第31話 魔法少女は変わりゆく世界で。(2)
◆6月29日 午後1時45分◆
「私たちに何か用……?」
「……」
黒づくめの少女は私を見下すように一瞥したかと思うと、まるで私を道端の石であるかのように素通りし、後ろへと回り込んだ。
「えっ……?」
何も言わずに夏那の隣に位置取ると、黒づくめの少女はゆっくり口を開いた。
「今……幸せ……か?」
その声は幾度か耳にしていたものの、ようやくハッキリとその声を聞き、見た目に反してどこか中性的な少し低い声をしていたことに少しばかり驚いた。
まるで言葉に不慣れな外国人のように口調がたどたどしいというのに、緊張した様子などは一切見せず、堂々とした態度を見せているその様子に、私はちぐはぐな印象を覚えた。
「初めまして……だよね?私に聞いてるの?」
夏那が自身を指差すと、黒づくめの少女はコクリと頷いた。
「う~ん……そっかー……そうだなぁー……?今は幸せ……かな?」
「そう……か」
そのやりとりだけで会話が終了し、黒づくめの少女はあっさりと踵を返して、その場を立ち去ろうとした。
「ちょっと聞きたいんだけど」
しかし、これ以降機会は無いと考え、私はこれ好機とばかりに黒づくめの少女を呼び止め質問を投げかける。
「前に言ってた『お前は誰だ』ってどういう意味?それに、君はなんであの時あの場所に居た?」
「……」
その問いに対して返答がないどころか、私の声など耳に入っていないかのように、黒づくめの少女はそのままスタスタと通り過ぎていった。
「ちょ!?待てって!?あーちゃん――じゃなくて、五月さんと何か関係があるのか!?」
「あー……」
二度目の呼びかけによって、ようやく私の声に反応を見せたかと思うと、引き返すように体を反転させ、早足で私の真正面へと舞い戻った。
そして、目深に被った黒い布の奥から垣間見えるその瞳で、私の目をまっすぐ見据えた。
「……っ!?」
驚くことに、その瞳は赤く煌いていた。
ルビーのように妖艶な輝きを放つその瞳に驚くと同時に、私は一瞬だけ見惚れ、そして油断した。
「ぐぁ……!?」
黒づくめの少女は唐突に私の襟首を掴み上げると、そのまま軽々と体を持ち上げ、私は自重によって首を締め上げられる形になった。
「黙……れ……!」
数秒と待たずに呼吸はままならなくなり、振り解こうと身を捩って抵抗する。
だが、まるで万力のように締め上げるその手はまったく解ける様子はなく、私の喉は僅かな酸素すら通さぬほどに絞まり上がる。
――マズ……い……。
「な、何してるんですか!?やめてください!?」
意識が遠退きかけたところで、その声がハッキリと耳に届いた。
「お姉ちゃんを離して!?」
その場にいた夏那と、咄嗟に駆けつけたハーマイオニーが黒づくめの少女の腕に同時にしがみつく。
「……」
その程度で黒づくめの少女が手を放すはずがないと一瞬思っていたものの、意外にもその手からは力が抜け、私は車椅子の上に落下することとなった。
「げほっ……げほっ!!」
「だだ、大丈夫!?お姉ちゃん!?」
咳込みながらも、私は片目で少女を見上げる。
「――っ!?」
その顔は無表情ながらも、内に怒りを滲ませたような表情で、私を静かに見下ろしていた。
「お前は……邪魔……だ。私の前に……顔を……見せる……な……」
途切れ途切れながらに言葉を残すと、黒づくめの少女は再び踵を返し、私たちの前から姿を消した。
◇
◆6月29日 午後2時◆
開発途上でもなく、これといった特徴もない街が、たかだか一年で未来都市に様変わりするわけもなく、私は間違い探しをするかのように見慣れた景色を横目で見送りながら、帰路についていた。
「それにしても、さっきの子なんだったんだろうねー?いきなりあんなことするからビックリしちゃったよー?」
「……たぶん、あーちゃんのことで私は恨まれてるんだろう」
状況的に見て、仮称・黒衣娘は、私を恨んでいる可能性は高かった。
彼女を最初に見掛けたのは雨の家の前であり、その日は雨の命日でもあったことに加え、私を意図的に無視し、蔑むような目を向け、挙句に敵対行動を取った。
それらのことから察するに、私が雨の死に関係していることを知っていおり、そのことが理由で私を拒絶しているのが妥当だと私は考えた。
「う~ん……?でも、そんなふうには見えなかったんだけどなー……?私にあんなこと聞いたのも不思議だったし?」
夏那の言うように、私に敵意を向けていたのはその行動や発言からも間違いない。
だが、その目的もまた私でないことも明らかだった。
しかしそう仮定すると、彼女は夏那にその質問をするためだけに私たちの前に姿を見せたことになるが、夏那とは面識もなく、質問の意図も的を得ないことからも、別の目的があったか、ただ気まぐれにその質問をしたという可能性も十分に考えられた。
