第30話 魔法少女はそれぞれの結末で。(5)
◆6月24日 午後1時◆
「――よくもまあ、一年間も長々と眠っていられましたね。あんなことがあったというのに」
聞き慣れたような口調と小言が耳に入り、私は声の聞こえた部屋の入り口に視線を向ける。
「今の口の悪さは……。天草せんぱ――」
その姿を視認してから、私は自分の予想が外れていたことに驚きつつ、何度も瞬きを繰り返す。
「雹……果……?」
その口調は天草雪白のような刺々しさを持っており、私の知る雹果の態度とは明らかに違っていた。
しかし、何度瞼を閉じ開きしようと、見間違えのようにその姿が変わるようなことは無かった。
「知っておかないといけない……?あなたがそれを言いますか……?あなたは見ていたはずです……一部始終全てを」
「私が……見ていた……?」
雹果の言葉に首を傾げると、祈莉は真剣な表情を私に向けた。
「ちーちゃん……。シャイニーパクトが壊されてしまったあとのことを、覚えていらっしゃいますか?」
私は瞼を強く閉じ、残されている記憶を一つ一つ掘り起こしてゆく。
「シャイニーパクトが壊されたあと……イクスに何かを言われて……。でも、そのあとからは記憶が……」
「やはり、そうでしたか……」
――ドン!!!
ドアの前で突っ立っていた雹果が大きな足音一つ鳴らすと、ドタドタと音を立てながら私に近づき、私の両肩を強く突き放した。
「忘れたなんて……言わせない……!!」
「雹果さん!?」
突然の衝撃によって、私は背を床に強く打ちつけられ、祈莉が慌てて私の体を抱き起こした。
「――いっつ……!?いったい、何す――」
抱き起こされながら仁王立ちしている雹果の顔を見上げると、怒ったような、それでいて悔しそうな表情が前髪の隙間から覗き見えた。
「雹……果……?」
「被害者……ぶらないでください……。辛い思いをしたのはあなただけじゃない……。あなたは……自分の責任から逃げているだけ……!!」
雹果がそんな表情をする理由も、私に怒りの矛先を向けている理由も、今の私には何のことだかサッパリだった。
しかし、イクスと対峙したその後に何かが起き、きっかけが私にあるということだけは、今の私でも把握することができた。
「ど……どうしてそんなに怒って……?責任って……。あのあと、何があったんだ……?」
雹果は有無を言わさず私に馬乗りになると、強く握り締めていた拳を解き、私の額を鷲掴みにした。
「――だったら!!だったら……あなたに残った無意識の記憶を、私が繋ぎ合わせてあげます……!自分自身で思い出してください……!そして、存分に後悔してください……!!」
その直後、断片的な記憶はパズルのピースのように繋がり合い、夜が明けるようにその色を取り戻した。
◇
◆6月20日 午後6時42分◆
「――シャイニーパクトが……!?チー!?しっかりしろ!?」
霞がかったような視界の中、私を呼ぶ声が聞こえた気がして顔を上げる。
すると、イクスに向かって斬りかかろうとする雨の姿が私の視界に飛び込んできた。
「はあっ!!!」
細い腰をこれでもかと捻りながら、勢いよく水刃が振りぬかれ、薄氷のような面を描く。
「――っ!?」
しかしその切っ先は、私の頬をかすめるだろうというところで勢いを止めていた。
「チー!?なんで……!?」
「……」
私の体は何故か勝手に動き、雨を遮るようにイクスとの間に立ちはだかっていた。
しかしそれは、条件反射的に体が動いたという意味ではなく、私の意思によるものではないという意味合いである。
「話しかけても無駄ですよ。彼女は深い催眠状態に落ちています。もう、私の言葉しか聞こえていないでしょう」
――私が……催眠状態……?
