第31話 魔法少女は変わりゆく世界で。(3)
◆6月29日 午後5時◆
カーテンの隙間から差し込む斜陽に照らされ、私の意識は緩やかに覚醒をした。
「寝てた……のか……」
もたれ掛かるようにしていた背を壁から引き剥がして周囲を見渡すと、漫画やゲーム、更には教科書や机に乗っていた小物などが散乱し、足の踏み場など見当たらないくらいに床を埋め尽くしていた。
「……そういえばそうだった」
散歩から帰った私は、帰宅するなり感情のままに大暴れし、机の上のものや棚に入っていたものを全部床にぶちまけた。
その騒音を聞いて駆けつけた夏那は、すぐに私の体を取り押さえるように制止した。
しかし、母は「そういうときもあるでしょ」などと言って夏那を部屋から引っ張り出し、それ以上止めるようなことはしなかった。
眠りっぱなしだったことで筋力が衰えていたのか、一通り暴れ回った直後に電池切れを起こした私は、自分の床で蹲ったまま意識を失い、現在に至っている。
「全部受け入れろってほうが無理だっての……」
様々なことを経験してきた私といえども、あの時の衝動を抑え込むことは出来なかった。
どんなに出来た聖人君子のような人間であっても、そんなショッキングな事実を立て続けに突きつけられれば、事実ではないと目を逸らし、耳を塞いで否定したくなることだろう。
それほどまでに、私が聞かされたそれらの事実は、今の私には受け入れ難いものばかりだった。
「パン……ドラ……」
◇
◆6月29日 午後2時22分◆
「お前……ノワなのか……?」
『そうだよー?まあ、この姿にはいろいろと事情があってねー。知りたい知りたいー?』
ノワが姿を変えることが出来ることは既知の事実ではあるし、一目見て勘違いした点に関しては自分の早合点と言えなくもないのだろう。
しかしながら、ライアの姿に擬態していることも腑に落ちないし、それをすぐに察しろというのも無理であると言えなくもない。
などと頭では考えながらも、生理的嫌悪感を逆撫でするような相も変わらずのウザさは、何よりの証拠であると私は感じ取っていた。
「……いや、いい。お前がどんな理由でどんな姿になろうと、今の私には関係ない」
まったく気にならないと言えば嘘になるのだろうが、ここで私が下手に首を突っ込んで事情を聞き得たとしても、今の私には何の力もなく、それを知り得たところで疑問の種を増やすばかりで、時間の無駄にしかならない。
それになにより、私の行動が原因で、周囲の人間を危険に晒すような真似を二度としないと、私は心に固く誓っている。
『なんだか、今回のレムは冷たいなー?キミはリインを生き返らせる方法を知るために、僕に会いに来たんじゃないのー?』
「残念だけど、ここに来たのは雨宿りのためで、お前に会いに来たのはそのついで。雨が止んだらとっとと帰るつも――」
『へぇー。それはザンネンー』
私は自分の耳を疑いながらも、聞き返す。
「……ノワ。お前、今なんて言った?」
『え~っと……ザンネンー?』
「それより前!」
『なんだか、冷たいなー?』
「惜しい!そのあと!!というか、古典的なツッコミさせるな、恥ずいわ!!」
ノワは眉間に皺を寄せ、首を傾げた。
『キミはリインを生き返らせる方法を知るために、僕に会いに来た?』
私は正解の意志を示すように、ゆっくり大きく頷く。
「随分昔に、魔法では人間を生き返らせることが出来ないって言ってたよな?あれは嘘だったのか?それとも、願いを叶えて甦らせるとでも言うつもりか?」
『おや……?キミはそのことを覚えているんだねー?』
「いや……違う……今のナシ……。そんなことはどうだっていい……」
私は疑念を振り払うように大きく首を振り、ノワに向き直りながら深々と頭を下げた。
『それは何のつもりだい?』
「お願いが……ある……」
『お願いー?頭を下げたところで、キミの願いを叶えたりはしないよ?』
私は首を横に振った。
「……そんなんじゃない。私はお前にこう言ってほしいだけ」
顔を上げ、ノワの瞳をまっすぐ見据えながら答える。
「……あーちゃんを生き返らせることは出来ない。そう言ってくれ」
私がそう伝えると、ライアの顔をしたノワは、ライアその人であるかのような笑みを浮かべた。
『……レム。キミは自分がどうあるべきか、迷っているんだね?』
「……何を根拠にそう思う?妖精のお前に、人間の感情なんてわかるのか?」
『わかるさー。キミに言われたとおり、僕はキミ達やこの世界のことをず~っと見守ってきた。人の心も理解してきたつもりだよー?それに、そんなに辛そうな顔をしていれば誰だって判っちゃうよー?』
「……。はぁ~……」
ノワに感情を見抜かれたという事実に落胆しつつ、自分の顔面セキュリティの脆弱性を憂いながらも、私は仕方ないとばかりに口を割る。