ただ、もしこれらが本当に関連性を持った話だとすれば、夏那と雨という接点の乏しい二人を結びつける何かがあり、彼女はそれに関係している可能性があるということなる。
いずれにしても、今の情報だけでは彼女の目的や、その正体を知ることは難しいだろうと結論付け、私はそこで考えるのをやめた。
「……聞きたいんだけどさ」
「なにー?」
私はふとあることを疑問に思い、夏那に問い掛ける。
「夏那は……今の私を見てどう思う?」
私が顔を上げてそう問い掛けると、夏那は歩みを止め、眉間に皺を寄せながら真剣に悩み始めた。
「お姉ちゃん……?う~ん……カワっこいい?」
一年という時間が経過したものの、周囲の風景も変わっていないし、妹も少し成長したような気もするが、大きく変わったようには思えなかった。
しかし、私を取り巻く環境は確実に変わっている。
親友と呼べる幼馴染は他界し、信頼していた友達は私を蔑むほど憎むまでに至り、同級生は社会へと続く道を一歩進み、私は半身不随の日常へと逆戻りした。
そして、魔法少女の証であるシャイニー・パクトを失ったことで、私は本当の意味で魔法少女ではなくなった。
私はこの一年で多くのものを失った。
「カワっこいいって……。他には……?前と比べて……とか?」
「う~ん?どーいう意味ー?少し痩せた……とか?よく分からないけど、前も今もお姉ちゃんはお姉ちゃんのままだけど……?」
「そっか……。それならいいんだけど……」
幸福という時間の代償を払うかのように、私が大切にしていたものを次々と奪い去った挙句、まるで罰を与えるように、私という存在を暗く深い穴へと突き落とした。
どん底まで叩き落され、地の底とも呼べる場所から見上げた地上の光は、背を伸ばしても手の届かないほど遠い場所にあり、私はその場所に二度と戻ることができないことを悟る。
そこで私は、こんなことを思う。
大切なものを殆ど失った今の私は、本当に前の私と同じ人間だと言えるのだろうか、と。
「お姉ちゃん……?」
「いや……なんでもないよ。雨も降りそうだし、早いとこ――」
「そうだね。さっきより曇って――」
そう言いながら二人して空を見上げると、私の頬に大粒の水滴が落ちてきた。
「あっ……。あ、雨……降ってきた……」
「そうだな……。これは急いだほうが――」
などとやり取りをしている間に、弾幕シューティングゲーのように無慈悲極まりない数多の水滴たちが私たちを容赦なく襲った。
「わわわ!?ど、どうしよう!?傘なんてないよー!?とりあえず、どこかで雨宿りしようー!?」
「そ、そうだな。これはちょっと……。ちょうどよさそうなところは――」
雨宿りに適した場所を捜すように周囲に視線を巡らせると、脇道を抜けたすぐ先に見慣れた景色を見つけた。
「公園……か」
背に腹は代えられないと腹をくくり、私は公園のある方向を指差す。
「とりあえず、あっちだ!全速前進!!」
「ら、らじゃー!!」
◇
◆6月29日 午後2時10分◆
「マジ、か……」
私の眼前にはアマゾンの奥地か、どこぞの聖域と言われても遜色のないほどの風景が広がっており、私は思わず驚嘆の声を上げた。
「少し見ない間にすごいことに……。というか、前よりも広くなってないか……?」
以前訪れてから一年ほど経過しているとはいえ、まるで数百年という時が経過しているかのように草木は生い茂り、頭上を覆うように枝葉を伸ばす大樹は、一回りや二回りではないほど巨大なものへと成長を遂げていた。
「とりあえず、ここなら雨宿り出来そうだねー?」
雨風をしのぐ傘としてこれ以上ないほどうってつけの場所であることは判っていた。
だが、この場所に入ることさえも、私にとっては博打だと言えた。
「そうだな……。鍵を開けといてくれたことだけは、ノワに感謝しとくか」
「あっ!そうだ!せっかくだから、ノワちゃんに会っていこうよ?お姉ちゃん!!」
立ち入ることが許されているのだから、ノワに会うことは不可能ではないだろう。
だが、「雨のような人気者になって、友達が欲しい」という私の願いは、雨が居なくなったことで効果が無くなり、願いを叶えることで恩恵を受けているノワにとっては、もはや用済みの人間だと言えなくもない。
そんな私が今さらノワに顔を出したところで、望まぬ来客であることに変わりはないのではないかと、私は密かに考えていた。
「私は別に……」
「あっ……。でもこのままじゃ進むのはムリかー……」
以前の私であれば木の根が張り巡らされていようと、草が生い茂っていようと難なく進むことが出来たのだろうが、私の足とも呼ぶべき車輪の前では、草や木の根ですら進路を阻む大きな障害となる。