「はぁ?ふざけんな?催眠状態だって?人一倍疑り深いチーがそんなもんにかかるわけないだろ?」
キッパリそう断言されるのも遺憾ではあるものの、他人をまったく信用しない普段の私であれば、催眠にかかってしまうようなことは絶対にないと断言できるし、今も今とて耳はハッキリと聞こえており、意識もあった。
しかしながら、催眠状態だということをさも肯定するかのように、私の頭は眠気と偏頭痛と乗り物酔いが同時に襲ってきたようにひどく混濁し、私の肉体は操縦桿の壊れた乗り物のように、私の意思を受け付ける様子を微塵もみせてくれなかった。
「信じられませんか?そうですね……。それでは――」
イクスは私の肩を軽く叩きながらニッコリ笑うと、私の耳元でわざとらしく語りかけた。
「その服はもう不要ですよね?脱いでください」
「――はあ!?なに言って……!?」
私の言葉を代弁するように雨が叫んだものの、私の意思など聞き入れませんと言わんばかりに、私の体はコクリと頷き返し、言われるがままに着ている衣服を脱ぎはじめた。
――か……体が……勝手に……ッ!?
まるでここが脱衣所であるかのように、手袋やソックスを淡々と脱ぎ捨て、躊躇い一つなく魔法少女服まで脱ぎ終えると、当然ながら私は下着だけの姿となった。
恥じらって隠すことさえも許されない私の心境に反し、それが終わりではないとばかりに、私の手は下着へと手を伸ばす。
――流石にそこからはマズい……!?と……ま……れぇぇーー……!!!
私は神に祈るような想いで、必死に懇願する。
しかし、無情にも私の指先が止まることはなく、やがて私は一糸纏わぬ姿を衆前に晒すことになった。
「……」
消沈する私を余所に、私の体は魔法少女服を拾い上げると、それを無言でイクスに差し出した。
数秒前まで私が着ていた、脱ぎたてほやほやの魔法少女服を受け取ると、イクスは力任せに左右に引っ張り、ビリビリと音を立てて引き千切った。
「……これでお分かりいただけましたか?」
イクスは満足気な表情を浮かべながら、雨に視線を向けた。
「……」
「本当に……催眠を……。まさか……駅前で出会ったときに……?」
「ハッハッハ……!EXACTLYです。私は出会ったそのときから、彼女に目をつけていました。発信機も、あくまで保険。今回はライアが勝手に動いてしまいましたが、わざわざ貴女方を誘き出すような真似をせずとも、彼女は私と言葉を交わしたあの瞬間から、ずっと私の手中にあったのですよ」
「――穢れなき……祝福の……雨!!」
雨が声を搾り出すように叫んだ瞬間、その全身が青白い光に包まれた。
「――っ!?あーちゃん!?」
「お前だけは……絶対に……許さない……ッ!!」
怒鳴るように叫ぶと、その直後、雨の全身はマーチング衣装のような青い魔法少女服に包まれていた。
「シャイニー……――リイン!!」
怒りのこもった口調で口上を叫び終えると、雨はイクスをギラリと睨み付けた。
「それが貴女の戦闘服……というわけですね。しかし、そんなことをして良いのですか?私と戦っても、寿命を縮めるだけですよ?」
「チーをお前の好きにさせるくらいなら……死んだほうがマシだ!!!」
吐き捨てるように叫んだ刹那、雨は私を飛び越えるように跳躍する。
そして、携えた水の刃は迷い一つ無くイクスの首目掛けて振りぬかれる。
しかし、先ほどよりも明らかに速い剣筋ながらも、イクスはタイミングを知っていたかのように、その刀身を難なく指先で掴み取った。
「チッ!!」
「スピードを上げたところで、貴女の太刀筋は見えています」
「――コレを!!!あーちゃんなら使いこなせます!!」
祈莉の投げたカードを受け取り、雨はすかさずそれを額にかざす。
「サンキュー!イノ!!」
その直後、眩い輝きとともに雨の背中から現れたのは、一対の白い翼だった。
「オー、これは美しい。まるで、天使のようですね」
「くだらないお喋りもここまでだ……――シャイニー・バトン!!!」
雨の体は浮かび上がるように空中を舞い上がり、その左手にはシャイニー・バトンと呼ばれる指揮杖が現れた。
それを槍に見立てて構えるように前に突き出すと、次の瞬間、鳥が地上の生き物を狙うかのように急降下し、瞬きもせぬ間にシャイニー・バトンが床を穿った。
