第30話 魔法少女はそれぞれの結末で。(4)
◆???◆
「――チー!チー……!!目を……覚ませ……!!!」
「――あ……れ……?」
朦朧とする意識の中、私の視界に飛び込んできたその顔は苦悶にゆがみ、今にも泣きそうな表情をしていた。
「あー……ちゃん……?」
私が小さく声を発すると、曇っていたその表情は一気に晴れた。
「チー……!!良かった……。無事で……」
壊れ物を扱うようにそっと抱き寄せられ、私の雨の体は互いの温もりを確かめられるほどに密着する。
突然のことに恥ずかしさと驚きがごちゃ混ぜになりながらも、私は動揺を押し殺し、問い返す。
「どうしたの……?あーちゃん?」
私がそう問い掛けると、雨は再び表情を曇らせた。
「私のせいで、迷惑掛けたり、今まで辛い思いをさせたりして……ゴメン……。でも、それもこれで最後だ……」
「迷惑……?何の……話……?最後って一体――」
理解が追いつかなかったため再び問い返すも、雨はそのまま話を続けた。
「……チー。これだけは忘れないで……欲しい……」
「……?」
数秒の後、雨は満面の笑顔を浮かべながら私に言った。
「私はずっと、チーの親友だ」
その瞬間、私を包む感触や温もりは消えた。
◇
◆6月24日 午前7時◆
「――待って!!」
気が付くと、私の右手は見慣れた天井へと向けられていた。
「……あれ?」
それまで夢を見ていたという認識はあるものの、まるで一瞬にして記憶が掻き消されてしまったかのように、その夢がどんな内容だったのかをまったく思い出すことは叶わず、手を閉じては開いてを繰り返したところで、その手が必死に何を掴もうとしていたのか、今の私には見当もつかなかった。
私はモヤモヤした気持ちを抱きながらも、早々に思い出すことを諦め、周囲を見回す。
「うち……だな……」
漫画とゲームでびっちり埋まっている棚と、華々しさとは無縁であり、およそJKらしからぬ質素な壁面――別段驚くこともない見慣れたマイルームだったが、驚いたことを強いて挙げるのであれば、いつの間にやら部屋が片付いていることと、私の体がベットから落ちていたことだろう。
「なんか……背中痛いし……。力入らない……な……」
なんとなく上体を起こそうとしたものの、打ち所が悪かったのか左半身に思うように力が入らず、起き上がることすらも諦め、私はなんとなくボーっと部屋を眺めはじめる。
そしてすぐに、自分が寝ていたであろうベット――その枕元に置かれていたものに目が留まった。
「シャイニー……パクト……?」
私は何故かそれが妙に引っ掛かり、シャイニーパクトを取るため、身を捩るようにして上半身を起こそうする。
その瞬間だった。
――ガチャ。
「――えっ……?お姉……ちゃん……?」
扉が開く音を聞いて視線をそちらに向けると、夏那が私の寝巻きを抱えながら不思議そうに見下ろしていた。
「……えっと……おはよう、夏那。あ、私がここに寝そべっているのは別にベッドから寝ぼけて落ちたわけじゃないし、打ち所が悪くて動けないわけでもないぞ?というか、部屋のドア開けるときはちゃんとノックをしてからだな……」
寝ぼけてベットから転げ落ちた挙句、打ち所が悪くて動けずにいる姉などという恥ずべき称号を回避するため、私は言葉を並び立てて誤魔化そうとした。
しかし、さもそんなこと耳に届いていませんといったご様子で、夏那は無表情ながらに突っ立ったまま、しばらく私のことを見つめ返していた。
「お姉ちゃんが……起きてる……」
「ん……?夏那……?どうかし――……ぐえっ!?」
私がその様子を不振に思って理由を訊ねようとした刹那、夏那は私の腹部にレスリング部ばりのタックルをかましてきた。
「ちょあ……!?な、何……?く、苦しいから……?そ、そうだ……!ちょっと寝すぎで、体が上手く動かなくてだな……」
「寝すぎなんてレベルじゃないよー……!!ううぇーん……!!!」
「ええ……っ!?なな、なんで泣いてんの!?」
夏那は私の胸元に顔を埋めると、私の寝巻きを洗濯後の生乾き服のように濡らしていった。
妹が泣く理由に心当たりもないままなんとか体を起こし、枕元の目覚まし時計を確認した私は、自分の目を疑うとともに、夏那がぐずっている理由を改めて知ることになった。
