第29話 魔法少女はそれぞれの戦いで。(2)
◆???◆
「あ……れ……?」
不意の状況に些か混乱しながらも、私はワケもわからぬまま周囲を見渡す。
「何が……起きた……?」
そこは間違いなく、先ほどまで居た場所となんら変わりはない場所だった。
しかし、それは場所という点に限った話だった。
「雹果もアイツも居ないし……?どこに行ったんだ……?」
どういうわけか、目の前に居たはずの雹果の姿や、私を拘束していたはずの片眼鏡紳士の姿は忽然と消えており、ようするに私一人が何故かその場に残されているという状況になっていた。
『流石、と言うべきか。馴染むのが早いな』
「――っ!?」
まず見計らったであろうそのタイミングで、声が私の耳に届いた――いや、正確には耳に届いたような気がしたと言ったほうが正しいのだろう。
なぜなら、その声の主を探そうにも、その姿は未だ視界に捉えられていない。
それにも拘らず、まるで残響するかのようにその声は私の耳に確かに残っているという、不可思議な感覚に陥っていた。
しかし、私には確かに言えることが一つだけあった。
それは、その声が確かに聞き覚えのあるものだった、ということだ。
「その声は、宇城さん……?」
『……如何にも』
どこからともなく肯定する声は聞こえたものの、依然として人間や狐の姿を視界に捉えることはできてはいない。
しかし、姿は見えずとも意思疎通は出来るものと割り切り、私はまず、自身の置かれている状況を知ることにする。
「私は気を失ってたんですか?それに、雹果はどこに行ったんです……?」
片眼鏡紳士に拘束されていたことはハッキリ覚えているものの、読んで字の如く、私はいつの間にかここに居た。
それはまるで、続き物のアニメを一話分まるまるすっ飛ばして見てしまったときの「どうしてそうなった?」という疑問に類するものだった。
『いや、時間は然程経ってはいない。君は今まさにそちらにいった』
“そちらにいった”という言葉に、嫌悪に似た拒絶反応を覚えつつも、私は渋々問い返す。
「……あんまり聞きたくない気がするけど、“そちら”って?」
時間は経過していないとすると、そこで更なる疑問が浮上する。
宇城悠人の言葉から察するに、雹果たちがここに居ないのは、私が移動したからということになるのだが、私がここに来たのは今ではないし、私が移動したのであれば私はここに居ないはずであり、雹果たちが一瞬にして私の目の前から消えた理由にもならない。
だとすると、考えられる可能性は、私の考える“ここ”と“この場所”が一致していないこと――つまり、“ここ”は先ほどまで居た場所とそっくりな“そちら”であると考えられた。
『今、君のいるその場所は、現世と幽世の狭間だ』
「現世と幽世の狭間……――んっ…?」
概ね予想していた通りの回答に、私は大きなため息を吐く。
しかし、私はその言葉について、よくよく反芻するように考えると、私なりの結論に達する。
「――って!?それってつまり、私、死んだってこと!?」
現世はその名のとおり、私たち生きている人間が生活する世界であり、幽世とは死んだ人間や霊たちが辿り着く場所――ようするに死後の世界とされている。
その二つの狭間だというのだから、言わば三途の川の上にいるようなもの。
つまり、宇城悠人の言葉を鵜呑みにするなら、私は死の領域に半歩ほど足を踏み込んでいるということになる。
『……ああ。言いにくいが、そうなるな』
「なっ……!?そんな……馬鹿…な……」
昔のゲームのように簡素な“GAME OVER”を告げられ、私は失望のあまりに足から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「あーちゃん、イノちゃん、雹果……それに、芽衣。みんなごめん……。私、何も出来なかった……」
人は死んだあとどうなるのかと、誰しも一度は考えることだろう。
自分の親しい人たちは今後どうなっていくのか。
自分の残したモノは一体どうなるのか。
自分は何かを残すことが出来たのだろうか。
そんなことを挙げていったらキリがない。
故に、多くの場合は“後悔”が残るのではなかろうかと私は考察している。
「あの小説や漫画の続きがみれない……開封せずにいつかやろうとしていた積みゲー……楽しみにしていた、未完の映画……。あれもこれも全部、知ることなく死んでしまった……ああ、私はなんという罪を……。あー、でもこんなこと考えていたら地縛霊とかになっちゃうのかー?もしかして?」