「――ッ!」
着地と同時にシャイニー・バトンを軸にしながら体を回転させたかと思うと、遠心力を利用しながら斜め上へと長い足で蹴り上げる。
しかし、確実に不意を突いたその一撃でさえ、イクスは紙一重というところで避ける。
「貴女の攻撃は真っ直ぐで、正直すぎます。道具一つ変えたところで、そういったクセは変わりはしません」
「ふん……。余裕ぶってないで、自分の胸元を見てから言ったらどうだ?」
イクスは自分の胸元に視線を下ろすと、眉をピクリと動かした。
恐らくその理由は、イクスの胸元にいつの間にか刻まれていた三本の裂傷が原因だろう。
「これは、爪痕……?なるほど……。先ほどの刀をつま先に……。思っていたよりも厄介ですね……」
両のつま先に突き出した三本の水の爪と、背中の翼も相まって、雨の姿はまさしく鷹と呼ぶに相応しい姿となっていた。
…
突きを放っては飛び上がって距離を取り、雨粒の弾丸で翻弄し、隙を見つけては急降下しながら爪で襲撃するという、まさしく人の領域を超えた戦いは一気に加速していった。
その様子は、天使が優雅にダンスを踊っているような錯覚を覚えるほど、華麗で美しいものだった。
「くっ……!?これはなかなか……!!」
機動力とリーチ差を見ても、雨に分があることは明らかなうえ、接触を繰り返すうちに、まるでイクスの動きを先読みしているかのように雨の攻撃が鋭さを増していった。
その一方的な立ち回りに、イクスは先ほどのような反撃も出来ず、防戦一方に転じていた。
「これではキリがありませんね……。それでは私も奥の手を使うとしましょう」
イクスが右の前髪をかき上げながら片眼鏡を外したかと思うと、その瞳で雨を見据える。
「――ぅ!?」
その直後、雨の身体は制御を失ったように突然落下をはじめ、矢に射抜かれた鳥の如く床に叩きつけられた。
「ぐはぁっ!?」
まるで感電したかのように床に伏している雨に、イクスは踵を鳴らしながらゆっくりと近づく。
「勝負がついた――というより、お遊びはここまで……ですね?この目がある以上、貴女には万一にも勝ち目などなかったのです。しかし念のため、その厄介な翼は捥いでおくとしましょうか」
再び雨をその目で睨みつけると、次の瞬間、雨に信じられない異変が起こる。
「なっ!?翼が……石に……!?何を……し……た……!?」
白く美しい翼はその羽先から徐々に変色し、無骨な石へと変化していった。
それを確認すると、イクスは右足を軽く上げる。
「うぐぅっ!?」
イクスはニヤニヤとした下卑た笑みを浮かべながら、雨の背中に足を下ろし、その翼をいたぶるように踏み躙る。
「妄執に囚われている貴女に、自由の翼は相応しくありません」
『――その右目からは禍々しい気配を感じるな』
「――っ!?」
突然聞こえたその声に驚いて振り返るも、イクスは声の主を確認することが出来ず、キョロキョロと周囲を見回した。
『その力は紛れもなくこの世ならざる者に由来するもの――しかも、魅了と束縛、そして石化という複数の力を有しておる……。まさか人の身で、複数の魔眼を有している者が存在するとはな』
二度目の声によって、ようやく足元にある声の主に気付いたものの、イクスはすぐさま首を傾げた。
「狐……?」
『この姿では話辛いな……。この際、仕方あるまい』
銀の狐がそう言うと、その姿は瞬く間に男子高校生の姿へと変わった。
「……っ!?宇城……先輩……?なんでここに……?」
天草雪白が動転した様子で声を上げるものの、呼ばれた当人は聞こえていないかのように振り向きもしなかった。
「あなたは人間ではありませんね……?化け狐……?しかし、邪気はまったく無い……それどころか神聖な気すら感じられる……。もしかすると、貴方は――」
『――貴様に問う。あの娘を攫って、貴様は何を成さんとする?』
宇城悠人がそう問うと、イクスは迷った様子で顎に手を当て、腕を組む。
「それは答えられません……と、言いたいところですが、貴方様に免じてお答え致しましょう。私の目的はただ一つ……――この手で神を創造することです」
『神……だと?』
