知りたいー?』
「それはもういいから……。さっさと用件を済ませよう……」
着いて早々、ノワの放つ緩々の空気に当てられ、私はうな垂れる。
『ん~……?ということは、もう答えは決まったのかい?意外と早かったねー?』
私は小さく頷き、祈莉に目配せで合図を送ると、祈莉は車椅子をノワのもとへと移動させた。
「……よっと」
「一人で大丈夫ですか?」
私は頷き返し、車椅子の肘のせをしっかりと掴む。
「少しずつ慣れていかないと……」
両手に力を入れ、座面から腰を浮かせる。
そして、誰の支えも無しに、自らの両足で立ち上がった。
『おー。どうやら、魔法少女の力を取り戻しつつあるみたいだねー?つまりそれがキミの答えということだねー?』
私は即座に首を横に振った。
「……いいや。私は、お前に協力する気はない」
私がそう告げると、ノワは鳩が豆鉄砲を食ったよう表情を見せた。
『キミはリインが生き返らせられると信じることで、魔法少女の力を取り戻したはず……?だから動かないはずの身体で立つことが出来た……?それなのに、未来を変えるつもりはない……?一体どういうこと……?』
まるで理解できないと言わんばかりに首を何度も傾げるノワに、私は私なりの補足を加える。
「あーちゃんが死んでしまった事実は変えられないし、私は生き返らせようなんてことも思っていない。それに、この先の未来がどうなったって私は構わないし、魔法少女に戻ったからといってパンドラと戦う気もない。大体それは、私の役目じゃない。それが私の結論」
迷いなくキッパリそう答えると、ノワは眉間に皺を寄せたあと、最後に残念そうな表情を浮かべた。
『キミもその未来を選ぶんだねー……。今度こそはと思ってたんだけど、僕の勘違いだったということかー……。ザンネンー……』
ノワはベンチから腰を上げると、私たちのことなど目もくれずに大樹のそびえ立つ方向へと歩き出した。
「……どこにいく気?」
私がその背中に声を掛けようと、ノワは立ち止まるだけで振り向くことはなかった。
『……もちろん、過去だよー。僕はまた過去のキミに会いにいく。僕はキミが頷くまで何度だってそれを繰り返し、僕の知る未来とは違う未来を必ず見つける。それが僕のやるべきことだからねー?』
「やっぱり、ずっとそんなことを繰り返してきたんだな……」
ノワは未来の結末を知っているだけではなく、“どうすればどうなる”というところまでも知り得ていた。
それはつまり、幾度となく同じ時間を繰り返し、ありとあらゆる可能性を試してきたことを意味している。
『そういうわけだから、もう会うこともないけど、じゃあねー?15497度目のレム、イア?』
「ちょっと待て、ノワ。お前は勘違いしてる」
再び歩みを進め、立ち去ろうとするノワを呼び止めると、ノワはようやく振り返る。
『勘違い……?』
「今、その証拠を見せてやる」
◇
◆7月7日 午後4時45分◆
とある商業施設の屋上に設置されたベンチに座りながら、その人物は階下に広がる景色をぼんやりと眺めていた。
親子連れが行き交い、屋上に設置された遊具ではしゃぐ子供たちを横目で追いながら、その人はうわごとのように呟く。
「みんなの笑顔を守る……。無茶だとしても、あきらめない……。すべてをかけてでも、絶対に……」
羅列された堅固な言葉とは裏腹に、それを口ずさむその表情は見るからに陰っていた。
「それでも私は……何も出来なかった……」
手には一枚のハンカチが乗せられ、その上には一粒のアサガオの種が乗せられていた。
「私はどうすれば……良かったんですの……?私は……どうしたら……」
まるで問いかけるように語りかけるも、種が問答をしてくれるわけもなく、一方的な会話はそこで終わった。
悲愴感漂うその様子に居た堪れなくなった私は、その人物にそっと近付き、呟くように声を掛ける。
「……探したよ」