「無理して会う必要はない。今度また――」
「あっ!?そうだ!!良いこと思いついた!?カーイくーん!!」
まるで金色の雲を呼び寄せるかのように高らかに叫ぶと、それは空から颯爽と現れ――るわけでもなく、最初からそこに居ましたと言わんばかりのそしらぬ顔で、夏那の隣に出現していた。
「うわぁっ!?ビックリしたー……!?相変わらず登場の仕方が――」
久方ぶりに見る金色の鯨は、いつもながらにふわふわと宙に浮いていた。
だが、いつもどおりではないところに対して、私はすかさずツッコミを入れる。
「――なんか縮尺がおかしい気がするんだが……?」
手のひらサイズまで縮んでいたはずの体はすっかり元通り――というどころではなく、その体躯は以前のような小型ボートほどでは留まらず、大型クルーザーを越えるほどの大きさへと成長していた。
「そう?太りすぎかなぁ?まあ、成長期だもんねー?」
「いや、成長期ってレベルじゃ……というか、そもそも成長期なんてあるのか……?」
私のツッコミなど何処吹く風といった様子で、夏那は構うことなく話を進める。
「それじゃあカイくん!私たちを乗せてあそこまで運んでくれるー?」
◇
◆6月29日 午後2時14分◆
「楽しかったねー?」
「そう……だな……」
ケートスは私たち二人を背に乗せたあと、文字通り一飛びで大樹のもとまで私たちを運んだ。
ゲームや仮想世界であれば、少しくらい空中散歩を楽しむ余裕はあったのかもしれないが、実際のところは命綱無しで飛行機の上にそのまま乗せられているような状況であり、かつてないほどスリリングな体験をすることになった。
その結果、私の心臓は今もなお、激しい動悸を繰り返していた。
「ノワちゃん居るかなー?ノワちゃーん?」
夏那が運動部で培われた大声で叫ぶも、近くの枝葉がサラサラと揺れ動くだけで応答は無かった。
「お散歩中なのかなー……?ちょっと周り見てくるねー?」
「あっ!?ちょっ!?」
私が制止する声は例によって間に合わず、夏那はピョンピョンと飛んで跳ねてを繰り返しながら私の視界から消えていった。
「また、か……。はぁ~……」
成す術もなく再び放置されることになった私は、大きな溜息を吐きながら車椅子の背もたれに体重を掛ける。
そして、手持ち無沙汰に肘を突きながら、樹海のように変わり果てた雄大な景色を眺めた。
「こうして見ると、随分と変わったな……」
去年の四月、ノワやエゾヒと戦ったあと、私と雨はこの場所で魔法少女を辞める決意を固めた。
結果的にそれは叶わなかったものの、その出来事が最近のようでもありながら懐かしくもあり、私は不思議な感覚を覚えながらも、思い出し笑いをした。
「魔法少女辞めるって宣言したのに、結局一ヶ月後には元通りだったもんなー……。私たち、マジで笑いもんだわ……ははは……」
私はふとその時のことを思い出し、その言葉を口ずさむ。
「時間を戻したいとか、誰かを生き返らせたいとか考えなかったのか……。確かアイツ、そんなこと言ってたっけ……」
あの時ノワは、どうしてそんな願いを選んだのかと私に聞いた。
そして、私はこう答えた。
「悲しみが増えるだけ……私は満足してる……今を無かったことになんてしたくない……」
私は目を瞑り、ゆっくり呼吸をしながら考える。
「あの時の私は確かにそう思っていた……。だけど、今は――」
私は何気なく数メートル下の、大樹の麓へと視線を移す。
その瞬間、私は妙な違和感を覚えた。
「……?あれ……?そういえばなんで……?」
『――ようやく来たねー?待ちくたびれたよー?』
どこかから不意に声を掛けられ、私はキョロキョロと周囲を見回す。
「今の声……どこから……?」
聞き覚えのあるような声ではあったものの、それが夏那でもノワでもない声であることは判っていたため、私は警戒心を強めた。
『ここだよー?』
頭上から声が聞こえたことを察知して見上げると、5メートルほど上にある木の枝に腰掛ける、小さな人影を視界に捉えた。
「――っ!?」
私は目を擦り、その姿を何度も確認する。
『久しぶりに会ったのに、そんなに怖い顔しないでよー?』
「お前は……ライア……!?どうしてここに!?」
その姿を何度見直そうと、それは間違いなく異空現体研究所のライアだった。
だが、ライアがここに居るという状況に驚きを隠せなかったのと同時に、考え得る最悪な状況が私の脳裏を過ぎった。
「お前がここに居るってことは……。まさか……ノワは……!?」
ライアは木の枝から飛び降り、そして音もなく私の目前に着地した。
『……?僕がどうかしたのー?』
「……は?」
本日2度目のサプライズに、私は間の抜けた声を上げた。