「お前の言うとおり、私は迷ってる……。死んだ人間が生き返るなんてことは、この世界ではありえないし、あってはいけない……。現実的に考えれば、生き返って良かったなんて簡単に済ませられる話じゃない。たとえ生き返ったとしても、その人は正体を隠しながら生活することになるし、元の生活には二度と戻れない。もし、生き返ったことが誰かに知られれば、世間から奇異の目で見られることになるし、その方法が世に知られでもすれば、果ては異空現体研究所のような危険な連中を生み出すことにも繋がる……。人を生き返らせてしまった人間には、その人の苦痛や苦労、それからの人生や生活の全てをひっくるめて背負うという覚悟と責任が付き纏う。何より、それはエゴであって、その人にとってはありがた迷惑なことだと言えるかもしれない。結局のところ、人が生き返るということで皆が幸せになるとは限らない」
『だから、キミは僕に否定して欲しいの?リインが生き返らないって?』
肯定の意を示すように、私は大きく頷く。
「今の私には全部の責任を負うことは出来ないし、きっとあーちゃんだってそんなこと望んでない……。その選択が間違っているってことも理解してる。それでも、あーちゃんを生き返らせる方法が残されているとしたなら、無理も、責任も、世間の目も、全部承知の上でそんな覚悟を決めてしまう……。そして、たとえそれが何億、何兆分の一の奇跡のような確率であっても、何年、何十年、それどころか生涯を費やすことになったって、私は必ずあーちゃんを生き返らせることを選ぶ……。私がそういう人間なんだってことは、私が一番知っている……」
今の私には何の力もなく、自分の足で満足に歩くことすらもままならない状態ではあるものの、幸か不幸か頭は依然として働くし、良くも悪くも諦めの悪さは未だ健在だった。
それ故に、一縷でも望みがあると知ってしまえば、私は当たり前のようにその可能性にすがることだろう。
だからこそ、私は私を止める誰かの言葉を必要としていた。
「流れ星の妖精で、願いを叶える力のあるお前から無理だと言われれば、私は諦められる……。だから――」
私にとって、ノワという存在は“未知”という言葉とほぼ同義だった。
付き合いはそこそこ長いにも関わらず、未だ底が知れず、私が知り得ないことを知り、私の手が届かない場所まで手を伸ばすことが出来る唯一無二の存在――それは言い換えれば、私にとって最後の希望とも呼べた。
どんな人間でも、何の脈絡もなく突然死ぬことはあるし、どんなに必要とされている人間であっても、生き返ることがないのもまた当たり前なこと。
生き返るという希望を抱いてしまうこと自体が、普通の人間からすると異常であり、つまるところ、最初からそんな希望など抱かなければ良いだけの話だった。
『――レム。キミたちシャイニー・レムリィが僕と戦ったあの日のことを、キミは覚えているかい?』
ノワは私の言葉を遮るように問う。
どういった考えでその質問をしたのかは定かではないものの、その表情はいつになく真剣だと言え、私のことをただ静かに見据えていた。
その雰囲気や所作というべきか、それらにはどことなく人間らしさがあるのを私は密かに感じた。
「ちょっと見ない間に、ずいぶんとやり方が人間らしくなったな……。私たちをずっと見てたってのも嘘じゃないってこと……?」
無言の圧力に耐え切れなくなった私は、その問いに答える。
「はぁ……。あの戦いがきっかけで、私は大怪我を負ってリハビリ生活することになって、あーちゃんやイノちゃんとも疎遠になった……。忘れたくても忘れられるわけない」
ノワと出会って魔法少女になったことも、私の人生を大きく変えるターニングポイントではあったものの、それと同じくらい、あの日の出来事は私の行く末を大きく変えた日であることは間違いなかった。
『じゃあ聞くけどー、キミはどうやってその大怪我を負ったんだい?』
「それは決まってるだろ。お前にやられ――」
その瞬間、私の脳は一瞬だけ思考を停止し、言いようのない違和感が私を襲った。
それはまるで、私の進む道に大きな壁が立ち塞がり、進行が拒まれたような印象だった。
「いや……。あの時、私たちの戦いは決着がつかなかった……はず……?」
私の記憶ではそうなっているものの、それは事実と噛み合っていない。
それを例えるならば、見たことがないものを見たことがあると錯覚しているような既視感に近かった。
「私はツキノワとの戦いに勝った……。それは間違いない……。でも、私はどうして決着がつかなかったと記憶している……?」
私の中の記憶では、私の魔法の力はツキノワには及ばず、リインとイアから魔法の力を借り受けて、何とかツキノワの魔法を打ち破ったことになっている。
だが、それであればツキノワと決着がつかなかったことにはならない。