「6月……24日……か。う~ん……24……?」
私は未だ朦朧とする記憶を遡りながら、指折り数える。
「――って、えっ……!?私、4日間も寝てたってこと……?」
「ずっと……ず~っと心配してたんだよ……!?もう、お姉ちゃんは目を覚まさないんじゃないかって……。ううぇーーん……!!」
「まったく、大袈裟だな……。うちの妹は……」
破裂した水道管のように至る所から水を垂れ流しながら、壊れた目覚まし時計のように喚き散らす妹に呆れながらも、私はそれを少しでも落ち着かせるようにと、その頭をそっと撫でてやる。
その直後、夏那は何かを思い出したようにピンと立ち上がった。
「ああ!?そ、そうだ!?お母さんに、お姉ちゃんが目を覚ましたって伝えなきゃ!?」
「お、おう……?って、うん……?夏那……そのふ……」
夏那は足をもつれさせながら踵を返したかと思うと、階下へと降りる慌しい足音で私が呼び止める声を掻き消しながら、部屋を後にした。
私は首を傾げながら部屋を見渡し、ハンガーに掛けられていたそれを確認する。
「ある……な……」
しかし、それがそこに存在していたことで、私の疑問は更に深まった。
「あ。そうだった……シャイニーパクト……」
私は再びシャイニーパクトを手に取ろうと手を伸ばす。
「――っ!?」
その瞬間、私は確かに、微弱な電流のようなものが頭に流れるのを感じた。
朦朧としていた頭は、ボケていたピントがピタリと合うように鮮明になり、私の記憶は色付くように呼び覚まされた。
「そう……だ……。私のシャイニーパクトは……。でも、それじゃあなんでここに……」
目の前にそれがあるという事実と、自分の記憶との食い違いに私は首を傾げながらも、それを開けて念入りに確認をはじめる。
「どこも壊れてない……。アサガオの種もある……。けど、ちょっと少ないような……?」
細部を確認するも、接着剤で繋ぎ合わされた様子もなく、シャイニーパクトの中身も以前と同じものだった。
そこまで考え至り、私は以前にも似たようなことがあったことをふと思い出した。
「というか、これってもしかして……」
私は自分の右手をまじまじと見つめながら、その手を天井へと伸ばす。
「あれは……夢……?」
「――ハル!?目が覚めたって本当!?」
「え~っと……お……おはよう?」
四日ぶりの起床の挨拶には何が正解なのか答えが見出せず、私は普段どおりの言葉を掛けた。
それを聞いた途端、母は膝から崩れ落ちるように床にへたりこんだ。
「よか……った……ほんとに……」
その反応から、自分が多大な心配を掛けてしまった事実を悟るとともに、自分をこれほどまでに心配してくれる家族が居ることを、私は素直に嬉しく思った。
「……なんか、また心配掛けたみたいで……ごめんなさい。こんなに心配掛けてたとは思ってなかった……」
母は首を横に振りながらしゃがみ込み、私の体を抱き寄せた。
「いいの……。あなたが生きて目を覚ましてくれたことが……今は最高に嬉しいわ……」
「――!?」
――『私はずっと、チーの親友だ』。
抱きしめられたその瞬間、私の脳裏にその言葉と声が、まるでそこに居るかのように再生された。
「……ごめん。ちょっと急ぎの用事が出来たから、悪いんだけど私をあーちゃんのところに連れていってくれない?なんか、体の調子が良くないみたいで歩けそうにない」
一刻も早く事実を知るべきだと、私はただならぬ焦燥感に掻き立てられていた。
だからこそ、なりふりを構ってはいられないと、母や妹に弱い自分を見せ、プライドを捨て、母に懇願した。
「え……?お姉ちゃん、それは……」
「わかったわ」
まるで、私がそういうと判っていたかのように母は呆れ顔で大きく頷き、私をその背中に乗せた。
◇
◆6月24日 午前7時10分◆
「あれ……?誰かしら……?」
到着というほどの距離でもない雨の家の前まで移動すると、そこには来訪者らしき人物が立っていた。
その人物は、私よりも少し大きい背格好で、全身を黒い布で覆い、フードを目深に被るという怪しさ全開の風貌をしていた。
「留守?あなたも、五月さんに用事?」
ボーっと雨の家を見上げていたその人物に母が声を掛けると、その人物は不意に声を掛けられたことで驚いたのか、数歩ほど後退りした。