「全ての善悪を見定め、ありとあらゆるものを見通すとされる、神に等しき力を持つ“真理の目”。そして、異空現体を解析し、ありとあらゆる術や邪を寄せ付けない、異空現体研究所の技術の粋を集めた完全なる器。異能の英知が一つとなったとき、悪を裁き、人類を統べ、正しき未来へと導く新たなる世界の創造主が誕生する……!」
「はあ……?真理の目……?創造主……?一体、なに言ってるんだコイツ……?」
『なるほどな……。神と聞いてようやく合点がいったぞ。“真理の目”とは、肉体ではなく魂に宿り、ありとあらゆるものを見通す心の目。それは物理的なものから、人の心という精神的なものだけに留まらず、過去や未来、果ては異なる次元すらも見通すとさえ言われている。貴様達にしてみれば喉から手が出るほど手に入れたいものであろう。そのような人智を超越した目を保有する人間が都合よく目の前に現れたというのだから、最初から目をつけていたというのも頷ける話よ』
宇城悠人は私のことを一瞥すると、慌てた様子でその眼鏡を掛け直し、視線を逸らした。
「チーが……“真理の目”を……?」
『“真理の目”を持ち、神に最も近い彼女の魂をXシリーズとかいう器に移し替え、彼女を意のままに操りながら、邪な心を持つ人間をその目で見定めては一人残らず裁き、淘汰する……。そうすることで穢れきった人類を一掃し、新たなる世界の神に仕立て上げる……そういうことであろう?』
「……ハッハッハ!さすが、神に属するお方ですね。聡明でいらっしゃる」
『我は縁と豊穣の神ゆえ、貴様に敬われても返すものなど無い。それに――』
宇城悠人が右手の指先をイクスへと向けると、そのまま勢い良く宙空へとスライドする。
『――今の私は主の僕だ。主の友人に手出しする輩に、容赦はせん』
「――っ!?」
一切の兆候もなく、イクスは突然地面に膝をつき、その右目を押さえながら苦痛で表情を歪めた。
「ぐぅっ……!?これ……は……!?右目が……抑えきれ……ない……!?何が……!?」
『どのような手でどれほどの魔物をその右目に埋め込んだのかは知らぬが、私の力で貴様との縁を断ってやった。直に其奴等は束縛から解放されたことで目を覚ます。気をつけろ。貴様自身が其奴等を制御できれなければ……死ぬぞ?』
「ぐ……ぎぃ……いいぃ……」
苦痛に耐えているからなのか、はたまた悔しいからなのか定かではないが、イクスは自分の拳を何度も床に叩きつける。
「し……仕方が……ありません……ね……。斯くなる上は……!!」
二、三度深呼吸を繰り返すと、イクスは自分の右目に人差し指と中指をあてがった。
「うあ゛あ゛あぁああーーー!!!!」
――ブチィ!!
「――!」
「ひ……!?」
「なんてことを……!?」
それは一瞬の出来事だった。
二本の指は眼窩へと突っ込まれ、指先を引っ掛けるようにして眼球は抉り取られた。
目の前で行われた異常としか言い表しようのない光景に、皆が目を背け、そして息を呑んだ。
だが、私だけはその一部始終を延々と目に焼き付ける選択肢しか与えられなかった。
「はぁっ……!はぁっ……!!」
イクスの右の顔面には赤色の涙が流々と滴り落ち、粘り気を帯びた多量の鮮血が床を染め上げ、そして一個の目玉が血の湖を渡るようにコロコロと転がった。
「私の……追い求めた……理想の目は……すでに私の手中にある……。このような紛い物など……もはや不要……!!」
「コイツ……。やっぱり、狂ってやがる……」
「――っ!?あれは……!?」
祈莉が声を上げると、皆の視線が床に転がった球体に集中する。
「げ……」
よくよく目を凝らすと、目玉からはタコのような触手が無数に生えながらうねり、まるでそれ自体が生きているかのように蠢きはじめていた。
それは数秒も経たないうちに二倍、三倍と風船のように膨らみはじめた。
『チッ……!大人しく自壊していればいいものを……!皆、アレから離れろ!!』
それは粘土のように形を変え、蜘蛛のような6本足と蝙蝠のような翼を持ち、複数の蛇のような触手を持った巨大な目玉へと変貌を遂げた。
「き……きき……きっしょーーーーー!?!?」
「新種だけど……可愛くないです……」