もしも、私がツキノワに勝ったこと自体が勘違いで、ツキノワによって大怪我を負わされたことが事実であれば、私が意識を失った状態で病院に担ぎ込まれたという事実と一致するものの、気絶していた私がそのことを覚えているはずはないし、あの場にいた他の二人は倒れていたため、結果を伝え聞くことも出来はしない。
ようするに、ツキノワに勝ったところまでは覚えているが、それ以降の記憶が私の中からごっそりと抜け落ち、その抜け落ちた記憶の中で私は半身不随になるほどの大怪我を負ったということになる。
「私は何か大事なことを忘れているのか……?私は……何を忘れている……?」
――『これって……まさか……っ!?』
――『そうだよ。僕がツキノワ。ごめんね?隠していて?』
私は頭を抱え、記憶の奥底から見える糸を手繰るように当時の記憶を掘り返す。
「そうだ……。確かあの時、ツキノワの正体がノワであることを知った私は、その事実を隠すために、ツキノワとの決着はつかなかったことにした……。私はあーちゃんとイノちゃんを起こして、ノワが無事に帰ってきたことを二人に伝え――」
――『どうして……!?どうして、こんなことに……!?』
――『ザンネンだけど、魔法で人間を生き返らせることは出来ないよ』
「魔法で人間は生き返らないと、私はそのときノワから聞いた……。それを聞くような状況に陥ったということは、つまり――」
――『良く頑張ったな……。これで二人は一心同体だ……』
――『今は悲観しなくてもいい。君のその力は、多くの人間を笑顔に出来る可能性を秘めている』
「これは……誰の言葉……?私たち以外に、あの場に誰かが居た……?」
――『君は私のことを忘れてしまうけど、そのときが来れば必ず思い出す』
――『だから、私の言葉の一言一句、全部その頭に刻み込んでおいて』
絞り出すように記憶を辿り、私はその言葉に辿りつく。
するとそれをきっかけに、ダムが決壊するように多くの情報が私の中に流れ込んできた。
「う、ああぁあああ゛あ゛あ゛っ――!!!」
私の脳は自分でも判るほどに激しく脈打ち、頭が割れるような酷い頭痛が私を襲った。
それと同時に、閉じ込められていた多くの言葉たちが、まるで枷が解き放たれたかのように私の頭の中で一斉に再生された。
――『多くの困難が君を待っているかもしれない。だけど、これだけは絶対に覚えておいて』
「そう……だ……。全部……思い……出した……」
――『諦めの悪さだけは、君の右に出るものはいないって』
「あーちゃんを殺したのは……私だ……」
◇
◆6月29日 午後5時20分◆
結果的にではあるが、元々散らかっていた部屋で、体の半分しか動かない私が暴れた程度では、以前の3割増し程度にしか部屋を散らかす結果にはなっていなかったため、自業自得の片付けは予想以上に捗っていた。
「ん……?」
分別作業をしていると、何やら見慣れないものが発掘され、私はそれを摘むように拾い上げる。
「なんだコレ……?こんなの……買ってたっけ……?」
それは所謂、薄い本――つまり同人誌だった。
「マジカルキャプター……メイ……?私は何を思ってコレを買ったんだ……?」
その表紙には、いかにも魔法少女然とした少女の絵がキラキラと描かれており、私は自分の黒歴史を見せられているような気分になって、思わず眉に皺が寄った。
庶民の思い描く魔法少女の理想像と、私の知る魔法少女の現実を比較するのにはうってつけの題材ではあると言えなくもないが、そんな興味や享楽のために私がこの本を買ったとも思えなかった。
しかしながら、私はなんとなくその本の内容が気になり、最初のページをめくった。
「……私の名前は木之崎芽衣。真同中学校に通う、普通の中学生――って、めちゃめちゃベタな始まり方……」
その話は例に漏れず、この手の決まり文句から始まっていた。
だが、私はページをめくろうとする手をすぐに止め、そのページをよくよく見返す。
「木之崎……芽衣……。なんか聞き覚えがあるよう……な……」
私は反芻するように、その名前を繰り返し呟く。
――『私、木之崎芽衣と言います』
ふとそんな言葉と誰かの笑顔が脳裏に浮かび上がった。
「天……使……」
その瞬間、本は私の手を離れるようにハラリと床に落ちた。
私はそれを拾い上げることもなく、テーブルに置かれたスマホを手に取り、登録されている連絡先リストを確認する。
「……ない!?なんで!?」
そこにあったはずの連絡先は、いくら探そうとも見当たらなかった。
どうしてそんなことになっているのかも判らぬまま、慣れない手つきで他の連絡先の中から一つを選び、慌てながらも電話を掛ける。
『――ちーちゃん?どうかされました?』
呼び出し音が鳴ったかと思ったすぐ後、スマホからその声が聞こえた。
「イノちゃん!聞きたいことがある!!」
『聞きたいこと……?』
「芽衣は……芽衣は今どうしてる!?あれからどうなった!?どうして連絡先が消えてるんだ!?」
『メイ……さん……?それはどちら様でしょうか……?』