「あ……いや……」
母がインターフォンを押そうとする際、母の背におぶられていた私とその人物の目が合った。
「……なっ!?」
「……?」
黒づくめの人物は私を見て呟く。
「お前は……誰だ……?」
「え……?」
――ピンポーン。
私たちがそのやりとりをしている間、母はインターフォンを鳴らした。
「――!」
その音を聞いた瞬間、まるでピンポンダッシュするが如く、その人物は一目散に走り去っていった。
「あっ……!?ちょっと、キミー……!?一体何の用事だったのかしら?」
「……今のは……」
黒づくめの人物と目が合ったとき、私はその顔を確認していたが、少なくとも私と面識のある人物ではなかった。
だが、確かにあの瞬間、黒づくめの彼女からは殺意の胞子のようなものが視えた。
…
「それにしても出てこないわねー……。やっぱり留守なのかしら?」
インターフォンを鳴らして暫くするも、誰かが応答する様子は無かった。
「こんな朝早くにどこに……」
母は何かに気付いた様子を見せると、腕時計を確認し、納得したように小さな溜息を吐いた。
「なるほどね……そういうこと……。とすると、どんな顔して会えばいいのかしら……?よ、アオ!久しぶり!元気してるー?なーんて、さすがに空気読めてないわよねー……」
「……そんなのいつもどおりでいいんじゃないの?」
私が呟くと、母は呆れ紛れに大きな溜息を吐いた。
「こういうのは、大人になってくると面倒臭いもんなのよ。親しき仲にも礼儀ありって言うでしょ?」
久しぶりに会うからといって、旧知の間柄の、しかも隣人である人間にそれほど畏まるものでもないと私は思っていた。
大人の社会というものは時折、たとえ親しい関係であっても、その時、その状況によって態度を変えなくてはいけなくなることも知識としてはある。
だが、私が不可解だったのはそうしなければいけない理由だった。
「――フッキー……?こんなところでどうしたの?」
その声は、通りの先から突然聞こえた。
「あ……。アオ……。ひ、ひさしぶりー……?」
ウェーブの掛かった濃紺の長髪に白い肌、そして良妻賢母のような穏やかな佇まいで私の母をフッキーと呼ぶその人物の名は、五月青――雨の母親である。
「――!?ハルちゃん……やっと目を覚ましたんですね……?」
ふと雨の母親と視線が合い、私はとりあえず会釈を交わす。
「あ……ああ、おかげ様でさっきね?まあ、こんな状態だけど。ただでさえ小さい子供が、手の掛かる赤ん坊に戻ったみたいでしょ……――むぐぅ!?」
私は母の口を塞ぎ、抵抗の意思を示した。
「元気そう……ですね……。本当に良かった……。あの子も……心配していましたから……」
「おばさん。早速だけど、あーちゃんは居る?あーちゃんに会わせて欲しいんだけど?」
「……」
雨の母親は眉を潜めると、戸惑った様子でその視線を母に向けた。
「……そういうわけだから、会わせてやってほしいんだけど?」
母が後押しするようにそう言うと、雨の母親は小さく頷き、家の門扉を開けた。
「……わかりました。どうぞ」
…
「よっこらせ……っと。あんた、ちょっと重くなったわねー……」
母は私を和室の座布団に降ろすと、凝った肩をほぐすように腕をぐるぐると回した。
「……それ、赤ん坊の頃と比較してるでしょ?」
私が苦言を呈していると、まるで私が訪れたタイミングを見計らったように、襖の隙間から黒い影が姿を現れ、それは一目散に駆け寄り、私の膝の上に飛び乗った。
「っ!?」
「んなぁ~!!」
「お……お前、クマゴローか!?久しぶりだなー……って、重!?というか、めちゃでかくなってる気がするんですけど!?」
よその子の成長は早いという言葉が猫に当てはまるのかどうかは判らないが、いつの間にやら子猫から立派な大人猫へと成長していたクマゴローに私は一驚する。
「どうよ?私の気持ちが分かった?」
「うむぅ……」
私はクマゴローをもふりながら至福の時間を堪能する。
だが、ふと我に返り、あることに気付く。
「あれ……?そういえば、さっきインターフォン鳴らしても反応無かったけど、あーちゃんは家に居ないってこと?こんな早くにどこに行ってるの?」
武闘派気質の雨のことだから、朝から道場で素振りしているか、周辺を走り込んでいるのではと、なんとなく思っていた。