どんなに人生を満喫していたとしても、過去を振り返れば、ああしていればと思うことはあるだろうし、ひとかけらの悔いも残さずにこの世を去れる人間なんて、ほんの一握りだろう。
そして、それは周りの人間も同様で、ああしておけばもっと話せたのにとか、こうしていれば救えたかもしれないとか、否が応にも考えてしまう。
だからきっと、死には“後悔”が付き纏うものなのだろう。
『……すまない。今のは軽い冗談のつもりだったのだが……。よもやそこまで落胆するとは思っていなかった。本当にすまない』
「………」
数秒間の間を置いてから、私はすっくと立ち上がって服の埃を払い、乱れた髪を整え、何事も無かったかのように話を続ける。
「――で。私は今どういう状態?今度は真面目に」
『君の切り替えの早さには驚かされる。現世と幽世の狭間に居るとはいえ、君には肉体がある。死んでいるわけではないとだけ伝えておこう』
宇城悠人に死んでいないと太鼓判を押されてはいたものの、嘘を吐いた張本人ゆえ、私は半信半疑ながらも深呼吸をして、その言葉を受け入れる努力をする。
「とりあえず死んでないならいいです……。助けてくれたのなら感謝しますけど、早いところ私をあっちに戻してくれると助かります……死んでないけど、生きた心地はしないので」
なんとか気持ちを落ち着かせてはいるものの、まるで荒野や山中に一人置き去りにされたかのように、胸中は不安で満たされていた。
“生きた心地がしない”とは、まさにこういった状況を指すのかもしれない。
それ故に、元の世界に戻らない限り、この靄のかかったような気分は払拭されはしないのだろう。
『勘違いしているようだが、君を助けたのは私ではない。故にそれは不可能だ』
「宇城さんじゃなくて、不可能……?ということは誰が――」
私をここに隔離した人物が宇城悠人でなく、彼が戻すことが出来ない――となれば、彼よりも強い力を持った存在がそれを行ったことになり、それは私の知る限りでは一人に絞られる。
「これは雹果が……?なんか、前よりもヤバさ加減が増してるなー……」
指先を少し動かしただけでダウンならぬ、生と死の狭間に送ることが出来るという、文字通りの神スペックに心底驚きつつ、その力を持ったのが悪人ではなく雹果で良かったと改めて痛感する。
「それなら、私を元に戻すよう雹果に伝えてください。宇城さんならそれくらいなら出来ますよね?」
私を元の場所に戻すことが出来ずとも、縁が強く繋がっている神スペック主従の二人であれば、次元を超えた意思疎通などは容易の範疇だろう。
というよりも、実際のところ宇城悠人に出来ないのであれば、事の発端である雹果に伝えてもらう以外に手段はないと言えた。
『残念だが、あの子が――雹果がそれを望んでいない』
「……は?」
想定外の回答に、私は一瞬言葉を詰まらせた。
「な……?えっ……?望んでいない……?伝えることを?それとも、私が戻ることを?」
『そのどちらも、だ』
以前、天草雪白に鏡の中に閉じ込められそうになったが、よもや姉妹揃って似たようなことをされるとは露ほどにも思っていなかった。
とはいえ、あの時の天草雪白ならいざ知らず、雹果に限ってそんな大それたことを何の理由も無く強行するとは到底思えず、私は首を捻る。
「私とは話したくない……。私に戻ってほしくない……」
そこに何かの意図があるとするならば、話を伝えることも、私が戻ることも雹果が望んでいない、ということがこの疑問を解く鍵となるはずである。
だが、そこまで判ってはいても、私には雹果の意図を汲み取ることは出来なかった。
『君は少しばかり自覚というものが足りていないようだな。率直に言えば、雹果が戦うにあたって、君という存在が邪魔なのだ』
「邪……魔……」
“邪魔”というその一言は、私の胸を抉るように深く突き刺さった。
『君を守りながら戦うには厳しい相手であると、あの子は判断したのだろう』
たとえ私にその自覚があったとしても、誰かからそう言われることには慣れてはいないし、むしろ誰かに必要とされることが今の私の生き甲斐でもあり、存在価値であるとも言い換えられる。
ようするに、“邪魔”という言葉は、私の存在意義を全否定されることと同義だった。