だが、その答えは思いもよらないものだった。
「――雨は……そこに居ますよ」
促されるように、私は雨の母親が差し示した方向に視線を移す。
勿論だが、そこに探し人の姿は無かった。
しかし、そこにはその存在を誇示するかのように代わりのものが置かれていた。
「……えっ?」
黒い箱に扉がついたようなものと、煌びやかな金色の装飾、質素な器と蝋燭、そして達筆の文字が書き連ねられた牌。
そして、その中央に飾られた写真――確かに、そこに私の親友が屈託なく笑う顔があった。
「なんの因果かしらね……。今日この日にハルが目を覚ますだなんて……」
私は母の服の端を摘み、引っ張る。
「こ……これ……って……どういう……意味……?何の……冗談……?」
気持ちの整理もつかず、荒波のように揺れ動く感情を抑え込みながら、私はそれでもなお必死に声を搾り出した。
「雨は……亡くなりました。ちょうど一年前に……」
◇
◆6月24日 午後1時◆
自室に戻ってから暫くの間、私は何も考えることが出来ず、ベッドの上でただただ蹲まりながら無為な時間を過ごしていた。
「……」
雨のものであろうシャイニーパクトを開き、鏡に映った自分の顔を眺めては閉じる。
左半身が動かなくなっていることや、寝ている間に一年という時間が経過していたこと、夏那が私と同学年になり皆が上級生になったこと――そして、雨という親友が既にこの世には居ないこと。
そのすべてを一度に受け入れるには、数時間という時間は少なすぎるし、私の心の許容量を優に超えている出来事だった。
だから、今は何も考えず、ゆっくり整理していこう――私は内心でそんな言い訳をしながら自分で自分を納得させていた。
だが、頭では理解していた。
今の私は逃げているだけであり、それらの事実を認めたくないだけ。
なぜなら、それを認めた先には、終わりのない喪失感が待っていることを、私は経験上知り得ているし、それがどれだけ辛く苦しいことであるかも知っている。
「あー……ちゃん……」
だが、私の頭でも処理することのできない、経験の上で例にないことが一つだけあった。
それは、親友の死だった。
――ドタドタドタ……!ガチャ!!
「――ちーちゃん!!」
「イノ……ちゃん……?」
祈莉は私の顔を見るなりベッドに飛び乗り、姿勢を低くしてにじり寄ってきたかと思うと、獲物を狩るチーターのように飛びついてきた。
どうして皆一様に似たような反応をするのかを不思議に思いつつも、私は口を開く。
「ど、どうしてここに……?というか、学校は……?」
「先刻、妹さんからちーちゃんが目を覚ましたとご連絡を戴きました。それで居ても立ってもいられず……。そんなことより、お体の具合はどうなのでしょう!?」
「飛びついておいて体の具合って……」
私はどことない懐かしさと、変わらないものがそこにあるという安心感を覚え、ほんの少しだけ気が紛れた気がした。
「問題ない……なんて、もう言えないよ。体の半分は動かないから、もう皆と学校生活を送ることも出来ないと思う」
「ちーちゃん……」
祈莉は私の両手をそれぞれ取ると、温かな手でしっかりと握り返してきた。
「なんでも仰ってください!私に出来ることであればなんでも致しますわ!!」
言葉どおり、祈莉ならなんでもしてくれるのだろうという絶対的な信頼はあった。
だが、私の望むものはきっと手に入らないし、もう戻らない。
そう考えた瞬間、私の右頬に熱い何かが滑り落ちたのを感じた。
「あ……れ……?」
「――っ!?」
次の瞬間、私の体は強引に抱き寄せられ、私の顔は祈莉の胸に埋められた。
しかし、私は抵抗すらせず、そのまま身を任せた。
なぜなら、私自身もその波に抗うことはもう出来ないと悟っていたから。
「ごめ……ん……。ちょ……とだけ……このまま……で……いさせ……て……」
「……はい」
それから暫くの間、私は泣き続けた。
…
「落ち着かれましたか……?」
「うん。だいぶ……。ありがと、イノちゃん」
私は袖で顔を拭い、十分に呼吸を落ち着かせてから口を開く。
「……私には知っておかないといけないことがある。あーちゃんのためにも……。だから、イノちゃん。聞かせてほしい。あの日何があったのかを」