「私が足手纏いだって……そう言いたいのか……?だとしても、そんなの無茶でしかない……!!」
私をこちらの世界に閉じ込めたことが、雹果の意思であるというのなら、二人で片眼鏡紳士を足止めするという私が立てた作戦を放棄することになる――それはつまり、雹果一人で片眼鏡紳士の相手をすることを意味している。
「雹果だけでアイツをなんとかしようだなんて、不可能だ!!アイツはノワでも警戒するような相手だぞ!?」
『君がそれを言うのか?無茶は君の専売特許ではあるまい。これは彼女たちの総意だ』
「彼女たちの……総意……?ちょっと待って……それってつまり……」
彼女たちと聞いて、私はその動揺を隠すことが出来なかった。
なぜなら、その言葉を率直に解釈すると、私をこの場所に閉じ込めたのは、雹果の意思だけではないということになるからだ。
「あーちゃんやイノちゃんも、この件に同意してるってこと……?」
『ああ』
正直な話、私がこの戦いに参戦していたところで、その場に応じた戦略を伝えることしか出来はしないのだろう。
先ほどのように、私が人質に取られるリスクのほうがメリットよりも大きいことも、頭では十分に理解している。
だからといって、面と向かって「必要ない」と告げられることよりも、皆が結託して私を遠ざけたという事実のほうが、私にとってはショックだった。
「あんまりだ……。私に黙って、こんな……」
『そう悲観することでもあるまい。皆、君の身を案じ、これ以上戦場に置くべきではないと考えてのことだ。気付いていたぞ?君の身体に起こっている異変を』
「――!?」
その瞬間、私の心臓は私の動揺とともに大きく高鳴った。
『少し走るだけで息を切らし、時々足を引き摺り、ちょっとした段差で躓き、少しのことで尻餅をつき、椅子に腰掛けている時間も多くなった。日常生活のそういった小さな変化を見て、彼女たちは君の不調を勘繰ったのだろう』
「バレてたのか……」
――私の身体は日に日に自由を失っていた。
それは少し肩が回らなくなったとか、足を動かすと膝が少し痛むとかの些細な変化だった。
ある時、それが確実に私の身体を蝕んでいることに、私はようやく気が付き始めた。
その変化が如実に現れたのは、手先や足先の痺れだったが、本格的にそれを“異変”と感じとったのはほかでもなく、私の半身から痺れや痛み、そして触る感覚すらも、綺麗さっぱり消えたときだ。
『君は嘘を見破ることに長けているかもしれないが、自分の嘘が下手であることも自覚すべきだな』
――痛みはなくとも身体は動くため、周囲には隠し通せていると思っていた。
だが、私の考えは甘かった。
考えてみれば、芽衣が私の異変に気がつかないわけがないし、彼女がそのことを誰かに相談しないわけがない。
雨もまた、周囲の変化に敏感であり、私が気にも留めないことに気付いたりもする。
人前では体力を消耗しないよう、自然な流れで椅子に腰掛けたり、歩く速度を遅くして転ばないようにしていたのだが、それすらも皆には変化として捉えられていた。
やはり、私の目は見えているようで、何も見えていないのかもしれない。
『五月という娘はこうも息巻いていた。君の機転にばかり頼ってはいられない。自分たちだけでも戦えるところをみせてやる……とな』
「あーちゃん……」
『ここは彼女たちを信じてみてはどうだ?これは良い機会だと思うぞ?彼女たちにとっても、君にとっても』
私は告げられた言葉を飲み込むように、大きく頷く。
「――わかった。皆を……信じてみる……。だけど、そうは言っても、ここで戦いが終わるまで黙ってろっていうのはなー……。ぶっちゃけ、気になり過ぎて胃に穴が空いて、終いには死にそうなんだけど……?」
ここでただただ戦いが終わるのを待つ、などという高ストレス環境にいたら、私の胃にはポッカリと穴が開き、いつの間にやら狭間を通り越して幽世に足を突っ込んできた――なんてことも考えられる。
『せっかく匿っているというのに、そこで死なれては元も子もない。まあ、君が子供のように駄々をこねるだろうと踏んでいた私は、とっておきの秘策を考えておいたのだが、知りたいか?』
「子供じゃないし、駄々もこねてない。けど、とっておきの秘策は気になるから言って」
『どの口が……。コホン……それはまあいい……。そこは現世と幽世の狭間と言ったな?実のところ、境界であるその場所と現世とは見えない仕切りのようなものに隔てられているだけで、存外近い』
「……?だから……?」
『四の五の言わずに、少し目を凝らしてみるといい』
「四の五のって……。まあいいけど……」
私は不満を垂れながらも、言われたとおりに目を凝らすように目を細める。
「ん~……ん?」
すると、私の視界に突然変化が起こり、私は半信半疑ながらに何度も瞬きを繰り返す。
「……見えたかも」
◇
◆6月20日 午後6時15分◆
透明だった刃の切っ先は鮮血に染まり、それらは混じり合い、濁りを帯びる。
自身の足に深々と刺さった刀を見て、ライアは呟く。
「刀……?ぼ、僕の……足……に……刺さって……」
「これでもう、お前は動けない」
耳元でそう呟くと、ライアは意外な反応を示す。
「あ、はは…はっはは……あははははは……!!!」
「何が可笑しい……?まさか、痛みで気まで狂ったのか……?」
まるで自分に起こっていることさえも、それがフィクションやエンターテインメントなのだといわんばかりに、ライアは高々と笑い声を上げはじめた。
「これくらい……なんともないさー……。作戦は……なかなか面白かった……。だけど、残念だったねー……。僕を追い詰めた気になっているのなら……ぅぐ……それは君の早合点だ……」
「なんともないようには見えないけどな?」
明らかなやせ我慢を見せながらも、ライアは痛みを押し殺し、私を嘲り笑うように口角を上げた。
その様子に、私は少しばかり感心する。
「君たちの魂胆は見えたよー……。この腕の先に……本物の体がある……。そうだろう……?」
ライアの言ったことは概ね間違っていなかった。
メルティー・ミラの持つ鏡同士の空間を繋ぐ力を利用し、胸元に隠しておいた鏡と芽衣の本体が眠っている場所を鏡で繋ぎ、芽衣の意識を安全に取り戻す。
それがチーの考えた作戦だった。
「そこまではお見通しか……。まあ、それが判ったところでもう手遅れだけどな?」
仮に芽衣の身体をこの場に連れてきて、元の身体に意識を戻させることが出来ても、その直後、芽衣は相手にとって用済みになってしまうため、意識が戻って間もない芽衣を危険に晒すことになる――ようするに、どう転んでも人質を取られているという不利な状況を覆すことが出来ない。
だからこそ、芽衣の身体は別の場所で匿いながら、意識を元に戻す必要があった。
だが、あの片眼鏡の変態男が近くに居る状況では、ライアの手を鏡に突っ込ませることは出来ても、すぐに妨害されてしまうという危険性が残ってしまう。
そこで、チーが本物の魔法少女として囮になってライアと片眼鏡変態男を引き離し、自発的に芽衣に意識を戻させ、油断している間に雹果がチーを救出し、片眼鏡変態男の足止めをする。
そうすることで、安全に芽衣の救出を行う――それがこの作戦の内容だった。
「手遅れ……?あっははは……!!ソレに意識を戻そうとしても……無駄だよー……」
「どうしてそう断言できる?」
「あの端末は僕の声じゃないと反応しない……。はぁ……はぁ……君たちにプロセスを起動することは絶対に出来ない……。あははははは……!!!」
「あははは……!」
その笑い声に呼応するように、私もまた高笑いを上げる。
「なっ…何がおかしい……?」
それが追い込まれているがゆえの威勢だったり、虚言である可能性もあった。
だが、それが真実であろうと嘘であろうと、私にとってはどうでもよかった。
なぜなら、ライアが満を持して告げたその事実すらも、私たちにとっては想定内だったのだから。
「いや……やっぱ、チーはすごいなーてな?ここまでくると表彰もんだわー……」
「な、にを……言って……?」
『それでは、私の出番ですわね』
鏡の向こうからその声が聞こえると、その瞬間、ライアの表情は焦りや驚きや疑念といった様々な感情を滲ませるように、複雑に歪んだ。
「――っ!?これは、僕の声……!?いや、これは録音……?いや、僕はこんなこと言った覚えは……!!」
鏡の向こうから聞こえた声――それは、目の前に居るライアとまったく同じ声を持っていた。
それも当然だった。
なぜなら、こちらには声真似のエキスパートが居るのだから。
「知ってるか?この世には、どんな音も声真似しちゃう“コトドリ”っていう鳥が居るんだってさ?」
『それではいきますわ。ソウル・リリース・プロセス――アクティベート』